23.妄執の行き着く先②
「ユーニード様」
あまり感情が表に出ない軍務情報官が、珍しく顔を紅潮させてユーニードに声を掛けた。
「どうした? 何かあったのか?」
地図を眺めつつなにかを考えていたユーニードは、真っ直ぐに椅子に座りなおす。
情報官は恭しく小脇に抱えていた文書をユーニードに渡した。
「これをご覧下さい。正にユーニード様の言われた通り、神々の御意志だったのです」
「……ほう、これはクインの筆跡だな。刻印の解読と考察、か」
暫くはパラパラと紙のめくる音がしていたが、ユーニードの目には何度も驚愕の色が現れていた。
「……これの信憑性は?」
「はっ! 侍女であるエリ嬢が持っていたものです。 クイン様が度々にコヒン様を訪ねていた事も分かっています。筆致や紙の状態からも、時間的に間違いないと判断致しました。何より黒髪の少女など、一部しか知らない事ですから」
「そうか……」
この時代は魔獣と言う新たな外患を憂慮はしても、中には警戒感が薄いものだ。情報の管理も甘いのが当然か……ユーニードはアストが緘口令を敷いている情報が、いとも簡単に手に入る事に一抹の不安はあったが今は目を瞑る。
ユーニードは再度目を落とした。
「聖女、神々の使い、癒しの力だけではないのか。黒神ヤト、憎悪、悲哀や痛みを司る神……」
「信じられんな……5階位など。神の力そのものが顕現するとでも言うのか? しかも封印とある」
「ユーニード様、クイン様も考察されています。彼女は神々が遣わせた生け贄であると。私もそう思います」
「ふん……魔獣どもに捧げろと? 癒しの力は使い途がある。北部の街マリギを取り戻すのだ。聖女を中心に置き、騎士達を円周上にニ、三重に配置する。 更に外に[燃える水]を撒き火を付ければ魔獣は怒り狂って円に入って来るだろう。負傷者は聖女が癒しつつ、戦線を保てばいい。 ケーキをスプーンで削り取る様に少しずつ森を喰らうのだ。魔獣どもが火に巻かれ、騎士の剣に貫かれて死ぬ」
「聖女はもつでしょうか?」
「それこそ愚問だな。たとえ死ぬ事があったとしても、それは本望だろう? 生け贄として遣わされた聖女の役目なのだからな。だがそれも調整次第だ」
「陛下も殿下もお優しい方々だ。決断が鈍っているのだろう。ならば、時に厳しい答えを突き付けるのも臣下の役目だ」
ユーニードは自分の出した答えが一分の間違いもない完璧なものだと確信している。
「だが確認は必要だ。演習をしようにも陛下は許可なさらないだろう。そもそも演習するには、怪我人と聖女の血肉が必要だ。それに重要な点がこの考察には抜けている」
「重要な点ですか?」
「そうだ。 聖女の血肉を捧げる……自己犠牲とあるが自らの意思でない場合はどうなるか、その視点が欠けている。聖女と言っても15にも満たない少女だろう? 戦場に当てられて逃げ出すかもしれない。そんな不確定要素を許す訳にはいかない」
「慈愛や利他行動で縛られているとあります。目の前に助けるべき人間がいれば、自ずと治癒するのでは?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。そんな事に騎士達の命は預けられない」
聖女の命を道具としている事を、少しも意に介せずユーニードは言う。
「魔獣を必ず根絶やしにする。失敗は許されない……他者が血肉を捧げられるか、確認が必要だ」
それはつまり、救われるべき人が聖女を傷付ける事になる。もはやユーニードに正常な人の判断は出来なくなりつつあった。目は暗く濁り、息子アランの苦しみしか見えなくなっている。復讐こそが全て、騎士達の命さえその為の手段でしかない。
「これは原本か? 急ぎ複製を用意して、原本は元に返すのだ。今はまだこちらの動きを知られたくない」
もしこの場にカズキが居てユーニードの目を見たら、幼い頃見た孤児院の院長と同じだと思っただろう。
あの爬虫類の目の様だと……
黒の間では、あいも変わらずアスティアの悲鳴が響いていた。
「カズキ! いい加減にしなさい!」
今は天敵クインがいない。カズキは培った技術を存分に使いアスティアから逃げ回っている。フェイントを入れ、ベッドを飛び越え、時にはゴロゴロと床を転げ回る。スカートが捲れて下着や素肌が見えるのも御構い無しだ。
「はしたないでしょ! カズキやめなさい!」
エリはアスティアが着せたがっているピンクのルームワンピース、所謂ネグリジェを持ったまま突っ立っている。
「エリも手伝いなさいよ!」
「アスティア様。ほらこれを持っておかないと」
エリも明らかに楽しんで見ている。良い子のアスティアがバタバタと部屋中を走り回るのを見ると、幸せな気持ちになるのだからしょうがない。ちなみにこのネグリジェはアスティアと色違いのお揃いである。
ベッドを挟んで向かい合い、視線でフェイントを入れている。
そして小刻みに体を揺らしてアスティアにプレッシャーを掛けているのだ。カズキがヤトに無理矢理に少女にされる前は、路地裏でいつもやっていた事だ。隙を見せれば、ブン殴るなり蹴りを入れるなりしていたが、流石にそれはしない。
まさに王女様のアスティアでは、勝負にならないのは仕方がないだろう。
ガチャリと音がした。
「……何をしているのですか?」
クインの冷たくも美しい声が黒の間に響き、ビシッと固まりアスティアは振り向いた。そしてカズキは丁度扉が見える位置にいたので天敵の登場がわかってしまった。
二人はベッドに座らされて、クインのお説教を聞く事になる。カズキも話の内容は分からなくても、天敵が怒っているのがわかるので大人しくするしかない。
カズキはジンワリと暖かい幸せを感じていた。追いかけっこも悪くはない。このお説教らしきものだって嫌いじゃない。
それは子供染みてるだろうか?
もしかしたら、信じていいのだろうか?
まるで本当の家族のようだと思うのは傲慢なのだろうか?
カズキは今陽だまりの中にいて、微睡んでいる。
すぐ側に、復讐と呼ばれる悪意が迫っているとも知らずに。
王都リンスフィアは美しい都だ。
区画毎に設けられた石畳の街路も整然と並び、それでいて生活感が溢れている。夜には各所にランプが灯り、家々やお店からも淡い光が零れてくる。店からは笑い声も絶えず、グラスを打ち鳴らす音も響いている。
雨の日すら街路や窓も濡れて灯を反射する様は現実を忘れさせてくれるだろう。
だが、それでも闇は在る。
光が溢れていれば、闇も生まれるのは世の常だから。
薄暗い路地を抜けて水路の側を歩く男がいた。灯も少なく人通りもない。それでもその男は迷い無く歩き続ける。やがて目的地に着いたのか、小さな一軒家の僅かに光の漏れるドアをノックした。
扉の一部が横に開き中から人の目が現れた。同時に強く漏れた光が訪れた男の顔を照らす。
「……なんの用だ、ユーニード」
目線だけが見える男から、低い嗄れた声が聞こえた。
「仕事だよ、ディオゲネス。開けてくれないか?」
「……ちっ」
ガチャガチャと内鍵を開ける音がして更に強い光が外に漏れ出した。
「入れ……貴様にやる時間など多くはない。早くするんだな」
「わかっている。これはお前にとっても悪い話じゃない。まずは聞いてくれ」
木の床はギシギシとなり、扉のすぐ前には2人掛け程度の丸テーブルがある。その上には酒と剣、砥石が置いてあった。
蝋燭の数は多くなく、城と比べれば薄暗いと言っていいだろう。ユーニードは持って来た酒を置き、椅子に座って改めて目の前の男を見た。
焦げ茶色のザンバラ髪、無精髭、薄手のシャツ一枚から伸びた腕は傷だらけで日焼けしている。 一見すると浮浪者にも見えるが、髪と同じ色の鋭い眼光と鍛え上げた上半身はそれを裏切る。
テーブルの上には、愛用であろう大剣が無造作に置かれている。砥石で研ごうとしていたのだろう。鈍い光を放ち、それが玩具でない事を嫌でも感じさせた。
「お偉い軍務長様が態々に来られるとは、どういう事だ?」
「お前も元とはいえ騎士。おかしな事でもあるまい」
「ふん……貴様が俺を元騎士にしたんだ。嫌味でも言いに来たなら早いとこ帰ってくれ」
ディオゲネスは剣の腕に冴え、将来を嘱望された騎士だった。
だがいつの頃からか、魔獣を殺す事だけに執着するようになり、部隊を危険に晒すことが増えてきたのだ。噂では近しい人が魔獣に殺され、復讐心が狂わせたと言われる。この時代では珍しい事ではないが、ディオゲネスは強すぎたのだ。日を重ねる毎に暴力性が増し、女子供が居ようとも魔獣を殺す事だけを追い求め始めた。
そして、ユーニードは彼に騎士団からの追放を伝えた。
ディオゲネスも仕方がないと理解はしているが、魔獣を殺す機会を奪われた事は許せなかった。
「仕事だと言っただろう。お前に任せたい事がある」
「下らないな。どうせ碌な事じゃ……」
ユーニードは無言で紙の束をテーブルに投げた。
「読め」
「ちっ……」
ディオゲネスは束を乱暴に掻っ攫い読み始めた。
ユーニードは棚からグラスを二つ取り、持ってきた酒を注いでテーブルに置いた。ディオゲネスはチラとだけそれを見て、再び目を落とす。
「なんだこの下らない妄想は。どこかの餓鬼が書いたのか?」
ディオゲネスはテーブルに放り投げ捨てて酒を煽った。
「書いたのはクイン=アーシケルだ。コヒン老も一枚噛んでいる。聖女は今城にいる……おそらく黒の間に匿われている筈だ」
「クイン=アーシケルだと? 何の冗談だ、ユーニード。貴様までおかしくなったのか?」
「殿下も緘口令を敷かれている。アスティア様もご存知の事だ。 証言も取れているよ、ディオゲネス」
全てが事実だ……そう言ってユーニードも酒を一息に飲む。
「事実なら放っておけばいい。その内に戦場に来るだろうよ。そうして生け贄となり世界に平和が訪れるのだろう?」
やはり吐き捨てるようにディオゲネスは言った。全く信じてないのだろう。
「もし事実なら? 魔獣を縊り殺すことか出来ると思わないか? やられても聖女に癒されてまた剣を握る事が出来るのだ。何度も魔獣に剣を突き立てる事が出来る。その為の手も用意してある」
「ならやればいい」
「……やる気がないのだよ、陛下は。 聖女の存在すら秘匿している。この情報は裏からのものだ」
ディオゲネスは内心酷く驚く。 ユーニードは冷酷な男ではあるが、リンディアへの忠誠は本物だった。王家の思いを知りつつ、それを裏切るとは……そして、だからこそ、この話が真実だと思えたのだ。
「……その時が来たら俺を原隊に復帰させろ。それが条件だ」
「いいだろう。 契約だ」
「仕事は?」
「聖女を攫う、そして試すんだ。怪我人や病人を用意しろ、出来る限り重篤者がいい。勿論証拠は残さずにだ」
「それで?」
「どうやったら治癒の力が発露するのか知りたい。 聖女の意思がいるのか、第三者が聖女に力を強制出来るのか。 調整の効かない武器など危険極まりないだろう」
「ふん……どうやって黒の間から出す? あそこは王の間に行くのと変わりはしない」
「それは私がなんとかする。お前一人では無理だろう。都合はつくか?」
「ああ、アテはある」
「よし、この件は絶対に漏らしてはならない。表に出ればわたし達は終わりだ。聖女は事が済めば一度城に返す。次の手も考えてある。行方不明のままでは動きも取れなくなるからな」
二人は酒を注ぎ、乾杯もせずに同時に煽った。




