22.妄執の行き着く先①
「駄目だ、やはりご再考頂けない……」
軍務長ユーニードは、カーディルが決断しない事に憤りを覚え始めていた。
癒しの力を持った少女の事は現在も伏せられたまま。カーディルやアストが何らの理由で伏せているとしても、折角の力を利用しない事が理解出来ないユーニードだった。
「今この時も騎士や森人が命を賭して戦っているのだぞ……もし又犠牲者が出たら何とするのだ……? 何より許せないのは魔獣共が今も我が物顔でのうのうと生きている事だ!」
ガンッ!
ユーニードは怒りが止められず、思わず机に拳を叩きつけた。
「……陛下は何をお考えなのだ……? このまま滅びを待つ訳にはいかないのだぞ。証言通りなら致命的な負傷さえ回復しうるのだ。森を焼き街を取り返し奴らを駆逐出来るかもしれないのに……これは神々の………」
そうだ……神々の御意志なのだ……
「刻印があったと、刻まれていたと言っていた……」
もっと詳しく調べる必要がある……そう呟くとユーニードは席を立った。
変装すると言っても、過去にあった敵対国や危険な地域に行くわけでもない。特徴的な箇所を変化させればそう危険は無いだろう……そう考えたアストは、カズキの黒髪をなんとかしようとクインに相談に来ていた。
「まずは黒髪を隠した方が良いと思う。他には何かあるかな?」
「……本当に殿下がお連れするのですか? カズキを隠しても殿下が側にいては無用の注目を集めるのでは?」
クインは最もな事を包み隠さず言葉にした。
「……わかっている……だが私が責任を持って保護すると最初に誓ったんだ。陛下の許可も頂いているから」
「そうですか」
他の感情も多分に含まれているのが直ぐに分かったが、クインはそれに触れなかった。
「それでは髪は纏めて帽子でも被りましょう。その上で大判で厚手のストールで隠します。覗き込みでもしなければ、わからないと思います、首回りも隠せますから。それとカズキには侍女服を着せて下さい。殿下はお嫌でしょうが、わたくしも参ります。 護衛の騎士も連れて行けば、供の一人と見えるでしょう」
クインは息もつかせずに話しきった。
「クインが来てくれるなら心強いよ。よしその予定で行こう」
クインのちょっとした冷やかしも意に介さずアストは笑う。
「何時がいいかな? 天気の良い日だといいが」
「……少し準備します。殿下は騎士の方々にお声掛けをお願いします」
「そうだな。ノルデなら快く着いて来てくれるだろう。 話しておくよ」
そのまま立ち去るアストを見送りながら、クインはため息の混じった苦笑が出るのを止めはしなかった。
王都リンスフィアは貴族などが住む内円部と街区である外円部に分かれている。それぞれに城壁があり、外円部はリンスフィアで一番の高さを誇る。昔には他国との戦争時の防壁として機能していたが、人同士が戦争をする時代は過去のものとなった。敵対者は人ではないのだから。
魔獣がリンスフィアに現れた事は皆無だが、それがいつ起きてもおかしくないと皆が知っていた。だが強固な城壁と誇り高き騎士団の存在が、その恐怖を和らげてもいる。どこかに感じる閉塞感の中で人々は日々を過ごしているのだろう。
そんなリンスフィア外円部に、アストが供を引き連れ訪れていた。王国民からの信頼も厚い王子の登場に、皆が沸き返り声を上げる。アスト達は石畳の道をゆっくりと歩き、それを見て商店や出店などから人々が手を振っている。路地には人が集まり始めていた。
アストが王子でありながらも、自ら騎士として先頭に立っている事は周知の事実だ。しかも魔獣を何匹も倒しており、英雄と言って差し支えない人気ぶりを示していた。
最近も黒の森近くで魔獣を倒し少女を一人救助したとの噂も流れており、その人気に拍車を掛けている。
「アスト様! 我らの英雄だ!」
「王子殿下が街に来られてるって!?」
「この間も魔獣を打ち倒したらしい」
「子供を救出したって」
「クイン様だ……俺こんな近くで初めて見た……」
「もう一人の侍女は知らないな? 新人か?」
アストは笑顔で手を振りながらも内心戸惑っていた。
「カズキが落ち着いて街を見学出来ないな……ん? あれは」
アストの視線の先には、いくつかの馬車と自分を遥かに超える身長をもつ大男。そして赤髪の女性が一人立ち話をしていた。
「ケーヒル!」
見えたのは副騎士団長のケーヒルだった。集まった群集もそちらに視線が流れる中、アスト達に気付いたケーヒルもこちらを見て挨拶を返す。
「おお、殿下! クイン嬢も! 街中でとは珍しいですな」
「おや? アスト様かい? 久しぶりだねぇ……」
ケーヒルの側にいた赤毛の女性も顔見知りの様だった。耳の上あたりで切り揃えた髪と、クインよりも高い身長、垣間見える腕にも薄っすらとした筋肉が見えて精悍な印象を与える女性だ。年齢は30ほどか、女傑や姐御と言う言葉を体現した様なすっきりとした美人である。
「ロザリー! 帰っていたのか……久しぶりだ」
「ロザリー様、お久しぶりでございます」
「……?」
ノルデは初めてらしく、一歩離れて様子を見ていた。
「アスト様もお元気そうで何よりです。クインも相変わらずだねぇ。 おや……初顔が二人いるね?」
アストやケーヒルとも知己の女性にノルデは緊張を隠せない。
「はっ! 騎士ノルデであります! お、お見知り置きを!」
「はっはっは! しがない女一人に騎士様がご丁寧な挨拶だね! こちらこそ、私はロザリー、只のロザリーだよ。よろしくね」
クインの横に佇んでいたカズキだけは反応なく、ただ立っていた。
「もう一人のちっこいのは誰なんだい? 新しい侍女かい?」
頭を覆うストールの所為で、いまいち顔が見えないロザリーは下から覗き込むように腰を屈めた。
「ロザリー。彼女は少し訳ありで、私が預かっているんだ。挨拶がないのは悪気があってじゃない。その……言葉が不自由で人見知りなんだ。名前はカズキと言う」
「……そうかい。 まあいいさ! 私はロザリーだよ。よろしくな」
ニヤッと笑いながらカズキの手を無理やり取って握りしめ、その顔を見たロザリーは驚きの声を上げた。黄金に輝く瞳を大きく見開いていれば、それが嘘では無い事は明白だ。
「ほぉ……こりゃ別嬪さんだね! アスティア様が太陽なら、この子は銀の月ってところだ! アンタなら笑えばもっと最高だよ?」
カズキはブンブンと振られる腕につられて、ふらついている。ノルデはそれを横に見ながら、ケーヒルに質問をぶつけた。
「副団長。 こちらのレディはお知り合いですか?」
「ああ、彼女は隊商マファルダストの隊長だ。我らの仕事柄会うことも多い。ましてやマファルダストは優秀な森人の集まりだからな。有名だよ」
「マファルダスト! 聞いたことあります! 採取も狩猟も行う専門の隊商ですね!」
ノルデの大きな声に周りに集まっていた人々も納得の声をあげていた。
「マファルダスト……あの有名な」
「隊長って女なのか……美人だな……」
「だからアスト殿下やケーヒル様と知り合いなんだな」
「ケーヒル様でっかいなぁ……」
「レディってやめておくれよ……なんだいそれは?」
ロザリーは困惑した顔で嫌そうにノルデを見た。
「い、いえ! 美しい女性には当然の事ですから!」
酷くどうでもいいが、ノルデは年上好きという噂がある。
隊商とは森人の集団の事を指す。
元々は各国々や街を渡り歩き、物品を売り買いする商売人の事を言っていた。しかし森に侵略されつつある今では、森に分け入り採取や狩猟を行う者たちの一部を隊商と呼ぶように変化したのだ。
隊商は個人で動く森人達とは違い、森から森へ長期的に移動を繰り返して大量の資源を集める事が特長だ。採取狩猟組と運搬組に分かれており、集めては受け渡し次の森へと旅を続ける。リンスフィアの生命線である大量の物資を賄う、アスト達とは違った英雄と言えるだろう。マファルダストはその中でも最高と謳われる隊商である。
もしカズキがその説明を聞けば、遠洋漁業のようだと答えたかもしれない。
「ケーヒルはなぜロザリーと?」
ケーヒルはカズキの存在に気付きながらも、それには触れずアストの質問に答えた。
「殿下、イオアンを覚えておられますかな?」
「ああ、勿論だ。大変優秀な森人で、私も森について教わった事もある。ユーニードから行方不明になっていると聞いたよ……魔獣にやられただろうとも。もしそうなら本当に残念だ」
「そうですな、このケーヒルも昔ご教授願ったものです。イオアン程の練達の森人に何があったのか気になりましてな。ロザリーはイオアンの一番弟子と言っていい程の森人です。何か分かればと思いまして」
「そうか……確か南部の森だったな。つい最近も騎士達に被害が出た……」
「偶然かもしれません。ですが気にはなりますからな……」
「アスト様。次の出発はまだ先だが、南部も回る予定だよ。何が分かればすぐに連絡を回すから待ってておくれ」
「わかった。 ロザリー、くれぐれも気を付けてくれ」
「ありがとさん。しかし足止めしてしまったね……用事はいいのかい?」
「ああ、急ぎの用事という訳ではないんだが……」
そう言いながらカズキを探すアストの目には馬車を興味深そうに見る少女の姿が見えた。
「なんだい? こんなボロ馬車が気になるのかい?」
カズキはクインに手を引かれながら、いや逃げられないように捕まったまま馬車を眺めている。中だけでなく、大きさや馬なども観察しているようだ。
「こんな物何が楽しいのかねぇ? 中を見てみるかい?」
カズキの両脇に手を入れてヒョイと馬車の中に持ち上げ入れた。カズキは驚いて逃げようとしたが、すぐに大人しくなり素直に馬車に乗った。その馬車の中に樽がいくつも並んでいるが、中は空のようだった。
「もう中身は下ろしちまったよ。まあ見ても楽しいもんでもないさ」
樽の中まで覗き見る少女に、ロザリー思わず解説してしまう。
「変わった子だねぇ……男の子でもないのに」
森人は騎士と並び、国を守る英雄でもある。小さな男の子には人気も高く、装備や馬車を見せて欲しいとせがまれる事も多い。しかし残念ながら女の子には不評だ。獣や虫などを大量に集める上、魔獣避けに泥まみれになる。そういった点であまり人気はない。
それでもロザリーは、まるで自分の娘を見る母親のように暖かい視線を送る。
「フィオナ……」
ロザリーの呟きは、誰の耳にも届く事はなかった。
ところで、街中でのカズキに特出して何かあった訳ではない。
酸っぱい果物を食べて吐き出しそうになったり、剣を見つけて持ち上げようとして上がらなかったり、お酒を飲もうとしてクインに怒られたり、 何故か暗い路地裏に行こうとしたり。
そんなところだ。
外円部の街とは遠く離れた城内の一室で、一人の男が両手で何枚かの紙を持っている。
ユーニード子飼いの軍務情報官は、手に入れた文書を見て震えが止まらなかった。謎のままだった事がここに明かされたのだ。まるで宝を見つけた様な、歓喜に溢れた表情を抑えることもなく呟きが部屋に響いた。
「これは素晴らしい……正に……神の御意志だ。ユーニード様の仰る通りだった」
丁寧な美しい字で、その書類の表紙にはこう書かれている。
[刻印の解読と考察]
それは……クインとコヒンが調べまとめた、聖女カズキの刻印の全てだった。
軍務情報官は文書を小脇に抱えて部屋を出て早足に歩き始めた。




