表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/116

21.聖女の変化

 





 聖女はベッドの上で真っ赤な顔をして眠っている。



「ねえ、クイン。どう思う?」


「……そうですね。 困ったものとしか言えないです」


「エリは?」


「んー……アレってもう手に入らない貴重なヤツでは?」



 アスティア達は最近わかってきたのだ。 聖女であるベッドに眠る少女は、思いの外にお転婆な娘だと。


 見た目は守ってあげたくなる儚い少女なのだが、まず女の子らしくない。 むしろ少年の様な振る舞いが多い。


 先日などは何処から見つけて来たのか、男性用浴着を着て部屋をウロついていた。男性用浴着とは、ダボっとしたシャツと、膝まである薄手のズボンの組み合わせだ。麻で出来ており、色合いも濃い目のベージュの地味な着衣だ。 入浴上がりなどに着る下着の延長の様なもので、人前で着るものでもない。


 そもそも体の小さな聖女様では、シャツは肩からずれ落ちているし、ズボンは脛まで届いている。刻印に至っては少し角度を変えて見れば丸見えになる。


 端的に言ってだらし無い上、全く似合ってもいない。初めて見たときアスティアは、悲鳴に近い大声を上げたものだ。


 ドレスなどの女性らしい衣服を着る事を好んでいないのは察していたが、その内にらしさに目覚めるだろうと思っていたのだ。一体今までどんな生活をして来たのか疑問に思ってしまう……アスティア達は頭を抱える日々が続いている。


 つい先日の夜の散策時も、少し紅を引くのすら嫌がる始末だった。下着姿のまま平気で扉を開けるのも、したくもない納得をしてしまっている。


「それで今度はこれ……?」


 酷く呆れ、アスティアはベッドに眠るカズキを見ていた。









◯ ◯ ◯




 クインが扉を開けてアスティアを中に促すと、最近良く聞くようになった王女の悲鳴が上がった。カズキが床の絨毯に倒れて、すぐ側には赤い液体の溢れた跡があったのだ。


「 まさか……癒しの力を誰かに⁉︎」


 そう思い慌てて近づくと、強い酒精の匂いが皆の鼻をくすぐった。近くには倒れたビンとクリスタルのカップ……全員が冷ややかな視線を聖女に向けたのも当然だろう。


「何処からお酒を……そもそも何で飲んだの!?」


 クインがカズキの様子を見ている横で、アスティアの声が響いている。


「完全に酔い潰れてますね……エリ、お酒を片付けてくれる?」


 クインはカズキを横抱きにしてベッドに運ぶ。真っ赤な顔をして、声なき呻き声でも上げているのだろう。目尻に皺を寄せて苦しそうにしている。 だが同情心は湧いてはこない。


「あー……これって凄い高級なお酒で、もう作れなくなったヤツでは……?」


 エリの言う通り、原料も手に入らない上、蒸溜所は森に消えてしまった。正に幻の酒である。


「お説教しようにも話は通じないし、困ったものね」


「この様子では起きたときに壮絶な二日酔いになるでしょう。嫌でも懲りるのでは?」


「クイン、そういう問題じゃないわ! 今までは優しくしてきたけれど、やっぱり教育しなくては駄目よ!」


 アスティアの中でカズキは手間の掛かる妹なのだ。 姉として妹を立派な淑女にしなくてはならないと決意を新たにする。


「ねえクイン、カズキの専属の侍女になるのでしょう? 厳しく教えて上げてね? 私も協力するわ」


「はい。承りました」



 カズキが前後不覚になっている間に、戦いの火蓋は切って落とされた。




 この日より、悲鳴にも似たアスティアの声が時折響く事になる。カズキは部屋中を逃げ回り、意外と器用に体を使える事も判明した。まるで街中を駆け回る悪餓鬼の如く、飛んでは跳ねて見事に逃げ回るのだ。クインが静かな怒りを露わにするまで、大人しくなる事はない。流石の聖女もクインには勝てないらしい。


 そして同時に……聖女の誰も寄せ付けない雰囲気は、少しずつ薄くなっていた。アスティア達はカズキが心を開いてくれていると思い始めている。









「お父様、兄様、聞いてるの?」


「ん? ああ、聞いてるよ。 なあアスト?」


「はい。アスティア、ちゃんと聞いてるさ」


「あのお転婆聖女を何とかしないといけないわ! 見た目に騙されてはダメ!」


 十四歳の若さでありながらも、立派な王女であろうと努力しているアスティア。カーディルは愛しく思い、同時に居た堪れない気持ちを持っていた。だが今、目の前の娘はどうだろう。年齢に相応しい輝きを放っているではないか。もうそれだけでカーディルは嬉しくなってしまう。兄妹の続く会話を眺めつつ、父はそんな風に思っていた。


「カズキが元気になってくれて良かったじゃないか。塞ぎ込むことも少なくなっただろう?」


「兄様! カズキは隠れてお酒を飲んでたのよ! 酔い潰れて……心臓が止まると思ったんだから!」


「まるで悪戯坊主がやるみたいだ。アストも昔隠れて酒を飲んでいたからな」


「父上……それは昔の話です」


「……二人とも! 真面目に聞いてください!」


 アスティアの怒りの声に二人は真剣な顔になった。 内心はわからないが。


「そうだな……やはり外出も出来ないし、気分転換しないといけないかな?」


「少し前、庭園に連れ出したのだろう?」


「僅かな時間です、父上。リンスフィアを案内出来たらいいが……」


「無理なの?」


「カズキは目立つからな……刻印の事もある、何処から漏れるとも知れない」


「兄様、カズキの事を知られるのがそんなに悪いことなのかしら?」


 純粋に聞いたのだろう。カーディルと目を合わせ、アストは父の頷きを確認した。そして妹へ、ゆっくり言葉を繋ぐ。


「アスティア。少しだけ嫌なことかもしれないが、君の大事な妹のことだ。しっかりと聞くんだよ?」


「……はい」


「カズキの癒しの力は人知を超えたものだ。致命傷さえ短時間で治癒出来る、いや出来てしまう。自らの血肉を捧げるという問題もあるが、それだけではないんだ……アスティアも知っての通り魔獣を撃退する方法は数あるが、奴等を駆逐出来る程ではない。それは分かるね?」


 アスティアは神妙に頷く。


「森と魔獣に奪われた街を取り戻す戦略をいくつか提示されている。父上は吟味した上で、今は実行に移していない。 それは一定の犠牲を強いることが条件だからだ。だが……」


「……カズキがいれば実行出来る……?」


「そうだ。しかも一人や二人ではない、大勢の犠牲者を出す可能性もある。そしてその時カズキに何が起こるか、誰もわからない。もしかしたら、何人かを癒して命を落とすかもしれない」


「……アスティア。私は王として合理的に考えれば、一定の効果が望めると判断している」


「お父様!」


「まあ聞きなさい。一つの街を取り返し、魔獣を多く葬る事が出来たとしよう。カズキの癒しの力で犠牲も最小限に抑える。だがカズホートの例を挙げるまでもなく、最後にはリンディアは負ける。カズキが何人もいれば可能性もあるが、考えても仕方のない事だ。それに……」


「それに……?」


「アストの想定には一定の説得力がある。癒しの力が封印されている事だ。慈愛すら狂わされているのだろう? 他の刻印もカズキ一人に負担が掛かる様になっている。まるでそう仕向けるかのように」


 クインが解読内容を知らせてくれた時、アストが力強く答えた事だ。


「アスティアはカズキと触れ合ってどう思う? 黒神ヤトの操り人形のように、意識も個性もない道具なんだろうか?」


 アスティアは誰にも負けないくらい強く告げる。


「そんな事ありません! あの子は……ひどくお転婆だけど、優しくて素敵な子です。黒の間で追いかけてる時、私が躓いて倒れたら慌てて駆け寄って心配そうにする、エリの悪戯にも本気で怒ったりしない。刻印がなくたって人を想う事の出来る子です」


 カーディルはアスティアの白銀の髪を優しく撫でた。


「そうだな……ヤトの力ならカズキの意識すら改変出来ただろう。でもそうしていない。きっと何か意味があるんだ」


「お父様……」


 アスティアはカーディルの手の感触に目を細めた。


「今はカズキの事を伏せておきたい。広く知られれば、あらぬ混乱を招く恐れもあるからな。わかったかい?」








「まあ、だからと言ってお転婆聖女をそのままには出来ないな」


 アストはおどけて見せる。


「クインが教育してるけど、手を焼いてるって」


「リンスフィアに連れ出すか……準備して慎重にすれば、そこまで大事にはならないだろう。多少の変装は必要だろうがな」


 カーディルの許可が降りた事で、カズキは初めて異世界の街を散策する事になった。


「では私が連れて行きましょう」


「ん? お前が行くのか? クインなり、騎士の若い者に護衛させれば十分だろう?」


 カーディルの顔に意地悪な笑みが浮かんでいるのも気付かずに、アストは真面目な顔をして答えた。


「いえ、私が責任をもって保護すると最初に言いました。自身の言葉に嘘はつけません」


「そうか…… ならば任せるぞ?」


「はい」


 カーディルにはアストの明らかな独占欲が見えてやはり嬉しくなった。同時に後で冷やかすのも忘れないだろう。


「私も行きたいなあ」


 置いてきぼりのアスティアも上品に口元を隠して、ニヤつきを見えない様にしている。


「ああ、私達二人ではより目立つからな。別々の日にしようか」


 真剣に答えるアストに、父娘は歯を食いしばり笑いを我慢するほかなかった。









 リンディア王家の面々は知る事になる。この時の決断が鎖の様に繋がり変化して、王国に波乱の時代を招く事を。


 少しだけ柔らかくなった筈の和希の心さえ、再び混乱へと落ちていく。






 美しきリンディア王国と黒神の聖女に暗い影が忍び寄っていたが、この時はまだ誰も気付いていなかった。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ