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12.聖女の目覚めと脱走 その顛末④



 




 治癒院に皆が合流するより少し前ーーーー




「まさか……?」


「兄様?」


 また、自分を傷付けて誰かを? もし部屋から逃げたのではなく、聖女として戦いに赴いたのだとしたら……


「クイン」


「はい」


「城下周辺の地図が要る。出来れば治癒院などが分かるものがいい、内円部までだ」


 その張り詰めた空気と表情を見たクインは、それだけでアストの考えた事を理解した。


「分かりました。すぐにお持ちしますのでお待ちを」


 廊下の角から素早く姿を消したクインと、普段見せない厳しい顔の兄を見てアスティアは不安になる。


「兄様……まさかあの子に何かあったと……?」


「いや、そういう訳じゃない。アスティアにはまだ説明してなかったな……あの子は何て言えばいいか、そうだな、誰か傷付いている人がいれば助けに行ってしまう。そういう子なんだ」


「助けに?」


 たった一人の、言葉も通じない少女に何が出来るのか……アスティアもエリも分からなかった。


「あの子が見つかって、落ち着いたらアスティア達にも必ず教えてやるさ。大丈夫、怪我をして治癒院に担ぎ込まれるって意味じゃない」


 アスティアはエリと目を合わせてその疑問をぶつけ合うが、後でと言われた以上今は我慢するしかない。そう考えるしかなかった。







「殿下、周辺の地図です。治癒院だけでなく、孤児院や典医、治療医も網羅されています」


 クインがアストの考えの先を読んでいる事が分かる地図だ。


「ああ、流石だクイン。ありがとう」


「殿下、もう一つお伝えしたい事があります」


 アストは開いた地図から顔を上げて、クインを見る。目の前の彼女が無駄な事をこの場面で言う筈がない。そう確信している顔だ。


「なんだ?」


「殿下もご存知と思いますが、本日早朝に南部地域を調査中の隊が魔獣と交戦しました。現在死者3名、重軽傷者多数。外円部の治癒院、治療医では対処が間に合わず、溢れた負傷者が内円部まで送られて来ています。そして数名ですが、リンディア城敷地内にある治癒院に運ばれました。現在は陛下の御指示により内円部に出ているため治癒医が出払っており、典薬医しかいないとの事。しかも2名が重傷者です。恐らく情報が錯綜しているのでしょう。そして、運び込まれた時間は丁度あの子が部屋から消え去った頃です」


「陛下はどうされているか分かるか?」


「既に各所に対処の御指示を出されております。殿下はご随意にと」


「わかった、その治癒院に向かおう。クインの予想通り、あの子はきっと其処にいる」






 リンディアでは、魔獣との交戦が頻繁に起こっている。悲しい事だが死傷者が出る事も珍しくはない。ましてや南部は他地域と比べて王都リンスフィアから最も近い森があり最前線と言っていい。間に南限の町センがあるが、それを含んでも最短距離に数えられる。


 魔獣は森に入り伐採採集を行わなければ大挙して襲ってくることは滅多にない。だが、貴重な食料や水の確保、薬草や霊芝類、一部樹液などは治癒院などで大量に消費される。だからこそ、人が生きる為には森に入るしかないのだ。


 漫然と滅びを待つか、勇気を持って森に分け入るか……


 それがリンディアや世界の現状である。











 まだ少し距離があるが、何台かの台車が乗り付けてある治癒院が見える。一台には騎士が一人横になっているのもわかった。各車には赤い血が多く付着している。あの少女の姿はない。


「3人は此処で待っていてくれ。おそらく中はかなり厳しい状況の筈だ」


 アスティア達はお互いの顔を見て、すぐにアストを睨みつける。


「兄様、馬鹿にしないで下さい。私もエリも時間が許せば治癒院にも来ています。ましてや誇り高き騎士達が倒れ、命を奪われない為に戦う姿を恐れる事などあり得ません。クインに関してはそれこそ愚問でしょう」


「そうか……そうだな。すまなかった、一緒に行こう」



 4人が治癒院に近づくと、かなりの血臭が鼻についた。前線とは違うが、まさにここは戦場だろう。エリは少しだけ青白い顔をしていたが、それでも誰一人歩みは止まらない。


 横たわる騎士の様子を伺うと、クインは何かに気付いたようだ。汚れにも構わず、手や顔に手をかざしている。躊躇もなく、手慣れた感じが伝わった。


「出血は既に止まっています。脈、血色も良好、頭部には目立った怪我もありません。おそらく意識もすぐに戻るでしょう、大丈夫です」


 クインのその返答に、皆が安堵の息を吐く。


「殿下、これを」


 そして騎士のすぐ横に置いてあるには不自然な物を指摘した。


「ペーパーナイフ……兄様、見て!」


 車輪の側には、血に濡れた鋏が落ちていた。



「間違いないな、あの子はこの中にいる」


「兄様の言う通り、逃げたワケじゃなく此処に来たかったの? それなら言ってくれたら……あっ……」


 アスティアはすぐに気付いた。


「ああ、話す事が出来なくて時間もない。それでもあの子が出来る精一杯の事をしたんだ」


 扉に手をかけながらアストは答え、そして押し開いた。





 黒い髪の少女はそこにいた。


 驚いた表情でこちらに気付き、付近を見回している。群青のワンピースには血であろう汚れが付いていて、口元は吐血したかのようだ。小さな手や腕も真っ赤に染まっているし、綺麗に整えてあった漆黒の髪も乱れたまま。


 部屋には、典薬医のクレオンと助手の女性。少女の近くにはベッドの上で眠っている騎士が一名いる。


 だがアスティアとエリが驚いたのは、それだけではない。少女の細い首に鎖のように描かれた刻印がある事だ。


「兄様、刻印が……それに腕から血が……」


「ああ、分かってる」


 少女はこちらから目を離さずに後退りを始めた。


 どうやら警戒されているらしい事に息苦しさを覚えて、アストは思わず唇を噛む。


「クレオン! 捕まえてくれ!」


 反対側に走り出した少女を見たアストの口から自身が驚くほどの声が出る。その大声に慌てながらもクレオンの懐に納まった少女を見ると早足に近付いて行った。


「クレオン。ありがとう、助かったよ」


 こちらを絶望の色を宿した瞳で見てきた少女は、抵抗もなくアストに引き渡された。


 何かを勘違いしているらしい彼女に、酷いことなんてしないと伝えたかったが無言でクインに預ける。血に濡れた体も、腕のキズもそのままには出来ない。クインならすぐに対処してくれるだろう。


「クレオン。悪いが此処で何があったか教えてくれないか? 大事な事なんだ」


「は、はい!」


 アストはクレオンに向き直り、話を聞く体勢を取った。







「そうか……」


 ちょこんと椅子に座り両手を膝の上に置いて、濡れた布で顔を優しく拭き取られている少女を眺めながら、アストは自身の考えが間違っていなかった事を知った。


「もう一度聞くが、あの子がその力で癒す前に自分の腕を傷付けた、それは間違いないか?」


「は、はい! 決して私がやった事では……!」


「いや、君のことを疑っているわけじゃないんだ。誤解したなら謝るよ」


「い、いえ! こちらこそ申し訳ありません……」


 ホッとしたクレオンを見ながら、アストはあの子の、いや聖女の力の発露には余りに残酷な条件がある事を認めるしかないと拳を強く握りしめた。


 黒神ヤトは何故そんな酷い事を……


 不遜だと知りながら、アストは心の中で怒りを感じてしまう。思考の海に沈みそうな時、アスティアの声が聞こえて現実に戻る。


「どうしてこんな怪我を……こ、こらっ……ジッとして!」


 見るとクインが腕の処置をしようと、薬草液であろう薬瓶を傾けて傷口を洗浄しようとしている様だ。先程までは大人しくしていたが、何かが嫌なのか掴まれた腕を振り解こうとしていた。


「痛いかも知れないけど我慢して! 先ずは傷口を綺麗にしないといけないのよ? ねっほらっ……」


「暴れないでっ……傷口がもっと開いちゃう!」


 アスティアとエリも少女に声をかける。だが少女はどうしても嫌なのか、頑なな態度を崩さない。


「先程も処置しようとしましたが、それが嫌なようで拒否されました」


 声が横から聞こえたアストは、クレオンを見た。


「そうなのか?」


「あの子に渡した布も、自分の事も気にせずに騎士の体を拭いていましたから……自分の事などどうでもいい……そう思っているのでしょうか?」


 その声からは悲痛な感情が見て取れた。


 そうこうしている内に、少女はクインから薬瓶と綿や包帯を引ったくり、部屋の隅に行き背中を見せた。よく見えないが自分で処置しているようだ。


「どうして……」


 アスティアも、手伝っていたエリもクインまでもが、人の優しさや気遣いを受け取ろうとしない少女に、痛ましい気持ちになってしまう。


 疲れた顔をして戻ってきた少女の手中にある薬草液や包帯、綿は殆ど減っていない。傷口は袖の下に隠れて、どんな処置をしたのかも隠している。まともな処置をしていないのは明らかだった。そしてもう平気だから……そんな顔をして、側の机に包帯などを並べて椅子にストンと座り直す。


 皆にはそう見えた。


「まさか……薬や包帯を使うのは自分ではないと? 皆に……怪我をした騎士や患者に……」


 クレオンの呟きは、皆の思いの代弁だった。


 もはやここにいる全員には、自身を顧みない絶対の奉仕の心を持った少女としか見えなくなっていた。だからクレオンは抑える事の出来なくなった感情をアストにぶつける。


「刻印……あの子は神々の加護を受けた刻印持ちなのですね? あれはまるで……まるで聖女、聖女そのものです。黒髪(クロカミ)の聖女……」


 ギョッとしたアストは思わず聞いた。


「君は、刻印が読めるのか? 何故黒神(クロカミ)だと?」


「……? あの美しい漆黒の髪は、他には無いと思いましたから」


「漆黒……そうか、そうだな」


 アストはその相貌を引き締めてクレオンや皆に言った。


「皆聞いてくれ。ここで起きた事や見た事は当面の間秘密とする。他言無用、勿論刻印の存在もだ。これはリンディア王国の王子としての命令でもある。彼女の為にも……クレオン、わかったか?」


「は、はい! しかしなぜ?」


「事情があるんだ……永遠に黙るという事ではない。理解して欲しい」







 少女の乱れた髪を整え終えた一行は、騎士達の様子を念の為確認してクレオン達に託す。命に別状はないと判り胸を撫で下ろした。


 城に戻ろうと立ち上がり、クインとアスティアに両手を持たれた少女の後ろ姿を見たクレオンは、思い出したのか突然余計な事を言った。


「刻印……そういえば、"脛" と ''太もも" の()()にもありました!」


 本人は良かれと思ったのだろう、自信に満ちた表情でアスト達に伝えた。当たり前だが、それを見られた少女がいる前で言う事ではない、いや居なくてもだろう。



「クレオン、どうやったらあの服の奥に隠れた太ももを見る事が出来るんだ……?」


 足首まで隠れるかと思える裾を指差しながら、アストは地から這い上がるような声で問うた。アスティア達も不穏な表情をしている。


「えっ……それはっ……あっ」



 クレオンは今日の幸運と不運を再び嘆き天を仰いだ。










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