祀白捧詠の儀 〜黒神の聖女 完結編③〜
"祀白奉詠の儀"まで数日。
祀白奉詠の儀とは、リンディア直系の男子が夫婦となる伴侶を神々へ伝え奉る儀式だ。"白祈の間"と同じく幾星霜の刻を越え、連綿と受け継がれて来た。
王国の歴史そのもの。
その様に例えたとしても、過言ではないかもしれない。歴代の王夫妻から新たな血が生まれ、そして育まれたのだから。
そんなリンディアの国王は、政の主でありながら同時に祭司でもある。そして、その王家に嫁ぐと言うことは、神々へ一歩近づく事と同義だ。だからこそ御赦しを賜り、何よりも祝福を受けなければならない。
その為に白祈の間へ赴いて祈りと詠を奉ずる。王家により伝承されて来た"言の葉"は一言一句たりとも変容していない。数百年もの間、魔獣の脅威に晒された暗い時代すら超えて……
だが、今回の儀に関してはある意味で全くの例外となるだろう。
現リンディア王カーディルや王子アストに至っては、祭司である此方こそが神々へ赦しを求める立場だと、強く緊張を高めている程だった。
司る白神達の慈愛と癒し、同時に黒神の強い寵愛を受けている。そう、彼女こそが5階位の刻印を刻まれた"聖女"。黒神ヤトが言葉にした様に、カズキは神々に等しき存在となっている。
つまり、アストは人でありながら、女神を妻に迎える初めての王となるのだ。
○ ○ ○
それは、アストの一言から始まった。
「ははは、カズキは本当に男の子みたいだな」
アストに悪気など無く、寧ろ溢れる愛情を内包した言葉だった。以前より思うこともあったし、アスティア達との会話でも当たり前に話題となっていたのだ。
儚く美しい容姿は聖女の魅力を示すごく一部でしかない。誰よりも優しく、湛える慈愛は眩しいばかり。謙虚で献身的で、封印されていても強い癒しの力を感じる事が出来るだろう。
それでいて何処か"御転婆"で"酒好き"だったりもする。でも、恥じらいは乏しくとも、その愛らしさに翳りなど無いのだ。いや、寧ろ際立つ要因にすらなっているかもしれない。
そんな愛を含んだ言葉達は、言語不覚を持つカズキへとそのまま届いた。
「……え?」
笑顔を浮かべる時間そのものは決して長くないが、随分と機会も増えている。そんな微笑が突然形を潜め、何かに気付いた様に固まってしまった。
驚いたのはアストだ。隣に座っていたアスティアも思わずカズキを凝視してしまう。
「い、いや、違うんだ。決して悪い意味じゃなく」
「そ、そうよ? 兄様は……えっと、何て言えばいいか」
例え話、比喩、照れを含んだ愛情、言葉とは裏腹な心の声。伝えたくてもカズキに理解して貰うのが酷く難しい。1階位とは言え言語不覚は刻印なのだ。黒神ヤトがカズキを護るため刻んだ証は決して脆弱ではない。
「男、の子……」
まるで今知ったかの様に驚き、ゆっくりと俯いた。翡翠色の瞳が見えなくなって兄妹は不安に襲われる。垂れた黒髪に隠れたから尚更だ。クインならば上手く伝えて変化があったかもしれない。しかし、有能な専属の侍女は此処にいなかった。
「済まない……謝るよ。言葉の、いや配慮が足りなくて」
「ううん、違う」
アストの心からの謝罪を聖女は受け取らない。
「兄様は悪い意味で言ったんじゃないの。ほら、顔を上げて……」
「違う、全部。私、が」
片言の言葉の羅列は哀しさを帯びていて、耳にした二人にも分かる。以前のカズキが自己を否定的に捉えていたからこそ"自己欺瞞"や"贄の宴"を刻む事が出来たのだ。それを知るアストやアスティアが戸惑うのも当然だろう。
「ごめん、なさい。少なく、時間」
「カズキ?」
掠れた声で呟き、二人を"聖女の間"から追い出す。
そうして一人になった景色を眺めた。映るのは、さっきまで談笑していたテーブル、果物とカップ。温かいミルクに蜂蜜が垂らされ、甘い匂いが鼻をくすぐる。
そして巨大と言ってよいベッドへ小さな身体を投げ出し、枕に顔を埋めれば先程の蜂蜜にも負けない香りが襲う。嗅ぎ慣れた甘さは自分の体臭なのか、今更に違和感を感じてしまった。ごく稀だが、アスティアがカズキの頭に顔を埋め、クンクンと鼻息荒くするのは此れが原因なのかもしれない。
長い時間ずっと考え続けていた。時に丸まり、時に寝返りを打ち、ボンヤリと天井を眺めて。
「そう、だ。そうな、のに」
自分の声。耳をくすぐる可愛らしい音色。サラサラの髪やシミひとつ無い肌も、胸の柔らかな膨らみすら全てが怖くなってしまう。まるで生まれたときから在るように思っていた世界と私。違和感は唐突に襲って来たのだ。
忘れていた?
いや違う。
あの頃の記憶はそのままで、何者であったかも理解していた筈なのに。
5階位の刻印"癒しの力"はカズキが聖女である事を証明している。本人もしっかりと把握しており、同時に遠くにも感じる不思議な感覚だ。「貴女は聖女様」と言われたら困惑するしかないが、しかし否定も出来ない。それは事実なのだから。
でも"木崎和希"の存在もまた事実。
多くの痛みを受け、同時に沢山の人を傷つけた。
何よりも"男"だったのだ。
「言った? 男、だ、って、昔」
自己意識は既に女性だ。身体もソレだから誰も疑う事などないだろう。だけど、精神の変容が刻印の影響なのか分からない。
愛する二人に……皆に真実を伝えていないのだ。
喧嘩に明け暮れ、理不尽な暴力は日常にあった。そんな自分を、過去を全部忘れて過ごす? 全てが偽りかもしれないのに? 本当の姿を誰かに話しただろうか?
そんな疑問が浮かんでは消え、カズキは震える自分を両腕で抱き締めた。今更ながらに、この身体は小さく細いと思う。
アストは心から愛してくれている。
アスティアは姉として優しく包んでくれているのに。
そう、家族として。
「話し、ちゃんと」
今更だけれど。
怒られても、悲しくなっても。
もし……嫌われたとしても。
一人悲壮な決意を秘め、カズキはゆっくりと身体を起こした。何となく重い脚を動かして扉を押し開く。すると不安そうな顔の二人が直ぐ近くに立っているのが分かった。随分と時間が経過した筈なのに、立ち去ることも無かったのだ。
大好きな二人は誰よりも優しくて、人を思い遣る事が出来るのだから当たり前か……そんな風にカズキは内心で呟き、勇気を振り絞った。
「カズキ……もう一度話を」
泣きそうな顔のアストは、最近益々距離が縮まって調子に乗り過ぎたのだと考えていた。つい先程、妹に指摘を受けたのもあるだろう。その謝罪の言葉はしかし、カズキの手により抑えられた口から溢せない。
「アスト、違う、話、二人にも、みんな」
首を振りカズキは言葉を続けた。それは謝罪を拒否したのでは無く、その必要が無いから首を振ったのだ。だがアストは知る由もない。
「みんな……クイン達も、だね?」
「うん」
"祀白奉詠の儀"の最終確認のため、指名のあったクインや祖父であるコヒンと共に調べ物をしていた。滞りなく進行しなくてはならないが、今は別の課題に取り組む必要があったのだ。
儀式や紡ぐ言の葉などに疑問がある訳では無い。カーディルとアスが同じく行っており、やはり滞りなく終えている。
だが、今回は明らかに以前と違う。
迎え入れる人は"聖女"。神々に近づくどころか、赦しを請うのは王家そのものとなるだろう。王家の持つ覚悟と不安はそのままクイン達に伝わっていた。
「ふむ、やはり変えるべき箇所は……」
「お爺様、この歩む順序をどう思われますか?」
「……おお、確かにそうじゃの。妃となる者を背後に追随させ、瞳を必ず伏せて……確かに不遜かもしれん。せめて隣り合うべきか」
「はい。手を合わせ並んで頂くのが良いかと。勿論聖女が視線を伏せる事も不要と思います。黒神ヤトと話した感覚からも間違いありません」
ヤトはカズキを愛おしく思っている。まるで娘を想う父親の様に……それがクインの印象だった。
「無論私達が決める事ではありませんが、陛下にお伝えした方が良いかと。如何ですか?」
「うむうむ。それで良いじゃろう」
そんな風に話す二人が答えを導き出した時、呼び出しの報せが届いた。アスティアの元から離れたエリが、珍しく神妙な顔をして言葉にしたのだ。どうやらクイン達だけでなく、アスト達やカーディルまでも呼び出しに含まれている。
カズキから話したい事がある、と。
クインはコヒンと視線を交わし、何かを感じた。
儀式まで日は少ない。
もしかしたら神々から神託が降りたのかもしれない。そう考えていつも以上に気を引き締める。黒神ヤトが聖女の元に直接降臨する事は周知の事実なのだから。
「直ぐに参ります。エリ、他に何かありますか?」
「特に何か指示はないですけど……」
「けど?」
「えっと、みんな凄く真剣だなって……カズキも何だか怖くて」
「……そう、ですか」
そうして、皆が集められた。
○ ○ ○
「コノサキ」
最初の、カズキの言葉は皆に届いた。
カーディル、アスト、アスティア。クインやエリ、コヒンも珍しく椅子に腰掛けている。丸いテーブルだから円状に座り、全員がカズキを見守る様な配置だ。
「こ、のさき? クイン、分かるか?」
「いえ、聞いた事が無い言葉です。申し訳ありません」
「コヒンは?」
「神代の言語とも違いますな……ふーむ」
「そうか……カズキ、済まないが意味を教えてくれないか?」
「意味、違う、名、私、昔、ホントに」
耳を傾けていた皆だったが、やはり分からなかった。浮かぶ疑問の顔色は、カズキに悪くて表に出さない。そのままでは解決に至らないだろう。だが、すぐに次の言葉が届く。
「……コノサキ、カズキ。アーシ、ケル? クイン。リンディア、アスト」
一人残らず鳥肌が立った。何を言わんとしていたか理解出来たからだ。
「まさか……キミの、名前?、いや、家名か?」
「ん」
カズキは過去を語ろうとしている。そして同時に、全員が小さな衝撃を受けてもいた。
黒神ヤトから幼き頃の日々を聞いていた。此処にいる全員が知っており、絶望と苦痛を与えた者に憎悪を覚えもしたのだ。
母に捨てられ、孤児院で辛い体験を重ね、強い憎しみを溜め込んだ。でも、それでも、決して慈愛を失うことは無かった。自らの力は心を癒すことなく、慈しみは他者へ向かう。
この世界を司る神が語った全てを、アスト達が疑うことなど有り得ないだろう。ましてや刻まれた刻印は真実を照らしていたのだ。世界を渡った後、呪いに近しい加護すら振り切って聖女へと至った。
分かっているよと伝えたい。
辛い過去を、忘れたい筈の日々を語らなくても良いのだと。だが同時に気付いてしまった。
此れが初めての事だ。カズキ自身が自らを語るのは。
アスティアでさえジッと耳を傾けている。クインは一度止めようと腰を浮かしたが、結局は元の姿勢に戻った。
「カズキ……」
「私、違う、人」
「ホント、変わる、全部」
「嫌い、全部」
「消えたい、昔、思う、沢山」
「世界、違う、私、場所、違う」
全て否定的な響きだ。単語の羅列はヤトが伝えたカズキの人生をそのまま表している。
「遠い、沢山、遠くから、来た、私は」
カーディルすらも唇を噛み締め、溢れ出る感情を押さえ込んでいた。エリは悲しそうに俯く事しか出来ない。
「カズキ、もう……」
思わず止めようとしたアストに、カズキはしっかりと視線を合わせて言葉を紡いだ。強く、明確な意思を乗せて。
「皆、好き、家族。だから、話す、聞いて、欲しい」
お願い、と……
過去と現在。
自己の変容と欺瞞。
隔てられた世界。
闇色の憎悪や冬の雨より冷たい悲哀、そして深く刻まれた痛みも。
カズキは三度向き合って、本当の自分と溶け合うのだろう。
きっとそれは必要な事。
真の意味で"幸福"を迎え入れる為に、ヤトが予言した通りに。




