姉と妹 〜黒神の聖女 完結編①〜
頂いた感想やコメントを見返していて、幾つか書き残していたことに気付きました。カズキが持つ最後の不安が消え去り、アストと共に歩み出す本当の完結編。全4話構成、隔日投稿にて。
王都リンスフィアは朝靄の中で目覚めようとしていた。
オイルランプや薪でボンヤリと浮かび上がり、そんな家々が一枚の名画のように広がっている。人々の営みが在る証だからか、ただ暖かく優しい。
「綺麗、ホント」
少し肌寒い。
でも、朝の澄んだ空気と共に幸せを包む。
幾日も眺めている筈なのに、ただの一度として同じ景色がない。晴れやかな陽の光、シトシトと濡れる雨、銀月の輝きが残る明け方、その全てが美しい。飽きる事なく眺めるこの時間を、言葉に例える事が出来ないのだ。言語不覚の刻印が刻まれていなかったとしても、きっと答えは変わらないだろう。
いつもの朝と同じように、聖女の間からベランダに出て風景を眺める時間。
薄墨のナイトドレスの裾は風に揺れ、そんなドレスにも負けない黒髪もサワサワと靡く。素肌は露出していない。肩から薄手のカーディガンを羽織っていて、手足の先くらいしか空気に触れていないからだ。
こんな自分の姿を遠くから眺める人々が大勢いると噂に聞いてしまった。どうやら日課になっている朝の時間が王都民の間で広がっているらしい。それを知ったカズキは寝癖や肌が気になってしまうのだ。
何だか恥ずかしいーーーー
そんな気持ちを感じるとき、変わった自分を想う。
「不思議……」
そして同時に、今は一人の女である事に違和感など無いのだ。
和希とカズキは溶け合ったのか。大好きなハーフロックを横から眺めたとき、満たされた液体は陽炎の様に揺れて混ざる。一つのグラスなのに別々のモノ。でも、幸せな色だ。
「で、も、困る……?」
実は、そんなカズキが最近困っていた。
勿論嫌では無い。それはきっと大切で、この景色とも違う幸福を運んで来る。胸の奥はドキドキするし、思わず視線を外せなくなる事だって。何よりも体温が上がり顔が真っ赤になるのが分かってしまうのだ。
スキンシップが激しいーーーー
そう。
大切な家族の一人であり、そして愛する婚約者でもある。そんなリンディア王国の王子アストが最近グイグイ来るのだ。どんな心境の変化があったのか不明だが、大人しめだった愛情表現が全然大人しく無くなった。
朝の挨拶はキスと共に。
背後から抱き締められるのは吃驚する。
頬や耳、肩を撫でられたら擽ったい。
髪に指を通されたら身体が震えてしまう。クインにされてもそんな風にならないのに。
彼は男性で、自分は違う。だから何を望まれているのかも理解している。でも、全部が急でどうしたら良いのか分からない。相談しようにも言葉をうまく紡げないし、間違って伝わる時もあるから勇気が必要なのだ。そもそも誰に聞けば良いのか……
「結婚、して」
そもそも二人は夫婦になるのだから、こんな悩みなんて不自然な気がしてしまう。
嬉しいのに恥ずかしい。優しく髪を触られているとき、小さな笑みが浮かんでいるのを自覚していない。そんなカズキは朝の景色を眺めつつ、前髪を少しだけ触った。その仕草は誰が見ても愛おしさを覚えるだろう。
だから……初々しい恋の気持ちだと自覚出来ない聖女は、自称姉である人に相談しようと決めた。
○
○
○
「そろそろですねー?」
「そうね」
「あ、それ決まりました?」
「候補はあと二つよ。髪飾りもドレスも大人しめだから合わせた方が良いかしら……」
ロザリーから贈られた銀月と星の髪飾りは外せない。ドレスも刺繍や飾りの少なめなフィーネだから悩ましい。謙虚と献身の象徴である黒神の聖女にはきっと似合っているのだろう。しかし、愛する妹にはもっと美しくなって欲しいのだ。だからネックレスにも妥協を許さない。
嵌める宝石は瞳に合わせてグリーン基調にしている。
カズキの居た世界ではアレキサンドライトと呼ばれる変性色の石だ。昼は森の泉の如く煌めき、夜の灯火の前なら艶やかなバーガンディーに。
後は全体の造りを決定すればいいのだが、それを先程から悩んでいるのが王女であるアスティアだった。
「それくらいならカズキに決めて貰いましょうよー? 何だか最近女の子らしさが戻って来ましたし。ほら、救済の日から数日だけはあんな感じでしたよ?」
思い出しつつ、王女付きの侍女エリは疑問符多めで返す。
「……それもそうね。エリ、悪いけどカズキを呼んで来てくれる?」
「はーい!」
元気よく声を上げ、同じくらい元気に右手まで持ち上げる赤毛の女性。その姿に益々子供っぽいと思われているとは気付いていない様だ。七歳も下のアスティアが呆れているのにも。
「じゃあ行ってきま……あれ?」
ノックも無しにアスティアの居室の扉が僅かに開いた。王城に勤める者達にそんな非常識で礼に失した行動を取るものは居ない。兄であるアストは当然、父親のカーディルも違うだろう。もしクインに見つかってしまったら大変な叱責を受けるのは確実だ。
つまり、それを行う者など限定されている。
そして予想通りの美しい顔が隙間から覗いていた。サラサラと肩から零れ落ちる黒髪と、翡翠色した瞳に視線が奪われるのも驚くことじゃない。
「アスティ……お姉ちゃん、とき、だめ?」
きっと「今時間良いかな?」と聞いているのだろう。しかも酷く珍しく"お姉ちゃん"と言っている。指摘しないと言い直さない事が多いのがカズキだ。
「……え、ええ。大丈夫よ」
何だこの可愛らしさは。アスティアはそんな風に内心慄き、エリですら固まっていた。
星空を纏う藍色したカズキのワンピースは少し懐かしい。何枚も破いたが今も偶に着こなしている。色違いはアスティアも持っているが、最近は衣装部屋に納まったままだった。
許可を得て扉を大きく開け、トコトコと近付いて来た。そして椅子に腰掛けてキョロキョロと周りを見渡している。
「どうしたの?」
「初めて、入る」
「そう言えばそうかも。私がカズキに会いに行く事が多いもの」
「……アレは?」
細いスラリとした指を向け、カズキは疑問をぶつけて来た。その指先が示す先は化粧台の様だ。母であるアス王妃が好んで作った押し花の額と、隣にはお気に入りの絵が立て掛けてある。鏡は大きく邪魔になるほどではない。だからカズキが気になったのは別のことだ。
「……あ! あ、あれは、ほら、貰い物で……」
挙動不審になったアスティアは真っ赤になっている。
立て掛けてあった絵にはカズキが描かれていた。黒も翡翠色も大変珍しく、間違いようがないだろう。毎日会うことが当たり前である妹の絵を、毎朝使う化粧台に飾っている姉など多分少ない。自覚のあったアスティアは焦ったのも当然だ。一度もカズキが訪れた事が無いために、完全に失念していたようだ。
不思議そうなカズキを見ればアスティアは益々恥ずかしくなる。因みに、すぐ隣に立っているエリはニヤニヤしていて、後で頬を思い切り引っ張られるのは確実だ。
「そ、それより! エリ、お茶をお願い、ほら!」
「ムフフ……承りましたぁ」
ニヤニヤが最高潮に達したエリがお茶の準備を始める。暫く待てば華やかな香りが鼻に届き、少しだけ落ち着いた。
「カズキ、丁度良かったわ。これを見てくれる?」
とにかく話題を変えようと二枚の図を見せる。普段ならカズキが訪れた理由を最初に問うだろうが、アスティアもまだ冷静ではない。気遣いも忘れて紙を持ったカズキを眺めた。
「首、飾る?」
「そうよ。ネックレス」
「こっち」
「あら? 簡単に決めるのね? もっと早く聞けば良かったかも」
「アスティア、白、肌。強い形、似合う、かも」
「え?」
「いや?」
「違うの……そうじゃなくて、コレは貴女のネックレスよ」
「あぁ……そか」
ドレスの選定から逃げ出した聖女だから、思い付かなかったようだ。なのでまた適当に考えるかもと、アスティアは諦めすら覚えた。何となしに視線を落とせば、エリが置いた二つのカップに小さな花がプカプカと浮いている。
「……ん、難し」
想像と違い、カズキは真剣に考え始めた。思わずアスティアとエリが目を合わせたのも仕方ないだろう。やはり最近女性らしさが増したと思ったのも間違っていなかったようだ。兄であるアストも積極的で、意識し始めたのかもしれない。それは嬉しい変化で姉としても誇らしい。淑女であれと頑張って教育してきたからだ。
「こっちがドレス。細い線だけど素敵でしょう?」
ならばと最終案となった絵図も見せる。専門の者が描いたそれは、カズキが纏った姿を容易に想像させた。
「肩、出てる、背中も」
アスティアは内心更に驚く。肌の露出など気にしない娘だったのだ。それどころか下着が見えるのも気にせず走り回っていたのが目の前の聖女様だ。
「うーん、どれもこんなものよ? 胸の上でしっかり固定するからずり落ちたりしないし、でも聖女の刻印は少しだけ外に出したい……あ、ごめんなさい。言葉が長すぎたわね……つまり、兄様もきっと気に入るわ」
途中でカズキの顔に疑問符が浮かび、アスティアは言い直した。兄の話題を出せば間違いないと直感が囁いている。
「アスト?」
「そうそう」
「分かった」
やはり予想通りに納得したようだ。
「じゃ、こっち、で」
カズキは先程アスティアに似合うと言った方を指差した。少しだけ意外だった自称姉はつい質問を返す。
「私とカズキ、同じで良いの?」
「うん。アスティア、好き。だから」
「そ、そう」
心の中で叫びながら踊るアスティアだが、頑張って表には出さなかった。しかし当然エリにはバレていて楽しそうに笑っている。両頬肉引っ張りのお仕置きは追加されるかもしれない。かなり強めで。
「じゃあ決まり。早速進めるわ」
エリに目配せして頼んだ。侍女として長年仕えるエリだから、見事に理解して頷く。
「後で依頼しておきますねー」
「お願い」
カップを両手で持ち、フーフーと息を吹きかけるカズキは幼く見える。近々正式にアストへと嫁ぎ、将来にはリンディア王国の王妃になる妹だが、今はまだ想像出来ない。
「そう言えば、カズキの用は何かしら?」
「……アチチ、ん?」
まだ冷めようが足りなかったのか、益々子供っぽい仕草を見せてくれた。少しだけペロと舌を出す本人はきっと気付いていないだろう。
思い切り抱き締めて守りたくなるカズキだから、兄様はもっと大変ね……そんな風にアスティアは思った。
「用事。何かあるんでしょう?」
「あ、うん、ある、かも、少し、吃驚」
「カズキ?」
余り感情が表に出ない方だから、慌てふためく妹に違和感を持った。同時に、愛するカズキを悩ませる何かに怒りを覚えてしまう。
「大丈夫よ。私が絶対に助けてあげる」
私はお姉ちゃんなんだから、と。
真正面から視線を合わせ、真剣に言葉を紡いだ。言語不覚が邪魔しようとも必ず伝わるだろう。
「う……その、んー、難し」
だが、言語不覚は自身が紡ぎ出す言葉も制限する。カズキを護る為とは知っていても、やはり悔しく思うアスティアだった。だから優しくゆっくりと続きを促す。
「気にしないでいいの。カズキが思う事を言葉にして? それともクインを呼ぶ?」
聖女専属の侍女、クイン=アーシケルならば片言の言葉から真意を汲み取るだろう。誰もが認める明晰な頭脳は神代文字や刻印の解読のみに活かされる訳が無いのだ。
「……アスティア、だけ」
「いいの?」
「うん」
コクリと頷くカズキにアスティアの使命感が余計大きくなった。
余談だが、ワクワクと待っていたエリは追い出される事になる。非常に残念そうで、流石の王女も同情したらしい。
最近書くことが上手く出来なくて、かなりゆっくりな感じです。隔日投稿と決めて頑張りますので、あと3話を宜しくお願いします。皆様からの感想とコメントで生まれた話ですので、感謝を込めて……




