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黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜  作者: きつね雨
a sequel〜短い第二章、或いは後日談〜
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a sequel(23)〜勝てなくとも〜

 






 視線だけで何合か斬り結ぶ。時には肩を揺らし、切先を左右に振った。


 摺り足はいつの間にか二人の立ち位置を入れ換え、剣先と棍が触れ合う寸前まで近寄っていく。


 剣はまだ届かない。


「ふっ……!」


 アストから見て棍が一つの点になった時、ヴァツラフは片手だけで突きを放った。普通なら下半身を使い重心を動かす必要があるのに、力の刻印が常識を破る。腕力だけで必殺の一撃に変わった。


「っ!」


 油断などしていなかったが、予想外の攻撃にアストは半身ごとずらし躱すしかない。それは当然隙になって、ヴァツラフの踏み込みを許した。棍はそのまま円運動を開始して首筋を狙う。


 ガガッ!


 体勢が崩れるのも構わず、アストは無理矢理に剣を間に入れた。だが、更に予想を超える結果を生み出す。


「ぐ……」


 信じられない事にアストの身体が僅かに浮き、数歩後方まで空中を移動する。背中を打ち付ける前にそのまま後転に入り、ゴロゴロと地面を転がって、何とか距離を取った。


 ヴァツラフは追撃せず、様子を伺う。明らかな余裕の現れだった。絶対的な差をまざまざと見せつけ、アストの心を折る事が目的だから当然なのだろう。


「これが……力の……」


 5階位の超越した力を知るアストだったが、2階位の刻印の恐ろしさを改めて実感する事になった。まるで魔獣の一撃を受けたかの様に、腕が痺れている。


「よく躱した。大抵の奴は今ので終わりか戦意が喪失するものだが……違うのだろう?」


「正直驚いたが……やりようはある」


「……続けるぞ」


 立ち上がったアストに肉迫し、ブォンと大振りに胴を払う。アストも間合いを読み、敢えて前に突進する。中間あたりなら棍先より力が伝わらない、それを狙って前へ出た。


 ガン!


 アストは今度こそ体勢も崩さずに、剣の届く距離まで踏み込み初めて攻めへ転ずる。身体を傾けながらヴァツラフはアストの最初の突きを避け、同時に棍を引いて両手に持ち替えた。


 続くアストの剣閃を右左とすらし、更に踏み込んできた払いを跳ね上げビュンビュンと腰に巻きこみながら距離を取る。間合いを離したくなかったアストだったが、足元に突きを入れられて後退するしかない。ドカリと木製の棒とは思えない音が当たった地面から響く。


 やり難い……悔しいがアストは力の差を感じていた。ヴァツラフは間違いなく本気ではない。刻印の力を利用したのは最初だけで、それ以降は技術だけだ。共に技術に大した差は無いだろう。つまり筋力で押し負ける……


 再びジリジリと間合いを測り始めた二人を見ながら、ケーヒルはふむふむと顎を摩っていた。


 実力そのものに大きな違いは無いが、このままならアストが勝つ確率は低いと思える。だが……それは常識の範囲、対人の戦いならば、だ。それに気付くかどうかで、勝敗は簡単に決まるだろう。しかし思った以上に戦気を感じる。まるで仇敵を相手にしている程だ。やはり女の存在は男を変えるのか……よく事情を理解していないケーヒルは呑気に思った。


 視線を下げれば、当の聖女はポカンと可愛らしく口を開いている。思わず吹き出しそうになったが、ケーヒルは顎に添えていた手で口を覆った。


「次だ!」


 ヴァツラフの裂帛は、その先にある篝火にすら届いたのか、僅かに揺れた様に思えた。











 女王の願いを受け、クインはラエティティの元を訪れていた。只の侍女が一人など不自然な事だが、カーディルより王室相談役でもあり聖女専属として紹介されていたからだ。



「白祈の間……予想通り、荘厳な空気を感じる素晴らしい場所ですね。確か、祈りの言の葉を紡いで語り掛けるのでしたか? 銀円盤、他に何種類か祭器があると何かの文献で見ましたが」


 実際にはどの文献にどれだけ表記されているか鮮明に覚えているが、ラエティティは敢えてぼやかした。態々教える意味も無いし、少し恥ずかしさもある。


「女王陛下、素晴らしい御見識です。祭器には他に、中広形の鉾、銀製の短剣と鐘、神酒を汲む酒器、古代より受け継ぐ言の葉の綴りなどが有ります。細部はリンディア王家に口伝にて伝わる為、私も全てを知る訳ではありませんが……長い祈りが神々に届いていたと、そう信じています」


「まあ……貴女も良くご存知ですね。只の侍女ではないと教えて貰いましたが、流石に聖女カズキ様専任……深い神代の知識も必要になるでしょうから。今はカーラさんの教育係でもあるのでしょう?」


「日々を懸命に生きる事で精一杯ですが、確かにカズキ様の専任侍女の大役を仰せつかっております。カーラは、見習いとしてこれからですので……失礼無いよう気を付けます」


 言葉にせずともラエティティは二人の息子を、クインはカズキを思った。


「……お互い教育に力を入れないとなりませんね……」


「はい……」


 二人……ラエティティとクインは小さく溜息をつく。


「聖女カズキ様……貴女から見てどんな方なのでしょう? 是非教えて欲しいですね」


 予想された質問ではあったが、クインは気を抜かないよう、それでも心を込めて答える。


「カズキ様は……目が離せない、ふと居なくなってしまう、そんな心配の絶えない方でした。溢れる献身、強い慈愛は眩しいばかりで……偶に見せる笑顔に全員が幸せを感じる。でも……」


「でも?」


「何処か物悲しくて心には悲哀が絶えない……カズキ様の過去を聞きましたから、納得も出来たのですが……辛い境遇の中でも慈愛を失わなかったのは奇跡としか言いようがありません」


「そうですか……貴女はカズキ様の刻印を解読したと聞きました。何でも七つの刻印が刻まれていたと。本当なのでしょうか?」


「私一人の力ではありませんが、その全てを拝見しました。初めて見た時は本当に驚いてしまって……5階位の、聖女の刻印は信じるまで何度も確認してしまったほどです」


 自嘲はクインから溢れ、空気が弛緩した。


「やはりカズキ様にお会いしたい……マリギからのお戻りはまだでしょうか?」


 此処で初めて、ラエティティから微笑が消えた。しかしクインは顔色を変えず、淡々と質問に答える。女王の琥珀色した瞳から視線も外さない。


「未だマリギにおられるようです。何か心残りがあるのでしょう。あれ程の救済にさえ満足せず、それどころか犠牲者に懺悔のお気持ちを、もっと何か出来た筈だと後悔を持たれたままなのです。我等も今こそ癒しの力を自らに向けて欲しいと願っていますが、慈しむ心……慈愛の刻印が其れを許さないのかもしれません」


 つい最近も、一人治癒院へと向かったのだから……クインは灰色に変わってしまった黒髪と、今朝も処置した首回りの肌を頭に浮かべた。


 ジッと視線を外さないラエティティは暫く動かなかったが、クインの碧眼が揺れないのを確認して力を抜いた。


「ファウストナには刻印持ちは非常に少ない。ヴァツラフこそ2階位ですが、そもそも珍しいのです。ですから……時に人は神々の加護を忘れてしまう。ましてやこんな時代、人の心は簡単に乱れ荒む」


 いきなり流れが変わったかに思えたが、クインは次の言葉を待つ。


「情けない事に、ファウストナの民であってもヴァツラフを恐れるのです。人の肉体を簡単に破壊する力は魔獣にだけ向かうのではないと。我が息子ながらアレは気の優しい男です。それでも人は愚かな思考を……私は怒りを覚えるのを抑えられない」


「それは……畏れながら陛下も一人の母。そのお気持ちは当然の事でしょう。気に病むなど……」


「違います」


「……どういう事でしょう?」


「ヴァツラフは優しい男ですが、弱くは無い。王族として国に身を捧げるのは当然のこと。彼の心情など些事でしょう。そして何より……彼は使徒。人の常識と並べるのは愚の骨頂です」


 謙遜でも、ましてや虚実でもない。ラエティティの心からの本心。そして続く言葉には、誰よりも強い神々への信心が溢れ出す。それはジワジワとラエティティから滲み出し、クインまで伝わっていった。


「私の怒りの矛先は、神々の加護を軽んじるその思考です。人は人、使徒は使徒。ヴァツラフでなくとも刻印持ちを恐れるなど不遜の極み。使徒は人の身を持ちながら、同時に神々に最も近い存在です。軽々しく()()()()()()()()()()など、絶対に許せません。そう、絶対に……」


 もちろん貴女もそう思うでしょう?


 ラエティティの声はクインへと突き刺さった。動揺など見せるつもりは無かったのに、王としてのラエティティの凄みと、何より紡いだ言葉の意味を察して……


「そ、それは……」


「あら? 気になる事でもありましたか?」


 間違いない。ラエティティはカズキに課した嘘を知った……いや、疑っている? ならば、今の話は探りを入れて……もう一度その琥珀色した瞳に視線を合わせたが、蘭々と光を放つ其処には確信が見える。そんな気がするのだ。


 どうする……クインは思考を更に加速させる。しかし、ラエティティはリンディア屈指の頭脳を更に混乱させる台詞を繋げていく。


「カーラ。確か"パウシバルの指輪"に登場する聖女の名ね。ファウストナでは考えられないけど……貴き聖女の名を付けるなんて、やはり国が違うと()()も違うの? 軽々しく使徒を扱うなど、許されないと思うけど」


 最早敵意も隠さず、クインに相対する。


 ジンワリと汗が流れるのを自覚したクインは警戒を強めた。あの古い物語すら知識にあるとは余りに予想外……ましてやあれはリンディアの物語なのに。


 此処にカーディルもアストも、優しい祖父コヒンも姿は無い。そして話している内容はギリギリ世間話の域を超えていないのだ。なのに、吐いた嘘が責め苛む。


 だが……理屈に合わない。


 カズキとカーラが同一人物と疑っているなら、カーラの名付けそのものに怒りなど覚えないはず。ラエティティの怒りは、使徒でもない少女に尊い名を授ける事に向いているのだから。


 カズキは世界に一人しかいない正真正銘の聖女なのだ。


「……ラエティティ様……」


「あら? もうこんな時間ですね。クインさん、遅くまでありがとうございます。今日は大変有意義でした。また、お話しをしましょう」


 先程までの氷の中にいる様な空気は溶けて、ラエティティは少女の様な笑顔を見せた。


「……はい。此方こそ、光栄でした。またいつでもお呼びください」


「嬉しいわ。是非()()()()()()()()()()()()()頂きたいです」


「……はい、必ず。それでは、失礼致します」


「クインさん、お休みなさい」


 深々と頭を下げ、クインは扉が閉じるまで動かない。今は表情を見られたく無かった。


 パタンと耳に響いて、クインは背を向け歩き出した。











「殿下、お気づきになられましたな……」


 先程とは明らかに違う。


 一撃に全てを賭けたりしない。小さな傷でも良いと、脚を使い始めたのだ。大振りもないし、狙いは手首や脚。致命となる頭や首は殆ど狙わない。


 斬っては離れ、少しでも相手に攻撃の素ぶりがあれば即座に離脱する。


 卑怯?


 いや違う。これは対魔獣の戦法だった。


 ヴァツラフは魔獣にも劣らない膂力を振るう戦士。身体こそ魔獣より小さいが、その一撃は重い。あの長い棍は爪と牙だ。


「くっ……」


 変則的な動きに、ヴァツラフも的を絞れなくなっていた。


 元々自分より力が強く、大剣を扱うケーヒルを相手に訓練してきたのだ。相手を自分より強者と認めれば、やりようはあった。


「凄い……」


 呟くカズキもアストの戦法が理解出来るのか、感嘆の言葉を紡ぐ。或いはそれすら見事に躱すヴァツラフに届けたのか。


 自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる……周囲の景色も、風も、音も遠くに消えていく。愛するカズキも今は見えなくなった。


 在るのは自分と剣、ヴァツラフと棍。それだけだ。


 まるで決められた演舞を舞うかの如く、全てがゆっくりと流れていく。合わせるのは簡単で、迫り来る全てに軌道の線が引かれている。


 焦れたのか、長い棍は左脚を狙う軌道を()()()()()()()()()態とギリギリまで待って、地面が抉れて埋もれていくのを確認した。


 ガガッ!


 ヴァツラフは腕ごと引上げ、棍を手前に戻そうと動く。だからアストは半身になりながら、右脚で上から踏み抜いた。その瞬間バキッと分かり易い破砕音が響く。


「ちっ!」


 あれ程に硬い棍はあっさり折れて、全長は七割程度に減じた。その長さはアストの持つ木剣と殆ど変わらない。つまり、槍としての強みは失われたのだ。


「貰った!」


 勝利を確信して、そのままヴァツラフに肉薄する。


 だがアストは自らの間違いに気付いた。しかしもう遅い。ヴァツラフの眼は変わらず冷静で、余裕すらあった。


 カッ


 長剣程になった棍は先程とは比べられない速度で回転し、同時にヴァツラフにのみ許された膂力で剣は上方へ跳ね上げられてしまう。その衝撃に耐えられず、手から感触が消える。


 そのまま折れた先をアストの咽喉元に当て、動きは止まる。暫くすると二人の側に木剣が落ちてきて、カランと鳴った。僅かに刺さった事で、アストの首筋からほんの少しだけ血が滲んでいった。


「……私の負けだ」


 感情の篭らない声を出し、目を閉じた。


「どうだかな……アストはファウストナをよく知らなかっただけで、俺は剣の戦いを知っている。それが理由かもしれない」


「それまで!」


 ケーヒルは僅かに笑みを浮かべ、二人の王子の元へ歩み寄った。


「お二人とも見事! この老骨も血が滾りましたぞ!」


 ヴァツラフも折れた棍を下ろし、ケーヒルを見る。其処に勝者の歓喜はない。


 対魔獣には長槍を使う。しかしファウストナでは短槍を街中や対人戦でふるうのだ。先程はより対人戦に適した長さに変わっただけで、最初から短槍であればアストの戦い方にも違いがあっただろう。


 次も必ず勝てるとはヴァツラフも思えなかった。それ程に尋常ならざる動きをアストは見せたのだ。心を折ると考えた自身の傲慢を思う。しかし同時に納得出来ない……それ程に鍛え上げた精神は気高きもの。カーラや聖女に対する行動と気高き心が相反していると感じるのだ。


 もう一度アストを観察しようとした時、場にそぐわない柔らかな声が響いた。


「アスト、ヴァッツ、お疲れ、驚き」


 素直に称賛を贈るカズキも瞳を輝かせている。


 ヴァツラフには勝利の余韻はなく、敗者であるアストも当然笑顔はなかった。しかし、あまりに真っ直ぐな感情を放つカズキを見れば、二人は力が抜けていった。


「……ヴァツラフ、良い経験が出来た。ありがとう」


「俺も……またやろう」


 握手を交わし視線を合わせる。変わらず複雑な感情だが、今は彼女の前だ。


「ケーヒル殿、カーラ。アストともう少し話がしたい。悪いが、先に戻ってくれるか?」


「分かりました。殿下、よろしいですか?」


「ああ、カ……カーラを部屋まで送ってくれ。カーラ、お休み。また話そう」


「うん。アスト、ヴァッツ、お休み、なさい」


 カーラを見送り、もう一度向き合う。



 二人の影は深夜まで消えることはなかった。








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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます! 祝!100話!! [一言] "人は人、使徒は使徒"ですか…。端から見ると「そんなの関係ねぇ!」って言いたくなりますけど、この世界ではそうはいかないのがつらいで…
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