…おや!?しゅじんこうの ようすが…?
趣味に正直に書きました。自称ペット美少女×三白眼地味女子。
乙女ゲームの主人公は、やっぱり美少女でなければと思う。
いや、この主張が民意だと言うつもりはないのだ。ただあくまで私の視点で、私がそう思う、という観点からの主張でしかない。
乙女ゲームといえば、言ってしまえば没入感と自己投影で楽しむもののひとつだと思っている。主人公をそういうキャラクターとして、キャラと主人公のやり取りを楽しむ層だっているけれど、自分が主人公の立場として楽しむ人だっているだろう。
ではその上で、自分が我を忘れて楽しんだ乙女ゲームがあったとして、主人公の顔はどんなものだろう。
顔を絶妙に隠すアングルを採用したスチルのゲームもあれば、パッケージやデモに一個人として存在している主人公もいる。
顔が見えている主人公たちは、それはもう美少女だ。当たり前だ。ゲームなのだ。どうせなら美少女でないとやりがいがない。何より、綺麗なものと綺麗なものが並んでいる風景は、純粋に目が楽しいし癒しにもなる。
顔が見えていない主人公たちは、アングルだったり前髪だったりで顔立ちは判然としないが、やはり美少女だと思う。メタ的に見てイケメンに「可愛い」とか「うつくしい」とか囁かれる女の子が、美少女ではないはずがないじゃないですか。いい加減にしてください、もっとやってください。
つらつらと下らない言い訳を脳内で垂れ流しても、私の目の前にある現実は変わらない。
首まで覆うタートルネックの黒インナーに、アイビーのセーラー服。随所に臙脂色のラインが走り、襟の付け根には短めのネクタイが同じく臙脂色で収まっている。文句なしに可愛い制服。
それを着ているのは、少々痩せすぎではないか、という体型の少女だった。ひょろ長い、という女子からぬ形容詞が当て嵌まるスタイル。少し跳ね気味のセミロングはラベンダーアッシュ。前髪が長くて視界は若干狭い。
しかし私は知っていた。前髪が長いのは目付きの悪さを誤魔化すためだ。小さな黒目、吊り上がった眦、つまりはそう、三白眼だ。
唇は不健康気味な色をして、そもそも薄いせいで多分弾力もさほどない。首が細いのは痩せているせい。
「――――――乙女ゲームの主人公って、美少女なんじゃ、ないの」
ロレナ・アストルガ。
鏡の中に写るロレナは――――私は、どうあがいても、美少女ではなかった。
■
空が青い。
突き抜けるような、とまでは行かずとも、雲は高く風は心地よく吹き抜け、温暖な気候は眠気を呼ぶ。木々は緑の全盛期を迎え、陽光を受けて堂々と枝を伸ばす。春のこの良き日、授業もそこそこに寮に帰ってひと眠りといきたい。
そんな日に、私は何故か見知らぬ女生徒四人に囲まれていた。
「クララック様に近付こうだなんて烏滸がましいにもほどがあってよ?」
「聞きましたわロレナ様。貴女、養子なんですってね」
「どことも知れぬ貧民街で、クラウディオ・アストルガ様の恩情で迎え入れられましたと聞きましたわ」
「まあ。変わり者だなんだと噂はありますけれど、クラウディオ様はお優しいのですね。貴女のような、どことも知れぬ者を十家門の一員として迎え入れるだなんて」
耳タコもいいところの嫌味のオンパレードである。しかしながら全部事実なので、私は黙秘権を行使する。それを無視されたと感じ取ったのか、周囲の気配が俄かに殺気立つ。
大抵は反応がないからつまらないと言って離れてくれるのだが、今回はそうはいかないようだ。
左からアメリア・ディスグレイ。タチアナ・ハンドルエフ。シャルロット・ルクレール。リン・タヴァナー。名前と顔を一致させて、忘れないように頭の中に強めに覚え込む。義兄のクラウディオ様には、「お前に構ってくる人間全てを報告するように」と言いつけられている。サボったら恐ろしい事が待っているので、私も粛々と従っている次第だ。
「反論はございませんの?」
苛々している様子が伝わってくるが、反論らしい反論は一切ないので、返事のしようがない。でもここで返事をしないのも「貴様仮にも十家門の一人としてそれはどうなのだ」となじられそうな所である。
もう一度私は全員の制服を見た。中央の逆三角形の部分のラインは二本。二学年。先輩である。
「いえ、お姉さま方。反論はありません」
纏めてどう呼んだものか悩んで、親族連中で割と評判な「お姉さまお兄さま」呼びを採用。叩き込んでもらった動作で、私は小さく礼をした。何しろ囲まれている輪が少々小さいもので。
「私が貧困街で拾われた子供であることも、義兄の憐憫によって召し上げられたのも事実です。クララック様に近付こうという意図はありませんでしたが、そのように見えたのであれば、以降私からは近付くことはないとお誓いできます」
下手下手に出て、とにかくやり過ごすことが大事なのだ。私は頭を下げたまま、ただ相手が満足するのを待つ。これが一番楽だからだ。
割と誠実に対処しているつもりだが、四人から返ってくるのは苛立ち交じりの沈黙だけだった。うーん、ぼちぼち腰が痛い。そろそろ頭上げちゃおうかな。
「貴女ねえ」
「何をしていらっしゃるので?」
誰かが口を開いたのに被せるように、突然ない筈の声が響いた。動揺する気配が一気にそちらに向けられたので、私はようやく頭を上げて一息つく。
「な、シュゼット様……。いえ、あの、これは」
「何を、していらっしゃるので?」
ひ、と誰かが息を呑む。
月光を編んで作ったような金の髪が、自然光を反射して煌めく。新雪のような肌は触れるのを躊躇わせる美しさを持ち、全てにおいて理想的な配置のパーツが形作る無表情は、人形に似た無機質さを湛えている。兎を想起させる赤い瞳は、今や冷徹な気配を以てしてここにいる私を含め睥睨していた。
数学的な美しさを持つこの美女の名前を、シュゼット・ナヴァール。皇帝直下貴族十家門と対になる十将軍に長く在籍する、生粋の武闘派貴族ナヴァール家のご令嬢である。
「私、身の丈に合わない闘争は苦手なのです。見ていると哀れになりますでしょう。貴女方、鼠を嬲る猫を見て笑えるような趣味の悪さをお持ちなの?」
「い、いいえ、決して、そのような」
「でしたら即刻解散なさい。本来新入生はもう下校時刻です。下級生の見本になるべき二学年が、新入生を拘束するなど時間の無駄です」
実際問題三十分ほど時間を潰されたので、彼女の意見には全面的に賛成だ。プレッシャーに負けた四人が、失礼いたします、と震える声で一礼してそそくさと場を去っていく。走らないだけでも、中々の胆力をお持ちの様だ。シュゼット嬢のプレッシャーに全面敗北した者は、もんどりうって逃げ去っていく。
「……ありがとうございます。では私もこれにて」
「ああ、お待ちください、ロレナ様」
「………………」
そそくさと便乗して逃げようと思ったのに、私の腕はいつの間にか距離を詰められてシュゼット嬢にがっしりと掴まれていた。口端が引き攣る。
「……下級生の見本になるべき二学年が、新入生を拘束するなど時間の無駄、と先ほど仰っていませんでした」
「そんなつれない事を仰らないでください。悲しくなってしまいます」
白皙の美貌を持った美女が、瞳を伏し目がちにしてしゅん、と小さくなる。その様は世の同情を一心に買い受けることができるだろうが、残念ながら私の腕が解放される気配はないし、腕を掴む力は全く可愛くない。
超実力主義武闘家貴族のシュゼット嬢は、見た目に似合わずかなりの槍術の使い手らしい。つまり、とても、握力が、つよい!
「ロレナ様が下校される頃合いを見計らって昇降口にいましたのに、全然出て来られなくって……嫌な予感がして心当たりを浚ったら、あのような鼠共に構ってらっしゃるのですもの。入学早々浮気だなんて、シュゼットは悲しいです」
「浮気て。鼠て」
思わず素になってしまった。鼠、鼠と言うけれど、彼女たちもこの学校に在籍する資格を持った立派な上位貴族である。それを鼠と切り捨てられるシュゼット嬢に、困惑と戦慄を抱いた。ついでにこの状況にも。
「私にも構って頂かないと困ります。ペットを放置するだなんて、飼い主の風上にも置けませんよ」
「あなたみたいなド美人のペットを持った覚えはないんですけど。ていうかペットを自称するのはご身分的に如何なものか」
「ロレナ様は私の自慢の飼い主です」
「あああああ、やめてください!人に聞かれたら困る事を主張するのはやめてください!」
主に私が困る!外聞と世間体と社会的立場と精神が死ぬ!
「私がペットだと困るのですか?」
「困りますね!第一、アストルガって言っても私ここを卒業したらアストルガ姓を抜いて、一使用人として恩返しするつもりなのでそもそも甲斐性もないですし!」
ん?なんか論点が違う気がする。
自分で自分の発言を思い返す暇もなく、シュゼット嬢は「そんな事ですか」などと宣った。そんな事て!そんな事て!
「シュゼット様。あなたは十将軍が一席、ナヴァール家のご令嬢ではないですか……。そんな方が、私みたいな平民上がりかつ平民戻りが確定してるただの女のペットだとか、その、もう少しご自分を大事になさっては如何ですか?」
要はお呼びでないのでもう二度と来ないでください、である。オブラートを三重くらい包んだ気がするが、それはそれこれはこれ。
「私のようなたかがペットにもそのようなお気遣いを頂けるとは……やはりロレナ様は私の理想の飼い主様です。靴を舐めてもよろしいですか?」
「舐めないで!?絶対駄目!メッです!」
「ッ、あああああ……」
メッと言った瞬間、思わぬペット扱いに恍惚の表情を浮かべたシュゼット嬢が、ぺたりと地面に座りこんだ。校則規定通りのスカートがふわりと芝生に着地して、絵画のような風景を作り上げる。
……これで恍惚のヤンデレポーズじゃなかったら、これ以上ない被写体だったんだろうなあ。私は思わず目頭を熱くさせた。ついでに自分の失敗にも涙が出そうだった。
私、乙女ゲームの主人公ポジションじゃあなかったっけ。ついでに言うなら囲まれるのはイベントで、ここで登場する相手に寄って今どのルートを進んでいるのかわかるのではなかったっけ。
相変わらず立てないままでいるシュゼット嬢の手を取って、自分の重心を後ろにかけつつ立たせてやる。こういう時筋肉がないと悲しい気持ちになるが、鍛えるよう運動したら痩せるばかりで、義兄からは筋トレ禁止令が出てしまった。
おっかしいなあ……。ここはゲームに則るなら、シュゼット嬢が四人を追い払った後、主人公に貴族としての在り方を説いて意味深に去っていくはずなんだけどなあ……。おっかしいなあ……。
ついでに言うならシュゼット嬢が出てきたということは、現状ルートは生徒会長攻略ルートだと思うのだが、何せ彼女のようなイレギュラーがいるので、早計な判断ができない。……まあ別に、どのルートでもいいんだけれども。
例えば。
例えば私が美少女だったとする。世界がうらやむ、そうまさに、シュゼット嬢のような美貌を持っていたとしたら、私はこの乙女ゲームの知識を喜び、この世界で成功してやろう、と思ったかもしれない。
でも現実では私は元孤児で、貧困街の生まれで、目付きは三白眼なのも相俟って大層悪く、スタイルが良いわけでもない、運よく善い人に拾って貰っただけの、ただの餓鬼である。そもそも乙女ゲームとよく似た世界観をしているからと言って、私が狂人ではないという保証もどこにもない。
何となく暮らして、何となく幸福に、無難に死ぬ。何てたって、私は美少女ではないので。
乙女ゲーム「真夜中の救憐唱」のロエナ・アストルガは――――主人公はどこにもいない。