愛する君とは、口喧嘩のカンケイ。
二人の男女が道を行く。
「あーもう疲れちゃった。久しぶりに会って近場で映画見るだけって、簡単すぎない?」
「うるせえな。お前の好きな『オシャレなカフェ』とやらがどこもかしこもベタ混みなのが悪いんだろ。『適当にそこいらの店に行くぐらいなら宅飲みがいい』っつったのお前じゃねえかよ。こんな急に、いいトコに予約なんて入んねえんだよ」
「そりゃ週末だもん。いい店はどこも混んでるわよ。都会なんだから」
「日本に帰ってきたのも久しぶりで、お目当ての店がつぶれてたんだからしょーがねえだろが。ぶつくさ言ってねえでとっとと歩け」
「なにえらそうに命令してんのよ。そんなのずっとずーっと前から予約しとけばいいことでしょ。まったく久しぶりに大事な人に会おうっていうのに、詰めが甘いのよ。ほんとあんたは昔っからそうよね。そういうとこよ? 今までさんざん、あの子にもこの子にもフラれまくってるのはさあ」
「ってオイ! なんでそこで古傷えぐられなきゃなんねえんだよ!」
「えーっと、中学の時のナオちゃんでしょ? それと高校のときはアキちゃんだっけ。二人ともほんっと物好きな子だったわよねえ。ついでに言うと、どっちもあんたよりちっちゃい子だったわね。そういう意味でも珍しい子。みんな元気にしてるのかなぁ」
「うるっせえ! しょーもないこと、思い出さなくていいっつの! もういいんだよ、昔のこたあ」
「ふーん? いいんだ。さすが、二年も海外いってた奴は言うことが違うわよねえ。そこらへんのOLとじゃご身分が違うわよね。これはこれは、下々の者が失礼をいたしましたわよーだ」
「はあ? いきなり何いってんだ」
「外資系なんて、これだからイヤなのよ。かるーく『二年海外に行ってこい』とかさあ。昔は勉強なんてまったくできなかったくせに。あたしがどれだけテスト前に面倒見たと思ってんの? なに英語とかペラペラしゃべれるようになっちゃってんのよ」
「なんか話がすりかわってんぞ。いつの話をしてんだよ」
「そりゃあ? あたしだって分かってるわよ。あんたが高校になってやっとその気になって勉強しだした、ぐらいのことはさ。でも、何もそこまで成績上げなくてもよくない? いきなり学年トップとか、頭おかしいんじゃないのって思ったわよ」
「もとがいいんだよ、もとが。親父も兄貴もそうだしな」
「ははーん」
「なんだその悪い顔」
「つまりあんた、それで中学まではひねくれて、わざと勉強しなかったクチなんだ。出来のいいお兄さんに比べられて拗ねてたと。こっども~」
「うるせえんだよ! 結果良ければすべて良しだろ」
「良かないわよ。さっきから何を聞いてんの? それで外資系なんかに入っちゃって、すぐに海外転勤になっちゃったことを言ってんでしょうが」
「しょうがねえだろ? ひとりモンの野郎なんざ、すぐにほいほい行かされるんだからよ。ほんと、『ちょっと行ってこい』ってなかる~いノリでだぞ。とっとと結婚して子供つくったような奴は、ずーっと日本にいるっつの。けど、それはお前にだって……」
「え? 『お前にだって』、何よ」
「い、いや……。なんでもねえよ」
「なに目、そらしてんのよ。あんたほんと、都合が悪くなると黙るわよね。それか『はいはい、ゴメンゴメン。俺が悪うございました、なんもかんもみ~んな俺が悪いんだよな、はい終わり!』って腹立つ謝り方してさ。あれほんっと腹立つ。誠意も反省もかけらもないんだもん。やめてよね」
「また過去をほじくりかえしてキレ出すパターンか。女ってほんとそれな。いい加減にしろよ」
「いい加減にするわよ。ふん! なにさ──」
「って、おい……。ん? あ、ああ、ごめんね、おばちゃん。道の真ん中陣取っちまって」
「あ? あっ、ごめんなさい。気が付かなくって……。邪魔でしたよね、あたしたち」
「おばちゃん、すげえ荷物だな。え? それで歩道橋わたるのかい? ちょ、ちょっと待てよ。あっぶね……。俺、そこまで持つからさ。な? 貸してみなよ」
「あ、私こっちのほう持ちますね。うわ、重い……。これ、お重ですか?」
「へえ、うんうん。そうかあ。久しぶりにお孫さんに会うんだな。連休だもんなあ。家、近いの? なら、そこまで持って行こうか。ああ、いいんだよ、どうせ暇だし」
「遠慮しなくていいんですよ。こいつなんか、ちゃちゃっと使っちゃってくださいな。背はちんちくちんですけど、それでも一応男ですから」
「『ちんちくちん』言うな! それ、いつの言葉だよ。つうか、それ言うなら『ちんちくりん』だろ」
「うるさいわね。うちではいつでも『ちんちくちん』なの! だってこっちのほうが可愛いじゃない、ちんちくちん!」
「連呼すんなっつうの! 大体ひとこと余計なんだよ、お前は! この場合、背は関係ねえだろが。お前がでかすぎるだけだっつの!」
「失礼ね! あたしだって、好きでこんなに大きくなってないってのよ。あ、でも懐かしい~。うちのおばあちゃんもそうだったんですよ。久しぶりに来るときは『おいしいもの食べさせたいから』ってお土産とか、お料理とか、こうやっていっぱい持ってきてくれて──」
「ああ、だったよなあ」
「重いんだから宅配でいい、っていうのにね。開けたときの、孫が喜ぶ顔が見たかったのよね、おばあちゃん……」
「そういやお前んちのばあちゃん、お前の三百倍はマシンガントークのばあちゃんだったな。そっちの方も完全に血筋だよなあ」
「失礼ね。それはお互い様でしょ? あんたん家のおばあちゃんだって似たようなもんじゃないのよ」
「二人にしとくと、いつまでだってしゃべりまくりだったよなあ。ほとんど喧嘩しかしてなかったみてえだけど。俺なんて、早すぎて途中からなに言ってんだかほとんど聞き取れないぐらいだったぜ」
「『喧嘩するほど』っていうやつよね。だって実際、天国にまでほとんど同時にいっちゃってさ……」
「おい、お前──」
「ほんと、仲良すぎ。あっちでもきっと、楽しく口喧嘩してるわよね……。って、ああ、ごめんなさい。あたし──」
「ほんとだぜ。こういう時に、いきなりしんみりするんじゃねえよ」
「う、うん……」
「その無神経、ほんと治らねえよなあ。お前は昔っからそういうとこあるよな。デリカシーってもんがないんだよ」
「うるっさいわね。無神経ってなによ。お互い様でしょ!」
「まっ、とにかくだ。ばーちゃん、遠慮しなくていいからな……って、言ってるうちにもう下りだ。足もと、気をつけてな? ……え? いやいや、家の近くまで持ってくって」
「あ、でも……。お孫さんもいるんだから、あたしたちが家のそばまで行くのはちょっとあれよね?」
「ああ、そっか。最近じゃプライバシーがなんたらかんたら、うるせえもんな。じゃ、おばちゃん、これな。あっ、いいのいいの。礼とかそんなの、いいんだよ。ついでなんだし」
「あ、そうですよ。そんなの全然気にしないでくださいね」
「……え? そうなの? へえ、なにこれ。『いいことある石』? うん、うん……へえ。これ、そんなご利益があるのか」
「そんなお守り、あるんですね。もとは近くの川の石? 神主さんがお祓いしてらっしゃるのね。ちょっと開けてみてもいいですか? わあ……。丸くてあちこち透明なところもあって、とってもきれい……」
「ええっと……そう? ほんとにいいの? じゃ、じゃあ……いっこだけ。この、一番ちっこいやつ」
「って、さっさともらってんじゃないわよ、あんた! あの、すみません、ずうずうしくて。かえってこんなご迷惑……。だって、お孫さんにあげるんじゃなかったんですか? そんな、沢山あるからっていっても──。そ、そうですか……?」
「ほんと、ありがとう。気を付けてな、おばちゃん」
「ありがとうございました。どうぞお気をつけてー!」
◇
「へー。見てみろよ。日にすかすとキラキラしてるぜ」
「ほんと。きれいね……」
「あーあ。これじゃ、俺のが霞んじまうよなあ……」
「え? なに? 何か言った?」
「え? ああ、うん。いや、なんでもねえよ」
「あっそ。じゃ、早く店、探しましょうよ」
「は? お前、宅飲みって言わなかったか?」
「ん~。そのつもりだったけど。もうあたし、我慢できない。おなかぺっこぺこ~!」
「ああ、うんうん。体がでけえと腹がすくのも早いよなあ」
「やかましいわよ! そういうフォローいらない、ほんっといらない!」
「うひゃひゃひゃ。あ、そこそこ。いまちょっと調べたら、近くに新しい店ができたみたいでさ。イタリアンで、ちょっといい感じの……。そこの角を曲がったとこだってよ」
「まったくもう……人の気も知らないで」
「すげえ穴場みたいだぜ。あ、あれかな。見ろよ、結構雰囲気いい。あたりかもよ」
「いつもだったらあたし、もっとおしゃれなヒールとか履いてるんだから。こんなぺたんこ靴、ほかの時には履かないっての。ほんと、なーんにも分かってないんだから、このバカは」
「え? なんだって? よく聞こえねえ」
「なーんでもない! さっさと入ってよ、つまずいちゃうじゃない」
「人を目の前の小石みてえに言うんじゃねえよ。ったく、どの口が言うかな、『デリカシーがねえ』とかよ」
「それ言ったの、あんたが先でしょ」
「ニワトリタマゴって知ってるか? 幼なじみの腐れ縁じゃ、どこが初めだったかなんざ、もうとっくにわかったもんじゃねえわ」
「きーっ。もう! ああいえばこう言う! むっかつくう!」
「そっくりそのままお返しするわ!」
ぎゃんぎゃん怒鳴り合いながら、軽いドアベルの音をたて、男と女はレストランの扉をくぐる。
ジャケットのポケットに先ほどの石を滑り込ませて、男はそっと反対側のポケットを上から撫でた。
そこに二年前からある小さな箱を、ひそかに確かめるように。