〝ようこそ〟
僕はいつも通りの時間に目覚めた。
目を開ければいつも通りの光景が広がっていて、いつも通りの帰路をいつも通りの速さで歩いて帰る予定だ。
予定だっ「た」。
僕は白い場所に立っていた。
電車で揺られていた筈なのに。
そこは全てが白で地面と空間の境目も判別できない。
這いつくばって地面らしきところに触れてみると確かに何かがある。
足で踏みしめることのできる〝何か〟がある。
ただ、僕はこの〝何か〟を正確に言い表す言葉を持っていない。
その地面と思しき〝何か〟は平らで真っ白だ。
此処までは良い。
つるつるしていて、それでいてざらついているような。
冷たいようで、温もりを持っているような。
固いようで、柔らかいような。
とにかく、僕が知り得るものではなかった。
「やあ、はじめまして。」
僕は〝何か〟を撫でまわすのに夢中だったものだから突然の声にものすごく驚いてしまった。
〝声〟?
〝声〟というか〝響き〟というか、その音に〝声〟という名は不適な気がした。
「〝はじめまして〟と言われたら〝はじめまして〟と返すのが礼儀なんじゃないのかい?」
その音の主は黒い人の形をした〝何か〟だった。
イメージしやすく言い直すとしたらトイレのマークの青い方を黒くしたような感じ。
それが僕の前に座っていた。
背景が真っ白だから浮いているようにも見えた。
「…はじめまして。」
僕は困惑しながらも〝何か〟の礼儀に従った。
「ちゃんと喋れる口があるじゃないか。結構結構。」
その〝何か〟には口も表情もないが、なんとなく笑っている気がした。
「此処は?」
「その質問を待っていたよ。待ちすぎて宇宙が一つ滅びるぐらいにね。」
「冗談に付き合っている余裕を今は持ち合わせていない。早く答えてくれ。」
「おいおい。此方の苦労を少しは労ってくれよ。せっかく君が親しみやすいように人の形をして君の言語で話してあげているというのに。面白いジョークも交えてさ。」
「あれで面白いなら僕は世界一のコメディアンになれるさ。」
「それ、面白いジョークだね。」
「皮肉だよ。」
不思議とこの異常事態に余裕を持ち始める自分がいた。
人間という生物はどのような形であれコミュニケーションを取れる相手がいるとリラックスするのかもしれない。
「それで、此処は?」
「そうだね。順を追って説明しようか。」
よっと〝それ〟は腰かけていた空間から飛び降りると僕の目の前まで歩いてきた。
〝それ〟の頭らしき部分は丁度僕の顎の辺りぐらいの高さだ。
意外と小さい。
「意外と小さい?」
!?
「当たった?」
「当たってるよ。エスパーかと思った。」
「いや、ヒトにはいつもそう言われるから。」
そうなのか。
「僕はね、君たちに極力影響を与えないようにこういう形をしているんだよ。」
「正直、その黒い影みたいなやつの方が僕にとっては奇妙で気持ち悪いんだけど。」
「君、言うようになったね。そういうのなら変えてあげようじゃないか。」
〝それ〟は少し僕から離れると――
ぱっ。
消えた。
おい、待て。
僕がこの空間の情報を得られるのは〝それ〟からのみだ。
〝それ〟がいなくなってしまったら僕はこの世界でどう過ごせばいい?
「この世界でどう過ごせばいい?簡単さ。君が〝想像〟して〝創造〟すればいい。」
本当にエスパーか。
「エスパーじゃないよ。僕がこうするとヒトはいつもそう思うらしいからね。一人で寂しかった?」
振り返った僕は驚く。
そこに〝それ〟はいなかった。
小さな子供がいた。
僕が瞬きをすると少年に。
もう一度すると少女に。
気付けば青年に。
改めてみれば老人に。
〝それ〟だったモノは揺らぐように姿を変える。
「どれが好み?やっぱり女の子?それともそっち系の趣味?」
「正直人の形をしていれば何でもいいよ。」
僕はほんの少し溜息を吐きながら答えた。
「〝ヒトの形〟?さっきので良いの?」
「違う。僕らと同じような姿なら良いってことだよ。
「はいはい。」
気が付けば少女が目の前にいた。
白と黒だけの少女。
長い真っ直ぐの黒髪に真っ黒い瞳。
その瞳に光はなく、何か良くないモノが渦巻いている――気がした。
「参考までに聞くけど、どうしてその姿を選んだ?」
「君がそういう顔をしていたから。」
「気の所為だ。」
「まあ、この姿なら君も親しみやすいだろう?僕なりの配慮という奴だ。感謝してくれよ?」
「あー、ありがとう。」
「若干気持ちが入っていない気がするが、良しとしよう。で、話の続きだったね。」
「そう。僕が最初から尋ねているのは一つだけ。此処は何処?」
「そんなに知りたいのなら答えてあげようじゃないか。」
少女はもったいぶるようにくるくると歩き回ると僕を下から覗き込んだ。
「良いから、早く。」
「せかせかし過ぎなんだよ。これから話すんだから急かさないでくれ。」
僕は黙った。
早く話せよ、と念を送りながら。
「早く話せよ?仕方ないな。」
少女は目を瞑ると楽しそうに話しはじめる。
「端的に言おう。此処は君が〝全て〟の場所だ。」
意味が解らない。
「意味が解らない?そうだろうね。君があんまりにも退屈そうに毎日を過ごしているから招待してあげたのさ。」
頼んでもないのに余計な事を。
「頼んでもないのに余計な事を?そうさ。これは僕の遊戯だからね。君にしてもらいたいことがあるんだよ。」
「何をしろっていうんだ。」
段々自暴自棄になってきた。
「もう既に一回は言っているんだけどね。」
少女は言葉を切ると、僕の目を覗き込む。
ナニカが渦巻くその瞳が僕を引き込む。
「君が〝想像〟して〝創造〟して欲しいんだよ。」
〝ようこそ〟
――君が〝全て〟の世界へ