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僕と姉ともう1羽。  作者: 芦谷虎太郎
第一章 始まり
2/2

姉ちゃんの無茶ぶり。

 姉が幸せそうだとかそんな話はどうでもいいんだ。その話がしたかったわけじゃない。どうしてアヒルがうちにいるか、それを話しておきたかったんだ。でないとこの物語が先へ進まないからね。

 どこまで話したっけ。そうだ、休みの日に寝坊したってとこまでだ。さっきも言ったがやりたいことは山ほどあった。掃除もしたいし、買い物にも行きたかった。しかしこたつの誘惑と姉からのお茶の誘いのダブルコンボで、僕はまもなくこたつから出られなくなった。緑茶を飲んで、せんべいを食べて、至極幸福な時間を味わった。知らぬ間に夢の中へと旅立ってさえいた。気が付けば午後4時過ぎ。外はもう明るさを失いつつあった。今日はもう無理だ、何もできない。このまま引きこもっていよう。パジャマも着替えることなく今日この日を終わらそう。そう決め込んだ時携帯の通知音が鳴った。だらだらと携帯の画面を確認する。通知してきたのはあるアプリだった。なんのアプリかというと、最近は利用するものも増えたのではないかと思われるフリーマーケットアプリだ。僕たち姉弟もこのアプリには良くお世話になっている。僕たち姉弟と言ってもネット音痴の姉はほとんど使わない。それなのになぜわざわざ僕たち姉弟といったかというと、僕が姉の捨てられないものたちをこのアプリを使って売っているからだ。姉の捨てられない病は学生時代から治っていない。もう何年も着ていない服やら身に着けないアクセサリー、変な置物、一時の興味で買ったコーヒーメーカーなどのさまざまな道具たち、居候の身にしてはずいぶんなほど無駄なものを溜め込んでいる。僕はこれらを定期的に売りさばいているのだ。姉は「また捨てる」といつも不服そうな顔をするが、なんとか言いくるめ半ば強引に出品した。これ以上僕の家を姉のもので埋め尽くすわけにはいかないのだ。

 今回も僕が出品した姉のものが売れた知らせだった。いつしか姉が安いからと買いだめしたボディクリームだ。寒くなって塗るのが面倒になったのかいくつもの在庫がずっと置いてある。こういうのを宝の持ち腐れというんだよなと、ボディクリームに対して同情した。アプリを開いて取り引きページを開ける。買い取り手のほうはもうすでに支払いも終えてくれていた。あとはこちらで包装して発送するのみだった。こたつに入ったままで首だけ動かしてあたりを見回す。台所横の棚に手ごろな段ボールを見つけた。別に発送準備も発送するのも明日でもよっかたのだが、段ボールを買いに行くことなく見つかったことだしせっかくだからという気持ちに襲われた。さっきまではもう外には出たくないと思っていたのに不思議なものだ。しかしこれが悪かった。おとなしく明日にしようとか、いつもみたいに後回しにしておけばよかったのだ。こたつから這い出て段ボールを掴む。中にはよくわからないチラシが入っていたから取り出して全部捨てた。洗面所の棚に押し込められてたボディクリームを持ってきて段ボールに入れる。隙間には丸めた新聞紙を詰めて固定させた。段ボールが開かないように周りをテープで止めて発送準備は終わりだ。部屋に戻って軽く着替えた。もう陽も落ちていたので一応マフラーも巻いてみた。


「今から行くの?」

「あぁ、ちょっとだから行ってくる。なんかいる?」

「ビール」

「…。」

「キリンで」

「はいはい」


 行ってきまーすと言葉を投げてドアを閉めた。外は思っていたより寒くて身震いを起こした。家から運送会社の営業所までは歩いて10分くらいだった。財布と段ボールを持って薄暗くなった街を歩いた。マフラーで口まで覆って、相変わらず寒いななんてありきたりなことを思ってみたりした。明日の授業は何時からだっけとか、バイト入ってたっけとか、そんなことも考え出していろいろ面倒だなと思った。1日なにもせず暮らしていたいな。なんにもしないけどお金には困らなくて、毎日友達と遊んで暮らしていたい、なんてそんなこと無理だとも知っているから少し笑えた。高校までは将来にいろんな夢があったなと思い出す。大人っていう人種は、行けるところも増えて出来ることも増えて、なによりお酒が飲めて煙草が吸えて、R18作品が読めて観れて、そりゃさぞかし毎日が楽しいんだろうと思っていた。自分の好きな仕事をして、毎日が楽しくて、きっとキラキラした日々なんだろうと思っていた。でも実際はそうじゃないことを最近知った。というより感じ始めた。大人に近づくにつれ責任が増えた。子供の頃より許されないことが増えた。しなくてはならないことが増えた。子供の頃のほうがよっぽど自由だった。

 就活の始まる今、僕は多くの選択肢を目の前に右往左往している。選択肢が増えるということは、選ぶ覚悟が必要になるということだった。大人に近づくにつれ、たくさんの選択を強いられた。何が正しいのかも分からないのに、いつだって正解を求められる。この社会のことなんて何ひとつ知らないのに、どの社会にいくかを選ばされる。何がしたいのだと、好きなことはなんだと、そんなの分からないにそればかり聞かれる。僕は未来の自分の想像がなにひとつ出来ていなかった。僕の横をスーツを着た男性が通りすぎる。上司だろうか、取引先だろうか、誰かと携帯で話していた。すぐに向かいますと言ったそのサラリーマンは、この仕事は好きで就いた仕事なのだろうか。僕もいつかは顔も見えない相手に謝りながら、この寒空の下を歩くようになるのだろうか。

 もうすぐ営業所に着くというあたりで、僕は嫌な予感がしてきていた。目の前に見える営業所、しかし何かがおかしかった。空はもうすっかり暗く、今歩く道にも近くの建物から放たれる光が冷たい道路に落ちていた。そう、この時間なら建物からは光が放たれるべきなのだ。だが目標とする建物からはその気配がない。僕の立つ位置が悪いのか。いや、まさか。


「まじかよ」


 営業所は休みだった。日曜なのに。日曜だからこそ営業しろよ。なんで日曜に休むんだよ。腹立たしさでいっぱいだった。わざわざ寒い中出てきたのにも関わらず、10分も歩いたのに、こんなのあんまりだ。腹立たしさと悲しさと、行き場を無くした段ボールを持ってコンビニに向かった。クレームの連絡でも入れてやろうかとも思ったが馬鹿馬鹿しくなってやめた。姉に頼まれたビールを何本かカゴに入れレジへ向かった。自分も何か買おうと思ったが、気を惹かれるものが何もなかった。完全に姉のお使い状態だった。やりきれない気持ちが募る。レジにて煙草をひと箱注文して外に出た。さっきより一段と寒くなっている気がした。買ったばかりの煙草を開けて、1本口にくわえた。寒空の下で煙草を吸うのはけっこう好きだった。煙草を吸うと体温を持っていかれるというが本当だった。手先からどんどんと冷たくなっていく。もうすっかり暗くなった空に煙を混ぜた。とりあえずさっきまでの腹立たしさは収まった。

 手荷物が増えたことに不便を感じながら家に向かった。僕の家は住宅街にあったため、駅から歩いてくると徐々に街頭がなくなり、人とすれ違うのも少なくなる。こんな静かな道が僕は好きだった。たまに余計なことを考える時間となってしまうが、それでも落ち着いて空を見上げながら帰れることは、とても貴重だった。


「クエッ」


 後ろで何かが鳴いた。あまり聞かない音だった。しかし最近では多種多様な動物をペットとして飼えるようになってきている。SNSではペンギンやらカワウソやら、タヌキなんかがペットとして紹介されているのをよくみる。つまりこんな住宅街であの鳴き声が聞こえたとしても、今のご時世なんの不思議もないのかもしれない。僕はペットを飼ったことが無かった。幼い頃は両親に犬が飼いたい、猫が飼いたいと駄々をこねたこともあったが、ペットとの別れを嫌った両親がその申し出を受け入れることはなかった。今でもペットが欲しいと思うことはある。あの四本足動物がお尻をぷりぷりさせながら家の中を歩いているのだと想像すると、ただの癒しでしかなかった。しかしうちにはもう厄介極まりないのが一人いる。姉の世話で僕は手一杯なのだ。先ほどの声がもう一度聞こえた。散歩でもさせているのだろうか。なんだか可愛らしく思えた。少しくらい触らせてもらえるだろうか。そんな気持ちも持ちながら振り返る。


「クエ」


 野良だった。凛々しくたたずんでいるアヒルが、そこにいた。


「え、ちょっと待って。お前なに。え、なんで?」


 混乱する僕をよそ眼にアヒルが近づいてくる。待て待てと声に出したが伝わるわけがなかった。手に持っていたビニール袋に興味を示したアヒルは、くちばしで中を漁ろうとした。慌てて腕をあげ袋を守った。少し後ずさる。


「え、なんでこんなとこにいんの。どこの子?」

「いやいや、来ないでいいから。おうち帰んなよ」

「脱走したの?どこ行くの?」

「…これ警察かな」


 はたからみたらただの独り言だし、アヒルに話しかけているおかしな奴だっただろう。しかし犬やら猫にもそうだとは思うが、なんだか言葉が分かっているんじゃないかと思って話しかけてしまうのは、あれはどうしてなんだろうか。全く返事は返ってこないのに、どうしてか話しかけてしまうんだよな。アヒルはただ見ている分にはずいぶん可愛らしかった。短い尻尾をふりふりさせながらあたりを歩き回っている。僕はどうしたらいいか分からず、アヒルが草花に気を取られているうちにその場を離れた。ちょっと不安もあったが、あんなのどうすればいいというのか。警察?保健所?でももしかしたら近くの家の飼いアヒルだったかもしれない。それならいつか飼い主が見つけるだろう。そんな悠長なことを考えて、少しだけ生まれた罪悪感を消した。

 周りを一軒家に囲まれて、ちょっと雰囲気違いのアパートが肩身狭そうに建っている。階段を上がって一番奥、205号室の呼び鈴を鳴らす。部屋の中からはいはーいと呑気な声が聞こえドアが開いた。


「おかえり!」

「ただいまー」

「あれ、送らなかったの?」

「もう閉まってた」

「あら、残念だったね」


 玄関にダンボー箱を置いて明日出してくるよと姉に伝えた。靴を脱いで部屋へ入る。ひとまずは買ってきたものを冷蔵庫へ入れるためキッチンへ向かおうとしたが、姉がドアを開けたまま付いてきていなかった。


「この子は?食べるの?」


 姉の質問に耳を疑う。僕は居酒屋でキッチン担当のバイトをしていた。おかげでいくつかの料理は覚えたし、魚だって捌けるようになった。しかしながらアヒルを使った料理なんて知らないし、ましてやちゃっかり僕の後を付いてきてちゃっかり家にも上がり込んでくるような、そんな図々しいアヒルを捌くなんて、そんなこと僕にはできないよ姉ちゃん。

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