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探すべき明日

 フック船長は見た。妖精を撃ち抜いた時、浜辺では少年が一人立ち尽くしていた。


「――――――あ」


 手首を取り上げ装着する。かなり電力を使ったためか、反応が少し鈍かった。


「――――――――――――あ、あ」


 長剣を抜く。……元凶は堕とした。だが―――


「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 だが、駆逐するものは残っている。

 少年が爆ぜた。砲弾じみた速さで海の上を飛行し、クレイドに肉薄する。右手には短剣。掬い上げるような一撃は真っ直ぐに顎を貫こうとし。


「―――速いだけだな」


 豪快な蹴りに、容易く吹き飛ばされた。


「が、あああああああああああああ!?」


 被弾した左肩に痛みが走ったのか、少年がのたうち回る。とどめの突きは―――かわされた。

 跳ね起きたピーター・パンは目を血走らせ、口角泡を吹きながらクレイドを睨み付けた。


「……よくも」


 神速の斬撃。長剣では合わせられず、船長は無数の傷を負いながらかろうじて飛び退った。

 その形相は永遠の少年などとは言い難く、


「よくもよくもよくもよくも……ッ!」

「――――――は」


 向けられた憎悪は、男を白けさせるのに充分だった。


「一つ、教えてやることがある」


 思わず、言葉が突いて出た。不審げな少年を尻目に、ぼやくように告げる。


「この島に来るフックは、俺が最後だ」

「――――――え?」


 呆気にとられた声。知ったことか。これだけは、伝えるべきだろう。


「……俺に子供はいない。なら、俺が死んだなら後を継いでネバーランドに来る船長は生まれない。お前が死んだなら、俺はこんな島には二度と近づかない。―――そら、やはりフックは俺が最後だ。だから―――」


 クレイドが踏み込む。義手には長剣。渾身の力で振りおろす。受け止められた。


「―――いい加減、けりをつけよう」

「な、にが―――!?」

「分からないか?」


 狼狽から来る震えが、鍔競り合う剣越しにも感じられた。弾き飛ばす。横薙ぎの一閃は飛び上がってかわされた。足首を掴んで床に叩き落とす。


「ご……!」


 こんな時だけ、彼が見せる表情は怯えた幼い子供のものだった。

 しかし船長は、相手の年齢で手加減を考える海賊ではない。


「妖精は消えた。フック船長もいずれ去る。……脇役は全て消えたというのに、主役だけが舞台で足掻いてどうする」


 ぜい、と喘ぎながら立ち上がったピーター・パンを見て、クレイドはああ、と自分の心に納得した。


 ―――気に食わない。目の前の子供の存在が、言いようもなく気に食わない。


 叩きつけるような斬撃。長剣と、それを受けた短剣が同時にへし折れた。船長は即座に剣を投げ捨て拳を握る。

 ぎり、と歯軋りが聞こえる。

 顔面に拳を叩き込む。鼻が折れたのか、少年の顔が真っ赤になった。


 ―――だからなんだというのか。こいつが傷つこうが、過去は何一つ変わらない。


 構わず拳を打ち込む。


「お前は、親から子供を奪った。子供から親を奪った。ありえた未来のことごとくを奪った! 百年以上も続けてきた!

 ―――我が子を待ちつづけて老い死んだ母親を知っているか? 息子を捜し続ける道で倒れた父親は?

泣き疲れて体を弱めて死んだ兄弟は? ……お前は、残された者の事を、一度でも顧みたか……ッ!?」


 拳を防ごうとした腕を、クレイドは逆に掴んだ。常人離れした義手の握力はそれを一息で握り潰す。

 少年が苦悶を上げたが、それだけでは終わらせない。潰れた腕を掴んだまま降り回す。手近な縁や甲板、大砲に頭から叩きつけ、最後に、帆柱へ投げ飛ばした。

 飛ぶ力さえ残っていなかったのか、ぐしゃりと音を立て帆柱に激突し、ピーター・パンは力なく甲板へ落下した。


「――――――」


 大きく息をつき、男は空を見上げた。彼らの宿敵は呆気なく、



「……なんでだよ」



 呆気なくその命を諦めるほど、往生際が良くなかったらしい。

 船長が振り向くと、帆柱の足元に少年が倒れていた。

 顔面は鮮血で真っ赤に染まり、原形を留めていない。肩に受けた銃弾が元で左腕は動かず、右腕は完全にねじれ曲がっている。……あれでは、もはや二度とまともには動かせまい。


「……いいじゃないか、別に」


 折れた歯からひゅうと息を吸い、ピーター・パンはのろりと虚ろな視線を船長に向けた。


「みんな、大人が大嫌いなんだ。大人なんかになりたくないんだ。……だってそうだろう? あいつら、平気で嘘をつくんだ。平気で約束を破るんだ。ぼくらの気持ちなんて、わかってくれようともしないんだ。ぼくらの気持ちなんて知らないのに、かってに未来を決めるんだ。そんな奴らに、どうして味方をしなきゃいけないんだ。……大人になりたくないからみんなここにいるんだ。逃げてるって言われてもいい。逃げたっていいじゃないか。みんなここに逃げてきて、その夢をかなえたんだ。幸せになったんだ

 手足を投げ出したまま、誰に向けてでもなく少年が呟く。フック船長はそれに、


「それは、お前が語るべき言葉じゃない」


 容赦なく、少年を否定してみせた。


「逃避を肯んぜられるのは、最後には立ち向かった者だけだ。お前に―――最後まで逃げ続けたお前に、それを語る価値はない」


 冷然と歩み寄る。銃を片手に、満身創痍の海賊は少年の傍らに立った。


「……確か、妖精の粉で飛行する秘訣は『幸福だった事を思い浮かべろ』だったか」


 次弾を装填しながらクレイドが言った。


「その話を親父に聞いたときから、おかしいと思っていた。……幸福は、思い返すものではなく、目指すものだろう? 懐かしい幸福感に浸ったところで、今、幸せであるわけがない。

 ―――結局。お前の力は、過去しか見えていなかった」


 銃口を向ける。少年はぼんやりとそれを見つめ返した。


「―――失せろピーター・パン。……子供の未来に、お前は要らない」



   ◆



 ……いったい、何が起きているのか。


 ジョン・ダーリングは信じられない思いでその光景を見つめていた。


「う、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 幼い子供たちの口から、絶叫が迸っている。その様子は尋常ではなく、突発的に発狂したと言われても信じてしまいそうだ。


 ジョンたちはピーター・パンが戦いから帰ってきたときのために、祭りの用意をして待っていた。

 あとはピーターと、連れ攫われたウェンディの到着を待つだけだったというのに。

 突然、今まで届かなかった銃声が聞こえ、その直後に、彼ら、ロストチルドレンの異変が始まったのだ。


「ぎ、ああああああ、があああああああああああああああ!?」


 少年達の体に、皹が入った。否。あれはその肌にいきなり皺が生まれたのだ。


 一度異変が目に映ると、あとはあっという間だった。

 蔦を生やすように彼らの肌に皺が出てくる。手足は枯れ木のように痩せ細り、髪は灰を被ったように白くなっていく。一人が咳き込むと、痰と共に白い歯が飛び出てきた。


 それだけでは止まらない。終わらない。


 今まで歳をとらなかったつけを払うかのように、ロストチルドレンは急激に老いていく。

 ぐしゃりと、重みを支えきれなかったのか、少年達の脚が折れていく。つこうとした手も呆気なく潰れた。悲鳴を上げる力すらないのか、彼らは無言で喘いだ。目を極限に見開いたまま、少年はぎょろりと視線をジョンに向けた。


「……た、たす……け……」


 助けてくれ、と言いたかったのか。

全てを言いきれずに、ロストボーイズは絶命した。


「……なん、だよ……」


 歯の根が合わない。おぞましさに脚が震える。呑気に眠りこけている弟がこれほど恨めしかった事はない。


「なんなんだよ、これ……!?」


 父さん、母さん、と。

 知らず助けを求める声が洩れた。


 砲声が鳴る。

 まるで、祭りの終わりを告げるように。



   ◆



 怪我人の収容は、わりあいスムーズにやれたらしい。

 投石器にやられた以外、重傷者はほとんどなく、溺れた海賊は皆無だった。

 これほど被害が少なかったのは、早くに決着がついたからだろうと船医は言った。

 誰が負けたかなど、聞くまでもないとでも言うように。



 本船では、クレイドが『何か』を海に投げ捨てているところだった。

 その『何か』は緑色の布切れを纏っているようだったが、ウェンディに確かめる気はしなかった。


「……これで、終わりか?」


 船長に近づいてブレッドが言う。


「―――ああ。これで終わりだ」


 クレイドが答えた。眼帯は既に巻きなおし、隻眼で物憂げに島を眺めている。

 靄がかったネバーランドは、崩れ落ちてしまいそうなほど存在感が希薄だった。


「だがまだやることがある。島の中を捜索して、生存者を捜し出して、それから―――」

「それから、どうしろっていうの」


 遮った声は、乾ききっていた。


 筋違いの恨み言。誰が正しいかと言われれば、十人中十人が海賊と答えるだろう。

 それでも、止まらない。

 あのときの光景に、二度と戻りたくないと心が嘆いている。


「帰ったところで何があるの。父さんは仕事で周に二度しか帰ってこないし、母さんはパーティーやら友達付き合いやらで私達を見向きもしない。……大人なんてみんなそう。私達をいいように使うために建前を並べ立てて、本心なんてどこにもないんだわ。

……そんなところに帰って、私に何をしようというの?」


 それを、フック船長は黙って聞いていた。そしておもむろに口を開き。



「―――阿呆。餓鬼が一人前に世の中を悟った気になるな」



 容赦なく、彼女の言葉を切って捨てた。


「……七つの海を股にかけた。財宝なんて腐るほどある。海の果てで腕や眼を手に入れた。他の誰よりも世界を見てきたと断言できる。……そんな俺でも、人間がどういうものなのか測れていないんだ。

 ―――それを、お前は安い諦観や達観で決め付けるのか?」


 外套が翻る。

 見上げた海と空は、まるで境が見分けられなかった。



「―――空を見ろ。海を渡れ。……お前のいる世の中は、これほどまでに広いんだ」


 砲声が聞こえる。

 それは、消えうせる者たちへの弔砲のようだった。

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