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少年は踊る

 きっかけは、些細なことだった。


 あれはいつかの誕生日。なんでもない約束を破られた。

 ただそれだけなのに、私はそれを裏切りと感じた。


 ……立場が逆なら、私だって同じようにしただろうけど、それでも、許せなかった。

 きっと、その日が特別なものだったからだろう。

 なじる私に、父と母はなだめるように言う。


 ―――大人になりなさい。



 泣き疲れた目を閉じる。

 こんな不実を認めるなら、大人なんて、この世から消えてしまえばいい。



   ◆



「なんだありゃあ……?」

「あの野郎、本当に飛んでやがる……!」


 海賊たちが信じられない面持ちで空を仰いだ。そこでは、一人に少年が得意げな様子で浮遊している。

 羽もなければ縄で吊られているわけでもない。少年は、何の力も借りず、徒手空拳で空にあった。


「前会った時より若返ったね、船長? 毎日エステにでも通っているのかな?」


 皮肉げに少年が言う。対し、隻眼の海賊は冷然と嗤ってみせた。


「……なに。お前ばかりが年を取らないというのも癪だからな。―――お前はどうだ? 相変わらず林檎をもぐのにもそうやって飛ばなければならないほど背が足りないか? は、大したちび助だ」


 ぴくり、と少年の眉が不快げに震えた。


「……よく言う。そのちびに今の今まで負け続けてきたのはどこの誰だっけ?」

「それもそうか。……子供の癖に上手い事言うじゃないか! ああそうだとも。今まで俺たちは負け通しだ! だから―――いい加減、けりをつけよう」


 船長の表情から笑みが消える。腰から拳銃を引き抜き、隻眼を爛と輝かせ、男は高らかに言った。


「俺の名はクレイド・フック! 父の名はガウエン、祖父はダニエル、そしてお前が腕を切り落とした初代はジェームス・フックだ! ピーター・パン。大人を拒む者。子供をかどわかす悪魔よ。フックの血か、お前の首、今度の戦でどちらかが消えるだろう!」

「――――――ははっ!」


 少年は答えず、にやりと笑みを返した。


「総員、戦闘配備っ!」


 誰かが叫ぶ。同時に、船長と少年が動いた。

 海賊たちでひしめく船内を男が風のように走り抜ける。その先にある帆柱に足をかけると、


「――――――っ」


 ……ウェンディは目を疑った。右手が拳銃で塞がっているというのに、男は帆桁までの十メートルを、たった一回左手で綱を掴むだけで垂直に駆け上ったのだ。


 クレイドは帆桁に仁王立ちになると、今まさに下降しようとした少年の眉間に拳銃を構えた。

 容赦ない発砲。しかし外れる。驚嘆すべきはピーター・パンの反射能力だろう。彼はクレイドが銃を構えた瞬間、自ら飛行をやめ墜落することで弾丸を回避したのだ。


「ブレッド!」


 銃身を折り、次弾を装填しながらクレイドが叫ぶ。


「ダーリング君を船内に入れろ! 奴の狙いは彼女だ」

「おう!」

「え―――ちょ、ちょっと……」


 船医が駆け寄り、強引にウェンディを船内に連れ込もうとする。それを見た少年は甲板に降り立ち、手に持つ短剣を船医の背中に擲とうと振りかぶり、


「させると思うか、小僧?」


 背後に飛び降り、体を脳天から両断しようとした長剣をとっさに受け止めた。



   ◆



 手を出すな。


 曲刀を片手に参戦しようとした海賊たちに、クレイドは一喝した。

 背後で船室の扉が閉まる音を聞きながら船長は言う。


「やはりな。お前があの島からわざわざ離れたがるはずがない。……あの少女を取り戻しに来たか」


 羽も持たないしウェンディが空で撃墜された理由は一つ。彼女が妖精の粉を身に纏って飛行していたからだ。そしてその粉は少女が海に落ちたことで洗い落とされてしまった。

 ウェンディに飛行はできず、ならば誰かが救出に来る以外にない―――クレイドはそこまで読んだ上で彼女を甲板に出していた。


「ご名答……ッ。やっぱりあんたは話が早くて助かるや」


 じりじりと鍔競り合う。体格が大柄な分、船長の方が僅かに優勢だった。


「……化け物が新たな贄を欲しがるか。……以前から不思議に思っていた。ピーター・パン。お前は何故次々と子供たちをあの島に連れ込む?」


 ぎり、と男の剣が軋みをあげる。クレイドはこの時、はじめて目の前の少年に敵意を剥き出しにしていた。


「群がり増える大人の習性はお前の最も嫌うところだろう。永遠の子供だのと嘯きながら、お前は遊びと称してままごとまでしているそうじゃないか。それは大人を志向して子供が行う背伸びだ。その上、成長を嫌っておきながら、そうやって剣を取り、俺と斬り合いに興じている。そもそも子供は流血すら嫌うというのにだ。―――何を企んでいる」

「別に何も。僕はただ、その日その日が楽しければいいの―――さ!」


 唐突に少年が力を抜く。思わず男はたたらを踏み、その隙に、



「やっぱりのろまだね、おっさん」



 限りなく神速に近い短剣の猛攻に晒された。

 風を裂く短剣。重さはないものの、疾風のごとき剣捌きは常人の眼では捉え得ない。


「――――――ッ!」


 防御に徹する。もとより速さで敵わない事は予測済みだ。数あるフェイントにはあえて目を瞑り、急所狙いの斬撃を防ぐ事のみに全神経を傾ける。

 そして、僅かに攻勢が緩んだ瞬間を狙い、起死回生とばかりに上段から長剣を振り下ろしたが、間一髪で後退してかわされた。


「……大した剣士だ」


 無数の浅手を受け、しかし全身から発する気迫はそのままにクレイドは吐き捨てた。

 事実、ピーター・パンは他に類を見ない短剣の使い手だった。男が隻眼であることを見通した上で死角に陣取り、苛烈な攻撃を見舞ってくる。なるほどこれなら歴代フックが彼に敗れてきた事も納得がいく。


「おっさんもね。でも見掛け倒しかなあ。今までより若作りの癖に剣が遅いよ?」

「ああ。確かに誤算だったよ。お前がこれほどの腕だったとはな。……これでは、加減などしていられない」


 む、と少年の顔が不快げにゆがむ。


「……なに、それ。おっさんさ、はったりも大概にしないと―――」

「はったりではないさ」


 にやりと笑い、男は右目の眼帯に手をかけた。


―――ィィィィィィィィィィィィ……


 どこからか、甲高い音が聴こえる。それは男の中からうまれているようだ。

 眼帯をどかすと、その下には



 禍々しく紅く明滅する、機械仕掛けの義眼があった。



「―――覚悟しろ。最大出力だ」

「――――――ッ!?」


 刹那、男が爆ぜた。足元の甲板を炸裂させ、ピーター・パンに肉薄する。剣を持つ右腕は、その剣速を以前の倍に増していた。

 首を刎ね飛ばす残撃。相手が子供であるというのに、欠片も容赦を見せない。

 しかしそれさえも空を斬る。最速を以って臨んだ不意打ちですら仕留めきれなかった。

 大きく空に飛び上がり間合いを取る少年に、しかし海賊はうろたえた様子もなく、おもむろに剣を床に突き立て、拳銃を引き抜いた。


 ―――右目が活きるのはまさにこの瞬間。この義眼は標的を確実に射止めるための照準を教えてくれる。


 銃声。すんでのところでピーター・パンは身を捩ってかわした。銃身を折る。中折れ式の拳銃から空薬莢を取り出し、流れるように次弾を装填。そして照準、発砲。これもかわされた。


 船の傾斜。波の強弱。風向き風速。温度湿度。気圧からなる僅かな屈折。果ては月やこの星の重力。自転公転から生まれる遠心力まで。義眼はありとあらゆる環境要素を観測し、数値として弾き出す。

 ……たかが拳銃と侮るなかれ。今の男ならば、五十メートル先のコインですら撃ち抜いて見せるだろう。


 飛行加速する空の少年に、銃撃を浴びせる。それもかわされるが、少年の動きは観測蓄積され、次の行動を予測する要素となる。


 ……あと四発程度か。

 それだけ撃てば完全に少年の回避パターンを解析し、読みきった上で撃ち落せる、とクレイドは確信した。


 一発。遥かに精度を増した銃弾は、空中で急制動をかけた少年の鼻先を掠めた。

 二発。燕じみた急上昇。しかし最初から男は銃口を僅かに上向かせている。動きを予測されたピーター・パンは自ら肩を撃たれる形となった。


「ぐ……ッ」


 苦悶を漏らした少年はしかし、未だに戦意を絶やしていない。

 三発目を装填しようと銃身を折った時、突如、少年が男に向かって猛烈な突進をかけた。


「ち―――」


 舌打ちを洩らす。どうやらあちらが先に勝負をかけにきたらしい。

 迫る凶刃。横薙ぎに狙うのは首かこめかみか……どちらにしても致命傷に違いない。

 三発目を撃ち込むか―――不可能だ。装填、照準、発砲。かかる時間は最速で三秒。この動作の内に敵は容易く喉を切り裂いてくると右目が告げている。

 なら避けるか―――それも難しい。身軽さはどう足掻いてもあちらが上だ。飛び退こうが転げ回ろうが余裕でついてくる。

 何をしても無傷では済まない―――そう判断したクレイドは銃を手放し、真っ向から迫る敵に相対し、



 ぎん、と。

 右腕に短剣を喰い込ませ、壮絶な笑みを浮かべた。



「義手か―――!?」


 ありえない異音と手応えに少年は顔色を変える。しかしもう遅い。

 クレイドは短剣を突き立てたままの右腕を、無防備なピーター・パンの顔面に叩き込んだ。


「ぶ……ッ」


 なまじ飛べるのが悪かったのか。

 少年の体は軽々と宙を舞い、船の縁にぶつかってようやく止まった。

 朦朧としながらも少年は立ち上がり、拳を握り締めて海賊と相対し―――今度こそ、その顔を凍りつかせた。


 男が右の義手に手を添える。

 かちり、と音を立てて右手の手首から先が落ちた。

 そして、残った隻腕で、



 義手の中に埋め込まれた、巨大な銃口が向けられている―――

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