彼女の名は
―――宿命という言葉がある。
運命、フェイトなどとも呼ばれるそれは、人の身は抗うことはできないのだともいう。
私は、それを信じない。
◆
どこからか、砲声が沸いた。
ある船の一室で、男は日誌を綴っていた手を止めた。
敵襲か……?
わずかに警戒しながら外に意識を向ける。しかし轟音は一度きりのまま、船橋は困惑したようにどよめいていた。少なくとも、戦闘が行われている気配はない。
眉をひそめる男だったが、そこに、
「お頭! 緊急事態です! お頭ァ!」
これ以上はないほどの騒々しさで船室の扉がノックされた。
「うるさいな。今が何時だと思っている、スミス。今は不寝番しか起きていないはずだろう。あと一つ。お頭ではなく団長と呼べ」
椅子から立ち上がり、がちゃりとドアを開けると、目の前には頭頂の禿げかけた中年男が息を切らせて立っていた。
「団長、緊急事態です」
「それはもう聞いた。報告を優先するその姿勢は誉められたものだが、主語が抜けきっている。―――何が起きた」
「それが、その……」
中年男――スミスは逡巡して言葉に詰まった。
「スミス。簡潔に応えろ。何が起きた」
「へえ。……空から子供が降ってきました!」
簡潔すぎるのも困りものだ。
男の不機嫌そうな気配を察したのか、スミスは慌てて付け足した。
「あ、いや、ただ降ってきたわけじゃなくて、飛んでた不審物をうちの砲手が撃ち落としたら子供だったというか」
さっきの砲声はそれか。
ひとり納得した男を、スミスは訝しげに伺っている。
「わかった。もういい」
「は?」
「島に近づいたということだろう。針路は正しかった。―――その降ってきた子供はどうした?」
「はっ! 海に撃墜したところを拾って、現在心肺蘇生中です」
「会おう」
「は。…………えええっ!?」
短く言って男は船室を出た。慌ててついてくるスミスを見向きもしない。
船橋に出ると船員たちが大勢群がっているのが見えた。その表情は興味半分心配半分といったところか。
「おお……!」
「やったか……!?」
ひときわ高い歓声が沸き、処置を行っていた船医が顔を上げた。ほっとした顔をしているところからして一命は取りとめたようだ。
担架、と指示して船医が腰を上げると、脇からどうにか助かったらしい子供が、力なく横たわっているのが見えた。
ひだのついた寝具のような長丈のワンピース。ほっそりとした輪郭に長い髪。
まさか。
「――――――」
無言で近づく。小さく咳き込む少女の前で膝をつく。少女は仰向けに倒れたまま、不思議そうな顔で男を見つめ返した。
「安心していい。危害は加えない。―――君の名前はなんと言う?」
少女は最初、何を言われたか分からなかったようだ。戸惑った様子で考え込み、ようやくかすかに唇を震わせた。
「……ェ……ン」
聞こえない。男は身を乗り出し、彼女の顔に耳を近づけた。
「……ウェンディ……ダーリング」