Ⅲ仕事の準備
最近私の周りでなろうに挑戦している人が多くてびっくりしてます。みんな実力者揃いで、ランキングとか載ってうらやましいなあ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってくるのー」
朝食を食べ終えて、身支度を調えて、俺たちは扉の前に立っていた。空は相変わらずの曇り空。仕事途中で降り出さなければいいのだが、こればかりは天の気まぐれに任せるしかない。俺はいつもの橙のケープではなく、仕事用の空のケープを羽織っていた。ミルも最近下ろしたばかりの真新しいケープ姿だ。
空のケープは特殊な繊維で織り込まれており、実際の空色と同化する。なので、今は鈍い灰色だった。
「早く帰ってきてね」
ラティは食事中の幸せに満ちあふれた顔から一変、しょんぼりと眉尻を下げて戸口から顔を出す。ラティも空師の職に就ければ良かったのだが、この職において片目が見えないというのは命取りになりかねない。
「おう、夕飯も旨いの期待しているぞ」
俺はそういうと、ラティの白髪を撫でてやる。ラティは気持ちよさそうに右目を閉じた。八年前に後遺症で彼女の髪は黒くなることを忘れてしまったらしい。本人曰く、髪質も酷いと嘆いていたのだが、最近はきちんとした手入れをしているらしく、なめらかでとても良い手触りだった。
「任せて」
ラティは嬉しそうに右手を羊のブローチに当てた。
「ミルも楽しみなの」
ミルはそう言いながらラティのそばに歩み寄り、両手を握り合う。そして、「なかよし、なかよし」と声を揃えて言い合う。なんでも、二人で揉めたときに仲直りをする呪文らしい。
それから、俺とミルは手を振って家を出た。背後を何度か見やると、ラティは俺たちの姿が見えなくなるまで、手を振り続けていた。その光景はなんだか幸せで、なんとなく背中がむずむずとした。
俺たちの住む一軒家は村の外れにある。
周囲にも似たような家が建ち並んでいるが、ほとんどが空き屋だ。なぜなら、住人のほとんど樹冠影の闇から逃げ遅れ、喰われているからだった。この辺りはそれほど樹冠影に近い場所にある。普通の日は影に呑まれていないが、樹食の日ともなれば、真っ先にガルムが湧いてくる。けれども、八年という歳月は人類側にも知識と経験を身につけ、対抗措置を取れるように進化していた。
樹食の日を事前に知れるようになったのだ。長年のウルズ研究により、その前兆を読み取れるようになったのである。これにより、大規模な避難が可能になった。おかげで、犠牲者は全盛期の半分まで減少している。すばらしい人類の進歩とも言えたが、俺たち空師にかかる重圧は更に増えるばかりである。
しばらく歩くと、村の中央が見えてきた。この辺りでは一番栄えているエリアだ。大人が三人で広がって歩けば埋まってしまうような狭い道だが、人通りは多く、路肩には植物を編んだ屋根があるだけの簡易店舗で、商売をする屋台がごちゃごちゃと軒を連ねている。物資は日々減り続けているものの、人々は知恵を凝らしていろいろなものを商品として売っていた。
俺は仕事場に近づくにつれて、ミルが緊張で顔を強ばらせていくのに気がついた。きっと、俺のためにと張り切っているのだろう。俺はミルをリラックスさせるために、屋台でキビを買った。これは竹によく似た植物で、噛むと甘い汁が口いっぱいに広がる。子ども舌のミルが大喜びする代物だった。
「ほらよ」
屋台の親父に銅貨を渡して、受け取ったキビをそのままミルに渡すと、緊張でこわばっていたほっぺが、嬉しそうにむにむにと緩んだ。そして、まるで栗鼠のようにカジカジと太い茎に歯を立てる。
「甘いの」
「そりゃ、キビだからな。ちょっとは元気でたか」
そう聞いてみると、ミルは黙って首を縦に何度も振った。全く、現金なやつめ。
「兄ちゃん。今日は登るの?」
しゃくしゃくと、はしたなく音を立てながら、キビを噛みしめるミルが訊ねてくる。
「大丈夫。ちょっと高い木があっても、兄ちゃんが登るから心配するな」
「でも、それじゃいつまで経っても、兄ちゃんの役に立てないの」
「少しずつ、ゆっくり覚えていけば良いさ。別に急ぐ理由もないだろ。じっくり見て学んで、技術を磨いたほうが、本物になるし、俺も助かるよ」
「本当?」
「ああ、本当さ」
「わかったの」
それからほどなくして、一際目を引く建物が見えてきた。石造りの建物が多い中、それは贅沢にも総木造りで、外観は天に向かって渦を巻くように螺旋状の細工が施されている。それは、まるでウルズに対抗するかのように高くそびえていた。
スカイトリーズン。
空の反逆者の異名をもつ建物は、俺たちが所属する空師同盟の総本部である。人類主権奪還を誓った初代空師長によって建造されたものだ。何者にも屈しない荘厳な造りに見えるが、実は、短時間で簡単に解体できるように作られている。理由は樹冠影拡大に伴う戦略的撤退というお粗末なものだが……。
俺は洒落た回転扉の入り口に立つ門番に軽く会釈をして、中に入った。空のケープを纏っていれば、咎められることはない。
一階はフローリングが敷き詰められており、ちょっとしたホールになっている。円形上の建物の縁を囲むように、カウンターが設けられて、様々な人が列を成していた。そのほとんどが筋骨隆々の厳つい男ばかりで、少々むさ苦しい。とりわけ女性はごく少数であり、ミルのように若い娘は尚のこと珍しい。
ジロジロと舐め回すような視線を感じる。男の俺ですら、露骨だと感じるくらいだ。ミルもさぞかし、いやな思いをしているだろうと思いきや、暢気にキビの繊維をちゅーちゅーすすっていた。
あきれた奴だなと思いながらも、俺はミルの手を離さないようにしながら、人混みをかき分けて、カウンターへと向かった。目的のカウンターにはこれまた熱烈な男性の視線を浴びる妙齢の金髪女性が座っていた。俺たちと同じ空のケープを纏っているが、胸元に留めているブローチは事務員を示す羽根ペンの意匠が象られている。
幸いにも馴染みの事務員の顧客は既に出払ってしまった後らしい。
女性は俺の姿を見留めるなり、書き物をしていた手を止めて、馴れ馴れしく右手を挙げた。
「やあやあ、ローレンくん。こんな天気悪いのに仕事かい?」
「こんにちは、ピオーネさん。まあ、天気が悪いからこそですよ。稼ぎ時じゃないですか」
「へえ、ここ一年でずいぶんと知恵を付けたもんだね。いやいや、お姉さん感心だよ」
ピオーネさんはうんうんと頷くと視線を下げて、ミルの方を見やる。ミルは突然視線を向けられてびっくりしたのか、手にもっていたキビを取り落としてしまった。慌てて拾い上げて、再び口に運ぼうとするので、俺はさっとキビを取り上げてしまう。
「卑しいぞ。ミル」
「だって、食べ物は大事にって兄ちゃんいつも言ってるの」
「だからって、落ちたもんは……」
俺はピオーネさんの視線が再びこちらに向いていることに気づき、ごほんと咳払いをした。すると、ピオーネさんは机に肘をついて、掌にあごを乗せながら楽しげに微笑んだ。
「あはは、君が噂のミルちゃんか。君のお兄ちゃんね。いつも君ともう一人のラティちゃんだっけ。その二人の話ばっかりしてくるんだよね」
「そうなの?」
「そうだよ。お姉さん嫉妬しちゃうくらいだもん」
「嫉妬……」
ミルの目が嬉しそうにきらーんと光る。これは面倒なことになりそうだと、一瞬で察した俺は話題を肝心の本題へと移す。
「そんなわけで、預かっていたものを渡してください」
「相変わらず、ローレンくんは律儀だね。他の連中は格好付けて、暗黒の~だとか、青嵐の~だなんて長ったらしい名前で呼ぶのに」
「あんな気障ったらしいこと俺にはできないですよ」
ピオーネさんは「真面目だねえ」と言いながら椅子から立ち上がると、一度奥へ引っ込んで、一抱えもある細長い棒のようなものを運んできた。それは巨大な皮袋に包まれており、長さは俺の背丈の半分ほどもある。
「いやー、重いね。こんなのよく振り回せるねえ」
「日頃の鍛錬の成果ですよ」
俺は両手でしっかりと受け取ると、持ち運びができるように付けられた革紐を肩にかけて、しっかりと背負った。
「えっと、ミルちゃんのは……まだないんだっけ?」
「ミルのは次の休みにでも、材料を採りに行こうと考えています」
「おお、デートっぽくていいね」
「何を言っているんですか。デートじゃないですよ」
俺が両手を振って否定をすると、隣で会話の推移を見守っていたミルが、「むがァー」と言いながら、俺の足を蹴飛ばしてくる。
「痛ってぇ。何するんだよ」
「デートだもん。それ、デートっていうの」
「ラティも一緒に行くんだぞ」
「ふぇ?」
ミルは予想外だと言わんばかりに小首をかしげると、何かを考えるかのように腕組み、それから、さも仕方ないといった感じで言葉を続ける。
「ダブルデートで……いいもん」
「いや、まあデートじゃ……」
と言いかけて、ピオーネさんが会話に割って入ってくる。
「まあ、いいじゃないの。デートで。両手に花でデート。羨ましいなあ。うちも旦那いなければ、トリプルデートのモーションかけられたのになあ」
「えっと、結婚してたんですか?」
「まあね……ああ、もしかして。うちのことねらってた?」
ピオーネさんが意地悪そうな目つきで、ずいと顔をこちらに寄せてくる。俺は慌てて、首を左右に振ると、「あはは……もう行かなきゃですから、これで」と言って、カウンターを離れた。全く、この人にはいつも敵わない。
そんなピオーネさんは「なんだ、つまらんなァ」とつぶやきながら、けけけと笑っていた。