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07

 あの日から、俺の前に彼女は姿を現していない。あの時もほぼいつも通りに玄関で別れた。いつも通りじゃなかったのは、彼女が「じゃあねー」ではなく、「さよなら」と静かに言ったこと。本当に幻だったみたいに消えてしまった。

 彼女が天国に帰ったのか、もう俺とは話さないと決めただけなのか、それは分からない。ただ俺はもうあいつと話せない、その事実だけは確かな気がする。

 一人で登校していると、仲間と話しながら歩く周りの人間達が目につくようになった。みんな横の人と、あるいは人たちと、仲良さそうに笑顔で登校している。中には手を繋いでいる者もいる。恋人同士だろうか。

 そこで、はっと気づいた。彼女が俺の正面に立っていた理由。

 今まで気にしていなかったが、あの少女を視界に入れることが出来たのが俺だけだったとしたら、横に立つ少女と話す俺は周りからさぞ不気味に、それこそ精神を病んだ人に見えただろう。だが俺の正面に立てば、マフラーで口元を隠している俺が一人で歩いているようにしか見えない。彼女なりの気遣いだったのかも知れない。

 今日も俺のリュックには、文庫本が入っている。最近映画化したとかなんとか、そんなことが帯に書いてあった。これがあれば、また孤独な日々を乗り切ることが出来る。

 少女がいなくなったことで、目の前の空間が久しぶりに開けている。俺はずっと無言でひたすら足を前に動かした。これまでより随分と早い調子で歩いていることにも気づかなかった。


 教室に到着し、文庫本を開こうとしたところで気づく。今日は暗記の小テストが有るんだった。仕方なく文庫本を机の上に置き、単語帳を取り出す。

 まだ遅刻までは時間があり、お世辞にも真面目とは言いがたいうちのクラスメイトたちはまだほとんど来ていない。うるさくない、今がチャンスなのだ。騒がしくなったら最後、ここは奴らのフィールドとなる。今ここにいる数人の静かなクラスメイト共々、成績を蹴散らされる運命。残酷な世界だ、学校というのは。

 さて、と単語帳を1ページめくったところで、教室のドアががらりと音を立てて開いた。騒がしいグループの中でも若干浮いているような、無理してその集団に入っているような雰囲気を醸し出している・・・えーと、・・・女子Aだ。

「あ」

 何かに反応して声を上げた。なんとなく嫌な予感がして顔を上げると、女子Aはバッチリ俺のほうを見ていた。正確に言うなら、俺の机、もっと正確に言うと、俺の机に置いてある文庫本を見ている。

 何事か、と思ってついジロジロ彼女を見てしまった。そんな自分に気づいて、少し耳が熱くなるのを感じながら単語帳に視線を戻す。

 大した意味のないことでも、見たり見られたりというのは緊張するのだ。自意識過剰、わかっている。許してくれ。

 ため息をつきながら必死にに単語帳に視線を集中させていると、Aが遠慮がちに声をかけてきた。こんな奴によく話しかける気になったな。

「あ・・・あの・・・その本、好きなの?」

「い、いや・・・えと、今日から読むとこ・・・」

「そっか・・・。じゃあ終わったら貸してくれない?映画超イイカンジだったから気になってるんだよねー」

 俺の気持ち悪い返事にも明るく返してくれる、いい人だ。なんていい人なんだ。下手したら好きになりそう。

 ・・・それはともかく、この人は俺じゃなくてこの文庫本に興味があるらしい。まあ読み終わったあとでいいというなら、特に断る理由はない。

 俺はこの女子A個人を嫌っているわけではない。頭悪そうな奴らが集まった時の、あの特有の雰囲気が大嫌いなのだ。個人の付き合いなら、むしろ嫌われて断絶されるのは気分が悪い。

「あ、ああ・・・いいよ」

 なんとか声を絞り出す。もしかしたらこの人は読書が好きだけど教室の空気に合わせてそれを言っていない、そういうタイプなのかも知れない―――と、そんな希望を抱きながら。

「ありがとー、じゃあ終わったら言ってねー」

 声を・・・かけろと・・・。ハードルが高い、高すぎる。さすが、多少の無理はしてでもあの集団についていくだけのコミュ力の持ち主だ。俺とは格が違う。

 だけど、さっきは会話できた。あれを会話と言っていいかわからないけど、無言で机にこの本を置くくらいなら俺にも。まあ、頑張って「はいこれ」の四文字くらいは発音してみてもいいかな。いや、しかしその発音が上手く出来るか不安だ。「うわ、あいつ声出せるんだ」みたいな感じで教室がざわざわしそうで嫌だ。これも自意識過剰なのは分かっているが、やはり不安は不安だ。

 とりあえず、読み終わってから考えればいいや。


 ―――この本、ゆっくり読もう。

ありがとうございました。

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