始まりの地は定食屋
「はい、お待たせしました!! 『ソースひたひたコロッケとしっぽ爆発エビフライ定食』です!!」
「お、きたきた! 仕事柄、色んなところの飯を食ってきたけど、やっぱユリーシャちゃんところのこの定食が一番だね!!」
「ホント!? ありがとね!!」
ウォーターミラー。
ラグナイト大陸の南に位置するこの街は、首都シャイリンから馬車を使って二日の距離にある。
首都の喧騒から離れたところにあるウォーターミラーは、街中を縦横に貫く水路と、そこを流れる綺麗な水で有名な街だ。
これといった特産品はないが農業が盛んで、澄んだ水によって育てられた野菜などは首都シャイリンでもいい値段で市場に並べられている。
人口は多くないが、そのことが街にのどかな空気を生じさせ、リラックスできる街としても有名になっている。
ラグナイト大陸上陸者の中には、首都シャイリンではなくこのウォーターミラー目当ての旅人も一定数存在するほどだ。
さて。
そんなウォーターミラーの街に、一軒の定食屋が存在する。
『ミラーパレス』という名前のその定食屋は、17歳の少年と14歳の少女が切り盛りしている。
とは言っても、厨房を取り仕切っているのは少女の方であり、少年はその他の業務全般を任されている形だ。
閉店間際の店内には、17歳の少年アーヴァイン・スプリングフィールドと、彼の妹で14歳のユリーシャ、そして若干汚れの染みついた作業着の男性客が一人。
「あ、でもお代はちゃんといただくからね?」
「さっすがユリーシャちゃん、おだてにも乗らねぇか。でも安心してくれ、こんな美味い飯をタダで食ったら罪悪感で死んじまうよ」
「じゃあ、ますますちゃんとお代は頂戴しないと。ダンバおじさんに死なれちゃったら、ウチの貴重なお得意さんが一人減っちゃうからね。あ、お兄ちゃん、いつもみたいにお皿洗うのとしまうの、お願いね」
「うーっす」
調理台の後片付けを妹に頼まれたアーヴァインが、スポンジ片手にガチャガチャと食器を洗い始めた。
そんなアーヴァインの様子をチラリと見たダンバが、エビフライのシッポを皿の端に置いて口を開いた。
「ん、そういえばアーヴァイン。お前さん、シャイリンの騎士隊に入隊したいって前から言ってたよな?」
「そうですね」
ダンバの質問に、アーヴァインは皿を洗う手を休めずに短くそう答えた。
そんなアーヴァインのことを、こちらも手を休めずにチラリとうかがうユリーシャ。
「確かアーヴァインは、今年で18歳になるよな? あそこの騎士隊は18から入れるはずだが、入隊は考えてるのか?」
「ええ。いつまでもユリーシャの料理の腕にばっかり頼るわけにはいかないですからね。首都でキッチリ稼ぎますよ」
「でもそうなると、アーヴァインはこの街を離れて首都暮らしになるわけか。寂しくなるなぁ。な、ユリーシャちゃん?」
何気なく発せられたダンパの一言。
しかし、ダンパの問いかけにユリーシャは何も答えず、どこか視点の定まらない目つきで片づけにのめり込んでいた。
「……ユリーシャちゃん?」
「……え? ああ、うん。あ、でもそこまで寂しくはないかな、うん。お兄ちゃんがいなくてもこのお店はやっていけそうだしね」
ダンパの言葉に、やや間をあけてユリーシャが答える。
「ダンパさん、今の聞きました? ユリーシャのやつ遠まわしに、俺なんていてもいなくても大して変わらないみたいに言いましたよ」
「なによー、本当のことでしょー? お客さんにお出ししてる料理、ほとんど私が作ってるのに」
「その料理を作るために必要な食材の買い物は、俺が毎朝行ってるんだけどな」
「それくらい私にもできるし!」
「絶対嘘だな。朝に弱くて、いまだに兄貴に起こしてもらってる妹はどこの誰だっけ?」
「むー!!」
「まぁまぁ二人とも、落ち着いて」
厨房で作業をしているアーヴァインとユリーシャが軽い言い争いを始め、それをテーブルに座って食事をしているダンパが制するという、ちょっと奇妙な現象が出来上がった。
だが、この光景は彼らにとっては何度も繰り返されてきた、当たり前の日常なのだ。
(こうしてると、まるで俺が親で、この二人が子供みたいだな)
ダンパはそんなことを思いながら、箸で『ソースひたひたコロッケ』の一部を切り取り、口に運ぶ。
これまでの40年余りの人生を独身で過ごしてきた彼にとって、アーヴァインとユリーシャはわが子同然の存在になっていた。
そんな二人のうち、兄であるアーヴァインは18歳になる今年、ウォーターミラーの街を出て首都シャイリンで騎士になると公言していた。
アーヴァインに直接理由を聞いたことはないが、ダンパにはある程度の理由の察しがついていた。
その理由とは恐らく、収入と自立。
ダンパはグルリと店内を見渡した。
木でできたミラーパレスは、最近ところどころ雨漏りが発生するようになっている。
以前は、そういったことが起こるとすぐさまアーヴァインが工具を取り出し、保全作業を行っていた。
ダンパもその作業を手伝ったことが何度かあり、その度に二人に感謝されていることは、彼のささやかな幸せであった。
ところが最近は、そういった修理なども行われなくなり、放置されてしまっているのだ。
(お店の経営があんまり芳しくないんだろうな……)
ウォーターミラーの街はそこまで大きくない。
片田舎という言葉がピッタリのこの街では、いくら観光客が一定数存在するとはいえ、売り上げ的には厳しいものになってしまう。
ダンパのような固定客を獲得することで何とかしのいではいるが、それにはやはり限界がある。
また、一定数の観光客が訪れるこの街において、宿泊施設を持っていないというのは、それだけで宿屋に負けてしまうという側面もある。
その現状を打開するためにアーヴァインが考えているのが、首都シャイリンでの騎士隊への入隊である。
騎士隊へ入隊すれば、それなりの給料が望める。
最初の数年は慣れない生活と厳しい訓練で大変ではあるが、ある程度騎士生活にも慣れ、もし王城の警備担当にでもなれれば、さらなる報酬が期待できるのだ。
それこそ、今の定食屋での稼ぎなど比にはならない。
(アーヴァインの中には、少しでもユリーシャちゃんを楽にさせてやりたいって気持ちがあるんだろう。もっとも、そのユリーシャちゃんが兄の入隊には否定的な訳だが……)
ユリーシャはいわゆるお兄ちゃんっ子であった。
ミラーパレスの厨房を取り仕切っているのは妹のユリーシャではあるが、彼女の精神的支柱が兄アーヴァインであることは、誰の目にも明らかだった。
もっとも、それは無理のないことだ。
二人の両親は彼らが幼少の時に行方不明になっており、失踪状態が続いている。
二人に何があったのかは定かではないが、街から離れればモンスターが闊歩しているファルアースで、行方不明はほぼ死を意味する。
失踪当初はアーヴァインもユリーシャもショックでふさぎ込んでしまっていたが、今ではそのショックを表に出すことなく暮らしている。
だが、ユリーシャは年下ということもあるのか、アーヴァインにベッタリである。
アーヴァインが騎士隊に入りたいと言い出した時も、かなり複雑な表情を見せていたのを、ダンパはしっかりと覚えている。
(こりゃ、アーヴァインがこの街を離れる時は一悶着ありそうだな。ユリーシャちゃんも首都に行くとか言い出すかもな……)
そうなったらどうするか、なんてことを考えながら、ダンパは残っていた『しっぽ爆発エビフライ』を口の中へと放り込んだ。
と、その時だった。
ゴン!! という、何かがぶつかる音がミラーパレスの入り口のドアから響いてきたのだ。
その場にいた三人が、即座に鋭い視線を入り口のドアへと向ける。
「今の音……ノックじゃあ、なさそうだな」
「そうっすね……もしかして、最近街を騒がせてる魔感石泥棒っすかね?」
「でも、ここ定食屋さんだよ? それに、泥棒ならわざわざ明かりの灯ってる建物選ばないよ普通」
「まぁな。とりあえず、確認してくるか。ユリーシャ、銃借りるぞ」
アーヴァインは濡れた手を素早くタオルで拭くと、厨房にある棚の一番下の段に隠してあった銃を取り出す。
回転弾倉式の6発拳銃『ジャッジメントアーム』は、普段はユリーシャが護身用に使っている拳銃である。
「ダンパさん、扉を開けて下さい。俺がすかさず状況を確認します」
「ああ、分かった」
「ユリーシャは厨房に隠れてろ。万が一俺とダンパさんに何か起こったら、すぐに裏口から外に出て助けを求めるんだ」
「う、うん。でも、万が一なんて起こらないように気を付けてね」
「ああ」
ユリーシャの頭がサッと引っ込み、全身が隠れたことを確認したアーヴァインが、銃口をドアへと向ける。
すぐには開かない。
アーヴァインとダンパは息を潜めると、まるで目線でドアに穴を開けようとしているかのように、鋭くドアを見つめる。
ドアの向こうからは、先ほどの衝突音以外は何も聞こえてきていない。
「……」
アーヴァインは息を止め、全神経をドアの向こうへと集中させてから、小さく頷いた。
それを合図に、ダンパがドアの取っ手に手をかけ、勢いよく開け放った。
「ッ!!」
ドアが勢いよく開き、夜のほどよく冷やされた外気を肌に感じながら、アーヴァインはグッと一歩前に前進した。
彼の視界に飛び込んできたもの、それは夜のとばりの下りたウォーターミラーの街並み……ただそれだけであった。
彼が予想していた、武器を構えた屈強な男たちの姿も無ければ、可憐な女盗賊の姿もなく、街に偶然迷い込んだモンスターの姿もない。
そもそも、人通りがなかった。
「上か……?」
もしかすると襲撃者は、屋根の上に登って上から仕掛けてくるかもしれない。
そう考えたアーヴァインは、屋根の様子が見やすいようにドアから外へ出ようとして、初めて異変に気付いた。
上ではなく下、つまり地面に、一人の人間が倒れているではないか。
あまりに足元過ぎて気付かなかったが、確かに人が倒れている。
しかも、仰向けに倒れているその人物は女性、さらに言えば子供のように見える。
「コイツっすかね……? ドアとぶつかって派手な音を響かせたのは」
「そうとしか考えられねぇが……それにしても、顔つきが幼いな。ユリーシャちゃんと同じくらいの年ごろじゃねぇか?」
「そうかもね。でも、この街にこんな子いたかなぁ……」
いつの間にか隠れていた厨房から抜け出してきたユリーシャも、倒れている少女の顔を覗きこんでいた。
「おい、まだ隠れてろって」
「大丈夫だって。もし襲撃者がいるなら、この子に気を取られてたお兄ちゃんとダンパおじさんをとっくに襲ってるよ」
「まぁ、それはそうかもしれないけどな……」
「それよりお兄ちゃん、この子に見覚えは?」
「……ないな。そもそも、この街にこんな格好の人間がいるか?」
倒れている少女の服装は、地方という土地柄もあってか比較的おとなしめな服が流行りのウォーターミラーにおいては、見慣れないものであった。
赤を基調としたマントを身につけ、やや丈の短いスカートからはすらっとした足が伸びている。
両手首には透き通った石でできたブレスレットを身につけ、首にはブレスレットに使われている石を一回り大きくしたようなものがあしらわれたペンダントがかかっている。
「こりゃ……魔感石だな」
「魔感石っていうと、つい最近この街の近くで見つかるようになった、特殊な鉱石のことでしょ?」
「ああ。確か、魔法使いの人が魔法を使うために必要な石……なんすよね? ダンパさん」
「その通りだ二人とも。それこそ、1000年前の災厄期にはファルアース全土に魔法使いがいたって話だが、今じゃ魔法都市ヴァレリアにでも行かないとなかなかお目にかかれない存在だ」
「それじゃ、この子は魔法使いってこと? でも、ヴァレリアって行ったことないけど、地図だとかなり遠い国だよね?」
「ちょうど、この街のあるラグナイト大陸の反対側にあるシェージェ大陸にある。船を使って数週間から一か月ってとこだな。おまけに、一年の大半が雪に覆われてる」
「……ん?」
ユリーシャとダンパの会話を聞きながら、倒れている少女の様子を観察していたアーヴァインは、少女のはいているブーツに奇妙なものが付いているのを見つけた。
マントと同じような明るい赤色のブーツの靴底に付着している、白い物体。
それは、このラグナイト大陸ではまず目にすることは出来ないもの。
そして、今のユリーシャたちの会話にも出てきていたもの。
アーヴァインは銃を右手に持つと、左手をゆっくりとその白い物体に触れさせた。
冷たかった。
「……雪だ」
「え、お兄ちゃん、今なんて?」
「だから、雪だよ。この子の靴には、雪が付いてる」
「雪って……そんな、ありえないよ」
この辺りは、冬でも雪が降ることは稀な地域である。
ましてや今の時期は、夜や早朝こそ肌寒くはなるものの、雪なんて降らないし、外に置いておいた水も凍らない。
靴に雪が付くなど、ありえない。
絶対にありえないことではあるが、ユリーシャの視界にも、少女のブーツに付いている雪がハッキリと映りこんでいた。
「そんな……」
「いったい、この子は何者なんだ……?」
To be continued.




