紙飛行機
「洋一、なに折ってるの?」
夕ごはんの支度をする少年の母は、いつもはうるさい子どもが黙々と作業をしていることが、不思議に思った。
「紙飛行機だよ」
出来上がった、オレンジ色の紙飛行機を誇らしげに母に見せた。
そしてまた、いつも通り走りまわり、母に叱られた。
「毎日作って、よく飽きないね」
小学校から帰ってきて、机の引き出しに入れた折り紙を数枚出しては紙飛行機や、鶴、カエル…。様々な形を折ってはそれで遊び、時にはその大量の折り紙を持って遊びに出ていってしまう。
なにがそんなに楽しいのか、不思議なくらい折り紙に凝っていた。
「ちょっと外で飛ばしてくる」
かかとが潰れたままの靴をいそいそと履き、颯爽と玄関を飛び出していった。
まだ勉強してないよ、なんて言う間も与えず出ていってしまうので、宿題はまた帰ってきてからだ。
机の上に忘れた鶴がひとつ、寂しそうに残されている。
季節は夏。
洋一は今年、小学一年生になった。
家の近くにある学校で、幼稚園から一緒の子が多く、小学校に上がっても友達が出来るかなどの心配はなかったはずだった。
しかし、小学校に上がってから、担任の先生から何度か電話が来ていた。
内容は、洋一とクラスの子がケンカした。その子は幼稚園のときから仲の良い子だったはずだが、ここ数ヶ月で、何度もそんな電話が来るようになっていたのだ。
担任の先生は、いつも決まって、「お互い理由は話さないですが、仲直りしましたよ」と話してきた。そして続いていうのは、家でまた、お話してみて下さいという決まり文句だった。
正直、最初はろくでもないことでケンカしたのだろうと思い、話すつもりなど全然なかった。しかし、二回目、三回目ともなると、さすがにおかしいな、と思い話してみた。
「なんでケンカしたの?」
タイミングが悪かったのか、折り紙でカエルを作るときに話し掛けてしまって、あっけなく無視された。折り紙で何かを作っているときは、折り紙の話しかしたくないらしい。
それでも、話し続けた。
「よく、電話がかかってくるの。ケンカしてるの?仲良くしなくちゃ、ダメよ」
カエルの足を、丁寧に曲げ、最後の仕上げに取りかかっていた。几帳面というのか、折り紙だけは何よりも真剣だ。
そして、緑色のカエルが出来上がった。
「できた!」
嬉しそうな声を上げ、机の上でしばらく観察し、静かに眠りにおちていた。あれだけ真剣に折っていたら、確かに疲れるだろう。
今日も担任の先生からの電話の話を出来ずに、また台所へ戻った。
洋一の苦手な野菜の具を大きく切ったシチュー。今日は、絶対に完食させなければ。
夏は、気持ちが悪いくらいに暑い。
しばらくすると、小学校は夏休みが始まった。
同時に、蝉が鳴き始めた。
近所の子供らは、日中から元気に外を走り回っている。洗濯物を干していると、そんな光景が見えた。
手提げカバンを持っている子は、きっと学校に行くのだろう。
水泳帽を取り出し、頭にかぶって、はしゃいでいるのは、隣の子供。プールは、きっと楽しいだろう。
洋一も、プールに行かせられたら。
洗濯物を干し終え、冷房の効いた部屋に入ると、朝から教育テレビをみてはしゃいでいた洋一は、静かに、眠っていた。
元々、体力がある子ではないが、こんなにすぐに眠ってしまうようでは、ダメだ。初めての通知表の体育は散々だった。
窓の外は、明る過ぎて、目が焼けてしまいそう。昼になるに連れて、外は白く姿を隠す。
テーブルをよくみると、色とりどりの鶴が折られていた。
最近は、紙飛行機やカエルを折らず、鶴ばかりを折るようになっていた。
そろそろ折り紙を買わなければ、いけない。
洋一が起きたら、買い物に行こう。
秋になると突然、洋一が折り紙を折るのをやめた。
ある日、泣きながら帰ってきて、折り紙を折るのをやめる。と言いだした。
買いだめしていた折り紙は、急に無駄になってしまった。
それから、洋一はいつも悲しい顔をするようになった。
嫌いな野菜入りのシチューでさえ、文句一ついわず、食べた。
学校から帰ってきた瞬間に遊びに行くという洋一を不思議に思い、後をついてみた。
友達と喧嘩をしてしまったのかも、もしかしたら、虐められているかも、そんな思いが頭に浮かんでしまった。いや、まさかそんなことは……と言い聞かせながら街を歩いた。
洋一が足を止めたのは、交差点の近くの電柱。
そこに座り、じっと地面を見つめていた。
しばらくは、なにをしているのか、全く分からなかった。
洋一は、地面を見つめたあと、車道を走る車を何台も何台も睨み付け、そしてまた地面を見つめた。
思い出した。
一年前に、この場所で起きたことを。
ここで、友達が死んだのだ。
酔った運転手に轢かれ、6歳という幼さで死んでしまったのだ。
洋一は、その話を聞いた時、泣きわめき、そして言った。
「なんで、ひいたの」
折り紙を折り始めたのは、それからだ。
きっと、折り紙もその子の為だったのかもしれない。
しかし、なぜ急に折るのをやめるなど言いだしたのだろうか。
知りたいことは、たくさんあるが、洋一が着く前に着かなければと、急いで家に向かった。
「おかえり、なにやってたの?」
玄関のドアを重そうに開けた洋一は、やはりいつもの通り質問に答えてくれない。
いつも通り、元気はない。
はしゃぎ回る様子もなく、やはり折り紙も折らず、いつもみないようなニュースを、ただただ静かにみていた。
ご飯も、今日はあまり食べなかった。
お風呂に入ったあと、すぐに寝てしまった。
いったい、どうすればいいのだろう。
私は、この子に何をしたらいいのだろう。
テレビの中のニュースは、悲しいニュースを伝えている。
その日、夢を見た。
真っ暗で冷たい部屋に1人で、何かに怯えている夢を見た。
人の温もりさえ感じられない、しかし現実味のある奇妙な夢。
汗ばんで飛び起きた時、そこには誰もいなかった。
洋一がいない。
ここは家じゃない。
二人で暮らした、家はどこ!
洋一はどこ!
今もまだ、洋一の元気は取り戻せていない。折り紙も、どこに。
「なにが、あったの?どうして!」
目がようやくなれてきた頃、私は知らない場所にいた。
急に現れた警察官の肩を掴んで揺し、このわけの分からない状況にパニック状態になっていた。
警察官は、ため息をつき、隣の警察官に小さな声で言った。
「連れてく。カウンセラー呼んどいてくれ」
警察官は顔を覗き込み、またため息を吐いた。
「あんたな、いい加減めェ覚ませ」
その顔は、呆れたような顔で、いやな夢を思い出す。
頭が痛い。
「分かってるだろ、あんたが子ども殺したのは変えられん過去や」
私が、私が………私が、洋一を殺した……?
洋一は、生きてる、洋一は……私が…
「うぁああああああああああ!!痛い!痛い!痛い!出ていって!ああううう……触らないで!」
私は殺してない、あれは夢の話で、本当はすごく幸せに暮らしているもの!!
「詳しくは、まあ…落ち着け。」
そうして、警官は話し出す。
ぼんやりとした記憶が、頭をよぎる。
蒸し暑い夏の日、長い休みで洋一もずっと、家にいた。
確か、紙飛行機を作って……。
窓から飛ばして、遊んでた。その紙飛行機は外に落ちて。
そこからの絵だけ、歪んで見えた。
私は車に乗って…、車なんかないのに…。
大きな衝撃音と、洋一の顔。
なんで、洋一は泣いていたの。
お母さんが、悪いの。
洋一、なんで動かないの。
知ってたの?
お母さんが、轢いたの?
頭が痛くなる。記憶は残酷なものだ。
洋一を、返して。あの子は、いい子。私の言うとおり、育っている。
あの日からも、元気に学校に行っている。紙飛行機は折らなくなったけれど。何も言わなくなった、それだけ。
「生きていたら、なあ。そろそろ、二年生か」
警察官は、去っていった。
この夢は、すごく辛い。痛い。
また、小さな窓のない部屋で、知らない人と話をする。
洋一が、死んだなどと言い、私から洋一を引き離している。ただただ、この夢がおわって、楽しい洋一との現実の生活に戻ることを待っている。
家に戻るとランドセルを投げて、急いでいうのだ。
「お母さん、プレゼント」
紙で作った赤い花を握りながら。