09
書に曰く――
魔法を使用するのに、魔力があることが大前提である。魔力がなければ、魔法を使用することはできない。魔力を行使できるようになって初めて人はネクストランクに昇華し云々かんぬん。この先は魔法使い至上主義者の自己陶酔で埋まっていたので無視するが。
つまり、魔法を使うには、ありがちに魔力なるエネルギーが必要になる。
が、ここで矛盾が出てくる。
これまた書に曰くなのだが。魔力とは、万物が持つものであるらしい。人はもとより、それこそその辺の木や人の意思、果ては世界にまで魔力が宿っているという。
そもそも魔力とは何か。
魔力は二つの要素によって成り立っている。特定の対象にどれだけ影響力を強められるか、という干渉力。そして、あらゆる対象に対しどれだけ認識を広げられ、また深められるかという識力。この二つを総じて魔力という。
思うことはある。その二つはどう考えても、選び、深めるという、対象を選んだ後の話だ。意思が先行しているように思えるのだが、実際はその意思にすら魔力が宿っているという。となると、魔力二大要素はヒロの理解した、『何に』『どれだけ』影響を与えるかというものとは別物になるのだが。
まあそれはいい。今重要なのは魔法のなんたるかではない。
とにかく魔法使いの素質とは、その二つのバランスによって決定する。片方だけ大きくても、良い魔法使いにはなれない。片方だけに偏っていると、かなり極端な魔法使いになるようだ。そして、大抵は純粋な魔法使いではなく、そもそも魔法使いとも呼べぬような者らしい。
ちなみに、識力と干渉力のバランスが大きく崩れていると、まれに魔法力行使者という者が出てくる。強い方の属だけが外に影響し、身体能力の著しい上昇などが起こる。一見凄いことのように見えるが、これは危険な状態のようだ。放置しておくと結合崩壊を起こし、命に関わるという。骨が脆いのに筋力は高いような状態か、とヒロは思ったが。魔力に対する解釈を考えると、正解は期待できそうにない。
だいたい影響を確認できるのは干渉力の方なのだそうだ。これは、干渉力多寡の場合は自分の体にのみ強い影響が出てくるからだ。識力多寡の場合、何にどう影響が出ているのか、範囲が広い割に微弱で気づかない事が多い――死亡率が高い。治療は無理でも押さえることは難しくないので、早期発見が鍵になる。
まあつまり、魔法を使おうとするなら、まず識力と干渉力の両方を感覚的に掴む必要がある訳だが。
ヒロは、この段階で躓いていた。
「全く分からんなあ」
ひっそりとぼやく。本に書いてある感覚を掴む訓練をして数日、全く成果が出てこなかった。
そこは街中にある、ちょっとした広場なのだが。ただでさえへんぴな場所にある上に、隅の方に工業資材だったものが置いてあるだけの、本当にただの広い空き地というだけであり。昼間なのも手伝ってか、周囲には誰もいなかった。
「書いてある通りにやってるんだが……」
置いてあったバッグから、図書館で借りた本を取り出す。中には魔法入門書が何冊か置いてあった。
「ぷぷぷ、まだできないんだ」
同じく広場の隅で浮きながら(たぶん魔法が使えることを見せつけているつもりなのだろう)、屋台売りしていた揚げパンを食べているアイリス。周囲には他にもいろんな食べ物が浮いているが、彼女には絶対食べきれない。残ったものを自分の昼食にするつもりでいた。
「そうなんだよなあ。何が悪いんだろう」
アイリスの様子にも(そして挑発にも)特に気にせず答える。
「頭じゃない?」
ぷすーぷすーと笑いながらそんな事を言うアイリス。が、これも無視する。相手をするともっと喜ぶし、さらにうっとうしくなる。
最近遠慮のなくなってきたアイリスに、いいことなんだか悪いことなんだかと思いながら。ぱらぱらと、複数の入門書を流し読みする。
(方法は間違ってないはずだけど……)
干渉力は、自分の体から何かを引っ張る感覚を強めて、もしくは引っ張り出したそれを外に出す感覚で。識力は、触れられない場所に手以外の何かを伸ばし触れる感覚で。それらを強めていき、両方体得すれば、晴れて魔力の操作となる。
(ここで躓くとどうしようもない)
調べた限りでは、どこかの魔法学校に入門するにしても、魔力の覚知と操作までは自力で行う必要がある。
(まあ、そこを教えられるなら、世の中はもっと魔法使いで溢れてるよな。理屈の上では誰でも魔法使いになれるんだ……向いているかどうかは別として)
それが異世界人である自分にまで適応されているかは分からないが。まあ、これは疑ったところで始まらない。
その場合、長い時間と高い金を払って、小石を数センチ動かすのが限界というような人間が大量に出てくることが予想される。高確率で、かなりしゃれにならない社会問題になるだろう。
努力に見合った成果。あると信じている者は少ないだろう。だが実際になく、隣にあった者がいれば、不公平は感じる。そして、矛先の向かう先は指導者だ。
それこそヒロのように、魔法の使用自体が目的でもない場合、不満は止まらない。
「魔法ってさ、使えなきゃいけないの?」
これは宙をふらふら漂っていたアイリスだが。食べ飽きたのか、手に食べ物は持っていない。
ただの質問のようなので、これには普通に答えた。
「使えるようにならなきゃダメだね」
「なんで? わたしがつかえるじゃん」
くっと、かわいらしく首をひねりつつ。
後を追うように、ヒロもあごに手を当てた。
「他の魔法書なんかを見てて分かったんだけど。どうもさ、全部が魔力を使える感覚が『ある』事を前提にしてるんだ。それがない僕には、はっきり言ってさわりも理解できなかった」
どうしても無理な時は、仕方がないとは思うが。なるべく分かっておきたいのは変わらない。
「エンチャントツールとかじゃダメ?」
「持てば魔法を知らなくても使えるのは便利だと思うけど、じゃあ意味があるかって言うとなあ」
目的はあくまで、日本に帰るためのとっかかりだ。
魔法以外に心当たりでもあれば、それでもいいのだが。何もない以上、ここを突き詰めていくしかない。
「聞きたいんだけど、君はどうやって魔法を使えるようになったの?」
「知った瞬間使えた」
「だろうね」
そんなことだろうとは思っていた。というか、魔法に苦労する姿すら想像できない。
「ここで結構苦労する人も多いみたいだし。もう少しやってみるよ」
「わるあがきだとおもうけどなー」
言って、アイリスは空中でぐるぐる回り始めた。
思い切り下着が見えているが、気にした様子はない。彼女はその手のことに、非常に無頓着だった。無頓着すぎて冷めるので、ありがたいかも知れない。
「というかわたしもうあきちゃったんだけど」
「どこでも好きな場所に行ってきていいよ」
「……じゃあいいもん」
頬を膨らませて、膝を抱える。回転は止まらず、むしろ加速した。
元から単独行動をしたがらないアイリスだったが、最近はさらに酷くなっていた。視界に入っていないと落ち着きがなくなるし、相手にしなさすぎても怒る。一人では絶対にどこにもいかない。というか、最低限しか離れようとしない。
(何かあった……というよりは、付き合い慣れて遠慮がなくなったのかな)
つまりヒロは、甘えわがままを言ってもいい相手だと思われているわけだ。いいか悪いかは別にして、そういう風にはなっていく。
彼にしても、魔法面で助けられている。それに、他に気心の知れた相手もいない。面倒くささは増しているが、それでも嫌だとは思わない。
(思ってたより長い付き合いになりそうだ)
呼吸を繰り返し、集中力を増し、そして意識を体の中に閉じ込めながらも。そんなことを思う。
(こんな所に来て、初めて会ったのが引きこもりのあいつで……。こんなに長く一緒にいるとは思わなかった)
思わず、小さな笑いが出てきた。
(しかも、アイリスはまだひっついてくるみたいだし、もっと続きそうだ。運命の妙とでも言うのかね?)
余計な事を考えすぎた。魔力の事は頭の隅にあっただけで、集中は解けている。
と、
(ん?)
「お?」
ヒロが気づくのと、アイリスが言ったのは、全くの同時だった。
かなりぼんやりとはしていたが。体から、今まで感じたことのないものが出てくる。漠然と気がついた。これが魔力だ。
「おおー」
アイリスは、ぺちぺちと気の抜けた拍手をしていた。
「気負いすぎてたのかね?」
「え?」
「無くしたものが忘れた頃に出てくるみたいなもんかな、と思っただけ」
逆さの姿勢で聞いてくるアイリスに、答えて。
ヒロはまず、感覚を確かめた。妙な感覚だが、忘れようもないように思える。なんというか、とても軽くて希薄な体が増えたような、そんな気分だ。
「とりあえず、これで魔法の習得に入れるな」
「あ……そうだよ、もうわたし、ひまじゃないよ!」
あっと声を上げて、アイリスが浮くのをやめた。ぱっと地面に立ち……勢いのまま、食べ物の浮遊も解いてしまっていた。落ちてくる食べ物を、慌てて浮かせ直す。
二人一緒になって、食べ物を安全な場所に置いた後。アイリスは、むんと胸を張った。
「さー、魔法をおしえてあげるんだけど。その前にいうことない?」
「アイリス先生お願いします」
「あやまることもない?」
「役立たずとか言ってごめんなさい。内心、こいつ本当にお荷物だなー。クズでカスでゴミだなー、とか思ってました」
「そこまで告白しなくていいというか、むしろそっちをあやまんなさいよ!」
ぎしゃー、と牙を向き、だんだんと地団駄を踏む。それを適当に宥めて、話を進めさせた。
アイリスはなんとか息を吐きながら、気を取り直すように頭を振った。
「魔法で一番たいせつなのは『現実を理想通りに動かす事』です。じぶんの想定した『未来』と起こしたあとに残った『結果』がイコールになる。こーでないと、魔法とはいえません」
人差し指をたてて、ふりふりと振りながら(それで指導している気分になっているのだろうか)アイリス。
「それが魔法?」
「ううん、ちがうよ」
何というか、思ったよりずいぶんと簡単と言うか、大ざっぱと言うか。とにかくそんな風に思ったが、どうやら違うようだ。
「これは初歩のしょほ。魔法がどんなふうに作用するかおぼえるための……ええと、練習……じゃなくて……ううん……まーとにかくそんなかんじ。感覚だけでやると、それはさっきいってた……ええと……魔力をそうさしてるだけ系?」
何度も首をひねり、言葉を探しながら。結局見つからず怪訝な表情のまま、また疑問にぶつかったりなどしつつ。
「とにかく、それに慣れたら、今度は鋳術って言われてるものを編むの。論理的感覚術? とかなんとかいう名称だったとおもう。これで、魔力が与える作用を、体系化・効率化しつつ、大幅に影響力を増す……だったきがする。たぶん。まあこーりつとかよくわかんないけど、魔力を動かすだけなのと鋳術に魔力を当てはめて発動するのとじゃ、できることがぜんぜんちがうよ」
「なるほど」
すっきりしない部分が多くて、不安を覚えるが。
実際に優れた魔法使いの言うことだ。説明があっているかはともかく、感覚的にはそうなのだろう。それに、入門書の記述とも、そう間違ってはいない。
ヒロは右手を左右に動かしてみた。
見た目には、無意味な行動だが。これは、彼女たちが言った言葉の、今まで理解できなかった部分を確かめるためでもある。
二つ目の体もどき――魔力――が、体に寸分違わず追従する。魔力に触れさせず体を振るのより、ほんの僅かに腕の振りが早い。影響は誤差程度のものだが、感覚的には大違いだった。
(これが魔力な訳だ。分からない筈だよ)
魔力を扱うというのは、それ自体が奇跡の技である。魔力を扱えるだけで、あり得ない現象を起こせる。正しく超越存在だ。そんな風に、書には書かれていた。魔力を手にして思えるのは(超越存在だとかは置いといて)全くその通りだという事だ。
魔力に触れている手、それを知ろうと思うと、血液、骨、筋肉、全ての状態がなんとなく分かる。強めようと思えば、筋肉を由来にしたものではない力が、筋肉へと流れて増幅される。
(つまりこの感覚が分からなければ、魔法使いと魔法の意味を共有できないんだな。僕も、魔力を使えない人間に、これを上手く説明する自信はない)
同時に、なかなか興味深い感覚でもある。だが、体がもう一つ増えたようなものであり、戸惑いもあったが。
「魔力でいろいろしてるね」
「分かるの?」
傍目には、無意味に腕を振っているだけだ。
覚え立ての事をして遊ぶ。予想自体は簡単にできる。だが、彼女はただ魔力を振り回しているだけではないと見抜いた。
「感覚的になんとなく。わたしそういうのするどいの」
「凄いな……」
素直にそう認めた。こと魔法に関することでは、彼女は本当に凄まじい。
「でしょー。でーしょーーー。もっとほめていいのよっ」
満面の笑顔で、手をぱたぱたと振ったりなどしつつ。本気で喜んでいるようだ。
アイリスがこんな顔をしているとき、水を差したくなるのはなぜだろう。と思ったので、差すことにした。
「ああ、本当に魔法だけは凄いよ」
「うんうん……あれ、だけ?」
「早く続き教えて欲しいな」
「え、うん。……ううん?」
おかしいが、どこがおかしいか分からない。そんな様子で腕を組んで唸るが。先を促され、言葉を続けた。
「魔力ってさいしょはじぶんの体の形……というか枠のなかにしかないでしょ? それは、識力と干渉力が、じぶんの内側だけで完結しちゃってるからなの。まずはそれを、別のところのところにうごかすの。たとえば霧みたいにひろげたり、ぎゃくに枠をたもったまま伸ばしたり」
言われるままにやってみる。霧のように広げ周囲一体を覆う。次に、細く長い棘のようにして広場の隅まで届かせたり。
「できたな」
「これがうまいと、識力が高いってこと」
「なるほどね。魔法ってこれが届く範囲で起こすの?」
「ぜんぜん関係ないよ。これはあくまで「魔力は自分の意思によって自由に操作されるためのものである」っていうのを覚えるための事だし。魔力が届かなくても、届かない場所にちょくせつ魔法をおこしたりできるよ。というか、それが鋳術でせいぎょされた魔法なんだもん」
「ああ、そういう関係なのか」
分かってきた……ような、まだ分からないような。たぶん頭で理解するより、魔法を使い慣れて感覚的に掴む方が早いだろうな、などと思う。
「できたら、次は魔力をぐぐっと一点に高めて」
言われたとおりに、魔力を手のひらの上で圧縮する。
アイリスは眉を潜めた。
「なにやってんの。それだと魔力をうごかしてるだけでしょ」
「違うのか……」
改めて、魔力は動かさないまま、一点にのみ力を入れようとする。
こちらは苦労した。どうも、上手く感覚を掴めない。四苦八苦しながら、十数分後、やっと成功した。
「ん。それが干渉力を高めた状態で、しかも力を入れたから、力場てきななにかになってるはず」
「こんなもんでも魔力ってのは変わっちゃうのか」
「そうだよ。これも鋳術が必要な理由のひとつかな。魔力だけでつかうと、どうしても余計なものがまざっちゃう」
それはそれとして、とアイリスが話を切り替えた。
「高めた力場を、こっちになげてみて」
「ん? それって危険なんじゃ……」
「あぶないけど。でもそれくらいなら、わたしにあたってもなんともないし」
まあ、それはそうだろう。複数の魔法を同時に行える彼女と、まだ魔法も覚えてない自分。最初から土台が違う。
手のひらをアイリスに向けて、ふっ! と力を込める。皮膚の下で集中されていた力場は、彼の意思通りに外へと射出、アイリスへ向かった。作られた力場は不思議なもので、空気に、それどころか空間にも触れていないように思える。何者にも干渉されず、自由な力を保っている。描かれた線は曲がる事もなく進み……
「え?」
「…………」
アイリスが、思わず呟いた。ヒロは沈黙するしかなかった。
力場は、彼女に到達する前に、勝手に消えていた。恐らくは、干渉力不足で。
「しょぼっ。干渉力低すぎっ」
彼女の言葉には、悪意も何もない。ただ本音が漏れただけだ。それだけに傷つく。思ってみれば、アイリスの言葉でへこんだのは、これが初めてだ。
「うーん、どーしょっか、これ。あんま魔法はつかえないよ」
「……まあ、現時点で目的を達成してると言えば達成してるし」
それは、誰が聞いても負け惜しみだったが。
ヒロはふと思い出し、言った。アイリスが何か言う前に先制したとも言う。
「そう言えばこれって、識力と干渉力のバランスが崩れてるパターンになるのか? そうなら処置を受けに行かなきゃいけないんだけど」
「それって魔力を使えない人のはなしでしょ? 使えてたらバランスがくずれてても、自分でせいぎょできるじゃない」
「そんなもんか」
言われると納得できる話しだった。
それからしばらく、調べごとを進行しつつ、魔法の練習も続けた。言われたとおりにろくな事はできなかったが、それでも一応、魔法らしい形にはなった。まあ、お世辞にも、魔法使いとは言えない程度だが。
充実した毎日ではあった。少なくとも、アイスを売って金策に悩んだりなどしているよりは。魔法を理解し、文献を読み進め――同時に恐怖とも戦った。もし魔法が帰る手段として有効でなかったら、という迫ってくるものと。
そして、十日ほど経ったある日のこと。
また、厄介ごとが転がり込んできた。