07
街中で隠れるときは、見つからない事より見つかっても違和感のない姿でいる事が重要だ。見つからない事に主眼を置いてしまうと、見つかったときに、目撃者を始末するより他ない。死体をいくつも作りながら隠れるのは非現実的だ。それを、ハンス・リラックは経験上知っていた。
「ヒマっすねぇ」
「ボヤかず大人しくしてろ。いかにもここで話し込んでいるだけを装ってな」
「それ結構難しい注文っすよ」
まだ商売のなんたるかを理解していない部下を叱責する。たまにいるのだ、商売を物売りと金勘定だけだと勘違いした者が。そういった輩に比べれば、今彼の右側で愛想笑いを浮かべてる男は悪くないが、それでもまあ、まだ未熟だ。
「難しくてもやるんだよ。ここで失敗したら、お前は物理的に首が飛ぶぞ」
「ひえーっ」
わざとらしく戯けてみせる。それこそ友人と無駄話しているように。やれと言われればとりあえずやる。そして大抵うまくやる。それも、この部下のマシな部分だった。
「しっかし、かわいそうっすねえ。あの二人」
「かわいそう?」
部下の男――確か名前はアット・ラットと言ったか。名前通りにネズミのような男だ――が、壁際に頭を寄せて、少し離れた通りを見下ろした。つられて、ハンスも見る。そこでは、折りたたみ台を片付けている少年と、それをぼーっと眺めてる少女がいた。
標的の二人だ。ぽっとシートラントに現れたと思ったら、変な氷菓を売り始め、あっという間に財を築いた。儲けた額の詳細は分からないが、すでにこの街で店を構えられるくらい稼いだのは間違いない。僅か20日もたたないうちにだ。
「そうっすよ。知らない街で、身一つ勝負に出たと思ったら、あっという間に全部奪われるんすから」
「それは違うな」
アットの平和な発言を、ハンスはきっぱりと否定した。同時に、間抜けな部下の評価を下方修正する。こいつも――所詮は――世の中の道理が分かっていない男だ。社会で道理を通しつつ稼ぐという事がどんなことか、全く分かっていない。
世の中には、勘違いしている者が多い。これは若造でもそうでなくても。一つの成功で、その先の道が保証されていると思い込んでいる。
愚かな事だ。そう、ハンスは断じた。そして、恥知らずな事だ。
成功などというのは、新たな分岐点でしかない。新しい方向を見つけた。この先があると大騒ぎしてその辺を好きなだけほじくり返せば、勝手に道ができるのか? そんなわけがない!
道は誰かが作っているのだ。道は見つかった時点で整備される。無数の誰かがだ。先駆者はその上を歩いているにすぎない。それを理解していない奴は、我が物顔で道上を歩き、そして全てを奪われる。当然だ。最初の一人である事以外何の取り柄もなく、道を作っている者に対する配慮もできなければ。彼だって、慈善で道を作っている訳ではない。
違いがあるとすれば――若造は成果を奪われて、ただわめく。そうじゃない者は、成果を奪われると、ただ黙ってうつむく。その程度だろう。
「あの若造どもは、やるべき事を、通すべき筋を通していない。一つの成功で他の全てが追随する……そう考えるのは勝手だがな。ギルドは彼らを保護しないし、街も義務以上の事はしないだろう。当然、我々がつきあってやる必要はない」
「はー……そんなもんっすかねえ」
「では聞こう。商人ギルドに加盟せず、当然義務も果たしていない。しかし、盾にはして利益を得る。そんな奴を見て、お前はどう思う」
「気に入らないっすね」
それは当然、とアットは肩をすくめた。
「そうだな。私もそう思う。ではその気に入らない奴が、ありもしない安全を信じてバカッ面でその辺を歩いているんだ。どうする?」
「イワしますねえ。「テメーナメんなこらぁ!」的に」
「間違ってはない」
ハンスは肩をすくめ、あざ笑った。それは身の程知らずな若造二人組に向けたものであったし、アットに向けたものでもあった。
このときばかりは本当に、彼は雑談をしているのと変わらない様子で言う。
「だが我々は商人だ。もっとスマートに事を運ぶ。あのアイスクリームとやらに対するあらゆる権利を買う、とかだな」
「力で無理矢理買いたたく、と」
アットが人が悪そうに笑う。ハンスはそれより深い笑みを作って、笑い返した。
「適正さ。彼自身には価値がない。そして、商品の適正な価値は、我々がこれから生み出すのだよ」
言い終えて、ハンスは軽く手を上げた。その様子で、アットも察する。
若造たちは、片付けを終えたところだ。
二人同時に歩き出した。ごく普通の歩く程度の速度。ただし、道筋は決まっている。イレギュラーがなければ、若造たちの十歩後ろあたりに出てくるはずだ。
予定地点まで出る。標的までの距離は、およそ十五歩分だろうか。少しばかり遠い。が、これから人通りの少ない道を歩くと思えば、十分な距離だとも言えた。歩調を調整しなくていい。
そっと尾行を始めた。
「ハンスさん、ちょっち聞きたい事があるんすけど、いいっすか」
程なくして、アットが仲のいい上司に問いかけるような口調で、そう言い出した。
「なんだねアットくん」
ハンスも同じように返す。つまり、目をかけている部下にそうするように。ただし、会話の内容だけは聞かれぬよう抑えて。
「イッコ気になってたんすよね。今回の件、うちだけ……というかハンスさんだけ、他のとこより動きがの早かったじゃないっすか。なんでなんすか?」
「ああ」
動きが、というのはつまり、アイスクリーム屋の背後を洗うより後から、という事だろう。他よりも、若造に後ろ盾がないと見切るのが早かった。
「簡単だ。私は彼に会ったことがある」
「マジっすか? どこで?」
「傭兵ギルドさ。用事で少しだけ顔を出したのだが、その時偶然見かけてね。ちょうど登録している所だったよ」
「そりゃまあ、お上りさん丸出しだったわけっすね。相手も運が悪い」
「逆に、我々は運がいい。他の商会に、二日先んじられるのだからな」
その分の手間が必要であったら、恐らくは他の商会と競り合う事になっていただろう。つまり、商船の相手をしつつ、片手間にアイスクリーム屋を調べる。その後計画を練り、行動に移す、と。彼らは調査の手間がいらないだけ早かった。
と、歩いている二人に、ごく自然に三人加わった。
ハンスは表情を動かさず、小さな声で問いかける。
「どうだ?」
「問題ありません」
合流した三人の内、一人が硬い目つきで答えた。
その三人は、全員が鋭い目つきをしていた。体つきは太くないが、よく見れば、使い込まれた筋肉の鋭さに気がつく。そして、気配が希薄だった――つまり、街中で上手く動く方法を知っている。
彼らも、同じ商会に所属する者たちだった。ただ、目的が違う。ハンスとアットが通常業務担当だとすれば、彼らは暴力等の裏側担当だ。24時間張り付き、アイスクリーム屋の行動パターンを把握したのも、彼らの成果である。
「くれぐれも気をつけろ。女の方は魔法使いの可能性が高い。調べ上げたお前たちには、今更かもしれんがな」
可能性が高い、とは言ったが、まず間違いないだろう。外見からは想像できない膂力を発揮し、荷物を運ぶ姿が確認されている。たとえどれだけの矮躯であろうと、戦闘経験がなかろうと、魔法使いを侮ってはいけない。指先一つ動かさず、人を殺すことが可能なのだから。
まあ、今回は戦えと言うのではない。事が終わるまでの、ただの監視だ。
「はっ」
忠告にも、生真面目に答えてくる。
「行け」
ハンスは短く命令した。ほとんど同時に、少女も男とは別れて移動する――これも知っている。買い出しをしに行くのだ。
三人の内、二人の姿が消える。一人はその場に残った。ただし、危険な臭いのする顔つきはなくなっている。人が良さそうな、微笑を浮かべたものに変化していた。これで彼は、一般人に見える。ただ、手に持った鞄の中身以外は。
黒く四角い革製の、一見大きめのビジネスバッグに見えるそれ。しかし中に入っているのは、拷問具だった。大抵はそれをちらつかせて脅せば、簡単に折れる。もし危険への感度が低く、また時勢の判断もできないような愚か者であれば、実際に痛い目を見てもらう事もあるが。そして、そういう事は非常に多い。
道を進むにつれて、緊張感が高まる――外には出さないが。これからなさねばならない事を考えれば、仕方ないとも言える。
その空気を壊すように、アットが軽く声を発した。
「ちなみにあの子らって、いつものようにっすかね」
「まあ、そうだろうな」
特に付け加える事もなく、ハンスが答える。
いつものようにとは、まあ、「奪うものを奪って価値はなくなったが、存在自体は不都合だ。どうしたところで誰からも文句の出ない相手を、どう処理するか」という事である。これはわかりやすい。街外逃亡を装って始末する、だ。
男は殺すだろう。少女の方は……殺して捨てるにはもったいない。あの容貌といい、珍しい色合いの瞳や髪といい、売ればどういう扱いだろうと高く売れる。
シートラントは、もといそこを擁するアッド国は、奴隷の存在を公的には認めていない。実質的にそういう扱いはあるのだが。となれば、当然商売も成り立つ。
(少女の方を売る場合は、何も分からなくなるよう、薬で壊すことになるか……? でなければ念入りに調教し、我々の支持者に売るか)
頭の中で数字が飛び交う――商人のさがだ。売れる物がどれくらいで売れるか考えないと気が済まない――ただ見目麗しいだけでは、それほど高くは売れない。何か、他にはない点がないと。
まあ、それを見つけるのも、彼の仕事の内名のだが。
「惜しいっすねえ。オレああいうタイプ好みなんすけど。商品にする前に、内緒でちょいと摘むとか……」
アットは、それ以上軽口を叩くことができなくなった。
今までただの一般人、通行人たらんとしていたハンスの様子が、初めて変わった。怒気をあからさまにし、強く威圧感を放つ。射殺さんばかりの視線が、アットに集中していた。
「商品に手を出すつもりなら、お前はもう従業員ではないし、唾棄すべき盗人だ。我々はそういった奴を絶対に許さない……というのは、お前も見たことがない事はないはずなんだがなあ?」
「……調子に乗りました。すみません」
即座に頭を下げる馬鹿な若手に、ハンスはため息も出せなかった。これだから困る。言っていい冗談か悪い冗談かも、判断できない。
ふん、とハンスは鼻を鳴らして、切り替える。
「つまらん話は終わりだ。行くぞ」
標的が貸倉庫に入ったのを確認する。その後をつけて、彼らも倉庫に入っていった。最後に入ったアットが、扉を閉める。
「やあ、こんにちわ。お邪魔させてもらうよ」
「っひ、ひぃ!」
悲鳴を上げたのは――標的の男ではなかった。かといって、一般人でもない。何度か見たことがある。傭兵ギルドの職員だ。ハンスは眉をひそめた。
倉庫の中にいたのは二人。ギルド職員と標的の男。このうちギルド職員は怯えて後ずさっている。標的の男は、ゆっくり無数に並んだコンテナの一つに道具をしまい込み、その後振り向いた。
アイスクリーム屋の顔は、改めてみると、少年と言っていい程だった。顔立ちがかなり幼い。とはいえ、元の造形がこちらの方ではあまり見ないので、判断は難しい。
少年の顔に恐れはなかった。それどころか、動揺もない。
「予想していたか」
「ある程度は。じゃなければ、このタイミングでギルドの職員を呼んだりしない」
(ほう……)
ハンスは密かに感嘆の声を上げた。悪くない読みだ。無能ではないのだろう。
だが、それだけだ。愚かしく、そして世の中を甘く見ているのには変わらない。
「それで、ギルド職員を呼んで現場を押さえたつもりかな? 職員どの、あなたは我々を批難しますか?」
「っひ! そ、そんなことはしない! わ、我々はギルド所属者に対して公平だ……そして干渉しない! 我々は結果だけを管理する!」
顔を引きつらせながら、職員は言う。その顔を見ながら、ハンスはそれが誰だか気がついた。いつも、彼担当の職員が無能だとののしっていた職員だ。能力の程度は知らないが、こういった場に、無意味に居合わせてしまうくらいは運がないらしい。
「所詮は浅知恵だ。助けは来ない。君の相棒も含めてな。それは私より、君の方がよく知っていると思うが……」
ここで、くくくと小さく笑いを入れた。
完全な優位があると見せることは、相手に大きなプレッシャーを与える。そして、この後与える恐怖にも、影響を与える。
「さて、君には二つの選択肢がある。大人しく、我々の用意した書類にサインをするか。少しばかり痛い目を見てからサインするか。私としては前者をお勧めするよ。なんというか、あれだ。私は悲鳴が好きでなくてね」
す――と、暴力担当が音もなく前に出た。鉄と血の臭いを発散させ、ただ事でない人間である事を印象づける。手に持った黒鞄を少し目立たせ、中から金属質な音を鳴らすことも忘れない。
「八方ふさがりだな」
少年は、相変わらず何も感じていない風を装って、腕を組んだ。
「分かっているならば、こちらにサインを……」
「あんたたちの話だ」
少年が呆れたように言った。
質問を返すか、それとも恫喝し直すべきか。その悩みに、答えを出す時間は与えられなかった。
背後の扉が、重量感ある音を立てて開かれる。そして、ハンスの横を、何かが高速で飛んでいった。飛翔したそれは、正面の壁に激突し、何かをまき散らして止まる。まき散らされたのは血で、飛んだのは拷問役の男だった。
「へ?」
呟いたのは、ハンスではない。アットはその言葉を最後に、地面にたたきつけられた。こちらは血こそ流さないが、その代わりに、体が危険な角度に曲がっている。
(何が起こった!?)
見慣れた部下の、見たことのない様子。それを確認して、彼はやっと現実に引き戻された。
振り向く。そこには、買い出しに行っているはずの少女の姿があった。人二人を叩きのめしておきながら、平然としている。
「お前なあ」
呆れたような、どこか抑揚にかける声。
「ここまで派手にやらなくていいんだよ。気絶だけさせてくれれば」
「えー? でもダメじゃないでしょ?」
「お前がぶっ飛ばしたこいつ、僕に当たりそうだったんだけど。危ないだろうが。お前の頭の中は何だ? 血と剣山でできてるのか?」
「助けにきたのにひどくない!?」
子供じみた言い合いをしている、少年と少女。彼らを漠然と見ながら、ハンスは尻餅をついた。
(失敗した……私の未来が……幹部の座が……)
致命的な失敗だ。確実に、幹部からは引きずり下ろされる。下手をすれば命だって危ない。
少女は仕事を終えたとばかりに、少年の背中に張り付いていた。そしてぶらぶらとしているが、ハンスには全く興味がない様子である。
(いや、まだだ……まだ終わりではない! 今からでもこいつを口車に乗せて、サインさせれば……。それともすぐに戦力を集めて、こいつらを叩きのめさせるか……?)
あとは何食わぬ顔で本部に戻ればいい。アットは元々無能な馬鹿だ。暴力担当の三人だって、結果はこうである。やはりただの無能。
どだい無理があったのだ。いくら自分が有能だと言っても、無能な馬鹿を複数抱えてえ、仕事をこなすなど。そうだ、この失敗は自分のせいではない。人員を任命したものの責任だ。私はその尻ぬぐいをしてやるだけである。だから、私は悪くない……
「ところで、あんた」
ハンスが、びくりと震えた。今までの思考のふりをした妄想が、いっぺんに吹き飛ぶ。
「カヴィッツ商会の幹部だろ?あんたたちの望み通りに『話』をしようか」
抑揚がなく、まるで定められた台本を読んでいるようにすら思える少年だったが。
ハンスには、それが悪魔の手招きにしか見えなかった。