05
街の中を歩いていると、それだけで分かることはいくつかあった。
まず、中心部近くでは早朝でもそれなりに人がいること。アイリスの翼は、魔法一つで見えなくできること。そして、少女は情報源として完全に無能だったこと。幸い、考えた事に気づかれる前に朝食を取ったので、泣かれなかったが。ちなみに、料理を堪能したアイリスは、大変よろしい笑顔だった。
腹を満たしてから向かったのは、当然傭兵ギルドだった。
人が少ないという程ではないが、朝の賑わいには達していない。まだ早いかとも思ったが、傭兵ギルドはすでに盛況だった。
(それもそうか。傭兵本来の用途を考えたら、お役所仕事な受付時間で済むわけがない)
たぶん、食事を取る前から開いている事は開いていたのだろう。もしかしたら、早いほうが混んでなくてよかったかもしれない。
「う……」
人混みを見て、アイリスがうめき声を上げた。
「待ってるか?」
「うん」
少女に問いかけると、力なく頷いた。
アイリスが、人混みそのものが駄目なわけではない、というは分かっていた。それなりに人の多かった食事処では、さしたる反応はなかったのだし。ただ、気の強そうな人間が近くにいると駄目らしい。特に、自分に話しかけてくる奴は。
まあ、傭兵ギルドの登録と説明で、彼女が必要な事もないだろう。もし彼女も登録しなければいけないようなら、後からもう一度来ればいいのだし。
傭兵ギルドに入ろうとしたが、いきなり手を握られた。
「まだ何か?」
ヒロの手を両手で捕まえて、ついでに若干青ざめたりなどしているアイリス。
「わ、わたしどこにいればいいのよぅ」
「どこでも好きな場所にいればいいだろ」
「だって人が出てくるし……」
少女は、ぷっと口を膨らませなどして。握る手を強めた。
「隠れて屋根の上にでもいたら? 視界に入らなきゃ誰も声をかけてこないよ」
「……ほんと?」
「言っておくけど、いもしないしいるとも思ってない人間に話しかける奴の方が怖いぞ」
納得したんだかどうだか。とにかく彼女は小さく首肯すると、路地裏に入っていく。表の通りからは完全に見えない位置まで移動すると、たん、と小さく足踏みをした。見た目は軽く地面を蹴っただけだったが、アイリスはそれだけで屋根の上まで跳躍した。
下からは見えない位置まで移動したかと思うと、ひょこっと頭だけを覗かせてくる。
「ここでまってるからー」
「ああ」
控えめに手を振る少女に、ヒロも同じように返して。彼女の頭が引っ込む前に、ギルドへと向かっていった。
アイリスとは短時間のやりとりだったはずだが、傭兵ギルドはさらに混雑さを増していた。苦労して人混みをかき分けながら(大半の人間は、ヒロより体格が良かった)、窓口を探す。依頼窓口、精算窓口、受付窓口……登録窓口。見つけて、そちらに滑り込む。
登録窓口は、さすがに人は多くなかった。順番待ちもなく、すぐに窓口の前に立つ。
窓口には、男の職員がいた。いかにもやる気のない様子で、肘などついている。ヒロを見つけると露骨に舌打ちをし、さらにため息までついて、体を持ち上げた。左胸で、何かが揺れている。恐らくはネームプレートだろう……
そこで、不意に気がつく。
(まずい、字が読めない……。今まで普通に会話してたから、気がつかなかった)
今更、当たり前すぎる問題にぶつかり、頭を抱える。そう言えば、街に入ってから何度か文字は目にしていた。それを文字と認識できなかっただけで。朝食の時もメニューなどなかったし、お任せと伝えただけだ。
ヒロの動揺に気づかず、あるいは気にせず、職員の男は言う。
「お名前をどーぞ」
はっと気がつき、とっさに答える。
「ヒロです」
「はい」
言うと、職員は手元に書き込みをした。どうやらここで読み書きできる必要はないらしい。あまりほっとはできないが。
「ここに手を置いて」
差し出されたものは、ただのプレートに見えた。
言われたとおりに手を乗せる。と、プレートに線状の光がいくつも走る。すぐにプレートは回収され、職員はまた、何かを掻き込み始めた。今度は長い。
職員の様子を見ながら待っていると、隣にあったドアが開かれた。中から出てきた別の職員は、ヒロを確認すると、ふっと鼻で笑った。次に、対応していた職員を、さらに侮蔑の笑みを浮かべながら言った。
「エンテタ、君はまだそんな仕事をしているんだな。いい加減、そうだな……もう少し役に立ってみたらどうだい?」
「っ……!」
職員――エンテタは、顔を上げなかった。ただし、ペンは止まっていたし、表情も凄いとしか言えない形相になっている。言った職員もそれは分かっていただろうが、さらにあおり立てた。
「ああ、それとも、無意味な事と言うのが好きなのかい? 地道に、などと言いながら、毎日同じ事を繰り返すのが。私には全く理解できない感覚だが、ま、否定はしないよ。そこで一生頑張ってくれたまえ」
最後に、含み笑いを残すのも忘れない。
言うだけ言って、職員は外にいた商人風の男に話しかけた。恭しく頭を下げる。
「お待たせいたしました、ハンス・リラック様。さ、あちらにお願いいたします」
言って、二人は通路の奥へと消えていった。
ヒロは彼らがいなくなるのを待って、振り返った。そして、若干後悔する。エンテタの表情は、もはや形容できないものになっていた。
深呼吸、というよりはただの興奮による吐息を繰り返し、なんとかペンを持ち直す。その前に、一度血走った目でヒロを睨みながら。
(僕に当たられても困るんだけどな)
記入を終えて、ダン! と音を立ててペンを置く。さすがにもう、瞳が血走っているという事もなかったが。その代わり、眉間の皺が酷かった。
「これで登録を終わります。これから説明に入ります」
――だから、余計な事は言うなよ? 全身でそう語って、威圧していた。
「傭兵ギルドに登録した事により、あなたにはいくつかの権利が与えられます。シートラント内外で傭兵活動を行う権利、またその依頼を当ギルドで受ける権利。傭兵間の契約支援サービス。当サービスを利用した場合、法的拘束力が発生します。また契約内容について、人権を除くあらゆる法はこれに介入しません。存在登録により、一定の行政サービスを受けられます」
早口で、エンテタは告げる。どうせ分かってないだろう、という様子ではあった。実際、傭兵とはそんなものなのだろう。識字率が低いから、本人に名前も書かせない。
(なるほど、傭兵は国民扱いしない。だから傭兵間では法を適用しない、か)
恐ろしい事ではあった。恐らくは傭兵間でのいざこざは、まず介入してこない。それこそ血を見ても。ただし、問題が他にまで波及することはある。おそらくそういった場合に備えた契約支援機構なのだろう。ただ、これが別の意味を持ち始めたであろうというのは、先ほどの様子を見ても明らかだ。
これを、市民でもない者に提供していると考えれば。善良的だと言えるかも知れない。
すっと、何か手帳のようなものが差し出された。まあ、あくまでようなものであり、さほど上等ではない。数ページだけで、当然メモを取るようなスペースもない。
ヒロは受け取り、早速開いてみる。何が書いてあるかは分からないが、一ページ目に新しく印字された大きめの文字がある。これが『ヒロ』なのだろう。
「裏面にある文様、それがあるところがサービスを受けられる施設です。以上、お疲れ様でした」
もう話すことはないと言わんばかりに、彼はすぐそっぽを向いた。
聞いてみたい事はあった。だが、激怒している人間に声をかけるほど無謀でもない。手帳をかかえて、とっとと退散することにした。
路地裏に戻る。ふらふらとその辺を見回して、ちょうどいい小石を拾う。それを親指で弾き、屋根へと捨てる。小石はかつんと音を立てて、屋根に転がった。
上を見ていると、ひょこり、とアイリスが目元だけでこちらを覗いてきた。
「何でそんなに警戒してんの?」
「だって、ヒロじゃなかったら、こまる」
なぜか妙にぶつ切りで言いながら、ひょいと飛び降りた。これも、重量感は全然感じない。膝は伸びきっている、という程ではないだろうが、少なくとも体重を受け止めた様子はなかった。
「で、どうするの?」
「やることはいくつかある。でもその前に、宿だけ取っておく」
言って、まっすぐ宿場に向かった。
港湾都市なのもあって、宿屋の数はかなりのものだった。かなりランクの高そうなものから、あからさまにヤバいものまで。日本であれば安くて危険そうな宿でも、案外こういう所がと言うこともできるだろうが。こういう所のヤバいは、本気でヤバい。冗談抜きに命がなくなる。
いくつかの店を確認し(店に入って、宿代を聞いた。引き返すと舌打ちされたり、罵声を浴びせられたりすることもあった)、最後にアウラから紹介された店へと向かった。
店主の愛想は悪く、値段もそう安くはない。ただ、建物はしっかりしていた。見たところ、扉の立て付けも悪くない。安全面まで考慮すれば、一番コストパフォーマンスがいい、と判断した。本当は二部屋取りたかったが、所持資金的に不可能だった。
宿の確保だけを終えて、外に出る。部屋には鍵もかけられたが、宿には置いていかない。何も持ていないだけだが。まあ、何か持っていたとしても、貴重品ほど置いておけない事には変わりない。
向かった先は、大通りの露店道だ。大通り一本を、露店のために解放している。おそらくこの街で一番、そして時間帯と問わず賑わっている場所だろう。
アウラ曰く。
(この露店道を支配してるのは商人ギルドじゃなくてシートラント。場所代だけで出店できるし、入れ替わりも早い。だから自由に栄える事ができる)
とはいえ、
(儲けすぎればその限りじゃないだろうけどね。露店道が栄えすぎた時の備えがなくて、商人ギルドがここを許すわけがない)
どこにでも闇はある。それは仕方のないことだ。
露店の営業者はいろんな種類がいた。行商人から、一般家庭から来ているであろう家族連れ。つなぎを来た体格のいい男は、港湾部の従業員だろうか。
ヒロが目を付けたのは、主に行商人が開いている露店だ。それも人だかりが多く、名札のついている店。そんなところを何店舗か見て回ると、アイリスも人混みに参ってきたのか、袖を引かれる。
「ねえ、あとどれくらい見てまわるの? っていうかなにを見てるの?」
舌っ足らずなだだっ子口調になりかけていた。ヒロは宥めるつもりなどさらさらなく言う。
「見てるのは物じゃない。文字と言葉を合わせてるんだ」
「?」
「つまり、文字を覚えてるんだよ」
言っても、彼女は何の必要があるの? という風だった。
「あと何店舗か回ったら終わりにするから」
「えー」
「嫌ならどっかいってていい」
「うー、いじわるー」
ぷっとふくれて邪魔するように(でも邪魔しすぎない程度に)腕に絡みついてくる。重心を調整してひっぱられないようにしながら、また人並みの一部になった。
「これなんかどう?」「うん、悪くない」「ちょっと高いかも……」「あら店主さん、このネックレス……」「これはこれは、お目が高いですな。それは……」
無数の声から、必要な物だけを聞き分けて。名札についた文字を追う。
これまでに分かったこと。文字の数は36。単語等の作りはアルファベットに近いが、言語体系は膠着語だ。色々混ざっていて非常にわかりにくいが、文の作りが日本語に近い分、一度理解するとなんとなくで分かる部分が多い。単語ばかりは、さすがに一つ一つ覚えていくしかないが……
とりあえず、最低限は把握できた。人混みに目を回し始めていたアイリスを引っ張っていく。東二番通り(露店道の正式名称がこれだった)から大きく外れ、昼時だが、あまり人気はない。注文をして、店外にある席に座った。風通しがよく心地よいのだが、いかんせん景色が悪い。隣の建物に挟まれているため、閉塞感もある。外に座っている客は、彼ら以外にいなかった。
「午後からどーすんのー」
テーブルの上でだれながら、アイリス。注文時、先にもらったアイスリェッレなる飲み物を、ストローでかき回して遊んでいる。
「また露店道を見に行く」
「ええぇぇぇーーー……。もーやだよぉー」
また絞り出したような声で、泣き言を言う。ついでに、ストローで氷を突き刺し、がしゃがしゃと音など立てつつ。出会ってからまだ数日なのに、ずいぶんと見慣れた様子だった。
が、ここでだだをこねられると問題がある。場合によっては彼女に協力してもらわなければならないのだし。
「これを見てくれ」
「ん?」
差し出したのは、古ぼけた布袋……というか、折りたたんだ布だ。ただの布と違うのは、中に金が幾ばくか入っている事。
布を開く。ちゃらりと音がして、硬貨の小山が崩れた。
「どう思う?」
「どうって……お金」
「くたばれ能なし」
「ひどい!」
限りなく頭の足りない馬鹿な返答は無視する。
どうせ、今までの話はほとんど聞いていなかったのだろう。そんなことだろうとは思っていた。
「端的に言うと、お金がない」
「ふぅん」
どうでもいい、という風に、アイリスはアイスリェッレに口を付けた。そのどうでもいいは、考えすぎだとかどうにでもなるでしょという考えから来てるどうでもいいではない。全く理解していないが故の「ふぅん」だ。金銭感覚の致命的な欠如は、そのまま人間社会への不理解でもある。
まあ、最初から期待はしていないし、していい相手でもないが。結局の所この娘は、ただなんとなくついてきているだけなのだから。他に面白そうな事があれば、飛び出していきそうな様子はある。
絶対アイリスに大きな金は預けない。それを心に決めながら、ヒロは思考を移した。
金は、後どれほど切り詰めても、三日ほどでなくなる。宿屋が思っていたより安かったのは幸運だったが、それだけだ。
早急にお金を稼ぐ必要がある。できればアイリスがだだをこねない方法で。でなければ、図書館に通うこともできない。
(とにかく、元手があまりかからなくて、そこそこ売れそうなもの……。発想でなんとかなるタイプなら言うことない、んだけど……)
考え自体は、あまり無理のあるものではない。育ちが異世界ならば、ギャップというのはいくらでもある。
そのためには、やはり販売物の状況を把握しなければならない。そんなに大きく儲ける必要はない。ある程度の期間、生活できるだけでいい。予想外に受けたとして、その場合は販売権なり知識なりを売れば、いざこざも回避できるだろう。露店を見て回ったのは、そのためでもある。
(といっても、どんなジャンルがいいかも思いつかないんだよな……)
悩みどころではあった。半端に共通点があるせいで、いまいちここがと見いだすことができない。アイリスの言も、全く無価値という訳ではなかった。半端な考えのまま見て回っても、散歩と大差ない。
案がまとまらない内に、料理が来る。
ヒロはパスタもどきを頼んだ。緑色のソースが絡めてある。少し舐めてみたが、辛かった。アイリスはランチセットだ。パンにスープにサラダ、魚のムニエル。ドリンクとデザートの氷菓までついていた。
(ん?)
ふと、思いつく。そう言えば、と今日一日を振り返った。思い当たったものはない。
「アイリス」
「なーふぃー?」
口の中にものを詰め込んだまま問うてくる。彼女は料理を楽しんでいるが、残すのも分かっていた。食がかなり細いのだ。そうなった場合は、仕方なしにヒロが残りを食べる。が、まあそれはいい。
「得意な魔法とかある?」
「程度にもよるとおもうけど、わりとなんでもできるよ」
「冷凍ビーム的なものは? 対象を冷たくする」
「え……だせるけど……」
言いながら、アイリスはたじろぐ。
「それは「この街を攻撃しろー全て氷付けにして街をおれさまのものにしてやるぜーうははー」的な何か……? そういうのの片棒をかつぐのはちょっと……」
かなり引いた様子で、少女が言った。
ヒロは(非常に珍しいことに)にこりと笑いながら、アイリスに返した。
「君がそうしたいなら止める気はないけどね。その場合、僕は君と赤の他人だから。先に言っといてね」
「なんでわたしが破壊神てきな何かあつかいになるのよぉー」
「なりたくなければ無駄な事は言わない。で、できるの?」
「まあ、それなりに。それで街を壊滅させるのも」
「できるんだ。そっちは絶対にやらないように」
「うん」
素直に頷いて、アイリスはもしゃもしゃとサラダに手を付けた。表情は微妙そうだったが。野菜は食べ飽きているのだろうか。
(季節のせいか、それとも元々こういう気候なのか、気温は高めだ。夜にかけるものがなくても耐えられるくらいには。あとは、どれだけ受け入れられるか)
なかなか悪くない案には思えた。なにより、元手がほとんどかからないのがいい。
となれば、午後にやることも決まる。少なくとも、無駄な散歩にはならなくて済みそうだ。