04
荷台に載っての旅は、思ったほど辛くなかった。もっと馬車が跳ねて、尻がいたくなるだろうと思っていたが。道が平らに作られているのか、それともいい荷台なのか。
アイリスは、完全に参っていた。あのイエルと言った隊長の事が、よほど苦手だったようだ。頻繁に「もうやだ」「帰る」という呟きが漏れている。
(むしろなんでついてきたんだ)
と思う気持ちはあったが、彼女の考えも、今なら分からなくはなかった。つまりヒロは、現時点で唯一の、アイリス・アウイナイトの理解者という事になっている。理解者を失うことと天秤にかけた結果、嫌な事があっても一緒に行くことを選んだ。そんなところだろう。
「ねえ」
気晴らしに、アイリスへと声をかけてみる。
彼女は幾度かずびずびと音を立てた後、鼻声で言った。
「なに?」
「お前何歳?」
それは、今聞いておきたい事でもあった。道の件からも考えるに、どうも年代的なギャップが大きい気がする。ただの勘違いだったという可能性もあるが。
「……わかんない。一万歳を下ることはないとおもうけど」
頭で背中をこすられたのは、たぶん首をかしげたからだ。
「ちなみに何年くらいあの地下にいた?」
「あ、それは百年いってないよ」
(よく分かった。彼女の情報は、大半が役に立たない)
と、すると。彼女から聞いた多くの事情が、今は使えないかもしれない。百年も経てば、何だって変わる。アイリスにそこらの自覚がないのは、人間とは時間感覚に大きな隔たりがあるからか。
しばらくすると、馬車のドアが開いた。出てきたのはボブカットの女で、地面に降りる。歩きながら速さと距離を測って、荷台に乗り換えした。
「待たせてごめんなさい」
「いえ」
女性が来た瞬間、アイリスはまた黙りこくった。ボブカットの女が来た方とは反対側に体を寄せる。
「とりあえず、これを持ってきたんだけど」
言いながら、何かを差し出される。
ヒロはそれを受け取って、広げてみる。ごく普通の上着だった。
「さすがにその格好の人を乗せたまま、街に行くわけにはいかないわ。何をしたのか知らないけど、気をつけた方がいいわよ」
指摘されて、はたと気がつく。自分の服は、落下の衝撃でずたぼろになったままだ。服は所々破れ、血と土で汚れている。確かに酷い有様だ。知らない人が見れば、浮浪者にも見える。
「もしかして、あなたたちの隊長が嫌っていたのはこれが原因?」
「それもあるでしょうけど……あの人は女性至上主義だから」
(なるほど、面倒くさいわけだ)
彼女と仲良くしてもメリットはない。それだけ脳に刻みつけておく。
「でも、驚きましたよ」
「え?」
服を着替えながら、ヒロは言った。
「てっきりあなたが隊長かと。隊員も、どちらかと言えばあなたの様子を伺っていたし」
彼から見えた隊員は、二人だった。御者台に一人と、馬車内に一人。どちらも視線を向けていたのは、ボブカットの女にたいしてだった。
ふっと、女はため息をつく。
「それ、隊長の前では言わないでね」
「忘れることにしましょう」
言葉より少し遅れて、服に袖を通し終わる。すると、女は改めて言った。
「遅れてごめんなさい。私は騎士ミルタット隷下第七部隊副隊長、アウラよ。よろしくね」
「ヒロです。こっちはアイリス。よろしくお願いします」
ボブカットの女――アウラと握手を交わす。
彼女はその後――というかそっちが本命なのだろう――アイリスに視線を向けて、柔らかい声を作って言った。
「で、私はアイリスさんとも仲良くしたいんだけど」
アイリスに反応はない。ただ、びくりと震えて、一度だけ視線を向けた。すぐに反らしたが。その様子を確認して、ヒロは言った。
「ここで諦めてもらえないと、あなたがさっき隊長に言った言葉を、あなたにも言わなきゃいけなくなります」
「そうね、やめておくわ」
あっさりとアウラは諦めた。
「忘れちゃうといけないなら、先に渡しておくわね。これ、少ないけど恩賞」
言って、小袋を渡される。こちらの通貨価値は分からないが、これは一般的なそれより多いだろう、というのくらいは予測できた。
ヒロはアウラに視線を向ける。彼女は小さく肩をすくめた。
「道すがら、拾っていただきありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
これで、道中であった全てのことは終わった。何もないという形で。
つつけばもう少しもらえたかも知れないが、賢明ではない。彼女らのキモが分からなければつつきようがないし、おそらく上積みもたいしたものではない。ここで情報を得る価値を捨てるほどではない。
「あなたはその子の保護者か何か? 恋人には見えないけど」
「ええ、まあ、そんなところです」
全然違うが、肯定しておく。昨日あった他人ですと言っても、誰もが混乱するだけだ。
(ほんとうならお前が僕の保護者扱いされるべきなんだがなあ)
背中に向かって、そう思うが。背後の呼吸は小さく穏やかになっていた。飽きたのか、寝ている。
「どうやって出会ったか聞いてもいい?」
「偶然ですよ。トラップに引っかかったら、彼女の近くに行ってしまい、そのまま」
「それはまた難儀ね」
クスクスと、アウラが笑った。魅力的な笑顔ではあったが、どこか裏も感じさせる。
(疑ってるな)
鳥人間の襲撃にまで関連づけてはいないだろうが。出会いを訪ねるのも、それに当たり障りのないコメントを残すのも。どこか怪しいとは思っている。
まあ、その点について、探られること自体はなんともない。中身が冗談のようなだけで、含みは何もないのだから。唯一懸念があるとすれば、それは変な推論をたてられないか、という事だ。何か、こちらの知らない情報と結びつけられたらたまらない。
「ところで、街ってどんな所なんですか?」
「変なこと聞くのね。一度も行ったことはないの?」
「田舎育ちだったもんで。飛び出てきたんですけど、紆余曲折あって荷物もなくして……」
「へえ。でも、都会に憧れてるって様子でもないけど」
「そりゃ憧れて家出したわけじゃありませんからね。見聞を広げるために一度見ておこうと思ったら「お前が遊びに行くために金をだせるか!」と怒られてしまって。それで、自分で用意できる荷物だけ持って向かったわけです」
「そ、それはまたアグレッシブというか無謀と言うか……。案外無茶するわね」
「そうですか? でも、ここまでこれましたし」
無謀な青年を演じる。でっち上げの話はそれなりに信じられたようで、アウラは顔をやや引きつらせていた。
「そうだとしても、武器くらいは持ってなきゃだめよ。使えなくても、あるのとないのとじゃ魔物と遭遇した場合の生存率が違うんだから」
「次からそうします」
魔物。おそらく鳥人間のあれのような存在なのだろう。魔法といい、魔物といい、つくづく違う世界だ。
と、同時に注意もする。ここは普通に武器を持てる世界なのだと。仮にどれだけ規制したとして、購入自体が合法であれば、危険な人間ほど当たり前に所持している。
「で、たどり着く前の前知識として、これから行く場所ってどんなところか聞きたかったんです」
「語るのはかまわないけど……ここで私が言っちゃっていいの? 初めて見た感動がなくなるんじゃない?」
いたずらっぽくアウラは言うが。ヒロはどうでも良さそうに答えた。
「そういうのは別にいいです。遊びに行くわけじゃないんで」
「そ……そうなの……。正直、あなたに見聞を広げる意味があるのかって気がしてきたけど……」
まあいいわ。彼女は気を取り直した。
「自分の住んでたところがどういう所なの、なんて言われても……」
「分かりませんよ。そもそも自分の村しか知らないんですから。森の中よりは木が少ないですとか、そういう事なら言えますけど」
「限りなく無意味ね。そうね、まあ、都会を見てみるのが目的だとしたら、あなたは運がいいわ。これから向かうシートラントは、かなり商業が盛んな街よ」
「なるほど」
ヒロは相づちを打つ。
この世界が、地球に当てはめてどれほどの時代になるか、正確には分からないが。ある程度推察はできている。中世ほど昔ではないだろう。荷台の車輪にはゴムが使われているし、前の馬車もバネが仕込んである。
魔法という存在のせいでかなりギャップがある。少なくとも、技術力が低いとは思わない方がよさそうだ。
(それは、後ろのこれからも予想できてたしな)
視線は向けない。悟られるわけにはいかない。ただ、鼻孔だけが感じ取っていた。仄かな火薬と鉄のにおい。間違いなく銃だ。
どういう形式の銃かまでは分からない。が、どれであっても銃は銃だ。現在どの程度の扱いかも気になるが、これをつつく危険は、他を探る事の比ではない。
(何事もないように見えて、触れちゃいけないものが多い。それに気づいても、知らないふりをしないと)
とにかく、今は街のことだ。
馬車が主だった移動手段なのだとすれば、シートラントという街は、よほどの交通要所なのだろう。物資と人の出入りが多く、比例して情報も集まる。まあ、その分偽物も多いだろうが。上手くすれば、シートラントで帰るための情報を得られるかも知れない。
注意するは、その分治安が悪いだろう、という事だが。下手に良いよりは動きやすいのだから、よしとするしかない。
「シートラント南部が港になってるの。警戒が厳重だから、迂闊に近づかない方がいいわ。中央には騎士団の本部もあるけど、まあ、ここもね。あと、街を出て西側に進むと国境……ちょっと違うんだけど、そう覚えておいて間違いではないわ。だから行かないように気をつけてね。ここで何かあったとして、騎士団も絶対に助けないから」
脅すような口調で言ったアウラだったが。ぱっと笑顔を作り、危険な場所はこれくらいかしら、と言う。
「あと、ギルドって言って分かる? 分からないわよね」
「職業労働組合、という程度の意味でしたら」
「むしろなんでそっちが分かるか聞きたいんだけど……まあいいわ。これだけは言っときたいんだけど、街についたら、必ず傭兵ギルドに登録しておくこと」
「なんでです? 傭兵なんてするつもりはありませんし、腕っ節にも自信ないんですが」
「他のギルドは組合が成長した組織なんだけど、傭兵ギルドだけは街の運営直下組織なの。登録して自分の存在を把握させる代わりに、ある程度の公的サービスを受けられるわ。登録しない事も、もちろんできるけど。何かあったときは本当に悲惨な目に遭うから、おすすめしないわ」
「分かりました」
「あとはそっちの子も、翼は見えないようにしといた方がいいわよ。ドラゴニュートは力が強いから、面倒を呼び込みやすいし。分かってるでしょ?」
暗に、隊長みたいに、と言っていた。街で発覚すれば、もっと面倒が起きるだろう。
とはいえ、彼女も全くの善意とうわけでもないだろう。力の強い存在を、周囲に悟らせずストックしていられるというのは、大きなメリットになるだろう。とはいえ今のところ、利害が一致している。
「いえ、ご忠告ありがたくいただいておきます」
どちらも重要な情報だ。ヒロはしっかりと、心のメモに書き留めた。
その後も話は続いた。が、興味深くはあっても重要そうなものはなかった。大通りの位置、区画ごとの店舗整理、あとは各名所なども。一番役に立ったのは、図書館の位置と安い宿屋の情報だった。
アウラは、探りを完全にやめていたように思えた。もっぱらおしゃべりに集中している。それにつきあうのは、かなり苦痛だった。次々と個人名が飛び出ていくのだが、誰が誰だかなど全く分からない。内輪ネタで来られても困るのだ。
その後、彼女は夕食時までしゃべり続けた。
食事はどうなるかと思ったが、硬いパンと干し肉を恵んでもらえる。かなりの時間をかけて、それらを食べた。
食後はさすがにアウラも来ず、馬車に揺られる時間が続く。アイリスは誰もいなくなったのと、寝飽きたのとで、荷台の上で転がりながら遊んでいた。
夜になると、馬車は止まる。野営するのだろう。騎士たちは壊れた屋根にシートだけ乗せると、そのまま寝ていた。気温は温かかったため、ヒロも何もかけず、そのまま寝ることにする。
日が落ちても、しばらくアイリスと喋っていたが。かなり夜も更けると、眠くなった。一日の時間も、地球とほとんど変わらないらしい。
妙な共通点の多さに、どこかむずがゆさを感じながらも。日が昇るとほぼ同時に、馬車は出発した。
二日目ともなれば、さすがにアウラも来ない。まあ、副隊長なのだから、それほどふらふらもしていられないだろうし。
街についたのは、まだ早朝と言っていい頃だった。巨大なそびえ立つ鉄柵が見える。
普段からこうかのか、それとも騎士と一緒だからか分からないが。中に入るのは簡単だった。
シートラントは……はっきり言って、閑散としていた。そして、思ったよりも大きな街だった。人がいないのは、さすがに朝早すぎるのか。これが港湾部などになれば、話は違ってくるだろう。
「それじゃあ、ありがとうございました」
「いいえ、あなたたちも気をつけてね」
アウラに別れの言葉を継げる。彼女と、もう一人男の騎士が見送りで、見送ってくれた。隊長たちは、当然見送りになどこない。それどころか、疎ましげにすぐどこかへ行ってしまった。まあ、話しかけられたところでどう答えていいかも分からないので、これはこれでありがたい。
「さて」
街の中――アウラの案内に寄れば、傭兵ギルドのある方向――に向かっていく。その後ろを、ちょろちょろとアイリスがついてきた。
「ねーねーどこいく? ごはんたべる?」
騎士たち(というかたぶんあの隊長と)分かれてから、急に元気になったアイリス。うっとうしいくらいの無邪気さが復活した。
(こいつ本当にいつまでついてくるんだろう)
「え、なに? なになに?」
じっとアイリスを見ると、きょとんとしたようすになる。
別に、ついてこられるのが嫌というわけではないが。いきなりいなくなられたら、それはそれで困る。
「傭兵ギルドに行こうと思ったけど……先に食事する?」
「食べる! 昨日食べたあれ、なんか不思議なかんじがしたし。うへへ……」
どうやら昨日のパンと干し肉を、ずいぶんと気に入ったらしい。いいことだ。そのうち粗末な食事は心を荒ませる、というのも理解するだろう。
ついでに、気になることもある。
「ところでこれ、昨日もらった恩賞なんだけどさ。どれにどれくらいの価値があるか教えて欲しいな」
「え、ほんと? わたしに? んもう、しょうがないにゃー」
にやにやと笑って、アイリスが近づいてくる。
なんにしろ、これで分かるだろう。彼女の情報的な価値が。
●○●○●○●○
「副隊長、どうしますか。監視を付けますか?」
「やめておきなさい」
隣に経つ部下の提案に、アウラは頭を振った。
「男の方が怪しい……とはいえ、ただの無知には違いないわ。警戒心が強いし、頭も働かないわけではない。もしかしたら本当にただの田舎者かも」
「ですかねぇ」
アウラの言葉に、部下は懐疑的な声を上げた。
彼女は微笑して、部下をちらりと見る。恵まれた体格と、それを生かせるだけの技術を持つ。優れた騎士だ。だが、若すぎる。恐らくは、あのヒロと名乗った少年と同じくらいの年の頃なのだ。加えて、経験が足りなく、実直すぎる。
(まあ、そういう意味なら私も似たようなものだけど)
僅か20歳で副隊長。不相応な地位だ。
「だからと言って、ドラゴニュートを放置するのも……」
「最低限の忠告はしたわ。それに、あの子も分かっていたわよ。あちらのためにならない忠告はしないって」
「消極的すぎると、私は思います」
「どんなものであれ、彼に敵対していると思われるような行動はすべきではないわ。そのとき出てくるのはドラゴニュートだって事を忘れちゃだめ」
「は……出過ぎたまねを」
「いいわ」
手を振る。が、部下は下がらなかった。
「あと、報告の方は……一応調書の作成は私の役割なのですが。
そうだった、と、アウラは苦い顔をする。むっつりと考え込むが、すぐに結論を出した。
「しなくていいわ」
「その場合、隊長は……」
「イエルさんも言わないでしょう。すぐにでも忘れたいみたいだし」
部下に檄を飛ばしているイエルの方を見る。口調は荒く、不機嫌である事がよく分かった。怒鳴り声は整然とせず、かえって逆効果になっている。
普段は優秀な人物なのだ。頭に血が上ると自分を制御できなくなるだけで。そして、忠誠心が強すぎるだけで。
「ミルタットに知れれば、ドラゴニュートを獲得できてもできなくても、ろくな事になりませんからね」
部下はほっと息を吐くのと同時に、吐き捨てた。汚いものを捨てるように。
「嫌いなのね、ミルタット様が」
「あれを好きな人間の気が知れませんよ。我々のような者は、特に冷遇されていますし」
「まあ、そうよね」
アウラも同意した。彼の言葉に、否定できる要素はない。
(本当に、ミルタット様も、いつからああなってしまったのか……)
ひっそりと憂う。
昔はいい人だった。部下のことを考え、高い実力と果断な行動力を備え、瞬く間に昇進した。
向上心と言えば聞こえはいいが、今は権力にとりつかれている。猜疑心を振り払えなくなり、自分に都合のいい部下だけを配置する。今やミルタット部隊は――そしてミルタット本人も、見る影もない。
(あのドラゴニュートを利用するとしても、まずは自分たちの問題に決着を付けないとね)
そう思い、二人の去った方から背を向けた。
焦る必要はない。居場所などいくらでも見つけられるのだから。