03
あの後、ヒロとアイリスは議論を交わし(といっても、泣きじゃくるアイリスにヒロが説教し続けただけだが)、決着はついた。ヒロの完全勝利である。というか、アイリスが最初から全面敗北を認めていただけだが。
理解していない事は重々承知していたが、そこについてヒロは妥協した。何よりアイリスは、間違いなく善意でやってくれたのだし。最初は嫌がらせだと思ったが。
それにだ。一時間も泣きながら張り付かれれば、誰だって許そうという気にもなる。半日も張り付かれれば(それこそ寝ている間もだ)、一周回ってうんざりする。剥がすためなら、どんな妥協だってできるようにもなる。
なんとなく、世の中に存在する無数の泥沼対立の真実を知った気がした。
ともかくである。異世界に来て、一日目の朝が来たのだが。お茶はいろいろそろっているくせに、食べ物はあのゼンマイもどきしかない。それを食べ終えて、外に出ようかという所だった。
「ねー……ほんとにいくの?」
渋々という調子で、アイリス。
「ああ」
「やめるつもりは?」
「ない。元々長居するつもりはなかったし」
「うぅー……だってゆっくりするって言ってたのに……」
「まあ、そうだけど」
「じゃあいっしょにいてくれる?」
「絶対にやだ」
「うわぁん!」
また半泣きになりながら、そしてぶつぶつ呟きながら。少女は壁に向かって、手をかざした。
ず……と、大きく重々しい音を立てて、穴が開く。それは斜め上の方向に続いており、先が全く見えないほどだ。それなのに音だけは響き続け、まだ伸び続けている事を教えていた。この部屋は、いったいどれだけ地下深くにあったのだろうか。
二人で穴を歩き始める。音に続けて、微細な振動も伝わってきた。
「ずいぶんと長い通路だね。こんなものがあったのか」
「違うよ」
呟きに、アイリスはすぐ否定してきた。
「これは通路じゃなくて、ただの穴だよ。今地上までいけるだけの穴を作ってるの」
「ちょっと待って。いつも地上まで行ってる道を使えばいいんじゃないの?」
「ない」
「え?」
「そんな道ないの。わたしだって、ここに住み始めてから、地上に行くの初めてだし」
表情からは、彼女が嘘を言っている様には見えない。にわかには信じ切れない話でもあるのだが……
どれほどの期間か、少女は本当に一人で、地下の部屋にいたのだ。植物の栽培までしていたのだから、決して短い期間ではあるまい。少なくとも年だ。どれだけ気合いの入った引きこもりなのか。
(そのバイタリティを人付き合いの方に向けられなかったのか?)
純粋な疑問ではあった。聞くと(さらに)泣かれそうなので言わないが。
道中は、長いことを除けば順調であった。
アイリスは頻繁に話しかけてきた。
ヒロも最初の方は普通に相手をしていたが。すぐに話題は一周し、そうなると、返答もおざなりになっていった。
話題が途切れないよう、頑張って話し続けていたアイリスだったが。静かにかったのは、別に喋り通しでなければいけない訳ではないと気づいた五周目だった。
どれほど歩いたか。分からないが、足の裏が痛くなってきたのだから、結構な距離だったのだろう。そのうち振動と音が止まり、光が差してきた。
「やっと外か……」
「うわ、なんかむわっとした空気が入ってきた。やっぱ地上なんかより地下の方がすてきだね! 戻ってうちでまったりしない?」
「しない」
「ぐすぐす……」
まるっきり引きこもりの論法をかざしてくるアイリスは切り捨て。進んでいくと、確かに熱気が感じられた。
外に一歩踏み出ると。
瞳がつぶれたかと思うほどの光量に、思わず手をかざした。日光が全身に突き刺さる。薄暗い地下に一日近くもいたせいで、ずいぶん光に弱くなっていたようだ。隣で、たじろぐ気配を感じる。アイリスも似たような目にあったのか。
十数秒かけて、少しずつ光になれていく。やっと開ききった目で景色を確認したヒロが最初に感じたのは、安心だった。
出た場所は、ちょっとした小山の斜面だった。周囲は緑に包まれており、植物に詳しいわけではないが、そう奇抜なものは見当たらない。眼下には大きな森が広がっており、これも当たり前に緑だ。空は青いし、息を吸って苦しくなる事もない。至って普通の光景だ。ここが地球だと言われたら信じてしまうくらいには。
(思ってたより環境が近いんだな。あとは細菌やらウイルスやら、致命的に適合しないものがなければいいんだけど)
さすがに、今そこまで思い悩んでも、詮無いことだ。
「え……?」
そう呟いたのは、アイリスだ。景色を見下ろして、何かに驚いている。
「どうしたの?」
「道ができてる……」
ぽかんとしている彼女の視線を追う。木々に阻まれ、非常に見づらくはあったが。目をこらすと、確かに人為的な、草木のはげた場所があった。舗装もされてない、土がむき出しの場所だが、幅は5メートルはありそうだ。草木はそれほど深くはない。だが、道をなるべく水平に保ちながらこれを作ろうと思ったら、多大な労力が必要なはずだ。昨日今日の出来事ではない。
「とりあえず近づいてみようか」
「ん」
言葉にアイリスも同意し、道の手前まで向かう。それほど距離が離れている訳でもなかったので、たどりつくのはすぐだった。
道を前にして、しゃがみ込んで観察する。地面は完全に固まっていた。重いものに何度も踏みならされ、幾度も風雨に荒らされ。それでも変形しづらくなくくらいに。
(これは、完成してからかなり年月がたってるな。できたのがいつなんてレベルじゃない。アイリスが嘘を言っていた、とは考えづらいが……)
道の存在に、一番驚いていたのは彼女だ。それに、ヒロを騙す理由もない。知らなかったのは本当だろう。
工期まで考えれば、数十年という仕事のはずだ。
(まあいいか。使い込まれてる道があるって事は、近くに街があるって事だし)
腑には落ちないが。
「とりあえず道沿いに歩いてみるか」
「うん」
それは独り言だったのだが、アイリスに答えは返された。
というか、
(……ん?)
彼女の言葉に、そこはかとなく違和感を感じたが。それは無視して、歩き出そうとし……
ちょうど、向かおうとした方向とは逆から、音が聞こえてきた。音そのものは遠いが、がたがたとかなりけたたましい。それが馬車によるものだと気づいたのは、かなり遠くに、それが見えたからだ。
豆粒ほどのそれが、何かに襲われている。上空に数匹、羽の生えた何かが、馬車に対して下降を繰り返している。どうも紫色のかなり長い腕の生えた生物なようで、こちらは景色と違い、全く心当たりのない生き物だった。
「あ、やっぱそういう世界なんだ」
「え?」
「いや、なんでもない」
ほんの僅かに、おかしいのはアイリスだけで、自分は普通に地球にいるかもと期待を抱いていたが。所詮は淡い希望でしかなかった。
「じゃなくて。何かないかな」
逃げる馬車は、下からびゅんびゅん輝く何か(たぶん魔法)を飛ばしている。とはいえ、鳥人間もどきの動きが速く、捕らえきれていないようだったが。
急いでその辺を探す。といっても、武器になりそうなものはない。せいぜいが石ころだが、それが光線魔法より効果がある訳もない。
「何してるの?」
「あの飛んでるのの気を引けるものがないかって探してる」
「なんでそんなことするの? ほっとこうよ」
アイリスはかなり嫌そうな表情だ。馬車を指さして、言う。
「あの人ら、鎧着てるよ。絶対関わらない方がいいよ」
「理由は三つある。あれが全滅すれば、次の標的は僕たちだろうってこと。ここで手助けすれば、恩を押し売りできるってこと。あとは、助ける理由だけしかないこと」
「うーっ」
「そんなに嫌なら帰ればいい。危険なことにまでつきあう必要もないだろ」
「なんでそういうこというのよー! もー! もーーっ!」
「なんでと言われても。繰り返すようだけど、嫌なことまで無理につきあう必要はないよ。速く逃げろ」
涙目になってふくれっ面になる少女を宥めながら、とにかく探し続ける。馬車はかなり近づいており、後どれほども猶予はない。
正直に言うと、ヒロはこの光景を目の当たりにした時点で、ほとんど諦めていた。馬車と同じ速度で飛行しつつ、攻撃を避けながら反撃する余裕まである生物。そんな生き物相手に、こちらが見つけたのに見つかってないと思うのは願望が過ぎる。逃げ切れると思うのはもっとだ。しかし、アイリスだけなら逃げ切ることもできるだろう。翼があるのだから空を飛び、穴に潜り込んで、蓋を閉じる。鳥人間がすぐ追ってくるのでもなければ、なんとかなりそうだ。
が、彼女はそうしなかった。ふくれた顔のまま、吐き捨てるように言ってくる。
「あの人たちがなんか言ってきたらなんとかしてよ。なんとかしなきゃって言ったのヒロだもん」
アイリスの言っていることが分からず、振り返る。問いかけもしようとしたが、それは追いつかなかった。
ひゅ――と、少女の姿が消える。飛んだのだと気づいたのは、彼女が馬車に最接近した時点でだった。恐ろしく早い。そして何より、無音だ。風切り音一つ響かせず、目で追えない程の早さで飛んでいた。
接近してアイリスがやったことと言えば、虚空に向かって腕を一降りしたことだけだった。少なくとも、ヒロにはそうとしか見えなかったが。だが、たったそれだけで、宙に浮いていた鳥人間は、全てが墜落した。見た限りでは、ばらばらになって。
(最初に思ったことは正しかった訳だ)
そんなことを思う。
つまりだ。今、逃げ帰るようにしてヒロの背中に隠れ、ついでにしがみついている少女は。しゃれにならない強さを持っており。少なくとも戦闘力という意味では、正しく化け物であった。
それだけの力があって、なぜ一人でいたのかとも思ったが。すぐに否定する。愚かな考えだ。力の多少で、人間関係は決まらない。
「ほんとおねがいだからね。なんとかしてね」
耳元(というのは位置が低いが)でぼそぼそ言うアイリスに、気を取られがちになったが。
馬車は、すぐ目の前までやってきた。
かなり大きな馬車だ。前方に人が幾人も乗れるスペースがあり、基礎は木製のようだが、表面は鉄板で補強してある。といっても、先の襲撃で、無残に崩れ、天井は完全になくなっていたが。元の造形は、おそらく馬車と言うよりも戦車といった方がしっくりくるものだったのだろう。引いているのが馬ではなく、それより強靱な四足の何かという意味でも、馬車という呼び方は正しくないか。馬車の後方には荷台が取り付けられていたが、こちらは無傷である。
外れ欠けた戸を開けて出てきたのは、二人の女だった。鎧を着けている――が、これも馬車と同様、かなり酷い有様だ。
出てきた女の片割れ、そばかすの女が、笑顔と共に語りかけてきた。
「失礼、先ほどは危ない場所を助けていただいた。私はミルタット隊第七小隊長、イエル・トラヴァルと言う者だ」
かなり大きな手振り。その中に、大きな自尊心が見える。
(なるほど、これはアイリスじゃないが、嫌になる……)
ほんの少し話を聞いただけでうんざりした。アイリスとは別種の面倒くさいタイプだ。それも、遙かに。
「ところで――君は大きな力を持っている。その力をミルタット様のために生かしなさい。なに、あのお方であれば悪いようにはしないさ。そこらの騎士とは格が違う」
(そらきた)
早速の面倒に、内心だけで吐き捨てる。
いつもであれば、適当に相づちを打ちつつ飽きるのを待つのだが。背中越しに感じるアイリスの痙攣が、限界に達しそうではあった。仕方なしに口を開く。
「あの」
「だから……なんだ貴様は」
打って変わって、ゴミでも見るような視線を向けてくる。今までは視界に入れないようにしていたのだろうか。
「彼女は嫌がってますし、その気もありません」
「貴様ごときに何が分かる」
「あなたの態度は恩人に対するそれではありません」
「なんだと……!」
「隊長」
引き留めたのは、今まで引いていた女だった。ボブカットで、表情に強い疲労が見える。それは、先の戦闘だけのものではないだろう。
「そちらの方の言うとおりです。それに、今やるべき事ではありませんし、彼女はドラゴニュートですよ。不興を買うべきではありません」
「っ! 貴様はいつも……! もういい、行くぞ!」
隊長の言葉に、ボブカットの女は眉をひそめた。
「言うだけ言ったら、恩人を放っていくと? それこそミルタット様の名前に傷がつきます」
「勝手にしろ!」
犬歯をむき出して絶叫し、隊長は中へ戻っていった。馬車から打撃音が響いている。物に当たり散らしているのだろう。さすがに隊員という事はないだろうが。
ボブカットの女は、小さくため息をついて。ヒロへと向き返った。
「ごめんなさいね、悪い人ではないの。ただ、ちょっとミルタット様を神聖視しすぎてて、盲目的になっているだけで」
「いえ、かまいません」
他に言いようもない――し、これ以上引きずりたくない。彼の後ろでは、すでに痙攣がすすり泣きに変わっている。
「そう言ってもらえると助かるわ。見た感じ何も持ってないようだけど」
「ええと、それには事情があるのですが……とりあえず街に行こうかと」
「なら乗っていってもらえない? 前は嫌でしょうし、隊長も認めないでしょうけど。荷台だったら大丈夫だから。私も、少し話しをしたいし」
「お願いします」
即答する。
歩かずにすむし、上手くすればここでも情報が得られる。
(とはいえ、気を抜いてもいられない。こっちの事情を知らない以上、それほど気にする必要もないだろが……油断もできない)
ただ相手をするだけならば、隊長の女の方がよほど楽なのだ。なにせ、話を聞き流していればいいだけだ。
ボブカットの女は、馬車の中へと入っていった。
ヒロはアイリスをつれて(というか背負い)荷台へと向かっていく。荷台は木版で蓋がされており、中身は覗けない。見る気もないが。
話してくれないアイリスを荷台に載せて、自分は足かけに座る。その後すぐに、馬車が動き始めた。