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第三話 賤、開闢を

「――よしっ」


 一人静かに気合を入れ直し、澪は物陰に隠れたまま視線先を注意深く観察する。

 草木も眠る宵の刻――とは言え、十年以上この都市の片隅で生きてきて尚、澪はまともな植物などお目に掛かったことはなかった。

 上層民とも言えるような金持ち連中が住居を構えている地区においては、公園と言う名の憩いの場などという場所も存在しているらしいが、澪のような小汚い襤褸を纏った小僧ではそのような所をまともに歩くことすら難しかったりする。

 故に、その方面へと足を運んだことは無い。

 嫌な顔をされるだけならまだしも――運悪く警備企業のサディスティックな奴等にでも捕まれば、職務質問と言う名の拷問を受けたの上、殺されることすらも珍しくないのだから。

 澪は、今一度自身の装備を確認する。

 衣服は毎日変えることの無い饐えた臭いのする襤褸切れだけ。防弾チョッキなど、そんな気の利いたモノはあるわけがない。

 それでも――いつもと違うところと言えば、顔の周りに巻き付けた衣服と同じ汚れた布である。欲を言えば、暗視ゴーグルとまではいかずとも防塵ゴーグルの一つでも欲しいところだ。

 焼け石に水とは言わないけれど、もしも(・・・)の際には顔を知ら無かったことが有利に働く可能性も大きいのだ。

 戦略と言うにはお粗末で、準備と言うには陳腐なものであるが――少しでも、己の生存率を上げておくことに越したことは無い。

 ――澪は現在、以前利劫に勇み凄んだという件の連中のアジト前へと足を運んでいた。

 奴らのアジトの場所自体を見つけることは、そう難しいものでもなかった。

 澪は予め、凡その位置などは利劫から聞かされていた上に、近隣の住民もできるだけその場所を避けているようだったため、目的地の発見は寧ろ容易なものですらあった。

 其処は、ボロい二階建てのビルである。

 入り口の扉は建て付けが悪いらしく、常に半開きになっている。

 スラムにしては割と開けた通りに面した窓のガラスは悉く失われており、窓枠の概念すらも消失したかのような有様である。

 それはこの上なく荒涼としており、規模こそは利劫の箱より大きくとも、その佇まいは比べるまでも無く貧相で脆く感じられた。

 アジト入口には電灯があり、碌に電気配線の通っていないスラムの一角においても、何処からか電源を盗んでいると考えられる。

 ――それは兎も角、と。

 とりあえずは光源があるのだから、入り口付近は観察が割と容易であった。

 澪が見た限りでは見張りらしき者も見当たらず、二階の窓からも人影は感じられない。

 それもその筈――事前情報によると、この上辺はダミーで此処の地下に奴等の居住スペースが存在しているらしい。

 つまりは、コト(・・)が起こってから飛び出すにはワンテンポ遅れると言うことである。

 この時点で澪には明確なプランなど存在しなかったが、煌びやかな表通りやショッピングモール、歓楽街付近であればまだしも――このような埃っぽい貧民窟では真夜中で人通りも皆無であるため、澪は覚悟を決めてそっと建物へと近付く。


「トラップ無し、センサー無し、カメラ無し――だと思う。思いたいね」


 特別な訓練を受けたわけでもない素人の澪に、そんなものの探知など到底無理である。表面に曝されているならまだしも、少しばかり巧妙にカモフラージュされていたらお手上げである。

 だからこそ、澪は全身全霊で自分の感覚に頼り切る必要があるのだ。

 他の者たちと比べても飛び抜けて優秀だなどと口が裂けても言えないが、少なくともこの感覚と判断力で澪はこの歳まで何とか生きてきたのである。此処で信じないで、一体何処で信じると言うのか。

 されど澪も出来る限り音を立てずに忍び寄るが、流石に建物内にまで足を踏み入れる自信は無い。

 誰のサポートも無しで、此方は一人なのだ。入った瞬間に囲まれでもしたら目も当てられない。全員が常に駐在しているとは限らないが、徒手空拳で十人以上の男たちを正面切って相手にするなど、今の澪には不可能である。


「さて……と。どうしたもんかな……」


 小さな、小さな吐息のような呟きで、澪は再度思考する。

 このままこの場所でもたついていても、時間の経過と共に危険度が増すばかりで事態は一向に解決などしないだろう。

 ――と。


「これ……もしかしてっ……!」


 澪の目に留まったものは、一台の車であった。正確には、その車内である。

 ――否。先程からその存在自体は知覚していたものの、自動的に澪の選択肢から除外していたものであった。

 車体の大部分に、爆発や銃撃から乗員を守るための軽装甲を施した車両である。

 ただ、装甲車と言うにはあまりにもお粗末な、小型の四駆に自分たちで金属板を板金・溶接したものであろう。その作りは全体的に見ても、素人工作の域は出ない。

 しかしながら、それは今あまり問題ではない。

 澪にとってこの車両を観察したうえで僥倖であったことは、運転席にエンジンの始動キーが刺さりっぱなしであったということである。

 現在主流の電子制御や生体認識システムによる型でなかったことが、この車両の持ち主たちにとっての不幸であり――行動の糸口を見つけた澪にとっての天運であった。

 つまり、この車は今すぐ動かすことが出来るということである。

 余談であるが、車両荒らしや車両自体の窃盗に手を染めたこともある澪にとって、戦車や変形車両以外であれば運転くらいは可能である。

 故に――あまりに無警戒。

 彼らはきっと、この地域で自分たちに手を出す者など居ないと高を括って不用心に鍵を付けたまま降車したのだろう。

 それとも、元々の気質がだらしない者たちなのかもしれないが、それは一時置いておく。


「これなら、いけるんじゃないかな」


 今は――思い立ったら即行動である。

 澪は付近のゴミ捨て場へと足早に向かい、転がっていた棒切れに加えて、ある程度の強度を保持したロープ――は運悪く見当たらなかった為、襤褸切れを何枚か繋ぎ合わせ捻じった物を代用することにした。

 そうしてさっさとアジト前に駐車してある車へと向かい、手早く準備を進める。

 未だ周囲に人気は感じられないが、静まり返ったこの場所で車のエンジンを掛けるとなれば、些か以上の音が深夜の街路へと響くこと間違い無しである。


「手は震えてないし、足も動く。後は、やるだけだ……」


 当然のように鍵の掛かっていないドアの取っ手に手を掛けて、澪は運転席に乗り込んだ。

 ――この時点での懸念である盗難防止の警報ブザーが鳴らなかったことに安堵しながら、キーを思い切り回す。

 此処から先は、時間との勝負である。奴らが気付くのが先か、澪が事を成し遂げるのが先か――。

 始動音と共に小刻みに揺れる車体。

 灯る二つのヘッドライト。

 煤けて罅割れたバックミラーには、冥漠(めいばく)の中をほんのりとランプが照らす。

 エンジントラブルが発生しなかったことに加えて、この車の向きが建物を向いていたということもまた、澪にとって一手間省ける要因でもあった。

 澪はスムーズな手際でギアをバックに入れて、奴等のアジトである建物から車を離す。

 離す、離す、離す。

 そして一定距離を稼いだ後、ギアをドライブへと変更し、ブレーキは踏んだままハンドルを固定する――それは、ゴミ捨て場で拾ってきた襤褸切れによる疑似的な二本のロープを用いたものであった。

 元々ガラスの嵌っていない窓から紐を通して、運転席側のサイドミラーへと結び付ける。もう片方は、バックミラーへ。


「ゴラァ! 俺たちのクルマ、パクってんじゃねぇぞ!」


 流石に夜半のエンジン音で覚醒したのか――フロントガラスから見える景色の先にはヘッドライトの照射に当てられた、片手に銃を構えた男たちが建物内から続々と現れていた。


「テメェ、誰に手ェ出してんのか判ってんのか!?」

「死にてぇのかクソがァ!」

「クルマから降りやがれ! ブッ殺してやらァ!」


 車を動かす澪へと向けられた蚊雷(ぶんらい)の如き声は、鼓膜を叩き付けるかのように威嚇音として重ねられる。

 七、八、九――それぞれが武器を持った男たちを相手にするなど、自殺行為も甚だしい。

 されど、澪の仕掛けは既に完了していたのである。


「一手――遅かったね」


 ――勝利の確信。

 布で覆った顔は相手方から特定することなどは出来ないだろうと、澪は口元に一人深い笑みを浮かべていた。


「それじゃ、これでお別れだ」


 そう言って、澪はブレーキペダルから脚を離し――アクセルにつっかえ棒を当てた。

 空かさず、澪も窓から脱出。スピードに乗る前に降りなくては、大惨事である。


「オイ……オイッ! コッチに走って来るぞ!」

「逃げろォォオオオオ! 轢き殺されるぞ!」

「ナメやがってェ!」


 そんな叫び声を挙げながら、先程まで勇み力んでいた男たちは両脇へと散ってゆく。

 当然、想定外の事態にパニックを引き起こした奴らに、せっかくの銃も引き金を引く余裕など何処にも無い。

 真夜中の悲鳴を背に受けながら、澪は一目散に逆方向へと走り去るのだ。

 ――微かな地響きと響き渡る衝突音が、黒闇(こくあん)の中に沈んでいった。

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