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第一話 久遠より永く、須臾より短く

 ――天を突くかのような超高層ビルディングが建ち並び、極彩色の立体加工を施されたホログラミングネオンが妖しげに明滅する。

 音響機能付きの浮遊雷光掲示板からは、喧しいまでの流行りの音楽を垂れ流しながら今をときめくネットワークアイドルが四角い幻想の枠の中で歌い踊る。

 流線形で銀色に輝く空中移動車体が頭上を飛び回り、最新式の多目的奉仕型自動人形が人間よりも煌びやかな輝きを放ちながらショーウィンドウの中から微笑みかける。

 輝き、煌めき、散りばめられる。

 そんな光景は、まるで人間の繁栄と栄華の極致をけばけばしいまでに主張しているかのようであった。

 されどその一方で、地べたに這い蹲る者たちの目にはそのような輝きなどは存在していない。

 栄華から一本逸れた脇道――仄暗い裏通りに展開される景観もまた、この世界における現実の一面であった。

 路上には薄汚い露店が所狭しと並べられており、其処ではガラクタや盗品にまともに動作するかも怪しい粗悪な銃器、はたまた質の低い違法薬物すらも売買されている。

 日々の生活に疲弊しきった人々は俯きながら、もしくはその日の糧を探して目をギラつかせながら埃っぽい路地を歩く。

 工場から吐き出された悪性の物質を濃厚に含む光化学スモッグによる強酸性雨や、同じく碌な処置を施されずに垂れ流された鈍く七色に光る工業廃水における水質・土壌汚染は、濾過装置を保有しない低層貧民たちにとっては特に命に係わる問題であった。

 そんな力の無い者ほど生き難い世界であるが、其処では確かに人間は生きているのである。

 例えば、この少年――(みお)も、そんな貧民の一人である。


「お、お願いしますっ! どうしても――どうしても、僕にはお金が必要なんです!」


 お世辞にも小奇麗とは言えない小屋の中で、澪は一人必死に嘆願を続ける。

 年の頃は、十六。

 中途半端に色素の抜けたような灰色の髪に、臙脂(えんじ)を連想させるような黒味のある濃い紅色の瞳。

 碌に日々の食事がとれていない為に身体は痩せこけ、その身に纏う衣服と言うのもおこがましいような襤褸切れは、皮肉にも自身の髪色と同じような鈍色である。

 正に、その佇まいはこのご時世に珍しくも無い貧民の小僧と言うべき姿であった。

 辺りは、薄い合成金属の壁で囲まれた四角い空間。出入口の扉が一つに、換気用の小さな窓が一つ。

 室内に置かれたものは、この部屋の主専用であろうモスグリーンの安価な合成金属で作られたデスクにセットの椅子。デスクの上には、持ち運び可能な小型コンピューターが明かりを灯している。

 それから、その体面に置かれた来客用と思わしき簡素なパイプ椅子が一脚。

 あとは壁に掛けられた電子時計に、部屋の隅に置かれた一人用のロッカーであろうか。

 そんな掘っ立て小屋よりはマシな小柄な建物の中に現在居るのは、そんな澪を含めてたったの二人。

 つまり、澪の他に室内に存在する人物――この小屋の主人であった。


「――貴方、何度わたくしに同じことを言わせる気なのかしら?」


 冷やかに――興味の無いものを突き放すかのように発せられた言葉は、彼女から澪へと浴びせられたものである。

 小さな宮殿(こや)の小さな女王――彼女は見る者にそのような印象を与えるようであった。

 そう言って小さく溜息を吐いたのは、一人の女性――厳密には、少女とも言えるであろう年齢の娘である。澪と然程、年齢も変わらぬであろうか。

 白銀の髪はこの簡素な空間に不釣り合いなまでに絢爛であり、彼女の蒼い双眸は夜空に浮かぶ氷輪よりも冷たく――そして、何より神秘的であった。

 鼻筋の通った貌が見目麗しいなどと言うことはわざわざ説明するまでも無い事であり、幾分華奢に思えるその体躯も女性としての肉付きに欠点は無く、まるで開花する直前の華のような風情を携えていた。

 その身に纏う装いも、澪のそれとは比べるまでも無いほどに上等なものであることは一目で理解できるほどである。

 それ程身長は高く無いものの、スラリと伸びた脚もまた彼女の魅力を引き出すことに一役買っていた。

 艶やかな桃色の唇も、濃い睫も、ほっそりとした白い指先も全てが彼女――利劫りこうという少女が、この街で蠢く有象無象とは一線を画する、唯一無二の存在であることを声高に主張していた。


「帰りなさい。貴方に貸せるお金など、一圓(いちえん)たりとも持ち合わせてはいなくってよ」

「そこをなんとか……お願いします!」

「しつこい男は、全く好みじゃないの。それとも実際に手足の一、二本ほど消し飛ばされないと現実を理解できないのかしら?」


 澪が必死に頭を下げている相手――この利劫と言う少女は、所謂金貸しであった。

 決して、利劫は美しいだけの少女ではない。

 裏社会の闇の中で、誰が相手であろうと貪り尽くす悪徳高利貸し。

 何度目か判らぬ懇願に、白露(しらつゆ)を纏った凍風(いてかぜ)のような言の葉を利劫は澪へと吹かせる。


「わたくしも決して暇では無いのよ。何時までも、このような一銭の得にもならない茶番に付き合うつもりはないわ」

「そ、それでもっ……どうか……!」

「……よろしくて? わたくしは確かに貸付専門の金融業者であるけれど、此方も商売である以上当然顧客は選ぶの。つまり事業としてお金を貸す以上、其処には必ず返済させる(・・・)ということが確立しているわけ」

「おっ、お金は! お金はいずれ必ず返します! だからっ……」

「担保は? 返済の保証は? 莫大に膨れ上がる利子の返済については、どのようにお考えなのかしら?」

「それは、その……一生懸命働いて……」

「あらあら……どうやって? 如何なる手法を用いて、貴方は返済額を工面するつもりなのかしら? 仮にわたくしからお金を借りたとしても、その後どの様にして利子が上乗せされた借金を満額支払うと言うのかしら。日々の糧すらも満足に得られていない貴方が、一体どうやって稼ぐと言うのかしら。そして、そのように楽にお金を稼ぐことのできる手段があるのならば、わたくしも是非知りたいわ」

「…………」


 梅天(ばいてん)より降り注ぐ集中豪雨の如き怒涛の正論に、ついに澪は黙り込むことしか出来なくなってしまう。

 項垂れる澪の姿勢を見て、やっと諦めたのかと思ったのか、利劫は些か口調を柔らかくして諭すように唇を開いた。


「今更、貴方に言うまでも無い事でしょうけれど、お金は重い(・・)の。日々の生活に四苦八苦している貴方なら、それを嫌というほど実感しているでしょう?」

「……はい」

「お金は物を動かして、人を動かして、意志を動かして――それらを容易く壊してしまうわ」


 訥々と紡がれる利劫の台詞は、当然澪の身にも染みわたる事実であった。

 高みに居ようが底辺を這い回ろうが、この世界は奪い合いで満ちている。

 そして、その目に見える最たる物が金であるのだから。


「貴方が本当に返済の意志を持っていたとしても、返せる保証が欠片も見られない相手に貸してしまっては、それを嗅ぎ付けた他のクズ共が幾らでも群がってきてしまって――わたくしの商売が破綻してしまうわ」

「それは……」

「この世界は、嘗められたら――終わりよ。一度隙を見せれば、後はただ貪られ続けるだけ」


 だから、と――ゆらりと発せられた利劫の言葉は、諦めかけていた澪にとって一筋の光明であった。


「わたくしのために、働きなさい。わたくしの手足となりなさい。そうすれば、働きに免じた分くらいは融通してあげるわ」

「えっ……」

「勿論、楽なものではないし、事によっては簡単とも言えないわ。福利厚生なんて古代の遺産には期待しないでね。それに貴方が怪我しようが捕まろうが屍を晒そうが、わたくしは一切責任持たないわ――それでも、受けるかしら?」


 利劫から差し出された手は、澪にとって救済の御手であり――同時に、悪魔との契約のようにも思えるものであった。

 それでも。


「――お願いします。何としてでも、僕にはお金が必要なんです」


 即答、であった。

 澪には他に道など残されていないし、現状で掴むことのできるチャンスであれば、それがどんなにリスキーであろうと躊躇う余地など有り得なかった。


「そう――それでは、精々役に立って頂戴」


 手を取った澪にふわりと微笑んだ利劫は、まるで七彩に輝く氷晶のそれに良く似ていた。

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