序
──人がたくさん来るから、しばらく部屋から出てはいけない。
大人には、そう言われていたけれど。まだ幼い少女には、ずっと部屋にいるのはつまらなくて。こっそり部屋を抜け出して、隅にある四阿へ出かけてしまった。
ふわふわと踊る、白金色の細くてやわらかな髪。ひらひらと揺れる、淡いピンク色のドレス。クリクリして愛嬌のある瞳が、パチパチと瞬きを繰り返す。
しばらくのんびして戻ろう。
そう考えていた少女は、先客を見つけた。
そっと近寄ってみると、少し年上らしい少年が、静かに泣いている。
「どうして泣いてるの?」
少女が声をかけると、彼はひどく驚いた顔で、バッと振り返った。
(……きれい)
瞳の中に、夜空が広がっている。そこからこぼれる涙は、さしずめ星が浮かぶ川か。
まじまじと見つめる少女に、嫌気がさしたのか。少年はふいっと顔を背けてしまう。
「どうして、泣いているの?」
「……僕の目の色が、国のみんなと違うから」
根気よく問う少女に、ぶっきらぼうな声が答える。
「みんなと違うとダメなの? 私、あなたの目、夜みたいで好きよ。だって、鏡を見たら、いつでも夜なんでしょう? いつも見ていたら、きっと、月も星も見えるようになるわ」
ニッコリ微笑む少女の瞳は、暗い緑色だ。
思わず振り向いた少年が、少女の瞳をジッと見つめた。
「君の目も、あんまり見ない色だね。深い森に迷い込んだみたいだ。どこの国の子? 何て名前?」
「私の国はここよ。名前は……」
「アリーチェさまぁ」
「あっ、いけない!」
侍女たちは、ここが好きだと知っている。恐らく、真っ直ぐに向かってくるはずだ。
知らない人間と、しかも他国の者と顔を合わせたと知られたら。きっと、彼にも長くて退屈なだけの説教を聞かせることになる。
「ごめんなさい、私、行かなきゃ」
「あ、アリーチェ!」
呼び止められて、アリーチェは顔だけ振り返る。
「……また、会える?」
「わからないわ。空を渡る月のように、人の出会いは揺らぐものよ」
何を言ったのか、きっと彼にはわからなかっただろう。アリーチェ自身、ただの受け売りだ。意味までは、はっきりわかっていない。
けれど、今は何となく、この言葉がふさわしい気がしたのだ。
今度こそ、振り返らずに。アリーチェは、侍女の声がした方へ駆け出した。