手記(日記?)
小説は難しい。でも、そんなに難しく考えなくても、いいんじゃないか?
特に新人著者様に読んで欲しい。
とりあえず書いてみる。頭に何も浮かばないけど、書いてみる。
物語の創作の根源は妄想だ。妄想の中で繰り広げられるドラマを文章にかえて他者に伝える。それが小説であり詩なのだと考える。
よく、物書きに成り立ての者が言う言葉。
「文才がないので……」
文才なんてモノは、殆どの人が持っていない。
とてつもなく壮大な物語を執筆する著者様であっても、執筆用取材と称して、各地を巡りネタ集めをする。
妄想が根源の物語も、現実を零にして執筆する事は不可能に近い筈だ。
とりあえず、文頭に一マス空けて書きはじめ(段落)『!』や『?』の後は一マス(一スペース)空け(「 」の最後になる場合を除く)、「 」の最後の『。』は記入しない。会話文は改行して記入し、『…』や『―』は二の倍数(×四は長いので×三という方もおられるが)を使用して執筆を行い、行動描写、心理描写を必要以上に加えなければ、それなりの小説が書けるのではなかろうか……。
私も物書きの一人だ。しかし、詩や物語を多数執筆してきたが、未だに納得のいく文章を創作する事はできない。
結局のところ、想像力が乏しいのだ。
でも、書くという事は楽しみの一つであり、ストレス解消の一つでもある。
読む事も、楽しみの一つであり、ストレス解消の一つでもある。
今から半年程前、私は携帯電話に書いた小説を家族や知人に見せ、感想を貰っていた。
しかし、小説は所詮小説ではなく、ただの台本だった。
読者である家族や知人は、顔見知りであるが故にか高評価をくれていた。
調子に乗った私は、ここにその作品を投稿してみた。……が、感想がこない……。
私は他の著者様の作品を読んでみた。レベルが違いすぎた。
そして私の執筆は、プロデビュー目標から趣味へと変換した。
それでも執筆意欲は減退しない。何故ならば、書いたモノを読んで頂ける読者様がいるからだ。
昔幼少の頃に書いた作文。小説の世界ではエッセイというらしい。それでも、これも一つの小説だ。
妄想を根源とした物語ではなく、ノンフィクションの物語、コレも小説の一部だと考える。
書き手(著者様)がいて、読み手(読者様)がいて小説は意味を成す。
恐れる事なかれ。自分の生み出した文章を『駄作』や『駄文』と蔑む事なかれ。
創作執筆された文章は、著者個人の宝であり、読んでくれる読者様の宝でもあるのだから。
小説を執筆、物語を執筆、詩を執筆、エッセイを執筆する全ての方達に一言言わせて頂きたい。
「夢を文字で語る物語や情景を提供してくれてありがとう」
そして、これから執筆を手掛ける著者様に一言
「考えるな! 物語は無数に存在し、無数の読者様がいるのだ。自分の信じた道を進みましょう!」
最後に拝読して頂いている読者様にも一言
「いつも、読んで頂きありがとうございます。多種多様の著者様がおられますが、全ての文章に意味があり、心が組み込まれているのです。拝読頂きありがとうございます」
新旧問わず著者の皆様・著者兼読者様、夢を与えてくれてありがとうございます。そして読者の皆様、夢を受け取って頂きありがとうございます。
皆様、お体に(健康に)お気を付けて、これからも『小説家になろう』をよろしくお願い致します。
これにて、小説ではない不思議な文章を終わらせて頂きます。御拝読ありがとうございました。
「また、物語のネタが浮かんだら、書きたいなぁ……」
楽にいこう♪ 楽にね♪