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空想科学祭参加作品群

マリッジ・ホワイトスワン

作者: 虹鮫連牙

 空想科学祭2010参加作品です。

 http://sf2010.ikaduchi.com/

 ほんの僅かな時間。そう、時間にしたら一分程だ。俺はトイレに行くために部屋を出た。

 そして部屋に戻ると、何故だか見知らぬ人間が二人と真っ黒な卵がそこにいた。

 部屋の中に踏み込みかけた右足を引っ込め、開けたドアを引き戻してその後ろに身を隠し、顔半分だけを覗かせる。

 いる。やっぱりいる。しかも当たり前のように直立不動だ。

 俺に姿を見られて動揺しないのだろうか。それとも俺が部屋に入りかけたことに気が付いていないのか。

 いや、そんなわけないだろう。真っ直ぐにこっちを向いているんだし。

 何て声を掛けていいのか分からなかった。と言うより、声を掛けても危険は無いのだろうか。

 奴らの容姿を見れば、絶対普通じゃないということが分かる。

 直立不動の二人は、真っ黒なスーツに黒いロングコートを着ていて、おまけにサングラスと帽子までも黒だ。季節ってものを知っているのか? 学生の俺は今、夏休みの真っ只中だぞ。

 だが、何より一番気になるのは、二人の間にある卵だ。

 縦の長さが一メートルくらいある巨大で真っ黒な卵。それがふわふわと浮いている。緩やかな曲線で輪郭を描くそれは、部屋の照明を鈍く反射していた。

 こんな大きな卵は見たことがない。何が生まれてくるんだろう? いや、ってか何で浮いているんだ?

「だ……誰ですか!?」

 意を決して吐き出した言葉がこれだ。

 何言ってるんだろう、俺。あんなに怪しい連中に声を掛けるなんてせず、早いところ逃げれば良かったのに。

 俺は顔半分を覗かせたままの体勢で訊いた。とにかく、部屋の中に入ったらアウトだ。捕まったら殺されるかもしれない。

 二人が卵の方を見た。いや、卵じゃなくてお前等に訊いてるんだけど。

「いきなり“誰だ”とは、随分なご挨拶ね」

 あほか。ここは俺の家で、不法侵入者はお前等だ。

 そう言ってやりたいが、膝が面白いぐらいに震えている俺にそんな勇気は無い。

 ところで、今の声はどう聞いても女の声だぞ。あの二人のうち、どっちが女なのだろう。どっちも服の上からでも分かるくらいに凄い体格をしているんだけど。

「泥棒ですか!? ごめんなさい! うちにはお金無いんです! 父ちゃんも母ちゃんも仕事に出ているくらいですから! 本当にすいません!」

 とにかく謝った。臆病者と笑われても構わない。保身の為なら幾らでも俺は笑われてやる。あんな奴らを刺激して怒らせたら、何されるか分からないからだ。

「ふんっ、泥棒ですって? このわたくしが? …………不愉快だわ。ハイテンプル! ピュアウォーター! あの男を捕らえなさい!」

 しまった! 刺激してしまった!

 俺はすぐに部屋のドアを閉めて、廊下を走った。

 階段を駆け下りて、玄関のドアノブを掴むまでもう少しというところで、突然後ろから羽交い絞めにされた。速過ぎるぞ、こいつら。

「ああっ! あぁぁぁああっ! 助けったったす! 助けてぇっ!」

 両脇から伸びてきた黒スーツの腕。後頭部には荒い鼻息が掛かる。背中から伝わる黒スーツの胸板は厚く、それを感じ取っただけで俺の心は折れかけていた。俺を羽交い絞めにする男が背中を仰け反らせたのか両足は完全に浮いてしまい、更にその両足をもう一人の男が両脇に抱え込む。この時点で、二人はやはり男だったと判明した。

 なおも悲鳴を上げ続けていると、部屋で見た黒い卵が音も無く浮遊してきて、俺の腹の上で静止した。

「静かにしなさい」

「だって! だってぇ! ころさっ! 殺されちゃう! 死にたくないよぉ!」

「別に疾しいことをするつもりはないわ」

「…………え、そうなの?」

「ええ。誰かに目撃されたら困るだけよ」

「やあぁあ! 助けて! 疾しいよぉっ! いやあぁぁぁあっ!」

「うるさい!」

 突然、俺の上空に浮いていた卵が、浮力を失ったかのように腹の上に乗っかってきた。

 重い。何十キロあるんだ? 俺を捕まえている黒スーツの二人も、卵の重さと俺の体重を支え続けるのは結構きついらしい。物凄く踏ん張っている。

「話を聞きなさい。悪いようにはしないから、ね?」

 腹を圧迫されて呼吸すらままならない俺は、声を発することが出来ないのでとにかく頷いた。

 すると、腹の上の黒い卵が「よろしい」と言いながら浮き上がった。

 黒い卵が「よろしい」? 荒々しくも深呼吸をしながら、俺は初めて違和感に気が付いた。

 いつの間にか俺は卵と喋っていた。と言うよりも、最初に聞いた女の声がこの卵のものだった。

 この場の支配権が黒い卵にあるせいと、騒げば今度こそ殺されると思ったことから、俺はもう悲鳴を上げる気は無かった。

 とにかく、今度こそ彼等を刺激してはいけない。目的は分からないが、俺が逆らったって勝てるわけでもなさそうだ。

「落ち着いて話がしたいわ」

「な、なら……居間の方へ」

 そう言うと、二人の男は俺を解放した。ああ、目の前の玄関が遠い。

 彼等を居間へと案内すると、四角いダイニングテーブルの周囲にある椅子に男二人は座った。卵は座らずに浮いている。そりゃあそうだ、どうやって座るというんだ。

「あの…………お茶淹れます」

「ありがとう」

 卵がそう言った。卵が、だ。

 飲むのかな?

「幾つ必要ですかね?」

「数えられないの?」

「三つ……ですか?」

「自分のことは数えたの?」

「あ、飲みますよね。じゃあ四つですね」

「なんか不愉快だわ」

 俺は小走りでキッチンに向かった。

 あの卵がどんな風にお茶を飲むのかが気になったが、下手に気遣って殺されたら困るので、普通の湯飲みを四つ用意してお茶を淹れた。

 彼等の前にお茶を置く。

 この沈黙がたまらなく息苦しい。何で不法侵入者にお茶を出しているんだろう?

 最後の一つを自分の席に置き、俺は静かに椅子を引いて腰を下ろした。何で座っちゃってるんだろう?

 最初に沈黙を破ったのは、卵だった。

「さて、いきなりで申し訳ないけれど、私達もこんなところに長居は出来ないの。用件だけを伝えるわ」

 当たり前だ。長居されてたまるか。早くしてくれ。

「ちょっとこの家で花嫁修業をさせてくださる?」

 再び沈黙だ。

 一体、今この卵は何と言ったのだろうか。

「…………あの、もう一度いいですか?」

「ここで花嫁修業をさせてほしいのよ」

 三度目の沈黙だ。

 一体、この卵の言葉を理解出来ている者がこの場にいるのだろうか?

「…………あの、もう一度いいですか?」

「ここではなよ……喧嘩を売っていらっしゃるの?」

 全身を使って否定した。

「実は私、再来週に結婚するの」

「…………“なに”とですか?」

「恋人に決まっているでしょう」

 もう、本当に帰ってほしい。こんな訳の分からない会話を俺は続けなくちゃいけないのか。そんな突っ込みどころの多い言葉を聞かされて、俺は一体何を納得したらいいんだ。

 他人の家で花嫁修業だと? しかも卵が? 生まれてもないのにか? そもそも卵が何と結婚するんだ?

 俺は痺れを切らして訊いた。

「あの、あなた達は一体何者なんですか?」

 泥棒だろうと変人だろうと構わない。こいつらの詳細が分からなければ何もかもがさっぱりだ。

「…………仕方ないわ。教えましょう」

 仕方なくないでしょう。一番重要なところでしょう。

「私達は、未来からタイムワープしてきたフューチャーマンよ」

「…………未来人、ですか?」

「フューチャーマンよ」

 どうでもいい。

 それよりも愕然とした。他人の家で花嫁修業をしたいと言う卵って時点で既に理解不能なのに、更に自分を未来人だと言う混沌(カオス)っぷりだ。

「私は、未来から来たホワイトスワン財閥の一人娘、ホワイトスワン・ビューティーフラワー」

「お名前が長いんですね」

「そしてボディーガードのハイテンプルとピュアウォーターよ」

 黒スーツの二人が会釈をしてきた。何気に礼節をわきまえているようだ。俺も思わず会釈を返してしまった。名前からして日本人ではないようだ。まあ、サングラスをしているせいで顔立ちがはっきりとは分からないが。

 だが、それを言ったらこのホワイトスワンが一番の問題だ。国籍や顔立ち云々より、人じゃねえだろ。

 例えば、全く違和感の無い日本語を喋る外国のお嬢様だとしても、それだけ学があるのだろうと納得出来なくはない。でも、卵のお嬢様ってなんだよ。生みの親が珍獣なのか?

 もう分からないことだらけで頭が爆発しそうだ。何で“未来から来た外国籍のセレブ卵”が俺の家で花嫁修業なんてするんだよ。ってか何だよ、“未来から来た外国籍のセレブ卵”って。

 とにかく沈黙は辛いから、ちょっと話をしてみるか。幸いなことに会話は出来るんだから。

「あの、日本語がお上手ですね」

「ありがとう」

「お嬢様、お茶が冷めます」

 今喋ったよ! 横の男が喋ったよ! しかも流暢な日本語じゃねえかよ!

「日本語喋れるんですか!?」

「当たり前でしょう? 日本人だもの」

 名前は? さっきの名前は何?

 ふと、テーブルの上に出しっ放しになっている新聞が目に入った。今朝、父ちゃんが読んでいたやつだ。

 見出しの記事は、とある財閥の自動車会社が叩き出す不況知らずな業績を報じるものだった。

 その財閥の名前を見て閃いた。

「もしかして…………白鳥(しらとり)……えっとぉ、ビューティーフラワーだから美花(みか)って感じですか? お名前」

「な! 何を言ってるの!?」

 卵の声が裏返っている。裏声を発する喉はどこなんだよ。

 俺は黒スーツの二人の内、一人を指した。

高寺(たかてら)さんと……」

 そしてもう一人。

清水(しみず)さん」

 ああ、納得。何で無理矢理英語にしようとするかな。

「いい加減なことを言わないで!」

「いや、図星でしょう。それに白鳥財閥なら有名だし…………」

 突如、卵の表面に横一直線の光が走った。そして殻の外周を走ったその光を境として、卵の表面が上下にスライドして開く。

 いきなり予想外の動きを見せたので、俺は思わず短い悲鳴を漏らしてしまった。

 こいつ、機械だったのか!?

 卵の表面に生まれた隙間から、一本のホースが伸びてきた。

 まさか俺の発言で機嫌を損ねたので、俺の血とか脳とかを啜り取るのか? そんな話を古い漫画か何かで見た気がするぞ。

 一気に駆け上がってきた恐怖が俺の身を震えさせる。思わず両手を前に突き出して防御を試みた。

 しかし、そのホースは俺の方へ伸びてくることはなく、そのまま下降して湯飲みの中に投入された。

 あ、吸ってる。

「湯温、五十三度……飲み頃を逃したわね」

 こいつ、やっぱり機械だ!

「…………白鳥さんってロボットだったんですか」

「ホワイトスワンよ! それとロボットと言わないで!」

「え、なんで?」

「だって…………私は人間だもの」

 彼女の声が、少しだけ悲しそうな声色に変わった。

 そんな切ない声を出されては、彼女の事情を考えざるを得ないじゃないか。

 彼女が本当に人間だとしたら、こんな身体になったのにはきっと理由があるんだ。未来人ということは、きっと今よりも科学がずっと発達した時代の人で、そこでは身体を失っても生き長らえることが出来る技術があるんだ。だが、そんな身体が必ずしも良いとは言い切れない。やはり生身の身体には敵わない何かがあるんだ。人としての自我を残しながら、非人となってしまった彼女に世間は冷たい視線を向けるのか。機械だからという理由から生まれる偏見や差別や迫害。それが彼女を苦しめ、人である彼女の心をズタズタに切り刻んで傷つけてしまう。

 そんな話を何かの漫画で読んだ。

「昔、私は……」

 そう言って彼女は、ホースが出ている隙間から別のパーツを伸ばしてきた。

 ビデオカメラのようなそれは、テーブルの上で位置を決めると、テーブル上に突然光を放ち始めた。その光はテーブルの表面をスクリーン代わりとして、映像を流し始めた。

 なるほど、映写機か。

「いやいや、再現映像とか要らないですから! それにそんなことしたらロボットっぽいから!」

「再現じゃないわ。脳内の記憶をえいぞ」

「尚更じゃないですか! 人間離れしてますから!」

 案外自分の身体を便利に使いこなしているみたいだ。少しほっとしたけど複雑な心境だ。

 彼女は不満そうに「そう?」と言ってから、映写機を体内にしまった。

「じゃあ、口頭で説明するわ」

 だからどこが口だよ、とは言えなかった。

「まあ、要するに私は不幸な事故でこんな身体になってしまったんだけど、それでもフィアンセは……あ、彼は生身の人よ。彼はこんな私でも愛してくれていて、つい先月、プロポーズをしてくれたの」

「素敵な人じゃないですか」

「でしょ? そうでしょう? しかも生身の人間と、脳と脊髄以外をサイボーグ化した人の結婚ってのが史上初でね。取材とかもされたんだから。もうニュース番組とかは私の話で持ちきりよ? ちょっと待ってね、録画しておいた番組があるから」

 そう言って今度は、小さなモニターを伸ばしてきた。

「いいですから! 先に話をしてください!」

 進まない。

「そう? …………でね、彼は私と違って平凡な庶民なのよ」

「格差結婚という奴ですか? 今時」

「まあ、両親は反対してないから別にいいんだけどね。でね、庶民である彼は、やっぱり生活も庶民的なのよ。だから奥さんとなる私としては、彼の生活に合わせてあげたくて。でも私、一切家事をしたことがなくて…………それで、花嫁修業をしにここへやって来たというわけなのよ」

 なるほど。平々凡々な庶民である彼のために、自分がレベルを合わせようというわけか。

 それはそれで素敵な話だ。

 人同士なら、だけど。

「…………生活を合わせられるんですか?」

 家事が出来ないから家事の出来る女になりたい。その気持ちはすごく良いと思う。ましてや今まで全くの別世界で過ごしてきた二人だと言うのに、一緒になりたいがためにどちらかが未知の領域へ足を踏み入れようとするのは、まさに愛のなせる業だと思う。

 しかし、白鳥さんを見る限り、果たしてそれが上手くいくのかどうか。

 話を聞いた今となっては、彼女を応援してあげたい気持ちも全く無いわけではない。だが、機械と生身の両者が一体どれほど“夫婦”という関係を築けるものなのだろうか。俺には見当も付かない。

 いや、そもそもこの時代にそんなことが解るやつなんていない。

「なんで花嫁修業をするためだけに、わざわざこの時代にやってきたんですか? ってか何でウチなんですか?」

「トップシークレットよ」

「どうせ恥ずかしいんでしょう。知り合いのいないところでこっそりと修行したいんでしょう」

 高寺さんと清水さんの方を見ると、二人とも同じタイミングでそっぽを向いた。

 もうちょっと上手く隠せよ。

「まあ、強いて言うなら…………確かめたいことがあるから、かしら」

「確かめたいこと?」

「彼が、本当に機械の体の私を愛してくれる人なのか」

「え、じゃあその彼氏の家で修行してきたらどうですか?」

 もう一度高寺さんと清水さんを見ると、二人とも同じタイミングで俯いた。

 そこまで知り合いに見られるのが嫌か。

「とにかく! 花嫁修業をさせてくれるまで未来には帰りませんから!」

 お願いしに来ておいて、最後にはこんなワガママを言い出す始末。

 まあ、確かに帰ってくれないと俺も困る。

 ということで、俺は渋々彼女の要望を受け入れた。




 白鳥さんの花嫁修業を手伝うと決めたは良いものの、花嫁修業って一体何をするのだろうか。

 一般的に“家事のさしすせそ”と言えば、裁縫、躾、炊事、洗濯、掃除だろう。その中で俺が教えられるものはごく僅か。見様見真似で出来るものも含めたって、炊事と洗濯と掃除だけか。

 白鳥さん自身は家事全般がさっぱり分からないというから、習得したいものと言えば全てなのだが、欲張ったって無理なものは無理なままだ。

「特に覚えておきたいのって何ですか?」

「そりゃあ全部だけど…………」

 まあ、そうだよな。

「でも、新婚夫婦と言ったらアレじゃないかしら?」

「何です?」

 目の前の黒い卵から、妙に色っぽい声が聞こえてきた。

「あなた、お風呂にする? お食事にする? それとも…………私?」

 え、それって、風呂にするか食事にするか卵料理にするかってことかな。

 まあ、男心から考えて、おいしい料理を作ってくれる奥さんは嬉しいよな。

「じゃあ食事で」

 そう言っては見たものの、炊事を教えると言っても何からすればいいのか分からない。と言うより、俺が教えるってのも変な話だ。

 それ以前に、この卵の様な姿で家事をするということ事態が変な話かも知れない。

 だが今は、白鳥さんをただの花嫁修業者と思うことにしよう。

「白鳥さん、料理の経験は?」

「小学生の時に、理科の授業で多種多様な塩分濃度の食塩水を作ったわ」

 無いに等しいな。よし、やっぱり料理からいこう。

 庶民的なフィアンセのためにも、作るなら庶民的な料理がいいだろう。

 俺は冷蔵庫から味噌を取り出した。

「じゃあまずは味噌汁から」

 仕事で疲れて帰って来た旦那さんが、そして将来出来るであろう二人の子供が、白鳥さんを想いながら味噌汁で体を温める姿が目に浮かぶ。

 旦那さんももちろんそうだが、二人の間に出来る子供のことを考えても、おいしい味噌汁作りは必須スキルだと思う。俺自身が母ちゃんの味噌汁好きだし。

 おふくろの味と言ったら、やっぱり味噌汁だろう。なんかそういう歌も最近ヒットしたな。

 あれ? ところで子供は出来るのかな?

「白鳥さん、味噌汁は飲んだことありますか?」

「あるわよ、ミソスープくらい! それとホワイトス」

「気になってたんですけど、何で中途半端に英語なんですか? 味噌汁といい、自分の名前といい、言いづらいでしょう」

「時代が進めば意識も変わるものよ! あなたのいる時代なんかよりも遥かに高度な科学力を持った時代から来た人間が、いつまでも古臭い言葉なんて使えるものですか!」

「そういうもんですか?」

「そうよ! じゃああなたは、トイレのことをいつまでも“厠”と言ってればいいじゃない。レコードプレーヤーを“蓄音機”と言い、ポットを“魔法瓶”と言い、キスを“接吻”と言ってればいいじゃない!」

 だからって高寺さんが“ハイテンプル”というのはぶっ飛びすぎだ。要するに、未来人である自分をこの古い時代の中でも異質な存在であるという、優越感に浸りたいだけか。

 俺は鍋をガスコンロに乗せ、豆腐と油揚げとワカメをまな板の脇に置き、包丁を添える。

 ここまで手際よく準備したは良いが、実を言うと俺も味噌汁を作ったことが無い。

 そう言えば、いつも母ちゃんが作ってくれているのをじっくりと見たことが無かったな。最初はどうすればいいんだろう?

「まずは……材料を切ればいいのかな?」

「では私がやりましょう」

 そう言った白鳥さんは、ホースやら映写機やらを伸ばしていた先程の隙間から、銀色の細い円筒と球体関節で組み立てられた二本の義手を伸ばしてきた。

 義手先端の三叉の爪が、小さなモーター音を発しながら大きく開く。まるでクレーンゲームのクレーンだな。

「それじゃあ包丁掴めませんよね」

「そんなことないわ。見てなさい」

 三叉の爪がゆっくりと動き、まな板の上の包丁に近づく。

 爪の先端が包丁に触れた。しかし、人の手のように柄を包み込むことが出来ない為、爪が触れる度に包丁が向きを変えてしまい、なかなか持ち上がらない。

 五分ほど格闘が続き、白鳥さんが義手をだらりと垂れ下げた。

「ピュアウォーター…………向こうに帰ったら、新しい義手の手配をなさい」

「かしこまりました」

 表情が読み取れないというのは少々厄介だ。それでも、声のトーンから察するに相当がっかりしている。

 これは結構重大な問題だ。白鳥さんの今の姿では、まともに包丁を握ることすら出来ない。さっきの映写機とかテレビは要らないから、包丁とか鍋とか出てこないのかな?

「じゃあ食材は俺が切りますから…………えっとぉ、お湯沸かしておいてください」

「分かったわ」

 ふてくされたように言いながら、白鳥さんが鍋を持ち上げる。

 すると、今度はお茶を吸ったときに見せたホースが伸びてきて、そこから湯気を立たせた熱湯が出てきた。

「え、便利! お湯が出てくるんですか?」

「ええ、さっきいただいたお茶とかその他諸々で得た水分を浄水処理して沸かしているの」

「きたねえ! そんなの使わないでくださいよ!」

「だから浄水処理してるってば!」

 無駄に高性能な気がする。

 俺の言葉を無視して、白鳥さんは見つけた料理本を清水さんに開かせた。

「ミソスープに使うミソの分量は、ここにある食材の量から計算すると…………算出完了。うん、オッケー」

 こういうところは機械って便利だな。計量は寸分の狂いも無い。

「味噌汁の後は煮物も作りましょう。ふふふっ、なんだか楽しくなってきたわ」

 笑った。相変わらず表情は見えないけれど、本当に楽しそうな声で笑っていた。

 外見は確かに機械だけど、でも中身は結婚を控えた女性なんだよな。初めて見た彼女の女性らしさに、俺は少しだけ心を和ませた。

 煮物の作り方は味噌汁以上に解らないため、ここは素直に料理本に従うことにした。

 食材を切るのは俺だが、調味料の分量などは白鳥さんの正確な計量によって用意された。料理本の内容は白鳥さんが全てページごと記憶した為、手順を間違えることも無かった。

 始める前はめちゃくちゃな料理が出来ると思っていたんだけど、意外なことに台所を満たす匂いは食欲をそそるものだった。

 ただ、ちょっとした意地悪で白鳥さんに“料理のさしすせそ”を尋ねたところ、サルサ、シュガー、スイートワイン、セージ、ソースと答えたのには驚いた。知っている調味料をさしすせそ順に並べただけだろ。しかも和名じゃないものばかり選びやがって。

「お鍋の中身が焦げないように、ハイテンプル! よく見ておきなさい」

 火をかけたままの鍋を高寺さんに任せ、白鳥さんは居間を出て行った。

 俺は高寺さんにお願いしてから、白鳥さんの後を追った。どこへ行くつもりだろう?

 廊下に出ると、彼女は二階の方へと向かった。

「どこ行くんですか?」

「掃除よ。手始めにあなたの部屋を掃除して差し上げるわ」

「ええ! いいです、結構です!」

 俺は慌てて階段を駆け上がった。

 俺の部屋には触れてほしくない。そこは俺の聖域であり、それ以前に高校生の部屋ってのは誰にもいじられたくないものだというのは、いつの時代でも常だと思う。

 とにかく、いろいろと隠してあるものが見つかるのは非常にまずい。

 白鳥さんはもう俺の部屋の入り口を潜っていて、その後をすぐさま俺は追った。

 部屋に入ると、彼女は部屋の中央に浮いたままで体をゆっくりと回転させている。体の頂上部からは、傘をひっくり返したようなアンテナが出現していた。

 何をしているんだ?

「…………本棚の本の幾つかに、表紙と中身が合ってないものがあるわ」

「なっ!」

 それはカモフラージュを施した如何わしい本だ!

「あら? ゲームソフトのパッケージの中身も、タイトルと違うソフトが入っているようだわ」

「だから見なくていいってば!」

 それもカモフラージュを施した如何わしいアレだ!

「『先生、食い込んじゃってます!』…………何このタイトル?」

「読み上げるなよ!」

 俺も変なタイトルだとは思ったよ。

 いや、そんなことよりも気になるのは、白鳥さんに搭載された数々の機能だ。そんなの日常生活には使わないだろう。

 事故で体を失い、機械の体を手に入れたんだろう? じゃあなんでそんな日常生活には必要の無い機能ばかり付けているんだ?

 それこそ、さっき俺が思ったみたいに包丁とかを付ければいいじゃないか。

 一体、白鳥さんが暮らしているという世界はどどれほどの未来だと言うんだ。日常生活にそんなスパイが喜びそうな機能を必要としているのか?

「ってか、白鳥さんって何年後の未来から来たんですか?」

 訊いてみた。

「八年後よ」

「近っ! めちゃくちゃもうすぐじゃん!」

 俺が思っていたよりも随分とご近所の未来人だった。

 なんだか未来人って話の信憑性が薄らいだな。まあ、最初から半信半疑だけど。

「今から七年後、宇宙から超科学力を有した文明人が飛来してきて、日本に降り立つの」

 ああ、信憑性が更に薄くなる。

「そして自分達が持つ高度な科学力を地球に残しながら、地球観光を堪能して帰っていくのよ。特に秋葉原の電気街は気に入ったと言っていたみたいね」

 もう、信憑性なんて必要ない。

「そんな時代が七年後にやって来るんですか?」

「そうよ」

「そんな時代の科学力の集大成の一つが、白鳥さんの体ですか?」

「え、ええ。まあ…………」

「いっそのこと白鳥さんが働いて、旦那さんに家事してもらったらどうですか?」

「なんですって?」

「そんなすごい機能をいっぱい持ってるんだから、いい仕事出来そうじゃないですか」

 部屋を勝手に透視されて苛立っていたのもあるのだろう。かなり嫌味が含まれた言葉だった。

 言葉が返ってこない。

 俺は白鳥さんを見たが、彼女は変わらず浮いているだけだった。

 変わらず? 本当に変化が無いのだろうか。

 表情が読み取れないというのはかなり厄介だ。

「あ、あの……白鳥さん? 故障……ですか?」

「…………七年後、地球人類は本当に信じられないような科学力を手に入れるの」

 彼女の声は冷たいものだった。それは、銀行のATMが発する機械音声よりも冷たく感じる声。

 聞こえてくる発音は生身の俺と変わらないくらい流暢なのに。

「たった七年後よ? 今の人類が到底扱えるようなレベルじゃないの。でも、手にしてしまった人類は何とかその力を使いこなそうと、“無謀にも”努力を重ねるわ」

 どれほどの科学力なのか。

 彼女が少しだけその片鱗を見せてくれている。タイムワープなんて漫画の中だけの話だと思っていた。 

 そして俺には見えた。白鳥さんの言葉から感じた未来予想図は、まさしく混沌(カオス)だった。手に負えない力に翻弄される時代。そんな時代から生まれた白鳥さんの体は、果たして本当に未来の生活に適したものなのだろうか。

 映写機を備えた体なんてビデオカメラと変わらない。浄水器を備えたポットと一緒にされたら不愉快だ。包丁なんて仕込んでいたら兵器みたいだ。

 難しい線引きだと思う。人を救うためとは言え、一体科学力はどこまでその力を発揮しても良いのだろうか。

 俺は無神経だった。彼女は、必要以上に救われた人だったんだ。

「故障なんて言われたら…………ロボットみたいで嫌ですよね」

 当然だろうな。こんな体になってしまったら、体調不良を起こした時に連れて行かれるのは病院ではなく技術屋のところなのだ。

 それは、肉体を失った彼女の意識に、消えない烙印を鮮明に焼き付ける。

 “お前は人では無い”、と。

「…………ええ、不愉快だわ」

 だが、彼女には怒りを表す表情が無い。涙を流す機能も無い。

「想像を絶する科学力を手に入れた人類が、たった一年でそれを使いこなせるわけないじゃない。試行錯誤が繰り返され、方向性を見失ったものばかりが作り出され、そんな結果を与えられて喜べるわけないでしょう」

 その通りだと思う。

 彼女の体に搭載された機能は、本当に無駄なものばかりだった。

 おそらく実験段階のものも含まれているんじゃないだろうか。記憶の映像化を成功させていながら、彼女に備えられた義手はあまりにもお粗末だ。まるで慌てて取り付けたみたいに。

「それでも…………彼は私と結婚を約束してくれたの。こんな体になってしまって、別れ話を持ち出した私に向かって、“機械の体でだって僕の妻は務まるよ”って…………そうプロポーズしてくれたのよ」

 本当にその男は良い奴なんだと知った。

 人間は更なる自己の発展を求めるが故に、宇宙からの超科学力にさえも貪欲に飛びついた。

 それと同じくらい貪欲に、白鳥さんのフィアンセは彼女との未来永劫の愛を求めたのだろう。 

「そんな彼のためですもの。体裁なんて気にしてられないわ。何が何でも妻としての務めを果たしてあげたいじゃない。だから私は、自分の出来る限りの全てを使ってでも彼の妻でありたいのよ」

 そのための花嫁修業か。だからロボットという言葉を嫌いながらも、機能をフル活用させようとしていたのか。

 俺は、彼女のような芯の強い女性が嫌いではない。

 もう俺の目には、彼女の姿が卵には見えていなかった。 

 表情だって読み取れる。

 それならば、とことん付き合ってやろうと思った。

「白鳥さん」

「何?」

「掃除、教えます」

 俺の声の調子が変わったのを不思議に思ったのだろう。

 卵がゆっくりとこちらを振り向いた、たぶん。正直言って正面がどっちか未だに分からない。

「俺が言った言葉、軽率でしたね。白鳥さんの一生懸命さを考えもせずに……すいません」

 白鳥さんからの言葉は無い。何度も思うが、やっぱり表情は必要だな。

 だが、彼女に言わなければいけないことは今のうちにきっちりと言ってしまおう。

「フィアンセの人の考え、今なら俺にも分かる気がします。生身か機械かじゃなくて、“白鳥さん”のことを気に入っているんだなぁって…………白鳥さんみたいに真っ直ぐな気持ちで頑張る人、俺だって嫌いじゃないですもん」

 言葉は未だに返ってこない。彼女はまだ怒っているのだろうか。

「…………じゃあ、信じてもいいのね」

「え? 何ですって?」

 二度は言ってくれなかった。何て言ったのだろう。

 彼女の言った言葉は聞き取れなかったが、俺はやろうと決めたことを実行するまでだ。 

 改めて、彼女の花嫁修業を手伝ってあげたい。

「掃除機持ってきますね…………使い方分かりますか?」

「…………知っているわよ、バキュームクリーナーくらい。それと、さっきから気になっているんだけど、ホワイトスワンだからね」

 そう言って彼女は、体の後方にあるコンセントの差込口を義手で指し示しながら、早く持って来いと合図した。

 彼女の声の調子が戻っていて嬉しい。

 その後、俺達は部屋の掃除と洗濯物の始末を慣れない手つきで済ませた。

 そうするうちに、外はすっかり日が暮れていた。




 居間のソファーに身を預けた俺は、白鳥さんと連れの二人がこちらを向いて佇んでいることに気が付いた。

「今日はいろいろと助かったわ」

 そう言って、白鳥さんは三叉の義手の先端に小さな封筒を摘んで差し出してきた。

「何ですか? これ」

「手間賃よ」

「いいのに、別に」

「受け取りなさい。未来でも通貨は一緒だから」

 全て電子マネーに切り替わっていないだけ、まだ彼女の時代に近親感を感じることが出来る。

 封筒を受け取る俺を見て、彼女が微笑んだのを感じ取った。

「あれ? そう言えば確かめたんですか? フィアンセの気持ちが嘘じゃないかどうかは」

 彼女がこの時代にやって来たという理由の一つだ。今日はうちでずっと家事の練習だったから、そんな暇が無かったんじゃないだろうかと心配になった。

 しかし、返された答えはずいぶんとあっさりした口調で語られた。

「もう分かったからいいのよ…………私は、彼のプロポーズの言葉を信じられるわ。彼は、機械の体とか生身とかではなく、きちんと“私自身”を見てくれる人だと分かったからいいのよ」

 なんでまた急にそんな答えが出たのか。俺にはさっぱり分からない。

「では、帰ります。あなたの記憶は数時間だけ消させてもらうからね」

「うわあ、未来っぽーい」

「フューチャーマンですもの」

 そう言いながら白鳥さんが合図を送ると、高寺さんが俺の目の前にインスタントカメラのような機械を向けて構えた。

「また会えますかね?」

「…………時間を越えての出会いはもうないでしょうね。なんか、タイムワープの使用にも更に厳しい規制が入るみたいだし」

 もうすぐやって来る未来は大忙しらしい。

「…………でも、この時代にいる私になら近いうちに会えるわよ」

「え、そうなんですか? 何で分かるんですか?」

「フューチャーイマジンよ」

 英語はそんなに出来る人じゃないんだな。たぶん未来予知と言いたいんだろう。未来想像(フューチャーイマジン)なんて誰でも出来るし。

「じゃあもう行くわ」

「あ、最後に一つだけ」

 白鳥さんが不思議そうにこっちを見た、気がした。

「俺の名前教えてなかったでしょう。白鳥さん達は記憶を持って帰るんだし、記念に憶えておいてよ」

「必要ないわ」

 何て寂しいことを言うんだ。

 記念に自己紹介させてくれてもいいのに。

「じゃあね…………あなた」

 次の瞬間、俺の目の前に真っ白な光が広がり、その後すぐに視界が真っ暗になった。




「ちょっと、こんなところで寝ないでよ」

 いつの間にか母ちゃんと父ちゃんが帰ってきていた。

 どうやら俺は、居間のソファーの上で寝ていたみたいだ。

「夏休みだからってだらけ過ぎじゃないの? ちょっとは宿題やったんでしょうね?」

「あれ? 今日何したっけ?」

 呆れたようなため息が背後から聞こえた。が、次の瞬間母ちゃんの驚きの声が響き渡った。

「誰が作ったの? この煮物…………あんた?」

「憶えてない」

「アホじゃないの? でも良く出来てるわね」

 誰が作ったのかがはっきりとはしないが、俺の服が煮物に使われた調味料で汚れていたために、やはり俺が作ったことになった。

 その煮物と味噌汁は夕飯に出され、それを食べた父ちゃんと母ちゃんからは、

「うん…………不味くはないけど、無難な味だな」

「この子変なところ神経質だから、料理本の分量をよっぽど正確に守ったんでしょう」

 ということで、その日の食卓では母ちゃんによる隠し味講座が行なわれた。

 よし、将来俺が結婚したら、今度は隠し味を施した煮物を作って驚かせてみるか。


 ≪了≫

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― 新着の感想 ―
[一言] >「うん…………不味くはないけど、無難な味だな」  俺が抱いた感想は、正しくこの父ちゃん(?)のセリフと同じ。  読んでいる途中で、3つ4つオチが思いついたけど、その中で一番無難なオチがつ…
2011/07/06 02:33 通りすがる一般人
[一言]  拝読をさせていただきました。  個性ある……というか個性そのもののキャラクタと設定が生きており、とても楽しんで最後まで読み進めることができました。  ほのかなシリアスも随所のギャグもいい具…
2010/10/15 22:56 退会済み
管理
[一言] 素晴らしい! 話のテンポ、ストーリー、未来を予想させる終わり方……どれも秀逸です。 >「…………“なに”とですか?」 >「恋人に決まっているでしょう」 きっと未来でも微妙にずれた、ほのぼの…
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