表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/41

お六と権兵衛外伝 山猿がないている

山猿がないている(お六と権兵衛 外伝)

ーーーーーーーーーー


 ……傷のある男だった。抜身の錆びたなまくらを腰からぶら下げて、何をしているのかと思えば自分で抜けないという。男は、左腕がなかった。なんでもこの山に棲む大猿に、食われたのだという。飛騨には強い猿がいるのだな、と感心しているとなぜ強いとわかるかと聞かれた。お前が強いからだ、と言ってやったがわからないようだ。強くはない。男は自分を猿だと言った。この山の主の座を賭けた戦いに負けた、山猿。それ男の名前だという。


 荒れ寺の中には雨の音が響くばかりで他には誰もいない。山猿と名乗った男は、ここを根城にしているという。負けて這いつくばりここに転がり込み、命はあるが腕は戻らない。剣は握れるようになったが、それだけだという。山猿はこの寺で妖怪と居合わせた。百害という妖怪は、片手で持つならこうだと山猿に刀を持たせた。逆手に持った剣を、ようやく振れる程度の握りらしい。自分で考えればもっといい握りがいくらでもある。すぐに腕前は、半分ほどにはなったという。


 旅の者は何をしているかと問われ、ほんの野暮用だと答えた。清六や判次ならもう少し愛想があるのだろうが、俺はそうではない。十郎、と名前だけ教えると、山猿はくくくと笑った。家の名前にそっくりだという。山猿は元は武家の血筋、柳生某などという大それた名前もあったが所詮は妾の子。追い出され戻ることもできず山奥で猿に食われ、死にかけた。どこどこまでも十の文字に縁があるようだと言っていた。……雨はまだ降っているが俺は出て行こうとした。だが山猿が呼び止める。そう気にするな、休んでいくがいい。俺と山猿は言葉も交わさずに雨が止むのを待った。


ーーー


 翌朝、雨が止むと麓に送ってやると山猿がついてきた。自分とて寺から出ないわけではない、風に当たろうと山道をついてくる。道が開けると、田畑と共に人がいるのが見えた。その向こうには、大名行列だろうか。ご苦労なことだ、お上も常々外様まで目を光らせねばならない。必要とはいえ、どこも大変なものだ。山猿は農民に怖がられていた。もとより余所者で山の主を切り捨てようなどと考える山猿は、農民たちには理解できないらしい。斬ると言っても向こうが来たときだけだ。山猿はなまくらを揺らしてみせた。足の指が地を蹴る音が、美しく鳴った。

 

 あちらの街道には宿場町がある、小さなものだが泊まるくらいはできるだろう。そう言って山猿は俺を送り出してどこぞへと消えた。


「山猿?あいつ、生きてたのか」


 ……幾度か町に訪れた山猿は、よく思われていないらしい。物騒な人斬り包丁を振り回したがり、迷惑千万。誰が斬られたんだ?と尋ねると、どこぞの誰かが斬られた「らしい」としか返ってこない。そういうことか、と休もうとした。隣の宿には、大名行列の一行がいるらしい。関わるつもりなど、俺にはなかったのだが。


 お待ちください!と宿の者が武士相手に喚いていた。何かと思えば、大名行列にいた中の一人が、女はおらぬかと刀をちらつかせたという。騒ぎになっても寝苦しい、俺は後ろからそいつの手を掴んで刀を取り上げた。妙に硬い手首に、少し驚いた。そいつは帰っていこうとしたのだが、その場で呼び止めて聞いた。


「待たれい。名は」


 ……一の目、と名乗ってそいつは隣の宿に戻った。何かあればお上に今の名を言うようにと宿の者に伝えて、俺も部屋に戻った。その間、聞くつもりもなかったのだが女中たちの声が聞こえてきた。


「猪俣様はどうなされたのかしら」

「様子がおかしいわね」

「お名前が変わったって」


 特に興味もなかった。早く寝るとしよう。俺は部屋の明かりを消し、布団に横になった。


 窓の外の月明かりに、寝る前に少しだけ目をやった。閉めておくべきか。そんなことを考えている場合ではなかった。誰かが覗き込んでいる。……誰か?何かだろうか。ずんぐりとした頭の何かが、ベタベタと壁を伝ってどこかに消えた。すぐに身を乗り出したが、もう姿がなかった。


 翌る日の朝、宿の者に聞けばそんな化物がいるわけがないという。外に出ていたのは散歩に出た猪俣の使い、二の舌という者だけ。二の舌を見ても化け物であるはずがなく、何かの間違いだろうとなった。妙な気を遣って疲れが取れず、すぐには立たなかった。こちらを見ていたのなら……すぐに立つわけにもいかなかった。蕎麦屋の一つもある町だったのは幸運だ、とりあえず食うとしよう。店に入れば、やはり猪俣の者たちがいた。


 品のない騒ぎ方、品のない話。下世話なことを言うなとは言わないが、いくら外様でもこれでは話にならない。店の娘が尻を撫でられて怒っているが猪俣の者たちは喜ぶばかり、通るついでに娘を引っ張って角の席に連れて行った。少しは静かにならなければおちおち蕎麦も食えない。娘はありがたがったが何が変わったわけでもなく、もりを一つと言うまで動かなかった。


 蕎麦を待っていると、誰かが寄ってきた。猪俣の使いの一人、大柄な男。俺の何が気になったのか、腕比べをしようと言う。負けたら三べん回ってワンと言えなどと言われてもやる必要がない。遠慮しておく、と答えると胸ぐらを掴まれた。凄んでいるようだが大した者ではない。表情を変えないだけで余計に怒り出した。やれやれ、殴られてやるか。そう思っていると、誰かが男の肩を叩き、殴り倒した。知っている相手だった。


「何をしている、山猿」


 何かありそうだと聞いて来たくなった、という山猿は男を見下ろした。俺が相手をしよう、三べん回るんだったか?そう言われて男は引っ込んだ。男は猪俣の家来の一人、奥の渦という者だったらしい。家来の中でも、腕自慢だそうだ。おそらくこのままは終わらないだろう。出て行くことも見ないこともできず、俺と山猿は町にいることになった。


 猪俣は大名行列であれば、すぐに江戸に向かう。後から騒ぎ立てるような治世でもあるまい。そう踏んだのだが、猪俣が立つ朝、事が荒だった。猪俣の家来が、町で当たり散らしているという。下手に止めればこの場で何があるかわからず、止めなければやられるばかり。そいつは山猿を見つけて刀を抜いた。首筋に突きつけられた刃に、山猿は笑った。腰を切って刃の通り道から抜け、足首を蹴りつける。砕けた足で立っていられず、相手はへたり込んだ。山猿の錆びたなまくらが、相手の顎をぐいと上に向けさせた。残念だが俺は町の者ではない。やるなら今来い、と言っていたのだが。


「ぐははははは!やってやろう!」


 昨日やられたばかりの奥の渦が、ずいと歩み出た。後ろには一の目、二の舌が控える。山猿は、手出し無用だ、とやり合うつもりらしい。心配はいらぬだろうと思っていたが、飛びかかった奥の渦の足を山猿が払って転ばせ、すぐに勝ちが決まった。尻餅をついた相手と見下ろす者、まずここから変わりはしない。膝は動かぬだろうと、山猿も思ったようだ。それに意を唱える者が、ここにはいた。


「待たれい。もう一度だ」


 駕籠の中にいる猪俣は、俺たち相手に言っているらしい。何度やっても同じ、それがわからないのだろうか。駕籠の中からは二つの声が聞こえた。なあ兄者、そうよの弟。俺は駕籠の中の、猪俣のような何かに聞いてみた。


「いつからご兄弟になられた?」


 島原の猪俣殿なら、嫡男は一人のはず。二人いるとして、同じ駕籠には乗りますまい。答えなくなった駕籠の中の相手をしばらく待っていたが、俺は刀を抜いて駕籠を切りつけた。皆驚いたようだが、この中にいるのが大名ではないとなれば斬りつけるのが自然。だが真っ二つになった駕籠の中にいたものには、驚かざるを得なかった。


 ぐちゃりと積まれた臓物、垂れ落ちる血。人の体から肉という肉を奪ったような姿が、駕籠の中にあった。臓物は自分で立ち上がり、二つの塊になった。五の臓、六の腑と呼び合うその二人は、奇怪な姿だけで言葉をなくさせるには十分だった。そのとき、ぎゃっと声が聞こえた。さしもの山猿もこの怪物に驚いたようで、後ろから奥の渦に殴られて倒れた。蹴り付けられ踏みつけられ、ここぞとばかりになじられる。割って入ろうとしたら、刀を持つ手を掴まれた。何奴!……まず掴まれる間合いには誰もいなかったと、さすがに気が付かなかった。人だかりの中から二の舌が、自分の舌をこちらに伸ばしていた。ゆうに十尺はあろうかという長さ、その姿は蛙のような化物。悲鳴を上げる者もいたが、一の目に睨まれて何も言えなくなった。殴り倒された俺と山猿は這いつくばり、泣いて謝れば許してやる、と言われた。さらに奥にいる、髄という者がそう言っている。山猿は起き上がり足を正し、目の前の奥の渦に言った。親父のようなことを、言ってくれるな。妾の子が謝る必要など、どこにあるか。……貴様らにひれ伏す必要など、どこにあるか。喰らいつくような山猿の笑みに、奥の渦はたじろいた。やってしまえと言われても踏み出せず、どちらが困っているのだか。俺は立ち上がり、刀を拾った。二の舌がもう一度舌を伸ばしたが、来るとわかっていればくだらない宴会芸、どうということはなかった。任せてくれぬか、と山猿が言っていた。しなくていいなら、こちらも助かる。猪俣の者たちは、一目散に山へと逃げ込んだ。


「山猿、行くぞ」


 ああ、と俺たちは猪俣の一行を追い、山に入った。


ーーー


 くたばった家来どもが、すぐに見つかった。所詮は飼い殺し、役に立たぬとなれば生かしておいてもらえない。あの奇怪な妖たちは、まだ姿が見えない。じきに日が暮れる。おそらくは、その前に来るだろう。そう思っていると、夕暮れどきに襲われた。ぎょろりと異様に大きな目玉をした、獺のような生き物。一の目で間違いあるまい。さらには蛙のような姿の二の舌、奥の渦と思われる男は……屈強な体だけの、のっぺらぼうになっていた。取り囲まれたが、お手並み拝見といったところだ。任せるぞ、と言っただけで俺は何もする気がなかった。


 踏み込んだ山猿が手の端で奥の渦の顔を張る。鋭い。驚いた奥の渦は、山猿を見失った。二の舌の顎を掌で打ち上げ、一の目の顔のすぐ前に腕を振った。通り過ぎた指を目で追って、一の目の体が泳ぐ。山猿の手がなまくらにかかり、打ち抜こうとした、そのとき。


「与兵衛や。お待ち」


 ……山猿の動きが、わずかに鈍った。刀を振るのが遅れて奥の渦と二の舌が山猿に飛びかかり、叩き伏せた。そして現れたのは、何かを軸にわずかに人の形を成した五臓六腑。母君の言う通りだ!と妙に喜んでいた。髄、と呼ばれる何かは、まだ姿が見えない。


 女の声は、山猿に言った。懺悔するなら、聞いてあげましょう。山猿は、這々の体で起き上がると、是非させてほしいと言った。背筋を正し、人のようなだけの何かに向き直った。


「この馬鹿な息子の話を、おっかさんに聞いてほしい。……こうしてやれなくて、すみませんでしたってな」


 山猿が逆手に持ったなまくらが振り抜かれ、奥の渦の首を刎ねた。そのまま刀の柄で二の舌の顎を砕く。くるりと手の内で返し、一気に踏み込んで一の目の喉元を掻っ切った。一瞬で手下を失い、人のような何かは驚いたようだ。だが山猿も息が上がっている。いらぬ世話だと思いながら、俺は刀を抜いた。


「助太刀する。一度だけな」


 ……恩に着る、と山猿が言っていた。人のような臓腑の塊が、ぎゃぎゃぎゃと笑っていた。俺の刀はそれを袈裟懸けに切りつけた。俺の太刀はここまで、だが振り返るときには終わっていた。山猿の刀が臓腑の塊を薙ぎ払い、もう形をなしていなかった。ぼろぼろと落ちた臓腑の中に、ミミズのようなものが這っていた。どうするのかと思えば、山のどこかに逃げていった。山猿はそれを追わず、おそらくは同じだろうと言っていた。程なく、山の中腹から雄叫びが聞こえた。この山の主が、食い物にありついたのだろうと山猿は語った。


 猪俣の大名行列は、もう江戸に着くことはない。オレは取り急ぎそれを伝えに行く。この世には、不吉な噂がある。あと五百年もすれば、この世は終わる。……もっと早く終わるかもしれないという者もいる。猪俣が荒ぶる神だったのか、似非の神だったのかは知る由もないが……山猿は興味がないようで、俺に別のことを尋ねた。


「なぜついてきた?」


 おそらくは身分を明かせないはずだ。なら関わらないものだろうと山猿は思っているらしい。何のことはない、俺は泣いている奴を見て放っておけるほど、肝が据わっていない。それだけのことだ、と伝えると山猿は不服そうだった。誰が泣いている?……ずっと泣いているだろう、と言えるはずもなく、誰だったかなとはぐらかした。

特に何も終わっていないが昔書いたのを懐かしんで上げているのでここで終わっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ