闇の中に生きる
闇の中に生きる(お六と権兵衛)
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「村井様、どう思われる」
どう思うったって何も思わない。それ以前にわからない。街道沿いにいくつか離れた伊豆の町から来た太田様というお役人は無理難題を言いつけた。なんか父さんの学んだ剣術道場、正確にはおじいちゃんの道場に太田様の顔見知りがいるらしい。おじいちゃんが死んだと人づてに聞いたとき、だいぶ前だけど父さんは気質じゃなかったから顔向けできず死に目に会えなかった。父さんの弟に当たるおじさんが道場を継いでいて、潰れかけ。そこからここにたどり着いたらしい。
伊豆の近くの山で死人が出て、獣の仕業なのは間違いないんだけど食われた様子がない。何人も死んでいて、全員食われていない。死んだだけ。獣は食べないなら襲いかかりすらしないことが多く、人に仇為す妖怪変化ではないかと言われている。そうですねえ、大変ですねえなんて言っていたらお役人に怒られて店が潰れるかもしれないけど他になにも分からないので「そうですねえ、大変ですねえ」と言っていた。怒られるかと思ったら、太田様は分かってくれたみたいだ。
「奉行所の者もわかっていません。こんな相談をして、あいすまなんだ」
父さんは剣術道場で腕利きとして知られていたらしい。太田様は、おじさんと一緒に剣術を学んで、道場を継いだおじさんはおじいちゃんに見せても恥ずかしくない腕前になったとか。そういう身の上話はどうでもいいので相づちだけ打っていたら、「父上にご指南を受けていたなら、わかるかと思った」とこっちに飛び火した。父さんは私には刃物を持たせなかったし、武術も教えなかった。こんなことをするものじゃない、他人様の役に立つようにと白鞘をしまい込んだ。そういうことをしていたのが恥ずかしいようで、私はあまりそのことを聞かなかった。だからなーんにもわかんない。
死人が出ているが獣に襲われたこと以外は何が起きたか分からないらしいので、父さんのような腕利きなら何かわかるかもしれないと無理を承知で訪ねてきたらしいが、父さんは死んでいているのはこんな私なので役には立てない。おじさんに聞いたらどうですか?と進めたが、太田様は難しい顔をして、あいつは……と言葉が返ってこない。何か事情があるらしく、そういうのは触れない方がいいとなんとなく知っているので何も聞かなかった。
太田様が帰った後、清六がふうんと頷いていた。何かと思えば、父さんのいた道場が気になるようで、いい道場があったものだとヨイショしてくる。逆に怒るわよ、逆に。一応清六は悪気がないらしく、道場と一口に言っても本当に強くなろうというところは少なく、そんなことなので本当に強くなる方法を誰も知らず、残っていない。真面目にやっても疲れるだけだという。だから本当に強くなる修練を積んだ者には仕事があるのだ、と知ったかぶる。いいからあんたは皿洗いでもしていなさい。店の端っこで飲み食いしている権兵衛と違って、清六相手に集まる客など一人もいない。権兵衛は厳ついのが名前だけで器量のいい女の子だから客を呼んでくれるが、清六は十人並みの見た目だから当たり前だ。権兵衛は清六についていくのでここにいてもまだお目こぼしがあるという話で、それでは手前が悪いので清六も働いてもらう。薪割り、水くみ、御用聞き。追い出しにくいからこういうことをさせていると、それが日常化しつつあるので早く蹴り出さないと。清六はじゃあ働くと言ってふらりと出かけて、その日は帰ってこなかった。どこかで怠けている。よし、明日蹴りだそう。
次の日、清六が帰ってくる前にお役人が来た。太田様の伝令かと思えば、この町の役人。獣がこのあたりに出たという。なんて物騒なことが、ウチの店に飛び込んでくるのだろう。そっちでやってほしい。夜道で町人が獣に襲われて、ケガをした。伊豆の山と同じだ。……死んでないんですか?と聞くと、追い払われたらしい。ぴいっ、と一つ音がして獣が逃げていった。誰かが笛を吹いたらしく、その音を聞いて逃げたようだという。その笛を吹いた男が、ウチに出入りしているとすぐに調べがついた。
「あのボケええええ!」
思わずお役人の前で叫んでしまった。仮にあいつが何かしたとして、なんで私が関わらないといけないのよ!「御用聞きとして使っていたからだ」とすぐにわかったけど余り気にせずに怒っていた。あいつはただの居候で、関係ないんです!と言ったんだけど、後ろで常連さんが。
「権兵衛ちゃんはここの居候なんだって?ずっといてくんなよ、オレ、メシを食うときは必ず来るよ!」
……これでは理由にならない。働いているようなもんだ。私も関係あると思われるのが普通で、ぐうの音も出ない。関係ないのに。
そして肝心の清六は、待てど暮らせど帰ってこない。権兵衛が心配して探しに行こうとしたけど、もう日が暮れている。何か危ないらしいし、やめておきましょうと言ったんだけど納得しない。言い合いになれば納得してもらえるかもしれないけど、権兵衛はしゃべれないからこっちが言うばかりでは納得できないらしい。仕方がないから、明日探しましょうと言って今日は引き下がってもらった。
※
次の日、店はお休み。毎日やっているわけではないのでたまに閉めている日もある。こっちにも用事くらいあるし。ケガ人が出たという町外れには、あまり人がいなかった。ここには危うい獣が出る、妖怪変化かもしれないと恐れられている。祟りか?鬼か?とあらぬ噂が立ち、おもしろ半分でやってくる肝試し目的の輩くらいしかいない。そんな連中の一人なのだろう、佐山一家の若いのがうろついていた。あんた、何してんの?と話しかけるとと脅したつもりはないのに逃げていった。小心なヤツねえ。佐山一家はほっといて清六探しに戻ろうとすると、権兵衛が道端に座り込んで何かを見ていた。何、それ。兎の糞?と聞いても権兵衛はしゃべれないので教えてくれない。臭いを嗅がない、ばっちいわよ。私と権兵衛はその辺をうろついた。
清六はどこにもおらず、見たという者もいない。これでは店の裏手で薪を割らせていた方がよかった。今日も店を開けれたのに。失敗したなあなんて後悔先に立たず、日が高くなってきた。その辺の団子屋に入ると、権兵衛がかわいいからと一本おまけしてくれた。こら団子屋、二本おまけしなさい。そういう雰囲気を出すと「か、かなめさんが綺麗なのはいつものことじゃないですかあ!」と素直になった。なるほど、それもそうね。
その日は団子屋に二本おまけしてもらったくらいで足りるような無駄足ではなかった。権兵衛が諦めてくれればすぐに帰るのに、飽きもせずに探している。権兵衛にとっては清六は育ての親で、親戚もいないから家族はあいつだけ。父さんに先立たれたときのことは私も覚えているから文句も言えず、仕方ないわねえと言っていると夕方になった。どうやら町にはいない。いるとしたら、山。よりにもよって?山道なんて普段でも危ないというのにここから日が暮れる。今はこのあたりに、人食いの怪物がいるのだ。帰ろうと言っても権兵衛は言うことを聞かず、山道に入ってしまった。私は権兵衛を追いかけて、恐る恐る山に入った。
※
「権兵衛、帰りましょう!危ないわよ、清六もここには来ないってば!」
清六どころか権兵衛までどこに行ったか分からず、探す場所が少しずつ山深くなっていく。帰れなくなるとまずいので道を確かめながら山奥に進むが、もう十分に危ない。自分だけ帰りたいのに、権兵衛を探さないといけない。父さんは、なんで私に義理堅く生きろなんて教えたのよ!帰ろうにも帰れず、立ち往生していたとき。山奥の暗がりから、うなるような声が聞こえた。うっと声を漏らして、闇の中を見つめる。そこにいたのは、大きな獣だった。
犬だろうか。真っ黒な犬。大きい。狼と言った方がいいのだろうか。鼻先が私のみぞおちくらいの場所にある大きな犬は、牙をむきだしにしてうなる。怪物と呼んでも、言いすぎではない。食われる、まだ若いのに!綺麗なのに!といまだに団子屋のことをしがんで命を惜しんでいたら、怪物の背後から男が現れて、止めに入った。
「待て、鬼丸。こいつは特別だ」
助かった!と喜んだのに、男は鬼丸という犬の飼い主らしい。つまりこいつの差し金で、全然助かってない。何よ、いじわる!人を殺すのだから意地悪に決まっているけど私はそういうの気にしないので、文句を言っていた。男は黒い丸薬をポリポリ食べながら、私が協力するなら、殺さないと言い始めた。喜んで!と思ったんだけど。
「お前は刀を持っているだろう。お前の父親が、どこぞの剣豪から盗んだ物だ。仕込みだと聞いている」
……父さんの白鞘だ。帰れ、バカ!と勢いで言ってしまった。父さんは泥棒なんかしない。そういうことをしないようにって教わったし!だけど「危ないこともしないように」とも教わっていて、自分の身を守るときに言いつけなんて気にするなとも言っていた。でももう言っちゃった。たぶんこの後殺される。でも男は父さんの白鞘にご執心で、店を暴くと目立つんだと話し合おうとしてきた。義理堅く生きるべきか、危ないことをしないべきか。父さんは、危ないなら言いつけなんて気にするなって言っていた。父さん、ごめん。私は男に叫んだ。
「帰れ!バカ!」
男は邪悪に笑って、笛を取り出した。仕方がない、と笛を吹くと音は鳴らず、怪物のような犬……犬のような怪物が襲いかかってきた。そのとき。
ぴいいい、と別の笛の音が聞こえた。今度ははっきり聞こえて、犬のような怪物はギャインと吠えてどこかに行ってしまった。男はそれを追うように姿を消し、私は一人残された。暗がりから出てきた権兵衛、そして清六。あり合わせが役に立つものでよかった、と笛を見せてきた。雑用でもなんでもいいから働けといわれて、お役人の言いつけを果たせば釣りが来ると思ったらしい。そうね、今日の分くらいにはしてあげる、という結論に清六は不服そうだった。ひと月分くらいになると思っていたらしいが、そんなうまい話はない。甘いわよ。こちらの事情を聞いた清六は、迷惑をかけるんじゃないと権兵衛を叱ったので私が清六をぶん殴り、とにかく山を下りる。思ったよりもだいぶ深くに来ていたけど、戻ろうと思えば時間はかからない。でもそろそろ夕暮れ、清六は焦っていた。山道で襲われれば、まず敵わないという。
清六曰く、男はたいしたことない。やり合えばむしろ弱いだろうが、問題は犬。鬼丸という怪物は獣の強さを持ち、人間の意思を持つ。狼とは教え込めばそれくらいはできる生き物だという。正面から戦えば笛で撃退できるが不意打ちされたらそれまで、頼みの笛も危険はないと気づかれれば役に立たず使い物にならなくなる。清六は焦って、判断を間違えた、と後に気がついたらしい。帰るのを急いだ結果一番簡単な道筋を選び、これは一番読まれやすい。だから突然飛んできた吹き矢を避けきれず、笛を弾かれた。
闇夜から出てきた男は、吹き矢の筒を持っていた。闇討ちならこれが一番、これだけは得意でね、と笑っている。毒はもらわなかったが鬼丸を止める手段はなくし、背後から出てきた狼がこちらに迫ってきた。日が暮れて、何も見えなくなる。男は夜目が利くようだがこちらは何も見えない。狼である鬼丸が光を必要とするわけもなく、清六もここから先は戦えない。ああ、終わった!若いのに!綺麗なのに!団子を三本にしてもらえばよかった!って嘆いてももう遅い。鬼丸のうなり声が迫ってくる。そして、他にも近づいてくるものがあった。
こつ、こつと何かが地面を叩く。足音ではない。……足音は、しない。地面を叩くのは、杖だろうか。こんな場所に杖を持つ老人が来るはずもなく、何かと思っていたら聞いたことのない声がした。
「そこの。役に立つ気はあるか?」
しばし考えた清六が、おう、と答えた。何に気がついたのか、相手が味方だと思ったらしい。鬼丸が地面を蹴る音がして、飛びかかったようだけど誰かがやられた様子はない。いつのまにかすぐ横にいた声が、清六に言った。
「ついてこい」
清六と、その人が闇の中に散ったらしい。敵の男も舌打ちしている。闇夜の中に静寂が戻り、鬼丸の息だけが聞こえてくる。そして、地面を蹴るガツッという音。敵の男が叫んだ。
「鬼丸!」
鬼丸は、何をしていいかわからないようで飛びかかったような音がしない。その代わりに、ギャインという声がして、何かが地面に倒れた。そして、男の悲鳴。どうやらどちらも動かなくなり安心していると、私の耳元で声がした。
「おい」
ぎゃあ!と叫んでしばこうと思ったら何にも当たらない。その代わり肩を叩かれ、ほれ、と何かを渡された。手探りで、火打ち石とか油紙とかの灯りをつける道具だとわかり、入り用かと思ってな、と相手の声がした。入り用に決まってるじゃない、最初からつけておいてよ!そう言って苦戦しながら灯りをつけると、ようやく周りが見えた。清六が鬼丸の額を押さえ、目を閉じさせている。鬼丸は落ち着いているようで、寝息を立てていた。端っこにいた男は、権兵衛が組み伏せていた。腕をねじられて抵抗できず、砂を噛んでいる。そして助けてくれた人は……顔に大きな傷を持っていて、つぶったまま。見えないのだという。開こうと思えば開けるが、たぶんこの方がいいだろうと言っていたので、是非つぶっておいてくださいと頼んだ。
闇の中で清六に刀を渡したその人は、自分は鞘だけ持って清六とともに鬼丸の周りに散った。その人と鬼丸は周りが分かって、敵の男と清六もかろうじてつかめる。その人は周りが張り詰めたときに杖で地面を突いた。ガツッという音に反応したのは、敵の男だけ。踏み込んだと思った敵の男は鬼丸に指示を出したが、踏み出していないとわかっている鬼丸は何をしていいかわからない。そのあとは清六が鬼丸を、斬る段取りだったようだが当て身で終わらせた。剣術はしれた程度にしかできないけど犬を黙らせる方法なら知っていたらしい。「やったことはないけど」と怒鳴りつけたくなることを言っていたが、相手の人が文句なさそうなので私も言えない。大人しく黙っていると、その人は何かに興味があるみたいで。おい、なんて最初は誰に言ってるのかと思ったけど、私らしい。
「兄者は死んだか」
誰のこと?と聞き返すと、村井という男だ、と言っていた。父さん?なんで父さんのことを?なんて、聞かなくてもさすがに分かる。伊豆の町の剣術道場にいるおじさん。会ったことはないけど、強い割には弟子がいないと悪い意味で有名だ。おじさんは、お役人と知り合いで、頼りにされていて……でも、目が見えないなんて聞いたことがない。なんでも最近やられたのだという。果たして今度は耳か舌か……そう思っていたら、案外なんでもなかった、と言っていた。こんなのに襲われてなんでもないことないでしょう、と言い返すと、なんでもないという。そこの男でもできるだろう、って。目が見えないと、光がないのに慣れるんだと言っていた。目は見えた方がいい、体を大事にな。そう言って山道を引き返そうとした。危ないですよ、一度あっちに……そう引き留めたんだけど。
「関係ない。慣れたものだ」
そう言って暗い山道に入っていった。私たちは倒れた男をふん縛って、町に戻った。
※
男は奉行所に連れていってもらった。口を割らないかもしれないが、調べてもらう。「適当に言い繕うんじゃねえかなあ」と清六が言っていたが他にやりようもなく、引き渡し。どのみちもう大したことはできない、男の連れていた鬼丸という狼は権兵衛になついてごろごろ喉を鳴らしている。猫か、あんたは。鬼丸がいるとお客さんが怖がるので、清六が世話をして散歩とか餌やりとかさせている。人が襲われたと言っても鬼丸が悪いわけではないのでこれ以上何もできず、たまに店先で芸をさせてお客を引く。もともとよく修練を積んでいた鬼丸なのでやたら上手い。清六が教えなくてもだいたいできるようで、紙風船を鼻の上に乗せてきゃあきゃあ言われている。賢いヤツは人も犬も賢いらしい。清六、見習いなさい。
鬼丸の世話をしないといけないのは清六も考えの外だったらしい。斬るのは気が引けるから落ち着かせたが、奉行所か私のおじさんが文句を言って策を講じると思っていたらしい。でも奉行所はこんな面倒なことはせず、おじさんも何も言わなかった。清六は店の壁についた刀傷を見て、うーんとうなった。
「ま、かなめさんのおじさんだからなあ」
清六をしばき倒してその日も暮れる。鬼丸の周りには、権兵衛以外に近所の子どもが集まってはしゃいでいた。




