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第6話 「邪魔だよ、おデブちゃん♪」

 東海岸は、すでに鮮血と潮の匂いが充満する修羅場と化していた。


 「ギョエエエエッ!!」


 耳障りな鳴き声を上げ、上陸してくる半魚人の群れ。

 サハギン。ぬめる緑色の皮膚、鋭利な背鰭、そして手には骨や珊瑚で作った粗末だが殺傷力の高い槍。

 一体でさえ連合王国の兵士数人がかりとなる魔物が、視野を埋め尽くすほど押し寄せていた。


 「総員、突撃ィ!!死んだ奴は明日の夕飯の肉だ!」


 隊長の号令と共に、特務部の兵士たちが雄叫びを上げてぶつかっていく。

 乱戦の中、俺は違和感を覚えた。


 サメトナだ。


 彼女は俺の背後に隠れているが、悲鳴一つ上げない。それどころか、殺意に満ちたサハギンの群れを、まるで「砂浜に落ちた貝殻」でも見るような、感情の抜け落ちた瞳で眺めていた。


 「キシャアッ!」


 一匹のサハギンが、俺の隙を突いてサメトナへ飛びかかった。

 速い。だが――


 「シッ!」


 俺は身体を割り込ませ、突き出された槍を剣の腹で受け流す。

 火花が散る。すれ違いざま、手首を返してサハギンの喉元を逆袈裟に斬り裂いた。

 ドサリと崩れ落ちる半魚人。


 「サメトナ!ボサッとするな!屈め!」


 俺の怒号に、彼女は「おっと」と気の抜けた声を上げてしゃがみ込む。

 その頭上を、別のサハギンの槍が通過した。

 ……偶然か?いや、彼女は槍を見てもいなかった。まるで「当たらないこと」を知っていたかのような、生物としての危機感の欠落。

 守られているはずの彼女から感じる、底知れぬ異質感に、俺の背筋が粟立った。


 「邪魔だッ!雑魚どもが!」


 その時、戦場の空気が一変した。

 俺の横を、目にも止まらぬ疾風が駆け抜けたのだ。


 隊長格の兵士たちだ。だが、その様相は明らかに常人のそれではない。

 俺は見た。彼らの双眸が、猛禽類のように見開き、黄金のように燦然と輝いているのを。


 首筋から頬にかけて、皮膚の下を走る血管が金色の神経となって浮かび上がる。

 それは、人間が持ちうる輝きではなかった。


 「オラオラオラァッ!!」


 黄金の軌跡が、夜闇に残像を描く。

 速い。あまりにも速すぎる。

 彼らが通り過ぎた後には、細切れにされたサハギンの肉塊が雨のように降り注ぐだけ。


 俺が必死に一匹を相手にする間に、彼らは十匹を屠っている。

 認識速度と反射速度が、生物の限界を遥かに超えている。彼らはもはや人間ではない何か。


 だが、思考を巡らせる余裕はそこまでだった。

 ズズズ……と、波打ち際の砂が大きく隆起した。


 「グルルルルゥゥゥ……!!」


 現れたのは、見上げるごとき巨躯。

 全身がぶよぶよした鱗に覆われた、サハギンの王にも見える巨大な異形。


 奴は戦場を睥睨し、その鋭い爪を持つ剛腕を振るった。

 皆が反応し、回避行動をとる。

 だが、質量が違いすぎた。

 回避した先の砂浜ごと吹き飛ばされ、人の身体がゴミのように宙を舞い、砂浜を赤く染める。


 「嘘だろ……あんなの、どうしろってんだ」


 絶望が場を支配した。

 巨獣の赤い瞳が、ギョロリと動き、俺たちの元へ向く。

 いや、俺ではない。俺の後ろにいる、サメトナを見ている?


 「オマエ……違う…海……匂う」


 巨大な異形が、低く濁った人語を発した。

 理由は不明だが、彼女が標的にされた。


 「サメトナ、逃げろ!!」


 俺は彼女を突き飛ばし、単身で巨獣の前に立ちはだかった。

 逃げ場はない。受けるしかない。

 俺は全神経を集中し、剣を構えた。


 ガギィィンッ!!


 振り下ろされた剛腕を受け止めた瞬間、衝撃が全身の骨を軋ませた。

 剣は粉々に砕け散り、俺の体は後方へと弾き飛ばされる。


 「ガハッ……!」


 地面に叩きつけられ、血を吐く。

 腕の感覚がない。肋骨が数本逝ったか。

 サハギンの王が追撃の構えを取る。もう、防ぐ手段はない。

 終わった。そう思った瞬間。


 「やるじゃん♪人間ノーマルにしてはさ」


 軽薄な声と共に、夜空から黒い影が舞い降りた。

 ネオンだ。

 彼女は武器も持たず、サハギンの王の前に着地すると、小悪魔的な笑みを浮かべた。


 「邪魔だよ、おデブちゃん♪」


 巨躯が激昂し、その剛腕を振り下ろす。

 ネオンは動かない。直撃かと思われた瞬間――彼女の姿が掻き消えた。


 「……うん。斬っちゃおか♪」


 ネオンが再び踏み込む。対してサハギンの王は、両手を広げて接近戦の構えを取った。

 速さはネオンが上回っている。だが、ぶよぶよした鱗によりネオンの手刀が通らない。

 反対に、巨躯は防御に徹し、野生の勘とも思える反応速度で、ネオンのわずかな隙に鋭い爪を合わせてくる。ネオンは紙一重で躱しているが、掠っただけで褐色の肌が裂け、鮮血が舞う。


 「痛たた……厄介なおデブだなぁ~」


 絶対的な物理攻撃耐性。

 相性が最悪だ。同程度の強さの人間なら、初撃でネオンが殺している。このまま消耗戦になれば、一撃が重いデカブツに分がある。当たりどころが悪ければ、ネオンとて即死だろう。


 だが、さすがは狂人。怪我をして、彼女は増々嬉しそうな表情を浮かべていた。負傷した肩を庇いながらも、攻撃の密度を上げ、狙いを下段――足元に集中させ始める。しかし、その分防御がおろそかになり、身体のあちこちに新たな傷が増えていく。


 「不味い……」


 俺は加勢するために、折れた剣の柄を握り直した。しかし、隣の隊長格に強く肩を掴まれた。


 「やめろ!あの人は加勢を決して受け入れない。下がれと言われたからには、良しと言われるまで下がるんだ!」


 絶対的な信頼。いや、畏怖か。黄金の光を宿した隊長格ですら、その戦いにはいる余地はない。

 俺たちは唾を飲み込み、異次元の戦闘を見守るしかなかった。


 ■ ■ ■


 ネオンの執拗な下段攻撃が功を奏し、ついにサハギンの王がガクンと片膝をついた。


 その一瞬の隙。ネオンは弾かれたように跳躍した。

 俺の動体視力では捉えきれなかったが、その瞬間、彼女の褐色の右腕に、稲妻のような金色の神経網が爆発的に浮かび上がったのが見えた。


 先ほどの隊長たちと同じ、いや、それ以上に濃密な金色の輝き。

 まばゆい光を放つ右腕で、彼女は低くなった巨躯の顔面に向けて手刀を繰り出した。


 だが、サハギンの王も待っていた。奴は避けることなく、あろうことか大口を開け、黄金に輝く彼女の腕ごと手刀を飲み込み、全力で噛みついたのだ。


 ブチッ……


 鈍く、湿った音が響いた。ネオンの腕が、肘より上で噛み切られた。

 と同時に。口蓋から脳天までを貫かれた巨躯は、地響きを立てて倒れ伏し、二度と動かなくなった。それを確認したネオンは、奴の後頭部から突き出していた、噛みちぎられた自分の腕を引き抜き、無造作に肩に担いだ。

 腕の神経網の輝きが、急速に失われていく。


 「はぁー、何か疲れた」


 彼女は自分の腕の止血を、破れた服で縛って済ませる。……化け物か。

 気づけば、俺は息をするのも忘れていた。

 あれは間違いなく魔王軍の将軍クラス…いやそれ以上。


 そんな人の領域を超越した相手に、たった一人の力で、しかも武器も魔法も使わず素手で挑み、倒した。あんな人間がいて良いのか?


 自分が『勇者』だとか言われていたのが、恥ずかしくてたまらない。この島の中では、俺の強さなんてありふれた石ころの一つでしかない。

 あの特務部ヴェイルの隊員たちが見せた、瞳と血管の輝き。そしてネオンの、一瞬で発動させた圧倒的な暴力。今のままの俺では、彼らの足元にも及ばない。


 このままじゃ駄目だ。ただの研究者ドクターになっても、俺は凡人を脱しない。もっと、強くならなければ。


 「じゃ、後はヨロシクー。……君は新入りでしょ?おデブを精肉加工部ミートまで運んどいて~」


 ネオンは、片腕を失ったとは思えない軽い足取りで、闇の中へと消えていった。

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