第46話 「……もう、遊びは終わりよ」
ドゴォ!!
拳同士の火花が散る。
俺はバックステップで距離を取り、荒い息を殺した。
体の中がきしんでいる。
クロムが埋め込んだ《金神経》は焼き切れる寸前まで加熱し、エイニヒツが移植した《魔族の心臓》は悲鳴を上げている。
継戦能力の限界は近い。
だが、俺はその事実を一切表情には出さず、涼しい顔を作ってみせた。
「……はぁ、はぁ。そんなものか、魔王とやらは」
挑発。
今の俺にできる最大の防御だ。
「ふふふ……」
対するリムガルドは、傷一つ負っていない。だが、その表情には余裕と共に、明らかな称賛の色が混じっていた。
「素晴らしいわ。その強さ、ただの人間にしておくには惜しい」
彼女はゆらりと歩み寄る。
「どう?北にはまだ空いている領地があるの。貴方、『魔王』にならない?」
まさかのスカウト。新たな魔王としての勧誘だ。
「お断りだ」
俺は即答した。
「俺は『管理』だとか『統治』だとか、そういう面倒なのが一番嫌いなんでね」
エイニヒツ所長から、アムニオンの管財人という面倒な役柄を押し付けられた俺に、これ以上仕事を増やす気か。冗談じゃない。
「そう……残念ね」
リムガルドの瞳が、妖しく細められる。
「なら、仕方ないわね。私の『種馬』として、檻の中で一生を過ごしなさい」
彼女の全身から、黄金のオーラが立ち上る。
遊びは終わりだ。本気で俺を無力化し、四肢を砕いて連れ去る気だ。
死の予感が背筋を走る。
俺が最後の力を振り絞ろうとした、その瞬間だった。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
玉座の間の分厚い壁が、外側から爆砕された。
舞い上がる粉塵。飛び散る瓦礫。
「ロッシから離れろ、この蟲女ァッ!!」
硝煙を切り裂いて飛び込んできたのは、血走った目をしたネオンだった。
その後ろには、何かの脚をモグモグと食べているサメトナと、なぜか頬を赤らめて息を荒げているドロレス。
「なっ……!?」
リムガルドが驚愕に目を見開く。
「貴様ら、アラクネはどうした!?」
「美味しくなかったよ」
サメトナがケロッと言う。
最悪で最強の援軍、到着だ。
■ ■ ■
【視点:魔王リムガルド】
「殺す!殺してロッシを取り返す!」
全身を凶器と化した狂女が、疾風の如く私へ突っ込んできた。ここから、私とこいつらとの総力戦が始まった。だが、実力差は歴然としている。私は魔王。この地、ノーストラムを古くから総べるもの。個々の戦闘力において、私が後れを取る道理はない。
「邪魔だ羽虫どもッ!」
私の蹴りが女の腹を捉え、壁まで吹き飛ばす。手応えあり。内臓が破裂してもおかしくない一撃だ。さらに、広範囲に放たれた衝撃波が、逃げ遅れた修道女を直撃した。
「ああんっ♥流れ弾……理不尽な暴力……最高ですわぁッ!!」
プシューーーーーッ!!!
……は?ダメージを受けたはずの女の全身から、ピンク色の高濃度な蒸気が噴出した。その甘い匂いのする不気味な煙は、前衛の狂女だけでなく、後方で膝をつきかけていたロッシをも包み込んでいく。
「……ッ、これは」
ロッシが目を見開くのが見えた。先程までの打ち合いで、焼き切れる寸前まで消耗していたはずのあいつの覇気が、急速に戻っていく。それだけではない。死闘で蓄積させたはずの疲労とダメージが、嘘のように消え去り、力が漲っているではないか。
さらに、蒸気の中から、ゆらりと狂女が立ち上がる。折れたはずの肋骨が、バキボキと音を立てて瞬時に修復されていくのが見えた。
「……痛くない」
女がニヤリと笑う。そしてロッシもまた、深く息を吐き出し、万全の状態となって構え直した。
ゾンビだ。私が攻撃すればするほど、その余波を受けたあの変態女が回復の蒸気を撒き散らし、全員が全回復する永久機関が完成している。
「な、なんだコイツらは!?」
私は動揺した。手応えはあるのだ。確かに骨を砕き、肉を裂いたはずだ。なのに、なぜ死なない?なぜ笑いながら向かってくる?
「ええい、者共!であえ!」
私は指を鳴らした。個の力で押し切れないなら、数だ。天井や床から、待機させていた親衛隊クラスの魔将軍たちが数体現れる。我が精鋭たちだ。
「女王陛下をお守りしろ!」
「侵入者を排除せよ!」
しかし。
「邪魔だッ!」
ザンッ!狂女の手刀が、一体の斬蟲将軍の首を一瞬で跳ね飛ばした。
「いただきまーす」
ガブッ!バリバリバリ!あの幼子が巨大な殻を展開し、這蟲将軍を頭から焼き菓子のように噛み砕く。
私の精鋭たちが、秒殺されていく。幹部が、ただの餌として処理されていく異常事態。
「くっ……おのれ……!」
私の息が上がり始める。なんだ、この泥沼の消耗戦は。こちらのリソースは減る一方にもかかわらず、あいつらの体力はあの回復女のおかげで常に元気だ。生まれて初めてだ。私が、「追い詰められる」という恐怖を感じたのは。
「ネオン、右だ!サメトナは左翼を食い破れ!ドロレスは……そこで適当に被弾してろ!」
そのカオスな戦場の中、的確に指示を飛ばす男がいた。ロッシだ。彼は自身も傷だらけになりながら、身体一つで前線に立ち、この手綱の効かない狂人たちを指揮している。
その瞳。魔王である私への恐怖など微塵もなく、ただ勝利への最短ルートを見据える冷徹な目。私を、獲物として追い詰める捕食者の目。
(私を……ここまで追い詰めるなんて……)
心臓が、早鐘を打った。それは死への恐怖か。いや、違う。
背筋に、熱い電流が走るのを感じた。ゾクゾクする。絶対的な強者であった私が、手駒を失い、裸にされ、ねじ伏せられようとしている。
(この男に……この圧倒的な「オス」に負けて、組み敷かれたら……どんなに……ッ!)
私の中で、女王としてのプライドが音を立てて崩れ去り、代わりに隠されていた「メス」の本能が疼き始めた。支配されたい。この強い遺伝子に、屈服したい。
私は荒い息を吐きながら、熱っぽい瞳でロッシを睨みつけた。自分でも分かる。それはもう、敵を見る目ではなかった。
だが。私は魔王だ。そんなことは私の意識が許しても魂が許さない。
ならば、魔王らしく、敵を圧倒的な力でねじ伏せる。
「……もう、遊びは終わりよ」




