第45話 「断ると言ったら?」
玉座の間。
氷のような冷気が漂うその空間で、俺は拘束を解かれ、一人立たされていた。
目の前には、北の支配者、魔王リムガルド。
彼女は頬杖をつき、まるで品定めをするように俺の全身を舐め回している。
「……以前、雪原で見た時とは見違えるわね」
リムガルドが艶然と微笑む。
「あの頃の怯えた瞳は消え、今は群れを統率する者の目をしている。それに……メス(ドロレス)をモノとして扱う、その冷徹な支配者的振る舞い。とても気に入ったわ」
「……?」
俺は眉をひそめた。
前半は理解できる。だが、後半は何のことだ?
何か決定的な勘違いをされている気がするが、訂正する隙を与えてくれそうにない。
「まあ良い。貴様の人格などどうでもいいことだ」
リムガルドが立ち上がり、薄い布一枚を纏っただけの肢体を晒す。
そこにあるのは、色欲ではない。
もっと根源的で、冷たい生物としての渇望。
「貴様の『強さ』の遺伝子は、我が群れに必要だ。……さあ、出しなさい」
あくまで「種の保存」のための事務的な要求。
優秀な家畜から種を搾取する、育種家の目だ。
「断ると言ったら?」
「拒否権などない。弱者は強者に喰われるか、犯されるか。自然の摂理よ」
ドンッ!!
床が爆ぜた。
会話の余韻すら残さず、リムガルドが視界から消失する。
速い――!
(――《金神経》接続!)
俺は思考するよりも速く、クロムに埋め込まれた金神経をフル稼働させた。
世界がスローモーションに引き伸ばされる。
右だ。
黄金の影が、鋭利な爪が俺の喉元へと迫っている。
ガギィンッ!!
とっさに腰の剣を抜き、その一撃を受け止める。
衝撃が骨まで響く。重い。これが魔王の膂力か。
「ほう?今の反応速度……人間にしてはやる」
リムガルドが驚きの声を上げる。
だが、攻撃の手は緩まない。
連撃。爪、蹴り、そして背中の羽を使った変則的な斬撃。
全方位からの暴力の嵐。
躱す。弾く。逸らす。
《金神経》による超反応と、タンタルによって移植された《魔族の心臓》が送り出す爆発的な魔力がなければ、最初の数秒で肉塊になっていただろう。
雲の上の存在だった魔王クラスの猛攻を、俺はかろうじて凌いでいた。
(いけるか……!?)
一瞬の隙。
彼女が大振りの蹴りを放った直後、俺は《魔族の心臓》を瞬間的に過負荷させ、踏み込んだ。
「はぁぁぁッ!!」
渾身の逆袈裟斬り。
俺の剣が、リムガルドの無防備な脇腹を捉える。
ガキンッ!!!
硬質な音が響き、手首に痺れが走った。
刃が通らない。
それどころか、俺の剣の刀身が半ばからポッキリと折れて舞った。
「なっ……!?」
「そんな鈍らで、私の肌を通せると思ったの?」
リムガルドが嘲笑う。
彼女の肌は一見、柔らかい人間の皮膚のように見える。だが、その実態は高密度に圧縮された生体装甲(キチン質)だ。
柔軟でありながら、鋼鉄以上の硬度を持つ『剛柔の鎧』。
並の武器では傷一つつけられない。
「流石、魔王を名乗るだけある。……ヴェスピッドとは比較にならないな」
俺は折れた剣を捨て、構えを取った。
武器はない。素手でやるしかない。
「ふふ、諦めて大人しく種を寄越せば、痛みは与えないものを」
リムガルドが再び迫る。
俺の拳と、彼女の拳と激突した。
ドゴォォォン!!
衝撃波が広がり、玉座の間が揺れる。
■ ■ ■
【視点:世界(観測者)】
「……なぜ?」
数合の打ち合いの後、リムガルドの表情に焦りの色が混じり始めた。
リムガルドは手加減しているわけではない。殺さない程度に痛めつけ、無力化しようとしている。
だが、ロッシは倒れない。
骨がきしんでも、肉が裂けても、改造された肉体が即座に苦痛を遮断し、駆動し続ける。
「なぜ壊れない?なぜ屈しない?」
彼女の瞳が揺れる。
今まで、彼女の愛撫(暴力)に耐えきれたオスはいなかった。
こいつは違う。
壊れない玩具。いや、対等に渡り合う敵対者。
(こんなに頑丈なオスは初めて……)
彼女の中で、事務的だった「種の保存」への欲求が、別の熱を帯びていく。
■ ■ ■
一方その頃。地下牢。
ドゴッ!バキッ!
「……ふぅーっ、ふぅーっ」
荒い息を吐くネオンの足元で、拘束されたままのドロレスが悶絶していた。
「あぐっ、ひグッ……♥い、いいですわネオン様……もっと、もっと踵でグリグリしてぇ……!」
「黙れ変態。……ああ、ムカつく。本当にムカつく」
ネオンはブチ切れていた。
その怒りの矛先は、目の前のドロレスではなく、地下にいる魔王へ向けられている。
「私のロッシを……。私のロッシの『初めて』を、あんな虫女に奪われるなんて……」
ギリリ、と歯ぎしりの音が響く。
ネオンにとってロッシは、唯一無二の執着の対象。いつか自分が壊すためのおもちゃ。
それを横から掠め取られた屈辱と嫉妬が、彼女の理性を完全に焼き切っていた。
「殺す。絶対に殺す。……そのためには、まずこのクソたいな糸を切らなきゃ」
ネオンは冷酷な目でドロレスを見下ろした。
彼女の手首を縛るアラクネの糸は、魔法耐性があり、刃物でも容易には切れない。
だが、弱点はある。アラクネは生物だ。その分泌液である糸は、タンパク質でできている。
ならば――「熱」には弱いはずだ。
「肉壁。いい声で鳴きなよ♪君が熱くならないと、ここから出られないんだから」
「ええっ!?そ、そんな……脱出のために私を虐げるなんて……なんて背徳的で効率的なのッ!?」
ドロレスが目を輝かせる。
ネオンは無言で、ドロレスの鳩尾を全力で蹴り上げた。
ドゴォォォォンッ!!
「んほォォォォォッ♥♥♥」
絶叫と共に、ドロレスの頭の角からピンク色の蒸気が爆発的に噴出した。
シュゴオオオオオオッ!!
狭い地下牢が一瞬にして高熱のサウナと化す。
「あつっ……!もお、きもいから!」
ネオンは顔をしかめながら、自分の手首をドロレスの噴気孔に近づけた。
高熱の蒸気を浴びて、強靭だった蜘蛛の糸が、見る見るうちにドロドロと溶けていく。
「……溶けた」
ネオンは自由になった両手を広げ、ボキボキと指を鳴らした。
その顔には、この世の終わりみたいな凶悪な笑みが張り付いている。
「お腹すいたー」
その横で、サメトナもまた、熱で脆くなった糸を「ムシャァ」と食いちぎり、自由になっていた。
彼女は涎を垂らしながら鉄格子をひん曲げて外に出る。
「あの蜘蛛、食べていい?食べていいよね?」
「好きにすれば。……あ、ちょうど帰ってきたじゃん」
廊下の向こうから、カサカサという足音が近づいてくる。
ロッシを連行し、戻ってきた魔将軍アラクネだ。
「ギチチ……?なんだこの熱気は……」
アラクネは怪訝そうに牢屋を覗き込み――そして、凍りついた。
鉄格子が内側から破壊されている。
中から這い出てきたのは、蒸気を纏った二匹の化け物。
ネオンがゆらりと立ち上がる。
「ギッ!?き、貴様ら、どうやって拘束を……!」
「ロッシに触ったな?その薄汚い手で、ボクの所有物に触ったよねェ?」
問答無用。
ネオンの姿がブレた。
「ギャッ!?」
一瞬で間合いを詰めたネオンの手刀が、アラクネの八本の脚のうち、二本を根元から切断した。
紫色の体液が噴き出す。
「ギチイイイイッ!?」
アラクネが悲鳴を上げ、糸を吐き出そうとする。
だが、遅い。
「いただきまーす」
背後には、巨大な貝殻を開けたサメトナがいた。
ガブゥッ!!
「ア……ガ……!?」
アラクネの柔らかい腹部が、サメトナの貝殻に飲み込まれる。
ネオンの「八つ当たり」の斬撃と、サメトナの「捕食」。
魔王軍の幹部であるはずのアラクネは、反撃する暇すら与えられず、文字通り蹂躙され、肉塊へと変わっていった。
「……よし、行こっか♪」
返り血で顔を染めたネオンが、ロッシのいる方向を見上げて告げた。




