第42話 「……ボクちょっと無理かも」
翌日。
魔王領「ノーストラム」に近づくにつれ、環境はさらに過酷さを増した。
視界を埋め尽くす猛吹雪。気温は氷点下などとうに下回り、吐く息すら瞬時に凍りつく世界。
「さ、寒い……。なにこれ、空気凍ってるじゃん……」
あの規格外のネオンですら、ガチガチと歯を鳴らして身を縮こめている。
だが、もっと深刻なのはサメトナだ。
「ロッシ……うごけない……」
サメトナの顔色が土気色になり、動きが極端に鈍くなっている。
彼女はおそらく変温動物に近い性質なのだろう。この寒さは致命的だ。俺の体温だけでは、もはや温めきれない。
「……これ以上は危険だ。一旦テントを張って凌ぐぞ」
俺は岩陰を見つけ、北伐隊の面々に岩陰を見つけテントを設営し、身を寄せ合って凌ぐよう指示した。
だが、テントの中も雪風が凌げるだけマシだが、その気温は外と変わらない。火を焚こうにも、薪になる木など一本も生えていない。
「あら、お困りですの?」
そんな絶望的な状況下で、俺のテントに一人だけ頬を紅潮させている女がいた。
ドロレスだ。彼女は薄着の修道服一枚で、ニヤニヤと笑っている。
「私にお任せを。クロム様とタンタル様がつけてくださった、私の『変換機構』を使えば、周囲を温める『人間暖房』になりますわ」
「……どういう理屈だ?」
「私を激しく『愛(攻撃)』してくだされば、その苦痛を魔力熱に変換し、排熱として放出できるのです。……さあ、誰か私に燃料をくださらない?」
つまり、殴れば殴るほど温かくなるストーブだと言う。
狂っているが、背に腹は代えられない。
「へぇ。サンドバッグになって、さらに役に立つとか最高じゃん」
ドロレスの俺に対するアプローチに、相当イラついていたネオンが、ボキボキと指の骨を鳴らしながら立ち上がった。
「いいよ、ボクが『点火』してあげる。……泣き叫びなよ」
ドゴッ!!
ネオンの握り込んだ拳が、ドロレスの鳩尾に深々とめり込んだ。
手加減なし。内臓を揺らす重い一撃。
普通なら悶絶して泡を吹く場面だ。しかし。
「おぶっ、あぁぁぁんッ♥♥」
ドロレスは白目をむいて絶頂した。
「いい!その拳の重み!骨に響く振動!貴女、筋がいいですわ!もっと!もっと強く殴ってぇぇぇ!!」
ボシュゥゥゥ!!
頭の折れた角(煙突)から、ピンク色の高熱蒸気が爆発的に噴き出した。
「うわ」
ネオンの手が止まる。顔が引きつっている。
おそらく、こんな反応をされたことが無いのだろう。
「……ボクちょっと無理かも」
生理的な嫌悪感。ネオンが後ずさる。
「あら?止めないで!火が消えてしまいますわ!もっとボコボコにしてくださいましお姉さまぁ!」
「寄るな変態!無理!殺る気失せる!」
這いずり寄るドロレスに、ネオンは青ざめて俺の背中に隠れた。殺人鬼にここまで言わせるとは、ある意味大物だ。
だが、燃料供給が止まり、再びテント内の温度が下がり始めた。
震えるサメトナが、虚ろな目でドロレスを見る。
「……殴れば、あったかい?」
「ええ!全力で来てくださいまし!幼子の一撃なんてご褒び……」
「わかった」
ドゴォォォォォン!!!
サメトナの容赦ない「殻ハンマー」が、ドロレスの脳天に直撃した。
手加減なし。頭蓋が砕ける音が響く。
「ごふっ(吐血)……らめぇぇぇぇぇッ(昇天)♥♥♥」
シュゴオオオオオオオッ!!!
凄まじい熱波とピンクの蒸気が、テント内に充満した。
一瞬にして、極寒のテント内が灼熱のサウナ状態へと変わる。
■ ■ ■
数十分後。
俺のテントの中は、異様な光景になっていた。
中央には、白目をむいて痙攣しながら、頭と口から「シューシュー」と蒸気を発し続けているドロレス(全裸に近いボロボロの状態)。
その周囲を、俺、ネオン、サメトナが囲み、まるで焚き火に当たるように手をかざして暖を取っていた。
「……あったかい」
サメトナが幸せそうに、ドロレスの排気口に手を近づける。
「なんか……すごく不本意。このキモいのに負けた気がする」
ネオンは複雑な表情で、それでも暖かさには抗えずにドロレスのそばに寄っている。
テントの中はピンク色の蒸気で視界が悪く、むせ返るような甘い匂いと湿気に満ちていた。
俺たちは結局、寒さに耐えきれず、全員でこの狭いテントに身を寄せ合い、この狂気の暖房器具を囲んで眠ることになったのだ。
「……俺たちはもう、真っ当な倫理観を捨てたんだ。気にするな」
俺は自分に言い聞かせるように呟き、蒸気を上げるドロレスの背中に、そっと冷えた足を乗せた。
「あああんっ♥足裏……洗礼……♥」
寝言まで狂っていた。
外は猛吹雪。中は狂気のサウナ。
北への旅は、佳境に入っていた。




