第36話 ザワザワ、ザワザワ……。
王都の中央広場。かつて勇者として称えられた俺は、今や「管財人」として演台に立ち、不安に怯える民衆を見下ろしていた。
キジルを失い、魔王軍の影に怯える彼らに必要なのは、希望ではない。強力な指導者と、分かりやすい「役割」だ。
「聞け、愚民ども」
魔導器に乗せた俺の声が、広場に響き渡る。
「お前たちは、キジルの残党が言うような『ゴミ』ではない」
俺は一呼吸置き、エイニヒツ所長の言葉を借りて、彼らに新たな価値を付与した。
「お前たちは、エイニヒツ所長にとっての『貴重な資源』だ。……傷一つつけずに、我らの楽園へと送り出してやる」
資源。人間に対して使うべきではない単語。だが、極限状態にある民衆の耳には、それが救済の言葉として響いたらしい。
「資源……!我々は、必要とされているのか!」
「ゴミじゃない……資源なんだ!」
「楽園に行けば助かるんだ!勇者様についていけば!」
ワァァァァァッ!!
広場が歓声に包まれる。彼らは勘違いした。「島が安全な避難所」であり、そこで保護されるのだと。実際には、彼らが向かうのは、二度と帰ってくることのない、片道の旅費しか渡されない旅なのだが。
「急げ!船が出るぞ!」
「私を乗せてくれ!私は健康だ!良い資源になるぞ!」
我先にと港のあるアルゴエイムに向けて出発する民衆たち。その光景は、さながら羊が自ら屠殺場へと駆け込む行進のようだった。
だが、その狂騒は、唐突に水を打ったように止まった。
■ ■ ■
「……おい、なんだあれは?」
誰かが空を指差して呟いた。西の空。王都を囲む山脈の向こうから、どす黒い「シミ」のようなものが広がっていたのだ。雨雲ではない。それは太陽の光を遮りながら、生き物のように蠢き、刻一刻と王都の上空へとその領域を拡大していく。
ザワザワ、ザワザワ……。
最初は、風の音かと思った。だが違う。それは空気そのものを震わせ、肌にまとわりつくような不快な重低音。何十、何百という薄い膜が擦れ合う、神経を逆撫でする音。
「く、雲が……降りてくるぞ!?」
民衆が悲鳴を上げた瞬間、その「黒い雲」の正体が露わになった。雲と思われたそれは、密集した怪物の群れだったのだ。太陽光を反射してギラギラと輝く、紫色の硬質な甲殻。ガラス細工のような四枚の透明な翅。王都を覆い尽くさんばかりの数が、耳をつんざく羽音と共に急降下を開始した。
ブブブブブブブブッ――!!
「ひっ……ま、魔王軍だ!!?なぜこんなところまで!!!」
「いやぁぁぁっ!虫だ!人喰い虫の群れだぁぁぁッ!!」
パニックに陥る群衆。我先にと逃げ惑う人々の背中に、空からの暴力が降り注ぐ。王国の兵士たちが必死に弓や魔法で応戦するが、硬質な甲殻を持つ蟲竜には傷一つつかない。逆に、上空から弾丸のように突っ込んできた蟲竜の大顎によって、兵士たちは鎧ごと紙屑のように噛み砕かれていく。
圧倒的な蹂躙。阿鼻叫喚の地獄絵図と化す広場で、俺はゆっくりと剣を抜いた。
「……おいおい。俺の大事な『資源』に傷をつけるなよ」
俺は蟲竜の群れを見上げ、挑発するように声を張り上げた。
「そんなゴミ……いや、雑魚共を相手にするのか、魔王軍とやらは」
俺の放った殺気に反応し、数体の蟲竜がターゲットを俺に変え、殺到してくる。
「ロッシ、ずるい!ワタシも遊ぶ!」
隣でサメトナが地面を蹴った。その動きは、大人の姿だった以前とは比べて明らかに軽快だった。
トンッ!
矢のように空へ飛び出した幼女は、襲いかかる蟲竜の背中に軽々と張り付く。
「羽虫だー!虫取りするー!」
ドゴォォォッ!!
彼女は蟲竜に吐息を吹きかけると、その身体が白く硬質化し墜落。地面に衝突して粉々に砕け散った。彼女はそのまま空中の死骸を足場にして再跳躍。目にも止まらぬ速さで次々と蟲竜を撃墜していく。
「す、すごい……!あの小さな女の子が……!」
「勇者様の従者か!?」
民衆が呆気にとられる中、空がさらに暗くなった。
雲を割って現れたのは、通常の個体よりも遥かに巨大な、毒蜂と甲虫を合成したような異形。
「……見つけたぞ。うむ?……まさか。貴様、あの時の?」
上空で羽音を鳴らす異形の将軍が、複眼を細めるように俺を見た。俺の手が、剣の柄を握りしめたまま微かに汗ばむ。忘れもしない。あれは俺たち北伐隊を壊滅に追いやった張本人。魔王リムガルドの軍勢を率いていた将軍、『ヴェスピッド』。
「いや、貴様が誰だろうが、どうでも良い。たかが人間風情。我が尖兵を愚弄するか」
ブブブ……。嫌な記憶を蘇らせる、神経を逆撫でする羽音が脳裏に響き渡る。




