第33話 「これから一緒に『巣作り』するの」
スクーティア王国への国境。かつて俺が追放された際、強行突破した因縁の関所が見えてきた。
あれから警備は厳重になっているようだが、今の俺にとっては木の柵と変わらない。問題は、警備兵の数でも、強固な城壁でもない。俺のローブの裾を掴んで離さない、この「小さな連れ」だ。
「……ロッシ、お腹すいた」
隣を歩くサメトナが、恨めしそうに俺を見上げてくる。見た目は十歳前後の可憐な少女。だが、その美しい蒼の瞳は、周囲の景色ではなく「有機物」を値踏みするように彷徨っていた。
「さっき干し肉を食わせたばかりだろ」
「あんなのオヤツにもなんない。もっと、こう……新鮮で、温かくて、赤いのがいい」
彼女はジュルリと涎をすすった。イル様からの魔力供給が断たれた彼女は、その巨体(本来の姿)と異能を維持するために、以前よりも遥かに強烈なカロリーを欲していた。
「あ、ねぇロッシ。……『あれ』、食べていい?」
サメトナが純粋無垢な瞳で指差したのは、関所の前で見張りをしている衛兵だった。
「…………は?」
俺は思考が停止した。彼女の指先は、間違いなく生きた人間をターゲットとしてロックオンしている。
「だめだ。どう見ても人間だろうが」
「えー。でも、今のワタシより弱いよ?弱肉強食だよ?柔らかそうで美味しそうだよ?」
「そういう問題じゃない!あと声が大きい!」
俺は慌ててサメトナの口を塞いだ。ドン引きだ。分かってはいたが、やはりこいつは人間じゃない。
彼女の心酔する「イル様」とやらからの魔力供給が絶たれ、外部から供給する必要性があるからなのか、その貪食っぷりのタガが外れている。そして、それにより彼女が、倫理観という概念が欠落した、純然たる捕食者なのだと再認識させられた。
「……流石にだめだ。彼らは今のところ、無害。それに、島の大切な資源にもなるかもしれん」
俺が諭すと、サメトナは「むー」と不満げに頬を膨らませた。
「ロッシのケチ。……ワタシが飢え死にしてもいいの?」
「死にはしないだろ。王都に着いたら牛でも豚でも食わせてやるから我慢しろ」
俺はため息をつき、ふと湧き上がった恐怖を口にした。
「……なぁ。まさかとは思うが、お前、俺のことも非常食とみなしてないだろうな?」
こいつの腹が減った時、隣にいるのが俺だけだったら?俺の問いに、サメトナはキョトンとして、すぐにフルフルと首を横に振った。
「ううん。ロッシは違う」
「……そうか」
「ロッシは強くて、かっこいいから」
彼女は幼女の愛くるしい笑顔で、俺の腰にしがみついた。
「ロッシは食べる対象じゃないの。ワタシの番。……これから一緒に『巣作り』するの」
「……は?」
安堵したのも束の間、斜め上の回答が返ってきた。巣作り。番。その単語が持つ意味を考えるより先に、最悪のタイミングが訪れた。
「おい貴様ら!そこで何をしている!」
俺たちの問答を聞きつけたのか、関所の衛兵数名が槍を構えて駆け寄ってきたのだ。
「怪しい仮面の男に……その連れの少女!お尋ね者のロッシ一味とは違うようだが……。まさか貴様、誘拐犯か!?」
衛兵たちの視線が、俺(不審者)と、俺にしがみつく幼女(被害者に見える)を行き来する。あの時のパーティーからネオンが外れ、サメトナが小さくなったから、俺たちのことは幸いバレていないようだが、状況は更に最悪だ。
「違う。これは……ただのツレだ」
俺が弁解しようとすると、空腹で機嫌を損ねていたサメトナが、衛兵に向かって口を尖らせた。
「邪魔しないでよ。ロッシとワタシは特別な仲なの!」
「なっ……!?」
衛兵がギョッとする。だが、サメトナの追撃は止まらない。彼女は食べるのを禁止された腹いせのように、俺にさらに強く密着して叫んだ。
「ロッシはワタシのオスなの!これから二人で、いっぱい繁殖して、巣作りするんだから!」
「ブフォッ!!??」
衛兵たちが一斉に吹き出した。そして次の瞬間、彼らの目が「職務質問」から「ゴミを見る目」へと変わった。
「き、貴様ァァァッ!!そのような幼子に、なんと悍ましいことを!!」
「繁殖だと!?巣作りだと!?貴様、人間のクズか!!」
チャキッ!!衛兵たちが殺気立って抜剣する。
「ち、違う!誤解だ!こいつの言う『巣作り』はそういう意味じゃなくて……いや、そういう意味なのかもしれないが、とにかく俺は断じて手を出してない!!絶対にだ!!!」
我ながら驚くほど必死な弁明だった。
「問答無用!死ね変質者ァァッ!!」
衛兵たちは正義の刃を俺に向ける。
「むー。ロッシをいじめるなー。……食べちゃうぞー」
「お前は黙ってろ!!」
カオスだ。弁解すればするほど泥沼にはまっていく。これ以上ここにいては、既に地に堕ちた元勇者としての名誉以前に、人間として微かに残された尊厳が完全についえる。
(……くそっ!なんでこうなるんだ!)
俺は覚悟を決めた。穏便な通過は不可能だ。ならば、物理的に解決するしかない。
「……邪魔だ、退けッ!!」
ドォォォォォォンッ!!
俺は羞恥と苛立ちで《金神経》をフル稼働させ、地面を蹴った。衛兵たちが反応するよりも速く、俺は彼らの横をすり抜け――いや、関所の門そのものを体当たりで粉砕した。
「うわぁぁぁ!?門が!?」
「逃げたぞ!変態仮面が幼女を抱えて逃亡したぞーッ!!」
「追えぇぇぇ!決して逃がすな!街の子供たちが危ないッ!!」
背後から聞こえる、正義感に溢れた罵声。俺はサメトナを小脇に抱え、顔から火が出る思いで街道を疾走した。
「あはは!ロッシ速ーい!巣まで競争ー!」
「笑い事じゃねぇ!……くそっ、もう二度とあそこを通れないだろ!!どうやって帰るんだよ!!!」
こうして俺たちは、物理的にも社会的にも強行突破を果たし、混乱の極みにある王都へと雪崩れ込んだのだった。俺の心労を知らぬまま、腕の中の怪物は「次こそご飯」と目を輝かせていた。




