第32話 「ん。海の果てまで」
俺たちを乗せたボロ商船は、数日の航海を経て、再びレクイウム連合王国領、アルゴエイムの港へと滑り込んだ。
前回の旅では、サメトナやネオンとただ通り過ぎただけの街。今回の航海中、俺は海を漂流していた男女二人を拾い上げた。
激しい海戦から逃れてきたのだろうか。衣服は見る影もなくボロボロに引き裂かれ、海水と血に汚れていた。ひどい脱水症状で、拾い上げた時は死人のようだった。だが
――不思議なことに、彼らからは隠しきれない気品が漂っていた。潮に濡れた横顔や、衰弱してなお崩れない背筋。ボロ布の隙間から覗く肌の質感は、とても荒波に揉まれる水夫のそれではない。
(……訳ありか)
だが、俺の慈悲はそこまでだ。港に着くと同時に、俺は手負いの二人を波止場に降ろした。この先生き延びられるか、あるいは野垂れ死ぬか。それは彼らの運命であり、今の俺には関係のないことだ。かつての俺がそうであったように、海を漂う絶望から救い出しただけで十分だろう。
二人のうちの、ダークエルフの女が何か礼を言おうと手を伸ばしてきたが、俺は関わる気はなかった。所長から受け取った潤沢な活動資金の入った鞄から一金貨を投げ渡し、一人でタラップを降りる。
さて、今回は一人だ。急ぐ旅でもない。一泊ゆっくりと身体を休めるくらいは許されるだろう。
そう思って踏み入れた街なかは、異様な熱気と混乱に包まれていた。
「おい聞いたか?国王陛下と王妃殿下が戦没されたって……」
「馬鹿な!海戦でか!?あの無敵艦隊が負けたと言うのか!」
飛び交う怒号と悲鳴。漏れ聞く話をつなぎ合わせると、どうやら先だって兆しのあった「二大国」間の戦争が、瞬く間に終結したらしい。この戦争こそが、スクーティア王国のような小国が、単体で北伐隊を結成し、無謀にも北の魔王領へと進軍せざるを得なかった間接的な原因だ。本来なら後ろ盾となるはずの連合王国が、この大戦のために人を出す余裕が無かったからだ。
今回の戦争は、『人知の平原』と呼ばれる人の支配領域すべてを巻き込むほどの大規模なものだったらしい。結果、連合王国の国王と王妃が、内海での激しい海戦の末に戦没。指揮系統を失った連合王国は、事実上の敗北を喫したのだろう。
(……戦没、か)
俺はふと、先ほど波止場に置き去りにしてきた男女の姿を思い出した。ボロボロの服。だが、貴族のような気品。まさかとは思うが……。
「……いや、違うな」
俺はその考えを否定した。
俺はかつて、この連合王国で開催された闘技大会に出場し、優勝したことがある。その折に、主催者であった国王夫妻に謁見し、直々に褒賞を賜ったのだ。記憶にある彼らの顔と、先ほどの漂流者たちの顔。泥と垢にまみれ、極限まで衰弱していたとはいえ、骨格や面影が一致しなかった。
あの隠しきれない覇気と気品。ただの地方貴族や豪商とも思えない。では、誰だったのか。
「……ま、俺には関係のないことだ」
俺は思考を打ち切った。大国の王が死に、統治機構が麻痺している。これは好機だ。連合王国の睨みが西側――つまりスクーティア方面に効かなくなる。この混乱に乗じれば、外部からの干渉を受けずにスクーティア王国を掌握しやすくなる。
俺にとっては、絶好の機会だ。そんな非情な計算を巡らせながら、俺は一人で宿を探し、一人で夕食を済ませ、一人で酒を飲んだ。
コト……。
マグを机に置く音が、やけに大きく響く。向かいの席には誰もいない。今まで常に左右からやかましく絡んできた連中がいないことに、ふと、強烈な寂しさを感じた。
「……急に消えるとか……あいつは……」
酔いが回ったのか、胸の奥が苦しい。俺は酒場を抜け出し、夜風に当たるために浜辺へと向かった。
■ ■ ■
陽は完全に沈み、星が瞬く夜の海。俺は誰もいない浜辺の岩の上に寝転がった。
サメトナ。海からやってきて、海に帰っていった不思議な少女。女が苦手な俺に、距離感が壊れたかのようにくっ付いてきた彼女。キジルへの復讐に燃えていた俺にとって、戦場で彼女を守ることは、人間性をつなぎ止める一つの拠り所となっていた。まぁ、俺が守るまでもないほど、彼女は強かったわけだが。
しかし、その両方が――復讐という目的と、守るべき相手が喪失すると、どうだ。たとえ新たに「スクーティア王国を掌握し、リムガルドに対峙する」という任務が見えていようとも、この胸に空いた穴のような脱力感、虚しさは誤魔化せそうにない。
ザザァ……ザザァ……。
耳に穏やかな波の音が聞こえる。目を瞑れば、まるであの時、漂流していた時のようだ。顔だけ海から出して、一気に飛び出して来たら、まさかの全裸。鼻血をまき散らして倒れた俺。
「はは……馬鹿げてたな」
思わず漏れた独り言。
「……何がだ?」
「何がって……そりゃお前がいきなり裸で……」
……ん?俺の思考が停止した。今、誰が返事をした?帰ってくるはずのない、独り言への返事。
(まさか)
俺は勢いよく飛び起きた。目の前。月明かりに照らされた波打ち際に、その影はあった。首をかしげながら俺を見上げる、白磁のような肌の少女。あの日と同じ、生まれたままの姿。
だが、何かが違う。視線が低い。以前よりも明らかに、一回りも二回りも幼い姿になっている。
それでも、間違いない。その瞳の色も、纏う空気も。
「ロッシ?」
「はは……。おかえり」
俺は言葉よりも先に身体が動いていた。目を伏せ、着ていた上着を脱いで彼女を包み込むと、自分でも不思議なほど自然に、彼女を抱きかかえていた。今の彼女は、俺の上着にもすっぽりと収まってしまうほど小さい。だが、その温もりは確かに、失ったはずの穴を埋めてくれた。
「ロッシ、ただいま」
彼女は俺の胸に顔を埋め、くすぐったそうに笑った。
■ ■ ■
「で、なんでこの場所が分かったんだ?あんな今生の別れみたいな感じで去って行って、もう帰ってこれたのか?その姿は何だ!?なんで小さくなっている!?」
俺はサメトナを連れて宿に戻ると、冷静さを取り戻した反動で、堰を切ったように疑問が湧き上がってきた。
「ちょ、いっきにはだめだぞー。ロッシ、早口」
ベッドの上で、俺の上着だけを羽織った小さなサメトナが、ぶかぶかの袖を振り回して抗議する。それでも俺の真剣さが伝わったのか、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
要約すると、こういうことらしい。
一つ。海に流れる俺の匂いをたどって場所を特定したらしい。俺は魚のエサか何かか?と言いたくなるが、彼女は人外だ。サメのような嗅覚で追跡してきたと言われれば、納得するしかない。
二つ目。あんな別れ方をして、すぐに帰ってこれた理由。これは「イル様」とやらが、「帰っていいよ」と言ったかららしい。あれだけの大災害を起こして連れ戻しておいて、あっさり帰宅許可?意味不明だが、神域の存在の気まぐれなど、人間に理解できるはずもない。深く考えるのはやめた。
そして三つ目。なぜ幼なくなっているのか。これについては、「イル様」とやらから貰っていた魔力の供給が止まり、萎んだとのこと。曰く、「姿は特に定まってないけど、イル様の真似をして人の形になってる」のだとか。
「……ただ、人の形で居るだけ。か」
俺は、彼女が人外であることを再認識しつつ、ちらりと彼女を見た。白い髪、あどけない顔立ち、細い手足。以前ですら、傍から見れば「年の離れた兄妹」か「親子」に見えなくもなかった。だが、この姿で並んで歩いたらどうだ?間違って見られれば、「少女攫いの誘拐犯」に通報されても文句は言えない。
(……危険度が上がったな)
そんな一抹の懸念を感じながらも、俺の口元は緩んでいた。彼女が戻ってきてくれた。ただそれだけで、心が驚くほど満たされ、幸福感を感じていたのだ。
「ロッシ、また一緒に旅する?」
「当たり前だ。置いていっても、どうせ匂いで追ってくるんだろ」
「ん。海の果てまで」
俺たちは顔を見合わせて笑った。次はスクーティア王国へ向けて、二回目の旅路。ネオンはおらず、かき回される事はない。少しだけ賑やかで、少しだけ危険な(通報的な意味で)、二人旅が始まろうとしていた。




