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第31話 「殺さずに、連れてらっしゃい」

挿絵(By みてみん)

魔王リムガルド

 魔王リムガルドの居城。


 いや、居城というには、そこはただの氷の大地に過ぎなかった。だが、その氷に閉ざされた地下。


 そこに張り巡らされた巨大な迷宮の中にその王はいた。

 冷え切った空気と、甘ったるい香りが漂う巨大な空間。壁一面には無数の六角形の穴が穿たれ、そこからおぞましい羽音が絶えず響いている。

 その最奥。蠢く蟲たちによって編み上げられた玉座に、彼女は退屈そうに頬杖をついていた。


「……それで?キジルが死んだ、と?」


 艶めかしい声が響く。闇の中で妖しく輝くのは、黄金こがね色の肌。


 人間離れした光沢を放つその肌は、まるで蜂蜜を塗り固めたかのように滑らかだが、そこには、毒を持つ生物特有の「警告色」を思わせる、漆黒の紋様が幾何学的に走っている。


 黄金と黒。そのコントラストが、彼女の肢体をより淫靡に、そして致命的に彩っていた。

 背中には、ドレスのように折り畳まれた紫紺しこんの薄羽。額からは二本の触角が伸び、瞳は宝石のような複眼の輝きを秘めていた。北の魔王、リムガルド。美しくも、見る者に生理的な嫌悪と興奮を同時に催させる、蟲毒の女帝。


「は、はいっ……!王都に潜伏させていたキジルからの連絡が途絶えました!お、恐らくは……」


 玉座の前で平伏しているのは、キジルとの連絡役を任されていた人皮黄金虫スキン・スカラベの男だ。


 彼は恐怖でガタガタと震えていた。女王が放つ、濃厚すぎるフェロモン。それが意味するのは「求愛」ではなく「捕食」の合図だと知っているからだ。


「使えないわねぇ。時間をかけて、人間どもの国を内側から腐らせる計画だったのに」


 リムガルドが玉座から立ち上がる。黄金の肢体がしなやかに動くたび、甘い香りが爆発的に広がる。


「作戦失敗の責任、どう取るつもり?」


「ひっ、お、お許しを!私はただ……!」


「問答無用」


 ドシュッ。


 リムガルドの背中から、紫色の鋭利な「針」が瞬時に射出された。それは男の眉間を正確に貫き、脳髄を一瞬で溶解させた。


「あ……が……」


 男が崩れ落ちる前に、リムガルドはその身体を抱き寄せた。まるで恋人にするような熱烈な抱擁。だが次の瞬間、彼女の美しい唇が大きく裂け、男の頭部に食らいついた。


 グチャリ。ズズズッ……。


 生々しい咀嚼音と、体液を啜る音が広間に響き渡る。周囲に控えていた部下たちは、息を殺して震えることしかできない。数秒の後。ミイラのように干からびた男の死骸を、彼女はゴミのように投げ捨てた。口元についた鮮血を、黄金色の舌で舐め取る。


「……不味い。恐怖で肉が酸っぱくなってる」


 彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、控えていた将軍級の魔族に視線を向けた。


「おい。島へやった私の可愛い羽虫ワイバーンたちはどうなった?」


「は、はっ!……そ、それが……全滅いたしました」


「ああん?」


 リムガルドの眉がピクリと跳ねる。将軍は悲鳴のような早口で報告した。


「て、敵の抵抗によるものではありません!島周辺で謎の大爆発……いえ、海が割れるほどの高エネルギー反応があり、それに巻き込まれた模様です!島も半壊状態かと!」


「……ふーん」


 リムガルドは興味なさそうに欠伸をした。


「よく分からないけど、壊れかけの島なんてどうでもいいわ。それより、お腹が空いた」


 彼女は自身の下腹部を愛おしそうに撫でた。その黄金の肌の下で、何かが脈動しているのが透けて見える。


「キジルのせいで予定が狂ったわ。……また産むための栄養が足りないの。ねぇ、お前たちもそう思うでしょう?」


 ギギギ、ギチチチチ……。壁の穴から、無数の蟲たちが賛同するように羽音を鳴らす。


「もういいわ。策を弄するのは無し。――スクーティア王国を、力ずくで喰らい尽くしなさい」


 彼女は愉悦に歪んだ笑みを浮かべ、宣言した。


「人間も、家畜も、草木の一本に至るまで。すべての有機物を私の苗床にするのよ」


「は、ははーっ!!」


 魔族たちが一斉に頭を下げる。総攻撃の命令。これで北の大地は死の行軍に覆われることになる。


「……それと」


 リムガルドは、ふと思い出したように呟いた。


「キジルを殺したのは、人間なんでしょう?」


「は、はい。情報によれば、白い仮面をつけた男だと」


「……仮面、ね」


 彼女の複眼が、妖しく細められた。キジルは腐っても宮廷魔導師クラスの実力者。それを単独で葬った男。リムガルドは、かつての記憶を弄ぶように、黄金の指先で空をなぞった。


「人間にも、まだ骨のあるオスがいたのね」


 彼女は嘲笑混じりに鼻を鳴らした。


「少し前、私の領土『ノーストラム』に土足で踏み込んできた、あの愚かな『北伐隊』とかいう連中とは大違いだわ」


「は、はぁ……」


「あいつらは酷かったわねぇ。私の可愛い子供相手に、手も足も出ずに全滅して。……無様に泣き叫んで逃げ回るだけの、見るに堪えない蛮勇ばんゆうだった」


 彼女は心底つまらなそうに吐き捨てた。彼女にとって、かつてのロッシたち北伐隊は、記憶に留める価値すらない「弱い餌」でしかなかったのだ。


「あんな脆弱なゴミ共の生き残り……というわけではなさそうね。あの程度の種が、キジルを殺せるわけがないもの」


 彼女の中で、かつての「敗北者ロッシ」と、現在の「仮面の男」は、完全に別種の存在として認識されていた。


「殺さずに、連れてらっしゃい」


 彼女は恍惚とした表情で、自らの豊かな胸元を爪でなぞった。


「その仮面の男なら、きっと楽しませてくれる。……あんなゴミ共とは違う、極上の『種』を持っているに違いないわ」


 蟲毒の女帝は、まだ見ぬ獲物ロッシを想い、ねっとりと舌なめずりをした。まさかその男こそが、かつて自分が唾棄した「ゴミ」の成れの果てだとは知る由もなく。

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