第27話 「く、来る時より疲れる……」
ガシッ。
感触がおかしい。肉が裂ける痛みも、温かい血の噴出もない。あるのは、硬質で、ひんやりとした異物の感触。
「……え?」
恐る恐る目を開けると、俺の喉元に突き立てられた剣の刃を、素手で握りしめている女がいた。
「……サメトナ?」
彼女の掌から血は流れていない。代わりに、透明な粘液が糸を引いている。彼女の皮膚は、剣の鋭利な刃を受け止めながらも、傷一つついていなかった。
その無垢な銀色の瞳が、至近距離から俺を覗き込んでいる。そこには軽蔑も同情もない。ただ、不思議そうな色が浮かんでいるだけ。
「ロッシ、それ痛いよ?」
彼女の言葉が、脳内に響く呪いの声をかき消していく。過去の亡霊たちが霧散し、意識が急速に覚醒する。気づくと、俺は暗い空間の中にいた。サメトナと密着している。
「お……俺は……お前を……」
震える俺の手を、サメトナが優しく、しかし強引に握った。
「平気。……刺すなら、今度はあっち(敵)にしよ?」
サメトナがニッコリと笑い、両腕を大きく広げた。
ギィィィィ……。
暗い空間が左右に割れ、外界の光が差し込んだ。その向こうに、驚愕に目を見開いたキジルの顔があった。
「なんだ……それは……!?私の幻影が、破られただと!?」
俺たちを隔絶し、包み込んでいたもの。それは、サメトナの両腕が顕現させた巨大なる「殻」――否、移動要塞だった。
外殻は、荒波に耐え抜いた巌のように無骨で荒々しい。だがその内側は、この世の宝石をすべて溶かして塗り固めたかのような、無限の層を成す螺鈿の輝きに満ちている。攻撃を拒絶し、あらゆる干渉を遮断する、絶対不可侵の双殻。
「攻めることは苦手だけどー」
サメトナが、虹色の光の中でふわりと笑う。
「守ることなら、神にも負けない」
「……ははっ」
俺は力が抜けたように、乾いた笑いをこぼした。
そうか。理解した。彼女は人ではない。深淵に潜む「貝」の精霊――いや、深海の神秘そのものが人の形をとった化身だ。
その透き通る白磁の肌は、貝の内にある柔らかな身。その異能は、触れるものすべてを清浄なる真珠へと還元し、再構築する力。
そして、彼女が閉ざしたこの殻は、神の雷さえも弾き返す断絶の壁。人知を超えた、美しき怪物。
出会った時、彼女は言っていた。「殻を探している」と。彼女はそれをいつのまにか見つけていたのだ。
俺は虹彩を放つ殻の中で、剣を構え直した。この美しき絶対防御の中にある限り、敗北などあり得ない。迷いはもう、霧散していた。
「――ロッシ!上!」
ネオンの声が響く。見上げれば、天井付近でネオンが舞っていた。彼女は空中で身を翻し、巨大な魔物レヴュアダンの頭上へ落下していく。
「トカゲ遊び、飽きたかも」
ズドォォォン!!
ネオンの踵落としが、ナーガの脳天に炸裂した。鋼鉄の鱗など意味をなさない。衝撃波が怪物の全身を駆け巡り、巨体が地面に叩きつけられる。
「ギャオオオオ……ッ!?」
「はい、おしまい」
ネオンは倒れたナーガの首に手をかけると、まるで雑巾を絞るように軽く捻った。
バキボキッ。
生々しい音が響き、巨大な魔物は絶命して塵へと変わった。秒殺。帝国の暗殺者にとって、図体だけの魔獣などただの的でしかなかった。
「ば、馬鹿な……レヴュアダンが一撃で……!?」
キジルが後ずさる。最強の召喚獣を失い、精神魔法も破られた。だが、彼はまだ諦めていなかった。
「クソッ!小賢しい!!ならば物理的に消し炭にしてくれるわ!!」
キジルが杖を掲げ、残った魔力をすべて注ぎ込む。展開されるのは、城をも焼き尽くす極大の火球。
「死ねぇぇッ!!」
轟音と共に放たれた爆炎が、俺たちを飲み込もうと迫る。だが、俺は動かない。サメトナがスッと前に出て、その美しいガラスの腕をかざしただけだ。
ジュッ。
炎は、まるで水面に落ちた火種のように、何事もなく弾かれ、消滅した。魔法無効化。あるいは、完全反射。真珠質の殻は、熱すらも遮断する。
「な……なぜだ!?なぜ私の魔法が効かない!?」
「ロッシが乗ってきたところで、そろそろ飽きたかなぁ」
ネオンがナーガの死骸を足場にして、血まみれの笑顔で戻ってくる。戦況は決した。
俺はサメトナという移動要塞から歩み出た。黄金の瞳で、キジルを射抜く。
「ち、近づくな!!来るなァァッ!!」
追い詰められたキジルは、狂乱の叫び声を上げた。そして、床に転がっていた国王の襟首を掴み、杖を突きつけた。
「と、止まれ!止まらねばこの王を殺すぞ!!国王だぞ!?貴様らの主君だろうが!!」
なりふり構わぬ人質作戦。俺は足を止めた。だが、それは躊躇ではない。呆れだ。
「……堕ちたな、キジル。民を守るべき宮廷魔術師が、保身のために王を盾にするか」
「うるさい、うるさいうるさい!!私が生き残るためなら、こんな老いぼれなどどうでもいいのだ!!」
キジルが杖に魔力を込める。本気だ。こいつは王を殺してでも逃げる気だ。
だが。
「殺せないよー」
サメトナの声が響いた。彼女が右手を振るう。
ヒュッ。
指先から透明な液体が射出され、キジルと王の間に突き刺さった。液体は瞬時に硬化し、透明なガラスのような「膜」となる。
即席の防壁。
「なッ!?」
キジルが放った魔法弾は、その膜に阻まれ、王には熱風ひとつ届かなかった。
「これで、お前の手札はなくなったな」
すべての手が封じられた。キジルは杖を取り落とし、腰を抜かしてへたり込んだ。
「ひ、ひぃ……助け……」
「終わりだ。命乞いは聞かん。……地獄で、お前の実験台にされた子供たちに詫びろ」
ズドンッ!!
俺は躊躇なく、キジルの心臓に剣を突き立てた。
「が、がぁ……ぇ……!!」
剣を引き抜く。キジルが血を吹き出し、床に倒れ伏す。だが、死に際の魔術師は、最後に呪詛のような言葉を吐いた。
「馬鹿、め……。私は……魔王……『リムガルド』様の……忠臣だ……ぞ……」
「なに?」
その時、異変が起きた。キジルの傷口から流れる血が、赤からドロリとした緑色の体液へと変わったのだ。
メリメリ、ベキョッ……!
不快な音が響き、キジルの身体が内側から何かに押し広げられるように歪み始めた。人の皮膚が乾燥した殻のように裂け、中から濡れた黒い光沢を放つ、硬質な甲殻が露わになる。
こいつ……魔族が人の皮を被り、擬態していたのか!?
裂けた顔面の下から、無数の複眼と、激しく痙攣する触角が飛び出した。それは巨大な甲虫のようでもあり、醜悪なゴキブリのようでもあった。
「ギチチ……この国に……貴様に……そしてあの島に……リムガルド様の軍勢が押し寄せるだろう……!!」
人間の声帯ではなく、翅を擦り合わせたような不協和音が響く。
「絶望に……震えて……眠れ……ッ!!」
断末魔と共に、キジルの蟲の身体はボロボロと崩れ、黒い灰となって霧散した。
静寂が戻る。謁見の間には、魔族の残骸と、恐怖に震える国王、そして俺たちだけが残された。
「お主、本当に……ロッシ、なのか?」
震える声で、国王が顔を上げた。かつて俺を「勇者」と呼び、そしてキジルの甘言に乗せられて俺を北へ追放した愚かな君主。今の彼は、ただの無力な老人だった。
「あぁ……なんという姿だ……。その仮面、その禍々しい気配……。お前はもう、儂の知る聖騎士ではない……」
王は、俺の背後に転がる異形の死骸と、俺自身から漂う血と闇の匂いに、ガタガタと震えていた。無理もない。彼が切り捨てた男は、彼が理解できる範疇を超えた「怪物」となって帰ってきたのだから。
「すまなかった……。儂は、愚かだった……。キジルの言葉を信じ、忠臣であったお前を……」
王が床に額を擦り付ける。遅すぎる懺悔。
「……これから、どうするつもりだ?儂を殺し、この国を滅ぼすのか?」
王が怯えながら問うた。俺は血のついた剣を振るい、カチンと音を立てて鞘に納めた。
「興味がない」
俺は冷たく言い放った。
「勘違いするな。俺の目的は革命でも侵略でもない。ただの『復讐』だ。……俺を嵌めたキジルという害虫を駆除しに来た。文字通りな」
「で、では……儂を殺しはしない、と……?」
「牙を失った老人に用はない。それに、お前には生きて責任を取ってもらう」
俺は顎で、外の惨状を示した。
「騎士団長は死に、宮廷魔術師も消えた。軍事力の大半を失ったこの国は、これから混乱の極みに達するだろう。……その泥舟の舵を取るのが、お前への罰だ。死んで楽になろうなどと思うな」
王は顔面蒼白になりながらも、安堵と絶望がないまぜになった表情で頷いた。俺は踵を返そうとして、ふと足を止めた。
「それと、もう一つ」
俺は、黒い灰となったキジルの残骸を見下ろした。
「こいつは死に際に言っていた。北の魔王『リムガンド』の手先だった、とな」
「な……ッ!?リムガンドだと……!?」
王が息を呑む。それはかつて、俺が北伐隊として討伐を命じられた、魔王の名。俺を北へ追いやった張本人が、その北の魔王と通じていたとは。初めから仕組まれた罠だったのだ。
「奴がこの国に巣食っていたということは、魔王軍の侵攻準備は整っていると見るべきだ。……この国は、内部から食い破られる寸前だったんだよ」
「そ、そんな……。騎士団もいない今、魔王軍が攻めてきたら……」
「知ったことか。自分の身の振り方くらい、自分で考えろ」
突き放す言葉。だが、これは事実上の宣告だった。キジルを殺したことで、俺たちは魔王リムガンドの計画を潰したことになる。次は、向こうが俺たちを標的にする番だ。
「行くぞ、ネオン、サメトナ」
「えー?もう終わり?このお爺ちゃん殺さないの?」
ネオンが不満げに頬を膨らませるが、俺は首を振った。
「目的は達した。エイニヒツとの約束もある。一旦島へ戻ろう。検体を連れてな」
この狭い王都で魔王軍と全面戦争になれば、足手まとい(民間人)が多すぎる。それに、俺たちの本拠地はあくまで絶海の孤島だ。
「ちぇ。まぁ仕方ないかぁ」
背後で、「魔王リムガンド……」と絶望に震える王の呟きが聞こえたが、俺は振り返らなかった。
■ ■ ■
復讐は終わった。だが、俺にはそれ以上に頭の痛い問題が――もっと言えば、魔王軍よりも対処に困る「脅威」が、すぐ隣に差し迫っていた。
「ねぇねぇロッシぃ!早く帰ろ!帰って『続き』しよ?」
謁見の間を出た瞬間、ネオンが猫なで声で俺の右腕に抱きついてきた。柔らかい胸の感触が、二の腕にダイレクトに伝わる。
「……あ。私も。ロッシと、くっつく」
負けじと左側からはサメトナがしがみつき、俺の肩に顔を埋めてくる。
この王都への旅路で、俺たち三人の距離は劇的に縮まった。右には、血と悲鳴を愛する快楽殺人鬼、ネオン。左には、神の力すら弾く二枚貝の化身、サメトナ。数だけで言えば、これをハーレムと呼ぶには些か寂しいかもしれない。だが、こいつらが秘めた「暴威」と、俺に向ける重すぎる愛は、魔王の軍勢よりも凄まじい。旅を共にし、互いの強さと狂気を晒し合った結果が、この有様だ。
左右から押し寄せる甘い匂いと柔らかな感触。
(まだ城内だぞ!?衛兵も残っているかもしれないのに、お前ら少しは空気を読め!)
「お、おい!くっつくな!歩きにくいだろ!」
俺が慌てて振りほどこうとするが、身体強化された彼女たちは万力のように離れない。
「えー、いいじゃん減るもんじゃなしー。今のロッシ、すっごくオスの匂いがして興奮するんだもん♪」
「……ロッシ、いい匂い……すーはー」
「だ、だから耳元で息を吸うなッ!!」
俺の悲鳴に近いツッコミが廊下に響く。これより先は、北の魔王との戦争?世界を巻き込む大戦?いや、その前に……この距離感ゼロの怪物たちから、俺の貞操と理性を守り抜く戦いの方が先決らしい。
「く、来る時より疲れる……」
俺は顔を茹で蛸のように赤くしながら、俺たちを見送ることしか出来ない王国兵たちの複雑な視線に耐えるしかなかった。
こうして俺たちは、王城を後にした。目指すは我が家、狂気と愛欲の楽園。そこでの夜が、戦場よりも激しいものになるとは知る由もなく。
完
【あとがき】
◆お付き合いいただきありがとうございました。これにてこの物語は一旦完結となります。(今後の更なるロッシの活躍は今しばらくお待ちください。)
◆本作と同じ世界観を共有する物語を他にも投稿していますので、ぜひご覧になってください。(評価いただけると幸いです)
◇「『憑依された私、英雄を操る』引き篭もりを英雄に仕立てあげてみたら、大国に反旗を翻す大英雄に成り上がった模様。【溟海のイル】
https://kakuyomu.jp/works/822139841430093938
◇俺たちマジメな冒険者にタカるク〇野郎は、ダルがらみする相手を間違えた模様。【凡庸のエイダン】
https://kakuyomu.jp/works/822139841642504941
◇魔法の授業で「隣の席の美少女の裸」を超高画質で投影したら、人生が詰んだ。(あるいは始まった)~画家志望なのに手違いで魔術学院へ入学した僕のボッチは加速する~【誤算のアストン】
https://kakuyomu.jp/works/822139841648141135




