第22話 「金じゃない。……その『命』で払え」
スクーティア王国の国境を越えた途端、懐かしい空気の味に変わった。
「……土が死んでる」
馬車の屋根で、ネオンがその変化に気付いた。
隣国アルゴエイムの活気とは対照的に、我が故郷の景色は灰色に沈んでいた。
痩せた畑。整備されていない街道。行き交う人々は皆、泥のように濁った目をしている。
俺が北伐隊として出立した時よりも、明らかに国力が衰退していた。
「ロッシ、お腹空いた人たちがいっぱいいるよー」
窓から外を見ていたサメトナが、無邪気かつ残酷な事実を口にする。
飢餓。重税。そして、希望の喪失。
王族と貴族たちが「ベルドール」のような無能を重用し、俺たちのような者を切り捨て続けた結果がこれだ。
「……止めてくれ」
俺は御者に指示し、ある寒村の入り口で馬車を止めさせた。
村の中央広場から、怒号と悲鳴が聞こえてきたからだ。
■ ■ ■
「離せ! 弟を離せよッ!! 父ちゃんと母ちゃんも返せ!!」
広場では、痩せこけた少年が、大人の兵士に組み付いていた。
だが、兵士は鬱陶しそうに少年を蹴り飛ばした。
ドゴッ!
「ギャッ……!」
少年が泥の中を転がる。
兵士たちの胸には、紫色の眼球を模した紋章――宮廷魔導師キジル直轄部隊の印があった。
「分をわきまえろ、農民風情が! 不審な『賊』の侵入に備えて、貴様らのような泥拾いまで徴兵してやろうというのだぞ!」
兵士長らしき男が、縄で縛られた村の働き手たち――少年の親とおぼしき男女――と、鎖に繋がれた子供たちを交互に指差して嘲笑う。
「お前たち大人は最前線の肉壁に。そして……このガキどもは、キジル様のために『濃縮』されることを光栄に思え」
俺たちが国境の関所を突破した報告が届いているのだろう。
俺たちの襲撃に慌てた王国軍が、なりふり構わず戦力を掻き集めているのだ。
農業の担い手である親を無理やり兵士として徴用し、無垢な魔力を持つ子供を攫い、生きたまま『濃縮』させる。
「そんな……『濃縮』だなんて! この子はまだ7つだぞ!」
濃縮とは、つまり魔力の核を作るためにその魂を魔石に閉じ込めること。なお、濃縮されたものは命を失う。
俺の首元で輝いているタンタルから渡された魔石も、恐らく何者かの命が捧げられて作られている。
「頼む、連れて行かないでくれぇ! 畑はどうなるんだ!」
縛られた村人たちが土下座して懇願するが、兵士たちはヘラヘラと笑いながら、彼らの頭をブーツで踏みつけた。
「うるせぇな。……おい、見せしめだ。一番うるさいそのガキ(兄)を斬れ」
兵士長が、先ほど蹴り飛ばされた少年を指差した。
「国への反逆は死罪だ。ここで首を刎ねて、豚の餌にしろ」
兵士が剣を抜き、震える少年の首に刃を当てる。
絶望的な光景。
少年は涙を流しながらも、鎖に繋がれた弟の方を見て、「逃げろ」と声にならない声で叫んでいた。
「……へぇ」
その時、広場の空気が凍りついた。
殺気ではない。もっと重く、冷たい「死の気配」。
村人たちと兵士が一斉に振り返ると、そこには黒いローブを羽織り仮面をつけた男――俺が立っていた。
傍らには、身一つでブラブラと腕を振る褐色肌の少女と、興味津々な様子の銀髪の美女。
「なんだ貴様らは?興行団か?」
兵士長が睨みつける。
俺は無視して、泥まみれの少年に歩み寄った。
「おい、小僧」
俺は少年の髪を掴み、強引に顔を上げさせた。
「な、何だ……お前……」
「弟を助けたいか? 親を取り戻したいか?」
俺の問いに、少年は目を見開いた。
だが、俺は救いの手を差し伸べる代わりに、懐から一本のナイフを取り出し、少年の前に放り投げた。
カランッ。
「なら、殺せ」
「……え?」
「お前の弟を、親を奪おうとしている奴らだ。奪われる前に奪え。殺される前に殺せ。……それができないなら、お前も弟も、ここで死ぬだけだ」
冷酷な宣告。
村人たちが息を呑む。
兵士たちが「ハッ、頭がおかしいのか?」と嘲笑する。
少年は震える手でナイフを握った。
だが、相手は武装した兵士だ。勝てるわけがない。身体がすくんで動けない。
「できないか。……それが『弱さ』だ」
俺は失望したように吐き捨て、立ち上がった。
「おいおい、何だお前。劇団の真似事か?」
兵士長が下卑た笑いを浮かべ、俺の肩に手を置こうとした。
「邪魔だ。消えろ」
「あ?」
俺の黄金の瞳が、怒りで揺らめく。
「な、何を言って……グベッ!?」
ドクンッ!!
魔神の心臓が鳴動した。
次の瞬間、兵士長の首が、胴体から消滅していた。
否。
俺の剣が、音速を超えて首を刎ね飛ばしたのだ。
首が空を舞い、血の噴水が上がる。
「――処理するぞ、ネオン」
「はいはーい♪ 待ってましたァ!」
ネオンの姿が掻き消える。
武器など持っていない。その両手こそが、鋼鉄をも引き裂く最強の凶器。
ヒュンッ!!
空気を裂く鋭い音。
ネオンが兵士の懐に滑り込み、ただ「手刀」を振るう。
それだけで、鎧ごと兵士の胴体が両断された。
数秒後。
広場は血の海と化した。
だが、混乱の最中、生き残った兵士が一人いた。
恐怖で錯乱したのか、彼は勝ち目がないと悟り、逃走を図る――のではなく、近くにいた「一番弱そうな女」に目をつけた。
「う、うわあぁぁぁ!! 動くなッ!! こいつがどうなってもいいのかァッ!!」
兵士が背後からサメトナに組み付き、その首元に短剣を突きつけた。
丸腰で、戦意もなく、ただぼーっと空を見上げている銀髪の美女。
格好の人質だ。
「……ふん」
俺は足を止め、冷ややかにそれを見つめた。
村人たちが悲鳴を上げ、ネオンが「あーあ」とつまらなそうに肩をすくめる。
「剣を捨てろ! そして道を空けろ! さもなくばこの女の喉を掻っ切るぞ!!」
兵士が叫ぶ。腕に力が入り、切っ先がサメトナの白い肌に食い込もうとする。
「ロッシ、これ痛いー」
サメトナが、不満げに声を上げた。
恐怖はない。ただ、鬱陶しいという感情だけ。
「そうか。対処できるか?」
俺の言葉に、兵士が激昂する。
「なめるなぁぁッ!! 死ねぇッ!!」
兵士が短剣を引き、サメトナの頸動脈を断とうとした。
だが、刃は動かなかった。
「あ?」
兵士が目を見開く。
サメトナの首に回していた自分の左腕。それが、動かない。
いや、感覚がない。
「な、なんだ!? 腕が……!?」
見れば、サメトナの肌に触れていた腕の部分から、急速に色が失われていた。
皮膚が白く濁り、硬質化していく。
「んー。重い」
サメトナは深く、ため息をついた。
その白く甘い吐息が、背後の兵士の顔面を直撃する。
ジュワァァァァ……ッ。
「ぐ、が……!? なに、これ……いき、ができ……!?」
兵士の顔が、恐怖に歪んだまま凍りついた。
気管が、肺が、そして全身の細胞が、瞬時にして美しい真珠の結晶へと置換されていく。
肉体という有機物が、強制的に無機物へと作り変えられる音。
パリパリ、パキパキ……。
「あ……アァ……」
数秒も経たずに、そこには奇妙な彫像が完成していた。
サメトナに背後から抱きつき、短剣を突きつけたまま硬化した、白く美しい兵士の像。
「よいしょっと」
サメトナは身をよじると、カチカチに固まった兵士の腕を、まるで古びた石膏を壊すように砕いて抜け出した。
キラキラと虹色の粉末が舞う。
腕を失った兵士の彫像は、バランスを崩して地面に倒れ、バラバラに砕け散った。
「……うわ、エグい。やっぱりボクのほうがマシだね」
ネオンが、生理的な嫌悪感を隠そうともせずに顔を引きつらせる。
血も涙も流れない、静謐で美しい死。それが余計に、彼女の異質さを際立たせていた。
俺は小さく息を吐き、血濡れの手で、子供たちを繋いでいた鎖を引きちぎった。
パキン、パキンと鉄屑のように壊れていく。
「……助けて、くださって……ありがとうございます……」
少年が、震える声で礼を言った。
俺はその言葉を遮り、冷たく言い放った。
「礼? 勘違いするな」
俺は兵士の死体(だった破片)から財布を抜き取り、少年の足元に投げつけた。
「これは『ビジネス』だ。俺は邪魔者を掃除しただけ。……だが、結果としてお前らは命拾いした」
俺は少年の前にしゃがみ込み、金色の瞳で射抜いた。
「命の代金は高いぞ? 今のお前たちごときには払えん」
「だ、代金……? お金なら、これしか……」
少年が泥だらけの銅貨を差し出そうとする。
俺はそれを叩き落とした。
「金じゃない。……その『命』で払え」
「ひッ……」
「今日からお前の命は俺のものだ。俺が許可するまで、死ぬことは許さん」
俺は少年の耳元で囁いた。
「この先、どんな理不尽があっても、泥水をすすってでも生き延びろ。弟を守り抜け。……それが俺への支払いだ。もし途中で諦めて死んだら――地獄まで追いかけて殺す」
それは、呪いのような祝福だった。
優しさなど微塵もない。ただの支配と命令。
だが、少年の目に、恐怖とは違う「光」が宿るのを俺は見た。
縋るべき神を失い、代わりに畏れるべき魔王を見つけた者の、強烈な生への執着。
「……はいッ!! 払います! 絶ッ対に、生きます!!」
少年が叫ぶ。
「いい返事だ」
俺は黒いマントを翻し、踵を返した。
村人たちは誰一人として近寄れない。
手刀で人を引き裂く女。抱きついた男を彫像に変える女。そして、それらを従える男。
彼らはただ、畏怖の念を込めて平伏し、俺たちの背中を見送っていた。
「ロッシってば、悪い男だねー」
馬車に戻ると、ネオンがニヤニヤしながら肘で突いてきた。
血濡れの手をハンカチで拭う仕草すら、どこか優雅だ。
「あの子、一生キミの影に怯えて生きることになるよ?」
「構わん。恐怖は人を強くする。……少なくとも、無能な王に祈るよりは生存率は高い」
俺は窓の外、遠ざかる村を見つめた。
あの少年は、かつての俺だ。
誰も助けてくれなかった俺だ。
だからこそ、甘い言葉で救うことはしない。俺という「恐怖」を糧にしてでも、自分の足で立て。
馬車は再び走り出す。
その轍の後ろには、兵士たちの残骸と、静かに輝く真珠の粉、そして俺たちを「魔王」と崇めることとなる村が残された。
スクーティア侵攻。
その最初の種火は、こうして静かに、しかし確実に撒かれた。




