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第18話 「感謝するぞ。この狂った楽園に」

 出航の前日。

 俺は補完院の主、ビスマスに呼び出された。


「出発前に立ち寄るように」


 簡潔な命令に従い、俺は地下の訓練場へと足を運んだ。

 そこには、筋骨隆々の巨漢、獣人化したビスマスが腕を組んで待っていた。

 その背後には、暇つぶしについてきたサメトナが、観客席で足をぶらつかせている。


「何の用だ。俺は忙しい」


「口を動かす前に、身体を動かせ」


 ビスマスは問答無用で距離を詰めてきた。

 速い。巨体に似合わぬ神速の踏み込み。


 俺は『金神経』を起動し、世界を遅延させる。

 彼の右手が、俺の額を目掛けて振るわれた。

 拳ではない。中指と親指を弾く構え――デコピンだ。


 だが、俺は知っている。彼がこの島に来たばかりの検体の頭を、まるで熟れたベリーのようにパァンと弾けさせて殺した光景を。

 これは、ただの指弾ではない。攻城兵器だ。


「――ッ!!」


 俺は腕を交差させて力み、その指を受け止めた。


 ドォォォン!!


 衝撃が骨を軋ませ、足元の石床が蜘蛛の巣状にひび割れる。

 防いだ。だが、腕が痺れて感覚がない。


「ほう。受け止めたか」


 ビスマスはニヤリと笑い、その筋肉質の身体から獣のような湯気を立ち昇らせた。

 彼はライカンスロープ(人狼族)。その肉体強度は、変身せずともネオンを凌駕する。


「だが、遅い。重い。……貴様は、その心臓がありながら、実力の半分も出せていない」


「なんだと……?」


「その心臓は、かつて魔界で名を馳せた『魔族の勇者』のもの。……貴様はそれを、ただの高性能な心臓としてしか使っていない。宝の持ち腐れだ」


 ビスマスは指を鳴らし、俺に「ある呼吸法」と「意識の落とし方」を教授した。

 心臓の鼓動を意図的に暴走させ、血液ではなく、魔力そのものを筋肉繊維の一本一本にまで強制注入する技術。


「――解放せよ」


 俺は言われた通りに意識を心臓へ沈めた。


 ドクン!!


 かつてない衝撃が内側から弾けた。

 熱い。全身の血液がマグマに変わったようだ。

 視界が赤く染まり、理性が飛びそうになるのを必死で繋ぎ止める。


「オオオオオオッ!!」


 俺は咆哮と共に、目の前の分厚い実験用防壁を殴りつけた。


 ズドォォォォンッ!!!


 轟音と共に、粉塵が舞う。

 厚さ1メートルはある壁に、人が通れるほどの大穴が空いていた。

 鉄が飴細工のようにめくれ上がっている。


「おぉ、すごい、ロッシ! 穴が開いたー!」


 観客席からサメトナが無邪気に手を叩く。

 俺は自分の拳を見つめ、震えた。


 黒い毛皮に覆われ、鋭い爪が伸びた強靭な腕。


 痛くない。傷ひとつない。

 今の俺の身体は、一体どうなっている? 鏡を見るのが恐ろしいほどの力の奔流を感じる。


「……悪くない。今のが……我々が行っている《魔性解放サヴェージ・ロア》だ」


 ビスマスが腕を組み、冷ややかに告げた。


「だが、お前は魔族ネイティブではない。その出力に肉体が耐えられん。……その力は保って30秒。それ以上続ければ、筋肉が断裂し、強制的に身体が動かなくなるだろう」


「30秒……か」


「切り札として使え。……次は薬魔院だ。タンタルのところへ行け」


「なぜだ?」


「お前は魔力制御が全くできていない。それは自分が剣士であり、魔法が使えないという甘えだ。その雑な魔力制御を、彼ならマシにしてくれるだろう」


 ■ ■ ■


「ほっほっほ。待っておったぞ、ロッシ君」


 薬魔院の研究室は、鼻を突く薬品の臭いに満ちていた。

 リッチにしか見えない老魔術師タンタルが、薬液の入った容器を振るいながら俺を迎える。


「正直、お主がこれ程の逸材だと思っておらなんだ。所長の目は確かじゃったな」


「世辞はいい。用件を言え」


「せっかちじゃのう。……よいか、『金神経化』の恩恵を受けるのは、鍛え抜かれた剣士だけではない。魔術師も等しく……いや、それ以上の存在へと昇華する」


 タンタルは容器を置き、青く発光する目で俺を見た。


「神経伝達速度の向上は、魔力回路の処理速度に直結する。本来なら、高速詠唱どころか無詠唱で極大魔法を連発できるのじゃが……魔術師は肉体が脆弱での。その負荷に耐えきれず脳が焼ける。故に適合者は過去を数えても数人しかおらん」


「何が言いたい」


「結論を急ぐでない。万物には等しく魔力が宿っておることは知っておるな?」


 タンタルは枯れ木のような指を立てた。


「それを正しく体外へ放出し、事象を書き換えるのが魔術師じゃ。だがそれには、身体に魔力を通す穴――『魔孔』が必要じゃ。……お主には、それがない」

「知っている。だから俺は剣を振るっているんだ」


「だが、魔法として発現させずとも、体内で練り上げ、身体能力を向上させる《閉鎖循環クローズド・サーキット》を会得できれば、強化魔法を受けるに等しい効果を得ることは可能じゃ。……お主はそれを知らず、怠っておる。ただ垂れ流しているだけじゃ」


「そんなこと……知っている奴に出会ったことがない。どうやるんだ?」


 俺は身を乗り出した。

 閉鎖循環クローズド・サーキット。もしそれを会得できれば⋯⋯。そして『金神経』と『魔族の心臓』を持つ俺は、戦闘力が桁違いに跳ね上がるかもしれない。


「ほほほ。こればかりは手術でどうにかなるものではないぞ。身体に渦巻く魔力の流れを知り、その流れを意識的に操作する。自分の都合の良いようにな」


「どのくらいかかる?」


「通常、そのコツをつかむには早くとも1年はかかるのう。完全にモノにするには5年か或いは10年か。一生かかっても出来ぬ者の方が多いがな」


「……俺には時間がない。何とかならないのか」


 復讐の火は今も燃えている。一年も悠長に修行などしていられない。


「ほほほ、そこで、これじゃ」


 タンタルは懐から、奇妙な首飾りを取り出した。

 鎖の先に、不気味に脈打つ緑色の魔石が埋め込まれている。


「この『錬成魔石』は、特殊な磁場により、強制的に持ち主の魔力の流れを整え、最適化させる。……まあ、矯正器具のようなものじゃな。これを着ければ、お主が体内の魔力を操作するコツをつかむのを劇的に早めるじゃろう」


 要は、くれるということか。

 だが、このマッドサイエンティストが、タダで便利な道具を渡すはずがない。


「副作用は?」


「短期的には無い」


 タンタルはニヤリと笑った。


「じゃが長期的には知らぬ。まだデータが取れてないのでな」


「……ハッ」


 俺は鼻で笑い、その首飾りを受け取った。

 未知の副作用?

 そんなもの、今更だ。俺の身体はとっくに改造され尽くしている。


「いいだろう。……俺が実験台となってやる」


 俺は首飾りを装着した。

 瞬間、ドクンと魔石が脈打ち、冷たい何かが血管に侵入してくるような感覚と共に、全身の魔力の流れが微かに感じられるようになった気がした。


 準備は整った。


 魔族の心臓を暴走させる『魔性解放サヴェージ・ロア』。

 行き場のない魔力を肉体に縛り付ける『閉鎖循環クローズド・サーキット』。


 俺はタンタルに短く礼を言うと、サメトナに目配せをして研究室を出た。


 ■ ■ ■


 冷たい廊下を歩きながら、俺は胸の奥で鳴る異形の鼓動を感じていた。


 皮肉な話だ。

 正義を掲げる故郷は俺を無慈悲に切り捨て、倫理など欠片もない狂気に満ちたこの実験場しまだけが、俺に再び立ち上がるための「牙」を与えてくれた。


 人を辞め、倫理を踏みにじるこの冒涜的な技術こそが……今の俺にとって唯一の「救い」だというのか。


(……ああ、感謝するぞ。この狂った楽園に)


 俺は拳を握りしめた。溢れ出す力が、心地よかった。


「待ってー、ロッシ。置いてかないでー」


 背後から、サメトナが小走りでついてくる。

 この島の狂気が生んだ「最高傑作」である俺と、この島の狂気ですら解析しきれない「未知」の彼女。


 出自は違えど、行き着く先は同じだ。

 明日、俺たちは海へ出る。

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