表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/48

第15話 「さあ、舌を出して――」

 所長室への道すがら、ベルドールの不平不満は止まらなかった。


「おい、歩くのが速いぞ、欠陥品。これだから知性のないバカどもは困る」


 彼は足元の泥を気にして、わざとらしく立ち止まる。

 俺は無言で歩調を緩めた。

 仮面の下で、奥歯が砕けそうなほど噛み締める。

 この男は、俺たちを人間だと思っていない。言葉を話す家畜か、あるいは泥人形程度にしか認識していないのだ。


「申し訳ありません。……こちらの空気が肌に合わないご様子で」


「当たり前だ!カビと鉄錆と、獣の臭い……。都の芳しい空気が恋しいわ」


 ベルドールはハンカチで鼻を覆いながら、チラリと俺の背後に目を向けた。

 そこには、興味本位でついてきているサメトナとネオンがいる。


「……む?」


 ベルドールの足が止まった。

 その視線が、サメトナに釘付けになる。

 泥濘の中でも汚れることを知らない白磁の肌。サファイアのような双眸。

 この殺伐とした島には不釣り合いな、圧倒的な美貌。


「おい、案内人。……そこの銀髪の女」


 ベルドールがステッキの先で、無遠慮にサメトナを指した。


「あれも『商品』か?顔だけは《美の神ヴェネラ》のように美しいが……所作が野性的で。いかにも頭が弱そうだな」


 ピクリ、と俺の眉が跳ねた。

 だが、サメトナ本人は「んー?」と小首をかしげているだけだ。


「ちょうどいい。キジル様への献上品を探していたのだ。あの御方は、ああいう無垢で壊れやすそうな玩具がお好きだからな」


 ベルドールは下卑た笑みを浮かべ、護衛の騎士たちに目配せをした。

 騎士たちもまた、ニタニタと笑いながらサメトナを品定めするような視線を送る。


「おい、女。こっちへ来い」


 ベルドールが手招きする。

 サメトナは俺の顔を見た。俺が止める間もなく、彼女はトテトテとベルドールに近づいてしまった。

 好奇心か、それとも単に何も考えていないのか。


「……何?」


「ほう、近くで見るとますます上玉だ。だが、礼儀がなっておらんな」


 ベルドールは右足を一歩前に出し、泥で汚れた革靴のつま先をコンコンと鳴らした。


「おい、ほら。跪いて、俺の靴を舐めて掃除しろ」


「……は?」


 俺は耳を疑った。

 だが、ベルドールは本気だった。嗜虐的な愉悦に顔を歪めている。


「聞こえなかったか?商品としての価値があるか、従順さを確かめてやる。……舐めろと言っているんだ」


 空気が凍りついた。

 背後で、隊員達が殺気を放とうとする気配がした。

 サメトナは、ベルドールの靴と、彼の顔を交互に見比べた。

 そして、キョトンとした顔で言った。


「?……舐めればいいのか?」


 屈辱も、怒りもない。

 まるで「ここにある林檎を食べればいいのか?」と聞くような、純粋すぎる問い。

 彼女には、人間の社会的な尊厳や、羞恥心といった概念が欠落している。

 彼女はその場にしゃがみ込み、無防備に顔を近づけようとした。


「ブハハハハハッ!!」


 騎士たちが爆笑した。


「見ろよ団長!こいつ、本当に頭が弱いな!本気にするとは傑作だ!」


「何だ、身体に奴隷根性が染み込んでやがる!」


「頭の中身まで『商品』として調教済みってわけか!」


 嘲笑が響く。

 ベルドールも満足げに鼻を鳴らした。


「いい心がけだ。さあ、舌を出して――」


 一人の騎士が、調子に乗って手を伸ばした。


「ほらよ、もっと顔を近づけろ!」


 騎士の手が、サメトナの美しい銀髪を乱暴に掴み、彼女の頭を無理やり押し下げた。


 ――ブチッ。


 俺の中で、何かが切れる音がした。

 理性の糸か、あるいは人としての最後の一線か。

 世界の色が反転する。

 思考が一瞬で加速し、黄金の怒りが全身の血管を駆け巡る。


「――失せろ」


 ドンッ!!


 俺は地面を蹴った。

 騎士たちが瞬きをするよりも速く、俺はサメトナの髪を掴んでいた男の懐に割り込んでいた。


「あ?」


 男が間の抜けた声を上げる。

 俺は、サメトナに触れているその腕を掴み――


 バキボキィッ!!!

 逆方向へと、枯れ枝のようにへし折った。


「ギャアアアアアアアアッ!?」


 男の絶叫が峡谷に木霊する。

 肘から先がありえない方向に曲がり、白骨が皮膚を突き破って露出した。


「なッ……!?」


 ベルドールが目を見開き、後ずさる。

 俺はサメトナを抱き寄せ、優しく背後に下がらせた。


「何をする貴様!!狂ったか!!」


 ベルドールが顔を真っ赤にして怒鳴る。

 騎士たちが剣を抜こうとするが、遅い。あまりにも遅い。


「狂っているのは……貴様らのその腐った性根だ」


 俺は静かに、顔を覆っていた白い仮面に手をかけた。

 カチリ、と留め具が外れる音。


「……貴様、まさか……」


 ベルドールが、俺の声に聞き覚えがあることに気づいたのか、表情を強張らせる。

 俺は仮面を剥ぎ取り、地面に投げ捨てた。

 露わになった素顔。

 かつて彼が見下した、泥臭い勇者の顔。

 だがその瞳だけは、人間離れした黄金色に輝き、禍々しい紋様が頬を浸食している。

 ベルドールの顔から、血の気が引いていくのが見えた。

 口がパクパクと開閉し、言葉にならない音を漏らす。


「あ、あ……あ、ありえな……」


 俺は笑った。

 心の底からの、再会の歓びを込めて。


「久しぶりだな、クソ団長殿」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ