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第12話 「契約成立だ」

「――無理だネェ」


 開発院の最奥、クロムは俺の訴えを鼻で笑い飛ばした。


「君の『金神経化アウルム・ネルヴァ』は既に限界値だ。これ以上の出力向上は、神経ではなく肉体が耐えられない。筋肉が断裂し、骨が砕け、心臓が破裂する。物理的な強度が足りないんだヨ」


 俺は食い下がった。


「なら、肉体も強化すればいい。キメラのように、別の生物の筋肉を移植するなりして」


「美しくないネェ!君の完成された神経系に、他者の汚い肉を混ぜるなんて冒涜だ!それに……」


 クロムは声を潜め、天井を指差した。


「『領域』が違う。君が求める、ネオンやビスマス級の……いや、それ以上の力は、私やタンタル爺さんの管轄外だ。……『あの方』の領域だヨ」


 あの方。

 この島の頂点。所長、クラド。

 俺は薬魔院のタンタルにも足を運んだが、答えは同じだった。「これ以上は魂が持たん」と。

 結局、行き着く先は一つしかなかった。


 ■ ■ ■


 この島、絶海孤島『アムニオン』


 その島の中央に聳える『ヘリックス山』


 そのくり抜かれた山の中には、蟻塚のような広大な研究施設が作られている。

 その頂上付近にある所長室の前で、俺は足を止めた。

 重厚な黒鉄の扉からは、物理的な圧力を感じるほどの濃密な魔力が漏れ出している。


「ロッシ、入らないのー?」


 背後から、場違いに能天気な声。


 サメトナだ。

「ついてくるな」と言ったのに、「面白そうだから」と勝手についてきた。

 だが、今の俺には彼女を追い返す余裕すらなかった。扉の向こうの気配に、全身の金神経が警鐘を鳴らしているのだ。


(……行くぞ)


 覚悟を決め、扉を押し開ける。

 部屋は広かった。

 壁一面の本棚には古今東西の魔導書が並び、床には真紅の絨毯が敷き詰められている。


 正面の豪奢な執務机の奥。

 革張りの椅子に深く腰掛け、背を向けて絶海を眺めている男がいた。


「よく来た、ロッシ君。それに、サメトナ君も」


 所長、エイニヒツ・クラド。

 見た目は俺よりも若い。30代半ばの人間の男だ。


 整えられた黒髪に、知的で端正な顔立ち。貴族のような品格がある。

 だが、決定的に何かが「違う」。

 彼が纏う空気は、人が纏える器のサイズを超えていた。


「俺のことを、知っているのか」


 俺が問うと、エイニヒツは薄く笑みを浮かべた。


「無論だ。この島に来る者は全て私の愛し子だ。特に君は……『金神経化』に適合し、あまつさえ精神汚染を意思の力でねじ伏せている。実に興味深い個体だよ」


 彼の眼下には、実験場と化した島の全貌が広がっている。


「君はこの島を、ただの監獄か、あるいは狂った実験場だと思っているだろう?」


「……違うのか」


「ここは『揺りかご』だ」


 エイニヒツは両手を広げた。

 その床に落ちた彼の影が、一瞬だけ、雲の隙間から覗いた陽光に照らされ――人の形ではない、巨大な翼と角を持った異形のように蠢いた気がした。


 俺は息を呑んだ。


 幻覚か?いや、俺の眼はまだイカれてない筈。

 この男は、人の皮を被ったナニカだ。


「人は弱い。寿命は短く、肉体は脆い。だが、知恵と欲望だけは無限だ。……私はね、その矛盾を解消してあげたいんだよ。進化という手段で」


 エイニヒツが振り返る。その瞳は、深淵のように暗く、底が見えない。


「君は求めているのだろう?力を。理不尽を覆し、運命をねじ伏せるだけの暴力を」


「……ああ。そうだ」


 俺は、畏怖を押し殺して彼を睨み返した。


「俺は弱かった。守りたいもの一つ守れず、利用され、捨てられた。……もう二度と、あんな思いはしたくない。そのためなら、人間なんざいつでも辞めてやる」


「いい覚悟だ」


 エイニヒツは満足げに頷くと、俺の隣にいるサメトナに視線を流した。


「ふむ。……確かに『彼女を守る』には、今の君では力不足かもしれないな」

 サメトナが「ん?」と小首をかしげる。


 この男。俺も知らない、彼女の秘密に気づいている。


「クロムは限界だと言っただろう?それは正しい。君の神経は最高級だが、それを動かす心臓が、貧弱な人間のもののままだからだ」


 エイニヒツが俺の前に歩み寄り、俺の左胸に長い指を当てた。

 冷たい。氷のような冷気が、肋骨を透過して心臓を鷲掴みにされたような感覚。


「だから、取り替えよう」


「……取り替える?」


「ああ。私の手元に、古代の遺物がある。かつてある神に挑み、敗れ去った『魔族の勇者』の心臓の欠片だ。……これを君に埋め込む」


 魔族の勇者の心臓。

 常人なら聞いただけで正気を失うようなシロモノ。

 だが、今の俺にはそれが、希望の光のように聞こえた。


「その心臓は、それ自体が魔力を帯びている。君の血液を強力に循環させるだろう。適合すれば、『金神経化』の負荷など物ともしない出力と、無限に近い体力を得られるだろう。青の鎮静剤も、不要になるとまでは言わないが……依存度は劇的に下がる」


「成功率は?」


「限りなくゼロに近い。……だが、君なら耐えられる気がするよ。その瞳に宿る、昏い復讐の炎がある限りは」


 エイニヒツが笑う。

 それは慈悲深い聖職者のようでありながら、生贄を求める悪魔の笑みだった。


「どうする?このまま良き『市民』として生きるか。それとも、人としての死を受け入れ、魔人として新生するか」


 俺は、隣のサメトナを見た。

 彼女は、難しい話は分からないといった顔で、辺りをキョロキョロと見回している。

 この無防備で、危なっかしくて、底知れない彼女。

 彼女の隣に立つ資格を得るには――


「……勿論だ」


 俺はクラドを真っ直ぐに見据えた。


「俺に……最強の力を授けてくれ」


 エイニヒツの影が、壁一面に大きく膨れ上がった。

 部屋の空気が振動し、歓喜の歌のように響く。


「契約成立だ」


 エイニヒツの手が、俺の胸に沈み込んでいく。

 痛みはない。あるのは、魂を直接書き換えられるような、根源的な恐怖と高揚感だけ。


 俺は意識が暗転する寸前、サメトナがこちらを見て、ニッコリと笑ったのを見た気がした。


 まるで、「いってらっしゃい」とでも言うように。

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