第10話 「……雑な作りだ」
翌朝、俺たち特務部に下された任務は、島の西区画にある「資源管理区域」の警備および害獣駆除だった。
「資源管理区域」。
聞こえはいいが、要するに人間牧場だ。
ここには「資源」判定を受けた者たちが収容されている。彼らは思考能力を奪う薬を投与され、ただ生かされ、太らされ、そして必要に応じて実験素材や――あるいは上位魔物の「餌」として出荷される。
この島がいかに狂っているか、改めて思い知らされる光景だった。
虚ろな目をした人間たちが、家畜小屋のような柵の中で泥にまみれて座り込んでいる。
「……趣味の悪い場所だ」
俺は支給された安物のロングソードの柄を握りしめ、吐き捨てるように呟いた。
隣では、サメトナが珍しく静かだ。彼女の感性でも、ここの異様さは感じるらしい。
いや、「なんか臭いなー」と鼻をつまんでいるだけか。この女の神経図太さは、ある意味で最強の才能かもしれない。
「おい、新入り!油断するなよ!」
小隊長が怒鳴る。
今回のターゲットは、この牧場を荒らしている「害獣」。
開発院から脱走した『廃棄実験体』だ。
「グルルルルゥ……」
不意に、森の奥から地響きのような唸り声が聞こえた。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
風に乗って漂ってくるのは、腐肉と薬品が混ざった強烈な悪臭。
「来るぞ!構えろォ!!」
兵士たちが槍や剣を構える。
その緊張が頂点に達した瞬間――闇が弾けた。
「ギシャアアアアアアッ!!!」
森の木々を薙ぎ倒し、巨大な影が躍り出た。
全長3メートルはあろうかという巨体。
ベースは熊だろうか。だが、その背中からは蜘蛛のような鋭利な節足が4本生え、尻尾は巨大なサソリのものに置換されている。
皮膚は爛れ、至る所から別の生物の筋肉が露出している、ツギハギだらけの悪夢。
「う、嘘だろ……でかすぎる!」
「ひいぃッ!」
恐怖で足がすくむ兵士たち。
キメラはその隙を見逃さない。
圧倒的な質量を乗せた突進。
ドォォォォォン!!
「ギャアアアッ!?」
先頭にいた兵士二人が、紙屑のように吹き飛ばされた。
一人は即死。もう一人は、キメラの蜘蛛足に胴体を貫かれ、空中で絶命する。
「撃て!魔法部隊、何をしている!!」
後衛の魔術師たちが火球を放つが、キメラの分厚い脂肪と筋肉に阻まれ、表面を焦がす程度しか効かない。
逆に痛みが怪物を狂暴化させた。
「シャアアアッ!!」
サソリの尾が鞭のようにしなり、魔術師の首を刈り取る。
鮮血の雨。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
通常の特務部員では、文字通り手も足も出ない。個々の能力差以前に、生物としての格が違いすぎる。
「ひ、ひぃ……助け……」
腰を抜かした兵士に、キメラの巨大な前足が振り上げられる。
爪の一本一本が、ダガーよりも鋭く長い。
振り下ろされれば、挽肉になるのは確実だ。
(……やれやれ)
俺は小さく息を吐き、一歩前へ出た。
懐の『青の鎮静剤』の効果時間は十分。
意識を切り替える。
心臓を回せ!感覚よ走れ!全ての細胞を連動させろ!
バチチッ。
首筋から頬にかけて、皮膚の下を走る『金色の紋様』が発光する。
「――『金神経・掌握』」
カッ!
世界の色が反転し、そして静止した。0.01秒の世界へ突入する。
兵士の絶叫も、飛び散る血飛沫も、風に揺れる木々の葉も。
すべてが粘性の高い液体の中に沈んだように、極限まで遅延して見える。
俺の視界には、キメラが振り上げた腕が、止まって見えていた。
ただ遅く見えるだけではない。
クロムが言っていた『魔力視』の応用か、それとも脳の処理能力が向上した結果か。
俺の目には、キメラの身体構造が透けて見えていた。
(……雑な作りだ)
筋肉繊維の走行、骨格の継ぎ目、魔力の流れる導線。
それらが青白いラインとして視覚化される。
右前足の筋肉が収縮し、力が爪先に伝達されている。
左脇腹にある、移植手術の縫合跡。そこだけ装甲が薄い。
そして、胸の奥でドス黒く脈打つ核。
(あそこか)
すべてを把握するのに、コンマ数秒もかからない。
俺は地を蹴った。
ザッ!
俺の姿が掻き消える。
キメラの爪が、俺の残像を引き裂く。
その爪先と俺の鼻先との距離、わずか数ミリ。
だが、この世界において数ミリとは、対岸ほどの安全圏だ。
「――――」
俺はキメラの懐に潜り込みながら、安物のロングソードを抜いた。
名剣ではない。強引に振れば折れる。魔力を込めすぎれば砕ける。
だが、北伐隊長として培った剣技がある。
刃の角度を調整。
敵の硬い筋肉の隙間、縫合跡の柔らかい肉へ、切っ先を滑り込ませる。
(一太刀)
ズパッ。
すれ違いざま、脇腹を切り裂く。
キメラが反応するより速く、俺は身体を回転させ、遠心力を乗せて二撃目を放つ。
(二太刀)
露出した腱を断裂させる。
巨体がバランスを崩し、大きく傾ぐ。
(そして――)
俺は跳躍した。
極限遅延の世界で、キメラが驚愕に見開いた瞳と目が合う。
俺の金色の瞳が、死を宣告する。
ロングソードに、極限まで圧縮した魔力を纏わせる。
狙うは胸部。肋骨の隙間。核の一点。
「――『穿ち』」
ズドンッ!!
落雷のような刺突。
剣身が吸い込まれるようにキメラの胸を貫き、背中へと突き抜けた。
脈打つ核を貫いた感触が、掌に伝わる。
俺はキメラの肩を蹴り、音もなく着地した。
同時に、「金神経・掌握」を解除する。
世界が通常の速度を取り戻す。
ドサッ……。
一拍遅れて、キメラの巨体が崩れ落ちた。
血飛沫が遅れて噴き出し、俺の背後を赤く染める。
「……ふぅ」
俺は血糊を払い、剣を鞘に納めた。
刀身にはヒビが入っていた。やはり、この出力には耐えきれないか。
静寂。
さっきまで悲鳴を上げていた兵士たちが、口を半開きにして呆然としている。
何が起きたのか、誰も理解できていない。
彼らの目には、俺が一瞬で消え、次の瞬間には怪物が倒れていたようにしか見えなかったはずだ。
「あ……あ……」
腰を抜かしていた兵士が、震える指で俺を指差す。
「い、一撃……?あの化け物を……?」
「ロッシ……お前、本当に……」
畏怖。驚愕。そして、絶対的な強者への羨望。
視線が痛いほど突き刺さる。
かつて「勇者」と呼ばれていた頃とは違う。これは、異質な「化け物」を見る目だ。
「……おぉー!ロッシ、今のナニ!?」
唯一、サメトナだけが目をキラキラさせて駆け寄ってきた。
「ドーン!ズバッ!って。かっこいい!」
「……はしゃぐな。危なかったんだぞ」
俺は彼女の頭を軽く小突いた。
まったく、この女だけには……。何も通じないらしい。
だが、その変わらない呑気さに、俺の中で高ぶっていた神経が少しだけクールダウンした。
「おい、死体処理班を呼べ!怪我人を運べ!」
俺は呆けている小隊長に代わり、周囲に指示を飛ばした。
兵士たちが「ハ、ハイッ!」と直立不動で応え、慌てて動き出す。
俺は倒れ伏したキメラを見下ろした。
これが「失敗作」か。
なら、完成化された生命体はどれほどの強さなのか。
そして、あのネオンや、ビスマスは――。
(……まだまだだ)
俺は握りしめた拳に力を込めた。
この程度では足りない。
あの0.01秒の世界をもっと深く、もっと長く支配しなければ、彼らの高みに到達できない。
俺の瞳の奥で、金色の残り火が揺らめいた。




