9-3 side カナタ&忍
初音が連れ去られた車を見て、カナタはすぐにタクシーを呼んで追いかけた。
「おっちゃん! あの車、追いかけて!」
運転手にそう頼んだが、カナタは初音を守れなかった罪悪感でいっぱいだった。
(ちくしょうっ! オレがいたのに!)
そう思いながらも車のナンバーは記録した。すぐに兄の若林に連絡して、遠巻きながら撮った車の写真を送る。あとは若林がなんとかしてくれるはずだ。カナタは今やるべき尾行に意識を集中させた。
やがて、若林からカナタに連絡が入った。
――社長がそっちに行った。以後の情報は社長に。
(日向がくる!)
カナタはすぐに忍に情報を送った。
返事はなかったが、運転をしているからかもしれない。それでもカナタは一方的に送り続け、やがて車が止まった場所を見て、タクシーを止めた。
「おっちゃん! 止めて!」
カナタは会計を済ませ、場所を忍に通達し、息を殺して相手を追いかける。
路地を曲り、初音が雑居ビルに入っていく姿が見えた。
(いたっ!)
ひとりの男が上機嫌で封筒の中身を確認しながらこちらに向かってくる。運転手の男だ。カナタは飛び出し、小柄な体を宙に舞わせた。次の瞬間、躰道仕込みの蹴りが男の顔面を直撃する。
「ぐはっ!」
「おい、おまえ! 初音ちゃんに何をする気だ!」
男の胸倉を掴み、カナタは叫ぶ。
「お、俺は何もしらねえよ! 金貰っただけだ!」
使えないと判断したカナタは、男を壁に叩きつけ、失神させてしまう。急いで雑居ビルに向かうが、入り口のドアが閉まっていた。
「くっそお! なんだよ、これっ!」
カナタは自分の頭にさしていたヘアピンを二本伸ばすと、鍵の解除を始めた。
一方、カナタから連絡を受けた若林は、デジタル時計に映し出されたメッセージを見てぴくりと眉を動かした。
初音が誘拐された。警察に追報するのが先かと思ったが、一秒考えてから、和やかに相手と会話している忍の元に向かった。
忍は相手と挨拶し終えたところだ。そして、この後の予定は詰まっていない。二時間後に会議はあるが、忍がいなくても回せる案件だろう。
若林は眼鏡を指で押し上げ「社長」と話しかけた。
その後の忍の行動は早かった。
「きっぷを切られると時間の無駄なので、交通ルールは守って、かっ飛ばしてきてくださいね」
そう淡々と言う若林を置いて、忍はひとり車に乗り込んで雑居ビルに向かって発進させる。
カナタから情報が送信された。初音を誘拐したのは、初音の叔母だろうと推測されていた。
それを見て忍は、己の甘さに反吐がでた。
(クズは暴発するって分かっていながら、なんだこのざまは!)
自分の不甲斐なさ、相手の怒りでとうに理性は臨界点を突破していた。忍は怒鳴り声とともに、愛車を発進させた。
「初音に何かあったら、生きて帰れると思うなよ!」
現場に着くと、忍は走りながら周囲の建物、そして初音が誘拐された雑居ビルの外観を、息を吸うように目に焼き付けた。
(四階建て、屋上あり。非常階段には踊り場――)
昭和時代に建てられていそうな古い外観のビルだ。周囲は飲み屋で人けはない。それを瞬時に理解し、索敵を開始する。
道中で倒れている男がいたが、無視した。そうして現場に辿りつくと、カナタが鍵を開けたところだった。
「日向!」
カナタの存在を確認した後、忍は自分が先にビルの中に突入する。ビルの一階は工事中なのか電線やドライバーが転がっていた。ドライバーを拾い上げ、スーツを翻したまま、次々とドアを開くが初音の姿はない。
「チッ」
舌打ちしながら二階へ駆け上げると、チンピラ風情の男がふたりいた。
「なんだ? 綺麗なあんちゃんが来るところじゃねえ……ぐおおっ!」
忍はネクタイを外した。男の右手首に巻きつけ、締め上げる。そして体を翻し、男を床に叩き伏せた。
「初音はどこにいる?」
淡々と言う忍に向かって別の男が突進してくる。
「てめえ!」
忍は拘束していた男を、てこ原理を利用して階段下に転がり落とすと大振りの男の拳を難なくよけた。
スーツの懐からスマートフォンを取り出すと、男の顔面にライトを付ける。
「うわあっ!」
目つぶしをされた男は怯み、その隙に忍は男の鳩尾に肘打ちをした。
カナタが階段から上がってきて、落ちてきた男を踏みつけながら忍と合流する。
「日向、上!」
カナタが指し示した方向、三階には刃物を持った男がいる。忍は階段脇に設置されていた消火器を手にすると、階段を駆け上がりながら男たちに向かって噴射した。
「ごほっ!」
男は激しく咳き込みながら後退した。雲隠れからカナタが身を低くして現れ、男の刃物を蹴り上げる。
蹴り上げられた刃物が宙を舞う。その一瞬をつき、ドライバーが男の衣服を壁に縫い止めた。
また、一本。
ドライバーが手裏剣のように投擲され、男の顔面すれすれの壁に突き刺さった。
白い霧の中から、忍が現れる。
「ひいっ!」
その異様な迫力に男は恐れおののき、情けない声を上げた。そんな男の様子を意に介さず、忍は懐から万年筆を取り出した。
文具とはいえ、先の尖ったものだ。忍はそれを振り上げ、男の眼球すれすれで止める。そして、低い声で男に問いかけた。
「初音は、どこだ」
その問いかけに男は震えあがり「屋上だ!」と告白した。しかし、屋上へ通じる扉には鍵がかかっている。ガチャガチャとドアノブを鳴らすカナタがじれったい声を出す。
「ダメだ、日向!」
カナタが振り返る間に、忍は走り出していた。
考えるのは一刻も早く彼女の元に辿りつけること。三階の非常階段からの屋上へ登ろうと思い、ドアを開く。
一陣の風が舞った。
その風の中に、リンと鈴の音がする。
音のいる方向へ顔を上げると、初音が手すりを乗り越えて、今にも屋上から落ちそうだった。




