6-3
忍さんと電話を終えたあと、余韻が深く、しばらくぼうっとしていた。名残惜しくてスマートフォンを見つめる。
(こんなに好きになっちゃうなんて……)
彼を思い、わたしは溺れそうになっていた。
顔を上げると日本庭園は美しく、来年も、その次の年も、ここからこの風景を見たいと思った。
「契約は終わったけど……」
忍さんが戻ってきたら、ここにいたいと、指をついてお願いしてみよう。
思いを伝えて、そして、そして――。
(告白って……どのタイミングですればいいんだろう?)
浮かれ切った思いが、ふと現実に戻る。
食事後か、寝る前なのか。
(……明日は疲れて帰ってくるだろうし。次の日とか?)
それなら朝食時か。それとも帰ってきてからの方がいいのか。
「……お休みの日に、ゆっくり寛いでいる時間の方がいいのかしら?」
夜の庭に疑問を投げかける。誰もいないから、当然、返事はない。そんなことをしてしまった自分が少し恥ずかしくて、けれど考えるのをやめられない。
その夜は、感動の余韻もあって、なかなか眠れなかった。
***
次の日、わたしはカナちゃんと一緒にお買い物に行き、気合を入れて料理をしていた。忍さんの好物を作るためだ。
(明日になっても食べられるものにしよう)
彼の好物は、素朴で滋味あふれる料理が多い。里芋の煮っころがしに、肉じゃが。なますなど、素材の味が出ているものを好む。
(ええっと、里芋とイカの煮物は、食べてくれたけど、目がスンとしていたわね……)
魚介の味にはうるさく、なまぐささは嫌う。青物も、同じく苦手だ。
醤油は新潟県産のものしか受け付けず、味のこだわりは強い。
そんなことを考えて、ふふっと笑ってしまった。
(すっかり忍さんの味を覚えちゃった)
そんな自分がまた、幸せだ。
ご機嫌で作っていたが、彼は遅くなるらしく作った料理はホーローの容器に移され、次の機会を待つことになった。
仕方がない。遠くに行ったのだから。
でも今日は、彼を待っていたい。
(おやすみなさいを言うだけでいいから)
そう思って、掘りごたつ式のテーブルで日本庭園を眺めていた。
「ふわっ……」
昨日、遅かったせいか夜の九時半なのにもう眠い。
(ダメダメ、起きていないと)
軽く首を振って、姿勢を立て直す。
夜十一時を過ぎた。まぶたは自然に落ちていき、がくんと首が倒れそうになる。
(ううっ……眠い)
睡魔に抗えず、視界がぼんやりしていく。
しばらくして視界が白み、日本庭園の輪郭がほどけるように遠ざかっていった。
――リン。
魔除けの鈴の音がした。
きっと夢の中に入ってしまったのだろう。
(今日は、どんな夢かな……)
雅姫と景虎に思いを馳せていると、まどろみの中に人影が浮かんだ。
髪を下ろしているその姿は、きっと景虎だと思った。
でも忍さんと同じスーツを着ているような気がする。
(夢と現実がごちゃごちゃね……)
それほど忍さんを思ってしまっているのだろう。
「まだ、起きていたのか……眠そうだな」
優しい声がして、彼がわたしの目の前で膝をついた。
愛しい人に微笑みながら、わたしは自然と手を伸ばす。
これは、夢だから――。
そんな言い訳をしながら、普段できないことをする。彼に抱きつき、甘えるようにその首に腕を回した。
びくりと震えた体を感じながら、わたしは思いを伝える。なぜか自然に、わたしと雅姫の意識が、折り重なった。
「あの場所を元に戻してくれて、ありがとう」
――リン。
魔除けの鈴が鳴る。
この鈴があったから、わたしは最期が怖くなかった。
そしてこの思いを彼に伝えるのは、あまりに都合の良い夢だろう。
「信じていました。……景虎」
深愛を捧げながら抱きしめると、両肩を掴まれ引きはがされるように距離を置かれる。それに驚いていると、彼は目を見張ってわたしを見ていた。信じられないと言わんばかりに瞳をさ迷わせている。
「……姫様?」
確かめるように呟かれた言葉にくすりと笑う。どうして今更――彼は、確かめるのだろうか。
「ええ、そうですよ。……わたしの景虎」
うっとりと見つめて言うと、力強く抱きしめられた。息苦しさを感じていると、あごを掬い上げられ噛みつくような接吻をされる。
「っ……」
角度を変え、まるでわたしの存在を確かめるように、彼が口の奥へ奥へと入り込もうとする。咄嗟に彼のシャツを掴んだけれど、まるで離してほしくないとすがっているようだ。
わたしの呼吸ごと奪うが如き、彼の荒くれさに夢の輪郭がほどけていく。
苦しくて涙の膜が目に張った。
それがぽろりと流れ、見えたのは同じく苦しそうに眉根を寄せる忍さんだった。景虎では、なかった。
「しのぶ、さん……?」
唇が離れて、息を吸い込みながら告げると、彼がハッと目を開く。いつもの余裕はなく、どこか理性が剥がれたように目を彷徨わせる。やがて怯えるようにわたしに触れ、抱擁された。誰よりも堂々としていた彼が震えていた。
「初音――君は雅姫なのか……?」
その声に、全身が甘く痺れた。
びりびりとした衝撃を感じながら、わたしは彼の背中をかき抱く。そして胸を打ち震わせながら叫んだ。
「そうですっ。雅です。わたしは雅でした!」
リン――と、ペンダントの鈴の音を鳴らしながら、顔を上げる。
忍さんは目を真っ赤にして泣いていた。わたしも目を見開きながら、涙を流す。
この巡り合わせをなんと言葉にしよう。
どの言葉も、あてはまらない気がする。
言葉するには、わたしたちはあまりにも深すぎた。
「……忍、さん」
ただ名前だけを告げると、彼の息が上がる。
わたしの息も上がる。
もう引き返せない高まりを感じながらも、また唇を重ねる。
「……ダメだ、初音。このままでは抱いてしまう」
キスの合間に、彼が切羽詰まった声を出す。
抗う彼を、わたしは受け入れようと思った。
わたしは、忍さんに愛されるだけ。
雅姫は、景虎に愛されるだけ。
今宵、夢と現実がひとつになるだけだ。
「抱いてください」
そう告げると、射抜くように見られた。
彼からはっきりとした欲を感じた。
「――――」
彼がわたしの名を呼んだ。
その名は、初音だったのか。雅姫だったのか。
分からないまま、横抱きにされる。
連れていかれたのは、彼のベッドルームだ。
整われたベッドがかえって、これから始まる密戯を想像させ、わたしはこくりと喉を鳴らした。
(だけど――もう、いいの)
彼と出会い、そしてわたしは、彼に恋をした。
彼の腕の中に囚われたことが、どんな結末を迎えようとも。
わたしは後悔しない。




