5-3
彼が予約してくれたレストランは、ホテルの最上階にあり、横浜港を見渡せる窓際の席だった。
テーブルはダイヤ型に配置され、隣の視線を気にせず、夜景に溶け込めた。
「和食は初音が作ってくれるから」という理由で、フランス料理のお店にしたらしい。さりげない褒め言葉が幸せで心をうずうずさせながら、わたしは次々と出てくる料理に舌鼓を打った。
メインのお肉料理は、二種類選べたから、ひとつずつ頼んだ。
わたしは和牛のステーキを選んだ。
絶妙に火が通された一口サイズのステーキは舌がとろけるんじゃないかと思うほど。
「美味しい……ソースが絶品ですね」
「こっちの鴨のローストもうまいぞ。食べてみるか?」
「ええ」
「ほら、口を開けて」
フォークに刺さったお肉を唇に寄せられる。
(このまま、食べなさいってことかしら?)
わたしは口を小さく開き、お肉を食べた。
まるで餌付けされているみたいだ。
唇に片手を添えて、よくよく噛みしめると、濃厚なうま味だけが口に広がる。
(美味しすぎる……っ!)
口をもごもご動かしながら、どうにかこの感動を伝えようと目を開いて、こくこくと頷く。
「そんなに、うまいか」
楽しそうに笑う彼に、何度もうなずき、飲み干しても続くうま味にしみじみと思った。
「ずっと噛んでいたい味でした」
「それは連れてきたかいがある」
そう言われ、わたしは嬉しくて微笑んだ。
(わたし、きっと、幸せですって顔している)
夢のようなひとときを過ごし、お会計をして店から出るときだった。
「あら、忍じゃない」
彼と同じ年ぐらいの美女が、声をかけてきた。波打つ黒髪に自信がうちから出ている笑み。ひとめで彼と同じ世界の人だと思った。
(……下の名前を呼んでいる……)
それは、ふたりが親しい間柄だということだ。衝撃を受けていると、彼は笑顔で美女に挨拶した。
「高羽か。久しぶりだな」
すっと彼がわたしの世界から消えて、心がしんと静かになった。さきほどのあたたかさが嘘のように、わたしは都会でひとり迷子になったみたいだった。
(誰だろう……元カノとかかな……)
ふたりが並ぶとお似合いで、わたしでは太刀打ちできそうもない。夢から醒めたみたいだった。
(やだな……)
彼との時間に割り込まれてしまった。
高羽と呼ばれた美女は彼に話しかけながら、わたしにちらりと目を向けた。
「可愛い人を連れているのね。彼女?」
「いや、婚約者だ」
彼がわたしの肩を抱いて自分の方に引き寄せた。びっくりして彼を見ると、少年のように目を輝かせて美女に言い切った。
「初音が可愛く見えるとは、高羽は見る目があるな」
堂々と自慢げに紹介されてしまった。彼の笑顔が眩しくて、しっかり回された手の力強さに、さきほどまでの寂しさが消えていく。
そんなわたしたちを見て、高羽さんは笑っていたが、声には棘があった。
「……あらそう、褒めてくれてありがとう」
(あれ? あれれ?)
きょとんとしてふたりを交互に見ると、忍さんの笑みは無邪気で、高羽さんの笑みは極寒に感じる。ふたりの温度差に目を白黒させていると、彼はわたしに穏やかな声で話しかけた。
「初音。彼女は、高羽蓮花。高羽ホテルズ&リゾートのご令嬢だ」
「……はじめまして。青葉初音です」
小さく腰を落として礼をする。
(高羽って、聞いたことがある。全国にホテルを持っているんじゃなかったっけ……)
まさに彼と同格の人だった。緊張で顔をこわばらせていると、高羽さんは優美に笑んだ。
「はじめまして。高羽蓮花よ。今はウェディングプランを任せられているから、ご贔屓に」
艶やかな声で握手を求められ、手を差し出す。その時、やや強く引っ張られ、彼女の顔がわたしに近づいた。濃厚でスパイシーな香りが鼻孔をくすぐり、わたしにしか聞こえない声が耳に届く。
「……気をつけて。彼、仕事が第一で、女のことは後回しだから」
「っ!」
契約だったことを突きつけるようなことを言われ、わたしは反射的に腕を引いた。ドキドキと心臓が嫌な音を立てるのを聞きながら、彼女を見る。
彼女は不敵に笑っていた。その笑みは、わたしの知らない彼を知っているという余裕があった。
(一番、痛いこと言われた……)
彼との関係は、契約の上で成り立っていることを思い出した。
眉をひそめていると、長い腕に腰を引き寄せられ、大きい体に背中があたった。見上げると、むすっとした顔が見える。
「高羽、何言ったんだ? 初音が不安そうじゃないか」
そう文句を言うと、高羽さんはくすくす笑いだす。
「本当のことを教えてあげただけよ。あなたが仕事人間だって」
「仕事をするのは当たり前のことだろう?」
わたしの腰をぐっと抱きながら、彼は艶然と微笑んだ。
「経済力のない男が、結婚してくれなんて言えないだろう? 口だけの男になる」
その堂々した空気と、触れられた手に特別なものを感じた。これはうぬぼれではないかもしれない。
「……その言い方、昔から変わらないわね。お気に入りを自慢する態度も」
「褒めているんだな。ありがとう」
「ほんと、あなたとは昔から合わないわよね!」
「奇遇だな。俺もそう思っていた」
ふたりとも迫力ある笑顔でバチバチと火花を散らしていた。わたしが目を丸くしている間に、高羽さんはふんと鼻を鳴らす。
「のろけに付き合ってられないわ。ごきげんよう」
そう言って、すたすた歩きだしてしまった。
「なんなんだ。あいつは……」
彼は肩をすくめて、歩き出す。わたしも自然に歩き出した。腰に添えられた手はそのままだった。
「嫌味なことを言われてないか? 高羽は昔から俺に敵対心をむき出しにするんだ」
「……そうなのですか。……親しいんですね」
「親しいというか、同族嫌悪だな」
「え?」
「若林の話だと、カテゴリーが一緒。的確に相手の弱点を突くところがそっくりだそうだ。俺はそんなことないよな?」
「え……そうですね。忍さんは優しいです」
素直に言うと、彼の空気が穏やかになる。
「初音には特に、だけどな」
その一言で舞い上がってしまう。
彼の特別になれたみたいだ。
そうなればいいなと願っていた。




