4-3 舞台裏
俺は若林と共に車に乗り込んだ。
車内で情報を共有して、ふと一息ついたとき、今朝の初音の態度を思い出した。
(キスは嫌がってなかったな)
嫌がられたら、ビンタの一発くらいは覚悟していた。
だが、初音から感じたのは戸惑いだけだった。
「……順調だな」
満足して思わず呟くと、若林が生温い目を向けていた。
「なんだ?」
「別に。それ以上、言わなくていいです。のろけを延々と聞かされるだけでしょうから」
「のろけてるつもりはないが?」
「無自覚ですか。たちが悪いですね」
嘆息する若林に首をひねり、初音の叔父たちの状況を確認する。
「俺にも一報があったが、青葉正光は家庭裁判所からの命令を無視しているらしいな」
「法的効力があるのに、ご存じないんでしょうね」
「頭の回転が鈍いみたいだからな。まあ、無視しても、どうせ逃げられない」
「社長。初音さんの叔父たちを追放するのは、親族になりたくないからですか?」
「よくわかったな。初音と結婚するとき、あれらは不要だ」
「……それ、もう結婚したいって言っているようなものですけど、初音さんに言いました?」
「いいや」
「…………」
「まあ、慌てるな。初音にも時間が必要だろう」
俺は口角を持ち上げた。
「外堀は綺麗に埋めて、万全にしておかないとな」
若林は「うわあ」と呆れた声を出した。
それを無視して、青葉信用組合の状況を確認する。
「青葉もそろそろ動くんじゃないか」
「後任は決まっているんですか」
「ああ、正しい人を正しい場所に戻す」
「ほんと、抜かりないですね」
「賞賛として受け取っておく」
彼女はまだ何も知らなくていい。
汚れた面など見ず、今のまま笑っていればいい。
それで俺は、十分満足だ。
***
初音が去った後、叔父の青葉正光の元には、『財産状況開示請求書』が届いていた。
家庭裁判所からの命令書で、無視すれば後見人を解任される場合もある。だが、愚かにも正光はそれを無視した。
(こんなもの、ただの脅しにすぎない……)
効力を理解する余裕もなかった。初音が去って以降、彼は無償で任せていたデータ処理を他人に任せたが、遅すぎて苛立ちが募るばかりだった。
初音の仕事の正確さを完全に見誤ったのは、まさに正光の落ち度だ。
黒川への接待も初音がいなければままならず、彼から罵倒されている。しまいには、黒川との縁を切られそうになっていて、正光は忍に彼女をすんなり渡してしまったことを後悔していた。
(日向家と縁ができると思ったのに、私からの連絡を一切無視されている!)
正光を心底、嫌っている日向忍が取り次ぐはずもない。
そこに、家庭裁判所からの命令書だ。
無視したことで再度通告が届き、赤字で法的措置の可能性まで丁寧に記されていた。これにはさすがの正光も動揺した。妻は発狂せんばかりで、正光に問い詰める。
「あ、あなた。黒川様にお願いしましょう……このままではわたしたち、どうなってしまうのか……」
もう遅いのだが、それに叔父夫婦は気づかない。
「う、うむ……黒川様に言って弁護士を紹介してもらおう……黒川様とて、私たちの後ろ盾がなければ困るだろう……」
黒川とズブズブに利権を絡めてきたのは、こういうときに守ってもらうためだ。正光はそう信じ込もうとして、黒川の事務所を訪ねた。
ガラの悪い男たちばかりの事務所に、身を縮こまながら行ったが、意外にも黒川は弁護士を紹介してくれると言った。
「お前さんと儂の仲やでな。助けてやるで」
「あ、ありがとうございます!」
正光は頭を床にこすりつけて感謝した。
だが、その時点で黒川の中では、彼はすでに“使い捨て”だった。
黒川は落ち目の正光に、新たな利用価値を見つけ、私利私欲のために正光たちを使おうとしたのだ。そうとも知らず正光は、るんるんで妻に報告した。
「もう大丈夫だ! 私たちは堂々としていればいいんだ!」
妻の前では大見えを切った正光だったが、家庭裁判所の職員が訪問したことによりつかの間の幸せはあっけなく崩れた。
職員は粛々と帳簿・通帳・契約書などを確認し、銀行口座まで差し押さえられる。
「弁護士に言ってくれ!」
「それでは代理人を立てる委任状を見せていただけますか?」
職員に言われて、正光は目を点にした。
「代理人がいない場合、あなたが手続きすることになります」
「いや、いたんだ。こ、この人にお願いして」
黒川の事務所と電話番号を教えるが、なんと事務所は引き払われた後だった。電話番号も繋がらない。呆然とする正光の前で、後見人としての適性が粛々と審議された。
初音の代理として弁護士が、和解金の支払いスケジュールを提示した。
そうすれば民事訴訟にならず、手続きが収束する。
だがそのためには、住んでいる家を出ていかなければいけない。和解金も払えるが、生活を切り崩す痛恨の出費だった。
迷っている暇もなく、次は青葉信用組合に不正取引の疑いがあると、監査が入ることになった。
「どうして……なぜ、バレたんだ……」
それは初音が記憶していたからだ。
五年間、初音が耐え抜いた記憶は、正光を追い詰める刀となった。その刀を研いだのが忍。あとは国の法律に基づき、プロフェッショナルたちが刀を振るい、正光の喉元に突き付ける。
正光を追い詰めるのは、不正を許さない――ごくごく当たり前の制度だった。
「あああ、何もかも、おしまいだ……」
叔父一家は初音の家から出ていかなければならず、かりそめの地位・権力を失っていく。
ほつれた糸を引っ張ったように、つぎはぎだらけの正光の生活が、バラバラと崩れていった。
叔父一家が没落の最中にあることを露知らず、初音は忍の甘い態度に慣れていった。
どこからどう見ても新婚生活みたいな雰囲気で、日々を過ごしていた。




