4-2
どうして日向様はこんなに甘い声を出すのだろう。誰にでもこうなのだろうか。
そう考えて、ズキンと胸が痛んだ。
(ああ、わたしは誰にでも同じ態度をされるのが嫌なんだ……)
とっくに、彼に心を奪われてしまっていた。
こんなふうに優しく、尊重されたら……恋をしてしまうに決まっている。魅力的な彼の前では、誰だって――。
「初音、どうした?」
思考が途切れ、彼の心配そうな声で意識が戻る。顔を上げると、いつの間にか寄っていた眉根をつっつかれた。
「難しい顔してるぞ? 何か嫌だったか?」
素直に言いたいけれど、まだ勇気は出ない。
「いいえ……少し考えごとをしてしまって」
「――何を考えていた」
次に聞こえたのは、厳しい声。鋭くなった眼差しが、隠した本音を暴こうとする。
「教えろ。俺がなんとかする」
(あ、あなたのことで……なんですけれども……)
非常に困った。熱視線に心が侵されて、手に汗まで滲んできた。
「そんなに言えないことなのか? ……俺を名前で呼ぶことか」
「えっ?」
彼の勘違いに、間抜けな声が出てしまった。彼は拍子抜けしたように、小首をかしげて笑う。
「違うのか?」
「あ、えっと……」
わたしは汗が滲んだ手をぎゅっと握って、ぽろぽろと本音を口にした。
「日向様に近づくと、ドキドキしすぎてしまいまして」
「ほお」
「あの……心臓がもたなくて」
「俺を意識しているってことなんだな」
直球で思いを暴かれて、ぐうの音も出なかった。きゅっと唇をすぼめた、その瞬間。彼にあごを掬い取られた。ぐいっと上を向かされて見えたのは、端正な顔。
「俺も同じだ」
――え。
返事をする間もなく、彼の唇がわたしの唇を掠めとった。
あまりに自然な流れで、唇が離れたあとに実感が後から追いかけてくる。
(キスされたの……⁉)
ぼんと爆発しそうなくらい顔が火照ってしまったのに、彼はくつくつと喉を震わせた。
「可愛いな、初音」
降り注がれる甘い言葉に、膝が震えだした。無言で目を見開いたわたしに彼はもう一度、しっかりと唇の形が分かるような口づけをした。
(――――っ!)
自分の世界が止まった。
彼の唇の感触しか分からないのに、どうしてこんなにも幸せなのだろう。
目を閉じられずにいると、彼がすっと目を細めた。
次の瞬間、初めて知る甘い感覚がして、全身がびくびくと震えた。
(んんんっ……!)
咄嗟に唇を離して、大きく息を吸う。
こちらは涙目だったが、彼はまだ余裕そうだった。
「こういうことも少しずつ覚えていこうな?」
彼は流れるようにわたしのひたいにキスを落とした。
そして何ごともなかったかのように着替えに出て行ってしまう。
(ふ、触れ合いが……濃厚すぎる……)
火照った顔を手で隠して、落ち着けと必死に自分に聞かせた。
出勤時間になり、若林さんが日向様を迎えに来た。
昼間は一緒にいてくれるカナちゃんも一緒だ。わたしがしずしずと日向様の後に付いていると、若林さんは日向様の顔を見て生温い目になった。
「社長、おはようございます。今日は一段と機嫌ですね」
「そう見えるか?」
「顔面にイチゴのショートケーキを受けたくらい甘ったるい顔をしてますよ」
若林さんが半目し、わたしに目を向ける。
「初音さん、おはようございます」
「おはようございます」
「おっはよー、初音ちゃん! 今日は顔が赤いね」
カナちゃんに指摘されて、びくっと体を小さく震わせた。彼から受けた余韻がまだ抜けきれていなかった。
「風邪というわけでもなさそーだね」
「う、うん。大丈夫」
「初音、行ってくる」
日向様がわたしに笑いかけ、ひたいにキスを落とす。くすぶっていた甘い空気が、ふたりの前でも隠せなかった。羞恥心で倒れそうだ。
「わー、でろあまー」
そう言うカナちゃんの呟きさえ恥ずかしく、わたしはぺこりと頭を下げて「いってらっしゃいませ」と言った。
ドアが閉まって日向様が行ってしまうと、わたしは内包したドキドキを吐き出すように深く息を吐きだした。ちらりとカナちゃんを見ると、飄々としている。
(うう、……気まずい)
甘いところを見られた後だから。
「あの……カナちゃん」
「初音って、めちゃめちゃ日向に好かれてんだなー。よかったな」
からっと笑顔で言われてしまって、拍子抜けした。
「そうだね……少し、恥ずかしいけど……」
「あからさますぎだもんな」
「うん……嫌ではないんだけど……人前ではちょっと」
控えてほしいと思うのは、わがままになってしまうのだろうか。分からなくて、おろおろしているとカナちゃんはキッパリと言った。
「初音も照れずにイチャイチャすりゃいいんじゃん。目指せ、バカップル!」
「もお、カナちゃんったら!」
わたしは情けない声を出してしまった。それなのにカナちゃんはずっとカラカラと笑っていた。




