2-5
叔父は額に脂汗をかきながら、言い訳を始めた。
「そ、それは……。家が狭く、人でも足りなくて……」
「ほお。物置小屋で寝かせるほどの狭さを感じませんがね。この部屋はずいぶんと広いですし」
「い、いやっ……今は経営が大変でしてっ。それで、そのっ……初音には手伝いを……」
叔父はそう言ったが、日向様の追及は止まらなかった。叔父から視線を外し、今度はわたしを真っ直ぐ見て問いかけた。
「初音さん、あなたは青葉信用組合の仕事をされていたのですよね?」
「……はい」
「給料は渡されていましたか?」
鋭い声に、思わず体がびくりと震えた。それを見た日向様が顔を近づけて、耳元でささやく。
「ありのままを言えばいい。君はもう日の当たる場所に出るべきだ」
その力強い声は、わたしを後押ししてくれた。
(……もう、我慢することはないんだ)
日向様の目を見て、低い声で言った。
「いただいたことはありません……」
「一度も?」
その問いかけに、わたしは視線を逸らさず、はっきりと答えた。
「一度もです」
日向様は満足そうに口角を上げた。日向様は流れるように叔父を見やり、低い声を出した。
「これは労働基準法第二十四条に違反していますよね? まさか労働組合で決められたなどと言い訳をしませんよね」
日向様の言葉に、叔父は「ぐぅ」と獣がうなるような声を出した。
「あなたのしたことは、後見人という立場を盾にした人権侵害だ。弁護士を立て、しかるべき処置を取らせてもらう」
叔父は飛び跳ねるように顔を上げた。
「お、お待ちくださいっ!」
その懇願を日向様は一切、無視した。
「初音、叔父上との話は終わった。荷物を取りに行こうか」
鋭い声から一変し、柔らかい声になる。
その優しさにじんと胸が熱かった。
(……こんなにもハッキリと叔父を問い詰めてくれる人がいるなんて……)
誰もしてくれなかった。
涙が出そうになるのを堪えながら、わたしは立ち上がる。
日向様はうつむくわたしの腰に手を支えてくれて、わたしはなんとか歩き出した。
外に出ると、わたしは古びて、今にも崩れそうな物置小屋へ案内した。外観を見て、日向様は明らかに眉をひそめる。
「ここが部屋か?」
「……はい」
日向様は怒りを押し殺すように唇を引き結び、黙り込んだ。
(……中に入らせるのは、申し訳ないわ……)
「すみません。外でお待ちください……」
「俺も手伝う。ひとりでは持ちきれないだろう?」
日向様はスマートフォンのライトを付け、薄暗い中を照らした。
そして引き戸を開いて、先に中に入ってしまった。
わたしも慌てて入ると、日向様は物置小屋に光を当ててくまなくチェックしていた。
「冬はどうやって過ごしていたんだ。暖房が見当たらないぞ?」
「……壁の隙間に使わない布を詰めたりしてました」
「夏は」
「あ、あの……」
「もういい」
日向様は淡々と何も言わずに、荷物整理を手伝ってくれた。
持ち物は風呂敷ひとつ分しかなかった。
わたしのものと呼べるのは、母が使っていた割烹着と、両親の位牌。首元がよれてしまったセーター。穴を塞いだジーパン。そして、出すのが恥ずかしいほどの下着類だ。
「衣類はむこうで必要なものを買えばいいんじゃないか?」
あまりにみすぼらしい洋服を見て、日向様は淡々と言う。
「はい……割烹着と位牌は持っていきたいです」
わたしはふたりの位牌を手ぬぐいで包んだ。
「お仏壇に飾ってあげたかったのですが、家の中のものは自由がきかなくて」
「それも飾ってあげればいい。きっとご両親も安心する」
ここから連れ出してくれるだけでもありがたいのに、何から何までお世話になってしまっている。
「……申し訳ありません」
つい、謝罪の言葉が出た。
「謝るな。金で解決できることは、すべてそれで解決すればいい」
日向様が「それに」と付け加えた。
「謝られるより、喜ばれるほうが好みだ」
直球な言葉に、ドキドキが大きくなる。
困ってしまい、わたしは頭を下げた。
「……ありがとう存じます」
日向様はひょいと風呂敷を持って、先に物置小屋から出て行く。慌ててわたしも出ようとした時、日向様の前で一華が喚いている姿が見えた。
「日向様! どうして初音を選ぶんですか! あの子のどこがいいんですか⁉」
その物言いにぎょっとした。
(一華、日向様になんて失礼なことを……)
わたしはつかつかと前に出て、一華に言った。
「一華さん、やめて。日向様にご迷惑です」
「うるさい! あんたは惨めじゃなきゃいけないのよ! こんなの、こんなのっ!」
「――黙れ」
日向様が低い声を出して、一華を冷酷に見下ろした。
「お前の言葉は聞く価値がない」
「なっ!」
「い、一華! やめなさいっ!」
叔母が慌ててやってきて、ぺこぺこと頭を下げる。
「申し訳ありませんっ。娘にはよく聞かせておきますのでっ」
「そうしてもらおう。貴殿らが身内だと思うと、俺の恥だ」
冷たく言い放ち、日向様は片手をわたしの腰に添え、歩くように促した。
「見るに堪えんな。行くぞ、初音」
日向様を追いかけると、背後からまだ一華の声が聞こえた。
「ママ、なんで止めるのよ! アタシがフラれた日に、どうして初音があんないい人を連れてくるのよおおおっ!」
キャンキャン喚く声は、遠吠えのようにしか聞こえなかった。
屋敷を出て、車に乗り込む。荷物は助手席に置かれ、日向様はむすっとしたままシートベルトを締めた。わたしも助手席に座り、シートベルトをする。
「……全員、逃げ切れると思うなよ。今のうちに怯えて過ごすんだな」
前を向いたまま、日向様がぼそりと物騒なことを呟く。
それは、かつて雅姫が覚悟を決めて放った言葉に似ていて、わたしは思わず彼を見つめてしまった。
(目が本気に見える……)
何をするのか分からない雰囲気を感じて、わたしは小声で言った。
「もう充分ですから……」
そして、感謝を込めて微笑む。
「日向様があのように言ってくださるだけで、わたしは充分です」
穏やかに場を鎮めようと思ったが、日向様は鋭利な刃物のようにバッサリ切り捨てた。
「俺の経験では、あの手のタイプは後で何をするか分からない。退路を断った方がいい」
わたしが口を閉じると、日向様はふっと口角を上げた。
「心配するな。俺がうまくやる」
日向様は車のエンジンをかけ、ゆっくりと発進させた。
「今は寝てろ。空港に着いたら起こすから」
穏やかな声を聞いて、わたしは前を向いた。
街灯が流れ星のように過ぎ去り、対向車が過ぎ去っていく。
揺れが心地よくて、瞼が自然と重くなった。
(本当に寝そう……起きて、荷物を運ばないといけないのに……)
抵抗してみたものの、いつの間にかわたしは瞼を閉じていた。




